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私の生まれ育ったマグヴェル領……今はベルティーニ領レイフォレスは商業の街として発展しているが、それなりに大きな街で学校もいくつか存在した。普通に文字や歴史や計算など基本的な授業の他に、魔力が高い人間が魔法を習うこともでき、庶民は大抵そこで学ぶのだ。
私は家に教師が来てくれていて、早くから王都を目指していたのでそちらに通うことはなかったが、ベルマカロンに訪れる街の子供達から話は聞いていたので前世の小学校や中学校のイメージをその学校に抱いており、ベルマカロンの新作お披露目の際に差し入れを持って訪れた事もあったが、その想像は間違ってはいなかった。
だがしかし、いざ自分が王都の魔法学園の入学許可証を手にし、後になって父に渡された学園について書かれた冊子を見て驚愕した。
予想より大きい、というか想像もつかない規模だった。
なんとなく貴族が入る学校なんだからと豪華絢爛な建物は想像していたが、まさかここまで大きな規模だとは思っていなかったのだ。建物は写真なんてなくてあくまで絵だけど。
王都メシュケットに位置する学園クラストラ。
王都の城南方に位置し、もはや学園都市と言っても過言ではないその地区を通らなければ、ぐるりと城壁に囲まれている城に入る事はできないそうだ。つまり、学園は城の門を守る砦となっているのでは、と考えたのだが、あながち間違いではないだろう。
貴族が入るとなれば、そう何千人も貴族がいるわけじゃないんだから少し普通の学校より派手な程度で規模は小さいんじゃ、なんて考えてたヤツは誰だ、いえ、私ですが。
驚いた事に、貴族以外の生徒が多数いるらしい。と言っても、祖父が貴族だった、どころか数代前がどこぞの貴族の三男でした。とかそう言った人も多く、他にも王の近衛の息子だとか、戦で功績を挙げた兵の娘だとかもいるそうだ。
確かにそう考えると人数は相当のものになるだろう。それに加え、領主推薦の一般の生徒もいるのだ。恐らく私が今こうして学園案内の冊子を見ているだけでは予想がつけれない規模だ。
しかも驚いた事に、つい前世の知識に頼りがちになってしまったせいなのか学園の制度すら想像していたものと違った。
私は魔法学園に入学できれば、いくつかのクラスに分かれて同じものを学び成長していくものだと思っていたのだが、王都の魔法学園は最初から目指すものにより学ぶものが別れていた。つまり、高校の科や大学のような制度だったのだ。
より専門的な知識を深める為に学園が用意している科は多い。
まず、貴族の娘の多くが入る『ロサメイデン』と呼ばれる淑女科。よくわからない通称の意味は完璧な淑女、らしい。特徴としては貴族のマナーに始まり、国の歴史を学び、芸術に触れるまさに淑女を育てる科だ。
他国の妃となっても恥ずかしくない完璧な淑女育成を掲げるこの科の生徒は、目下狙いは王子の後宮入りらしいとサシャが話していた。どうやら私よりサシャの方が学園には詳しそうである。
次に、女性の科があれば貴族の息子の科もあるということで、『ジェントル』と呼ばれる紳士科。こちらもよくわからない通称があるがまぁのっぴきならない事情があるのだろう、例えば貴族の我侭とかね!
で、肝心な内容だが、この世界では貴族の跡継ぎは男子と決まっているので領地経営から、もちろん歴史に始まり基本的な護身術などまさに様々な分野を広く学ぶ科のようだ。
この二つはまず現役貴族もしくは近い血縁者が入るらしい。魔力の大小も得意不得意も関係なく、こればかりは貴族専門と言っていい。つまり、目指すものがある私にはまったく関係ない科だ。だがしかし単体で言えば一番人数が多く入る科であるために、魔法学園が貴族ばかりの学校と言われるのも頷ける。
他は兵科、侍女科、医療科、狩猟科、錬金術科、魔道具科があるようだ。
私が希望するのはもちろん医療科だ。医療を大きく纏めて一つの科としてあるが、内容は医師か、看護か、薬師かで最終的に別れるらしい。最初は基本的に全ての生徒が医療に関する事を専門で学べるとの事で、期待に胸が膨らむ。
そして、ガイアスとレイシスは兵科にするようだ。兵科は特殊で、成績が全て。優秀者は兵科の中でも特殊な騎士科に移籍になる。騎士科そのものはもとより存在するのではなく、あくまで優秀者のみ受け入れる特殊な科となるようで、そこに入ることが出来れば将来安泰、兵科を希望する全ての人間の憧れらしい。
二人は護衛として私と科が離れる事を渋ったが、こればかりは仕方ないと父達に納得させられていた。王都の学園は貴族がたくさんいるだけあって警備は厳重だし、現役騎士も校内にたくさんいるのだからと。
そもそも二人はやはり私の護衛なのですか、美少年護衛フラグはやっぱり維持されていたというより達成されていたのか。疑問に思い父に尋ねると「二人ともそのつもりだからいいだろう、というか今更?」とにっこり笑顔で言われた。そうですか。
