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「いたね」

 冷たい空気が頬を冷やす中、白い息すら吐く事は躊躇われるような緊張感の中で、たくさんの店が立ち並ぶ王都街の中、華やかな装飾が施されたある一店舗の出入り口を見つめる。

 ベルマカロンですぐに合流できたグラエム先輩は、言うならば前世でいう忍者のようだった。

 黒い衣装に、口元を隠す黒い布。黒い髪はむき出しだったが、極力肌を隠した全身を覆う細身の黒装束を見つけた瞬間こっちがびっくりした。というか見つけにくい。

 ふと、デラクエルが暗部として動いているのは知っているが、先輩の家も同じような感じの仕事をしているのでは、と思う。なんといっても、「慣れすぎ」だ。

 私はそれこそデラクエルの指導を受けた身なのである程度こうした隠密のようなこともできるが、先輩は完全にその道の人、という感じである。

 今度聞いてみようかな。……教えてくれなさそうだけど。でも、私でも気づいたのだから、きっとガイアスとレイシスも先輩が「慣れた人」だと気づいているだろう。


 まあそんなことは置いておいてだ。

 今まさに、『マリア』の店に入っていった人物。すっと背が高い、眼鏡をかけた壮年の男。

 きょろきょろと傍目にも怪しさ全開で裏口から店内に入っていった男は、グラエム先輩によるとリドット侯爵の腹心らしい。

 ……あんな落ち着きの無さで腹心が務まるんだろうかという素朴な疑問は、グラエム先輩があっさりと「普段はあんなんじゃない」と言って否定する。

「余程知られたくない何かだな。猫はどうだ?」

「無事に侵入に成功しています。合図があったのでちゃんと聞けているみたいです」

 アルくんとは普段の索敵の時などと同様、彼に魔力を渡すことで契約と成している為ある程度は繋がっている。離れている為細かい連絡は無理だが、異常があればまた合図が来るはずだ。

 私達が控えているのは、『マリア』の出入り口は見れるものの距離は少し離れている場所だ。しかも空き家のバルコニーという、冷えた風を遮ることはできない場所で少し、いや結構寒い。

 洒落た手摺のおかげで目立つことなく身体は隠せているとは思うものの、さすがに冷えはどうにもならない。魔法を使って暖めるようなことをして相手に気づかれたくもないし、と少しだけ指先を擦り合わせた。

「大丈夫ですか?」

 小さな声で周囲を警戒したまま尋ねてくるレイシスに頷いて見せる。

 外套に身を包み、髪を隠すように纏めて帽子を目深く被った上から外套のフードまで被っているので、ある意味私はここにいるメンバーの中では一番防寒対策がしてある。

 ガイアスとレイシスは目立つ髪をフードで隠しているが、動きやすいようにそこまで厚手ではない外套を羽織っているし、先輩は軽装……忍者だし。和服じゃないけど。

 ちらりとマリアの店舗に視線を戻す。漏れる明かりは最小限、と言った程度で光は細く、集中して見ても人の気配なんてほとんどないようなものだ。

 じっと見つめて、ふと気づく。


 ……人の気配がない?


「グラエム先輩」

 小さな声で呼ぶと、ちらりとこちらを見た先輩が視線だけで続きを促したような気がして、なるべく警戒しながら話を続ける。

「相手、もしかしてある程度魔法使える人ですか」

「……ああ。猫が危険か?」

「いえ。王子がここに行かせてくれたってことは相手はエルフィではないでしょうし、アルくんがばれるようなミスはしないと思います、が」

「なんだ」

「一人ですかね。中に誰かいるとしても、気配なさすぎだと思うんですよ」

 私は昔から集中した状態であれば気配を探るのは得意なほうだ。索敵を主とする訓練はデラクエル仕込みである。もちろん普段からそれを気にしていては人混みになんていれないので、切り替えはするけれど。

 でも、今はあの店舗だけに集中し、ましてアルくんと魔力で繋がった状態で索敵しているのに、気配がなさすぎる。

 私が話し終えると、鋭い視線を再びマリアに向けたグラエム先輩はそれきり口を閉じた。

 ガイアスもレイシスも、周囲を警戒しつつ無言だ。ピンと張り詰めた空気、冷たい風、視界を支配する闇。嫌でも緊張に体に力が入る。

 やっぱり、相手はそこそこ強い相手だと思っていいのかもしれない。そして、何をしているのか知らないが中に人がいるとすれば、そいつもだ。


 シン、と全ての音を吸収してしまうのではないかと思われる程の静寂の中で、ふっと視界に何かが映りこんだ。

「……雪」

 一瞬だけ上を見上げて空を確認し、すぐ視線をマリアに戻したが、私達の視界には雪がちらちらと映り始める。

 どうりで寒いわけだ。

 ちらちらと映る白い影に気をとられない様にと思いながらも、ふと寂しくなる。

 やっぱり皆が揃ってないと、少し寂しいな。

 前に見た雪は、夏に見た雪山の雪で……。

 ……なんか、雪を見るとフォルを思い出すな。氷魔法を使うから? 髪が銀色だから?

