238
「よーしそろったな」
先生がいつも通りのんびりした口調で、しかしいつもとは違う少しやる気が見える珍しい表情で私達を見回す。
大魔法の一発や二発なら余裕で防ぐ騎士科の稽古場。いつも午後利用させてもらっている一室で、ずらりと並んだ特殊科二年七名。
なんだか先生の気合の入りように、こっちがぴりぴりとした空気をまとっている。うーん、今日の修行は何やらされるんだ。魔法の補助なしで腕立て伏せ百回とか言われたら、ちょっと明日調合用の薬草を刻む自信がない。いやできるか怪しい。
どきどきと先生の言葉を待っていると、しばらく一人一人私達を見ていた先生が「よし」と言って口の端をあげた。
「お前ら今日は一対一で模擬試合をしてもらう」
「……え?」
模擬試合。一対一で、試合。
「……あれ、普通です、わね」
身構えていたおねえさまが隣で首を傾げたのを見上げ、同意しようと口を開いたところで。
「アイラ」
「はいっ」
先生に名前を呼ばれ、びくりと肩を震わせてそちらを見る。
「それとレイシス。まずお前らだ」
「……え?」
私と、レイシスの、試合。
「ルセナ、防御の補助を頼む。いいか、本気でやりあえ。今日の試合は『条件なし』だ。レイシス、アイラだからと言って手を抜くな」
「……先生」
私とレイシスがこれまで試合をしたことは、いくらかある。お互い本気であったとは思うが、いつもは条件付きだ。例えば「得意魔法のみ」だとか、「苦手属性のみ」だとか。つまり本気で実力をぶつける勝負したことなんて……しばらくない。もちろんルセナに防御を頼むということは、お互いに攻撃が当たる前に弾かれるあくまで「模擬」試合だ。当然いくら防御があろうと、完全無傷ではないだろうが。
それでもどこか困ったような表情でレイシスが先生を見上げると、先生はなおもにやりと笑みを浮かべたまま話を続け、レイシスの言葉を遮る。
「そうだな。手を抜いたら意味がないからな。どうだ、ガイアス。レイシスがアイラに負けるようなことがあれば鍛えなおし期間という事で護衛を数日外すとか」
「先生!」
ぎょっとした様子でレイシスが目を見開く。ガイアスも驚いたようだが、その視線がレイシスに向けられると、レイシスはびくりと肩を揺らした。
「負けたら、ね。確かにレイシスならそうでもしないとアイラに本気は出せないでしょうけど……でもそれは」
ガイアスが「それはさすがに」と悩むような表情をする。……が、先生の目はガイアスからはずれ、私に向けられた。
「何も一生そのままでいろと言ってるわけじゃない。そういう気持ちでやってみろってだけだ。……やってみろ、アイラ」
「……わかりました」
「アイラ!?」
愕然とした表情でレイシスが私の名前を叫び、その声と表情に少し胸が痛む。けれど。
「レイシスに護衛を外れてほしいわけじゃない。そうじゃなくて……レイシスが本気で戦って、私に負けるの?」
「っそれ、は」
おそらく、だが。レイシスが恐れているのは「もしかしたら外されるかもしれない」という方じゃない。私に本気の戦いを挑む方だ。
エルフィの力を使えばわからないが、いくら条件なしと言っても私はエルフィの力を使わない。「いつでも使える状況だと思わないこと」を念頭に特殊科では修行しているのだ。
であれば、純粋に勝負をすればレイシスがあっさり私に負けることはまずありえない。勝負の争点はそこじゃない。レイシスが私の力を情で見誤ったりせず、そして私がいかにレイシスを追い込めるか。
でも、この勝負でいい試合ができればレイシスも少しは安心するだろうか。私が、箱入り娘にならずとも大丈夫なんだって。
思い返せば、一緒に魔法の練習をしていた昔はもっとレイシスは安心して戦ってくれていた気がする。この前の、あの男との戦いでの後半みたいに、三人でお互いを信じて戦えてた。
最近は……私は医療科での行動が忙しくて、レイシスの前で本気で力を使うことも、少なかったけど。
先生を見上げると、先生はにやりと笑っているくせに、どこか優しい目でレイシスを見ていて。
先生にも考えがあるんだ。きっと、大丈夫。
「レイシス。護衛うんぬんはとりあえず置いておいたとしても、本気でやろう。昔、みたいに」
「アイラ……」
一度そうして戦えば、次また敵と戦うことになっても大丈夫。今度この前のような戦闘になっても、レイシスはまた昔みたいに戦ってくれる、はず。
じっと皆の視線を感じる中で、ゆっくりと、ただ確実にレイシスは頷いて見せた。
「俺はアイラの護衛は外れるつもりはない。……本気でやります」
「準備終わりました。……おねえちゃん、レイシス。お互いの攻撃が当たってもある程度は防いでくれるから」
ルセナの防御魔法が肌に馴染むようにかけられ、目を細めてその魔力を感じる。
防御魔法があると言っても、これは念のためであって当てにしてはいけない。防御魔法はあくまで万が一、大怪我にならないようにあるもので、ルセナの防御魔法に触れたら減点だ。
あくまで護りも自分で。条件なしということは、予想がつかない敵の攻撃は防ぎ、そしてこちらの攻撃を相手の予想に反して当てなければならない。