 花のように美しい結晶の綺麗な模様が見える程やわらかく大きな綿雪に包まれ始める中、ふと、前に見たマシュマロの夢を思い出す。やたらと私、白はフォルってイメージがあるのかも。雪の結晶とか、綺麗だし似合うかも。

 

「来た」


 はっと考え込んでいた思考が戻ってくる。じっと見つめる先で、マリアの店舗の出口から現れたのは眼鏡をかけた男。それ以外に誰か出てくる様子はない。

「アイラ。アルはいるか」

 ガイアスに小声で言われて周囲を見渡し、丁度マリアの窓から飛び出してくる存在を見つけて小さく頷く。

 無事だ。

 ほっとして少し息を吐きつつ、目を細めて眼鏡の男の行方を追う。

 辺りを気にする素振りを見せていた男は、大きな通りに出るととたんに堂々とした様子で背を伸ばし足早に歩き出す。建物の影に隠れ見えなくなったところで、丁度アルくんが私達のところへと戻ってきた。

「どうだった?」

「待て、アイラ。報告は後でその猫が姿を見せた状態で全員に、だ。いいな?」

『わかった』

 一度だけアルくんが声を出して皆に了承の意を伝えてくれたが、ちょっと待って、と今にも飛び出しそうな皆を止める。

「アルくん。それは?」

 アルくんが大事そうに抱えている何かを受け取る。ころりと手のひらに転がったのは、丸い……薬だ。

『地下にいっぱいあったから、ひとつだけとってきた。大丈夫、籠に山盛りになってて杜撰な管理だった』

「おいこれ、『ビティス』じゃねぇか!」

「クロだな、もう確実に」

 ガイアスとレイシスが驚いている横で目を細めたグラエム先輩が私の手のひらの薬を見つめる。

「おいそれ、落とすなよ」

「はい。アルくん、中に他に人は?」

『いる。けどたぶん出てこない。薬師だと思う』

 なるほどね、とグラエム先輩が一度マリアのほうを見つめ、にやりと笑う。

「すぐ戻るぞ。人がいるなら好都合。この薬を証拠にすぐに騎士を送り込めばいい」

「なるほど」

 またとない機会かもしれない。そう考えるとここにこうしている時間は惜しいと、私達は周囲を警戒しつつ十分に眼鏡の男が離れたことを確認して、空き家のバルコニーから飛び出した。

 ふわりと舞う雪に合わせて風を操り地面へそっと着地する。大通りは腹心がいるからと、あえて細い通りに向かって駆け出す。

 ふと、人目を避けて通りを走ると、見覚えがある場所だと気づいた……その時。

「うぐっ!?」

 突如背中に衝撃が走り、次いで浮遊感。

「みーつけた」

 掠れた、しかし楽しそうな声が聞こえてぞわりと身体に何かが這い上がる。

「なっ!?」

「ちっ!」

 目を見開いたレイシスと舌打ちをしつつ剣を抜いたガイアスが、がくがくと揺れる視界に映った。何が起きているかわからないものの、咄嗟に振り上げた手で無意識に魔力を弾けさせる。

「くっ」

「雷の花!」

 ガイアスがすぐに敵に向かってくれたのを理解し邪魔にならない魔法をすばやく詠唱し放つと、低い男の悲鳴が後ろで聞こえる。

「良くやった、下がれ!」

 駆け寄って私の体を奪うように抱き寄せたグラエム先輩の片手に小さな剣が握られているのが見え、その場を任せて着地した地面を力任せに蹴ると、私を抱きとめたレイシスが庇うように大きく後ろに飛ぶ。

「あいつ……!」

「やーっぱり、君達酒を欲しがるほど弱くないよねえ……?」

 グラエム先輩、そしてガイアスと対峙している男に見覚えがあった。大きな体躯、手にした槍。あいつは、この前の……変態!

 にたりと笑って言う男に、しまったと舌打ちをしそうになる。気づかれたか!

「なんであいつが」

「この辺りを根城にしているのでしょう!」

 答えてすぐさま詠唱を開始したレイシスに倣い、私も周囲に防御魔法の壁を施す。街中でこのまま大きく暴れるわけには行かないので、中での戦いを気づかれないように周囲に防御魔法を張り巡らせるのだ。普段であればルセナがやってくれるのであるが、今は私がやるしかない。が、得意というわけではないので全神経がそちらに集中してしまう。

「よし!」

 私の魔法に気づいたグラエム先輩が、遠慮なしにどんどんと魔力を高め始める。恐らくかなり威力が高い魔法だ、と身構えたとき、レイシスが動いた。

「俺がやる!」

「レイシス!?」

 敵に向かうレイシスに驚く。グラエム先輩の魔法が何かわからないのに飛び込むのは、危険だ!

「レイシス、駄目!」

「この間は、よくもお嬢様に……!」

 なんで……!

 レイシスらしくない行動に焦る。気づいていないの!?

 いや、違う……『らしくない』んじゃない。『らしい』んだ。どうして、気づかなかった!

「くそっ」

 レイシスの動きに気づいたグラエム先輩が、魔力を抑えたことに気づいた時には、にやりと笑う敵が見えた。周囲に吹き荒れる風は恐らく、レイシスだ。

「ザンネンだったね」

 相手は魔力を扱うのが上手い。わかっていた筈の情報だった。

 突如焼け付くような熱さに襲われ、冷えた身体が悲鳴をあげる。


 炎だ。


 まずい。


 闇と赤が混じる世界で、風に赤が煽られていく。

 見慣れた姿がその世界に包まれるのが、見えた。


「レイシスっ!!」



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