緊張のせいか耳元でどくどくと音が煩いが、所定の位置について深呼吸し、乱れを整える。
レイシスは緊張状態で勝てる相手じゃない。私はレイシスに、強いんだって……頼れる仲間なんだって認めてもらいたい。
深く息を吸って、吐いて、顔をあげると同時にレイシスと目が合った。
きっとお互い、ここ数日言えなかった想いがある。……それを拳に託すなんて、男っぽい和解の仕方かもしれないけれど。
「よし、準備はいいな……はじめ!」
先生の合図で室内に張り詰めたような空気が満ち、同時に私達は大きく距離をとった。
どちらも遠距離タイプ。グリモワを手にした私はすばやくその大きさを変え、レイシスも弓を手にしている。
すぐにレイシスの口元が既に動いていることには気づいたが、流れるような動きで指先が私に向けられたと思った瞬間、風の魔法は既に放たれていた。
「風の刃!」
「水の盾!」
初手でレイシスの魔法に私の魔法の発動が負けるのは予想済みだ。私も速いほうだが、レイシスの詠唱速度に勝てるとは思えない。
少し遅れようが、距離をとっていたおかげでこちらに到達する前に水の護りを生み出して風の刃を防ぐ。と同時に盾の向こう側にグリモワを大きく飛ばし、次いで飛んできた矢を弾き落とす。物理攻撃と魔法攻撃同時も、予測済み。
盾は唱えてしまえば魔力なしで維持できる。その代わり相手の攻撃が強すぎると消えてしまう欠点があるが、防いでいる間に詠唱はできる。
「水の玉!」
手のひらを前に突き出し、生み出したチェイサーを飛ばす。きっとレイシスも水の玉が来ることは『聞こえて』いただろうから、せめて意外性のある魔法にしたかったけれどこれが一番速く威力があるので仕方がない。
周囲に轟く水の玉の割れる音に紛れて次の詠唱を開始する。レイシス相手に手を休めてはそこで勝負がついてしまう。一つ手を打っている間に次、そしてその次まで手を考え、そして相手の技を予測しなければ。
ふっと口元に笑みが浮かぶ。楽しい。こんなの、久しぶり。
昔は実家でこうしてガイアスやレイシス、デラクエルの大人たちと戦いながら、こうして楽しい時間を過ごしたものだ。修行が楽しかったのは、私のオタク属性のせいかデラクエルの修行が面白いせいかわからないけれど。
破裂する水の玉を縫うようにレイシスの矢が飛んでくる。どうやら玉を防ぐのに魔力は使っていても、矢を放つ余裕があるらしい。
すべてグリモワを動かし叩き落しながら、詠唱を完成させて一歩前に足を進める。
開かれたグリモワの背表紙で矢を叩き落す瞬間、グリモワのページを二枚破り取りつつ、叫ぶ。
「アクアラッシュ!」
「ミストラル!」
チェイサーの水しぶきが晴れた瞬間膨れ上がった私の魔力にぶつけるように、ほぼ同等の同じ上級魔法が向こうからも繰り出される。
やっぱり、気づかれてたか……!
チェイサーは生み出してしまえば次の詠唱の時間稼ぎになる。私がよく使う戦法を知るレイシスが相殺を狙わない筈がない。
激しく吹き荒れる風が私の水を弾き飛ばし、周囲に雨となって降り注ぐ。
打ち負けることはできない。このまま放出し続けてどちらがばてるか比べるのもいいが、そんな勝ち方じゃ駄目だ。
手にしていたグリモワの一枚を、水しぶきに隠れながら手を振り放つ。魔力文字が書かれ魔力の吹き込まれた一ページが、ふわりと波に隠れて消える。
よし、……三、二、一。
「いけっ!」
カウントダウンがゼロと同時にレイシスの魔力が乱れ、風が霧散したのと同時に水がレイシスに飛び込んでいく。
体勢を崩したレイシスは間一髪それをかわしたが、床に膝をついてしまっていた。
私が飛ばした魔力を含んだグリモワの一ページが、レイシスの背後に回り切りつけようと急に魔力を膨れ上がらせたのだ。
気配に敏感なレイシスが背後に魔力を感じたことで集中が乱れ、私の水に押し負けた。機を逃さず私は大きく地面を蹴りながら詠唱を口ずさむ。
「雷の花!」
「氷の盾!」
私が放つ魔法がレイシスの盾に防がれ、眉を寄せつつグリモワを振り下ろす。
瞬時に現れたレイシスの風の盾がグリモワを弾き、その間に風の魔力を使ったのか跳ねるように立ち上がったレイシスが、私の目前に迫る。
「くっ」
咄嗟に振り戻したグリモワでなんとか短剣を防ぐが、今度は私がバランスを崩す番だった。まだ魔力はある、が、大魔法をもう一度練り上げる時間を取れるだろうか。
「風の玉!」
「えええっ」
レイシス詠唱が早すぎる!
舞うように揺れた指先が私に向けられた瞬間飛び込む風の玉をなんとか生み出した盾とグリモワで防ぐが、風のチェイサー特有の爆風で後ろに追い詰められていき、大きく間合いを取られる。まずい!
ぎりっと手を握りしめ、諦めて風歩で大きく後ろに跳ぶ。きっと大魔法が来る、ともう一度応戦するために詠唱をするが。
「風の刃!」
「なっ」
しまった。読み誤った!
上級魔法かと思われた、チェイサーで時間稼ぎをしながらレイシスが唱えた魔法は、彼が得意とする刃で。
それも、よく練られた威力の高い無数の刃が迫る。私はまだ詠唱途中。咄嗟に手を振り動かすが、その時私の目の前に刃と共にレイシスが迫った。
視界が、翳る。
「そこまで!!」
稽古場に、先生の声が響き渡った。