他の科も特色それぞれだが、冊子を見ていて驚いたのは侍女科だ。最近の侍女は世話だけではなく護衛もできちゃう侍女が人気らしい。それで一番最近新設された科がこの侍女科で、なんと主を守る為の護衛魔法と侍女業を学ぶらしい。
歌って踊れるアイドルみたいなものかなぁと考えつつ、冊子にある簡単な学園内の地図とか特色を読み続けると、さらに特殊な科を見つけた。
その名の通り特殊科は、選ばれた階級の者だけが所属することができる科。これまで詳しくいろいろ書いていたのにここだけ説明が非常に少ないが、サシャ曰く歴代の王族などが所属していたとか。
この科の生徒は選んだ専門に限らずどの科でも上位成績を収めるような優秀者を育てるような事が書かれているので、所謂エリートコースまっしぐらなところなのだろう。そういえば今年は我がメシュケット王国の第一王子が入学を決めたらしい。
雲の上の人が同じ学年とは稀有な事だと暢気に構えていた私は、同じく冊子を見ていたレイシスが「あ」と呟き続けた言葉に慌てた。
「お嬢様、入学即日、希望の科での今後を決める実力テストと書かれています。医療科希望者は実技に回復魔法がありますよ」
「うぇええええ!?」
エルフィの力に頼っている私は『通常の回復魔法』を覚えたのはつい最近、まだ不慣れだ。エルフィであることは公にしない。貴重な能力として国が大事にしてはくれるが、エルフィはその能力を隠す。珍しい能力はそれだけで嫉妬を呼び、そして利用されるからだ。それを理由に隠れる事はとても残念な事だが、仕方ないのだろう。
「ちょっとガイアスのところ行って来る!」
レイシスにそう告げて部屋を飛び出す。ガイアスならば最近大きな魔法の練習をしている為に現在生傷が絶えない男と化している。稽古場に向かえば、やはり盛大に魔法を失敗したらしいガイアスが砂埃の中擦り傷だらけで立っていた。
「げ、アイラなんでこんなときに!」
「ガイアスちょっと治療させて!」
「お嬢様、急に走り出さないで下さい!」
後から追ってきたレイシスと、結局そのままお互いの魔法の見せ合いが始まる。みんなで笑い合っていると、稽古場に珍しくカーネリアンとサシャも姿を見せた。五人で集まる時間はもうこれから殆どなくなってしまうのかもしれない。
それがわかっているからか、その日はやたらと長い間五人で稽古場にいた。魔法の見せ合いだけじゃない、ガイアスとレイシスの稽古にカーネリアンが混ざってみたり、サシャとそれを見ながら必死になって応援して笑い合って。
その日からカーネリアンとサシャはやたらと私達の傍にいたがったのだけど。
王都に向かう日はあっという間に訪れたのだった。
「姉上、忘れ物はない?」
「大丈夫よカーネリアン」
「アイラ、はいこれ忘れ物」
「えっ」
朝から漫才のようなやり取りを家族としつつ、母から大事にしている植物図鑑を受け取る。小さい頃からのたくさんのメモが書き込まれた図鑑だから、絶対忘れないようにしようと思いつつ直前まで勉強で使っていた為に机の上に置きっぱなしにしていたらしい。
ガイアスからそんなんで大丈夫かと笑われたが、真面目な顔して大丈夫だ問題ないと答えようじゃないか。うん、あまり大丈夫じゃないかもしれない。
これから授業では一人なんだから、うっかり教科書忘れましたとかは洒落にならないな、気をつけよう。
カーネリアンとサシャに手紙送るからねと笑い、父と母に頑張ってきますと告げて、屋敷の皆に行ってきますと元気に挨拶をする。別に今生の別れじゃないので、しんみりなんてしないんだからね!
馬車に乗り込んで少し目を擦ったのは、一緒についてきてくれることになった私の専属のメイド……侍女の、レミリア・ステイに見られないようにこっそりだ。私より四つ年上の彼女は、ベルマカロンで最初の職人であるリミおばさんの一番弟子、一号店店長のバールさんの妹だ。
私が勉強に忙しくなった辺りから一号店のお手伝いをしてくれていたのだが、その縁あって貴族になった時から私専属として侍女の仕事をしてくれている。実家が食堂を営んでいる彼女はよく気が利き優しい素敵なお姉さんだ。
今回、一応曲がりなりにも貴族になった私の身の回りのお手伝いに使用人を連れて行くように言われ、彼女にお願いした。想像つかないが、やはり貴族が多い学校だけあって使用人としてそこに足を踏み入れる人も多いらしい。
連れて行くのは一人でいいのかと父や母に聞かれたが、元は私だって庶民なのだ、自分の事は自分である程度できるのでそこは問題ない。
私の顔を見て笑みを零したレミリアは綺麗にアイロンがけされたハンカチをそっと差し出してくれた。う、やっぱ気付いてましたか。
ガイアスとレイシスは馬にのり私達の乗る箱馬車の外を護衛している。一緒に学園に入るのだから、道中まで疲れることないじゃないかと思ったのだがこれも訓練だといわれれば仕方がない。
馬車の中は女の園として移動の退屈な時間を過ごそうじゃないかと、レミリアと新作のお菓子の話からベルティーニの話題の生地で作られたドレスの話をしつつ順調な旅を過ごし、途中人生初の宿に宿泊など新しい体験もしつつ、行程の半分ほど進んだだろうかという三日目の事だった。
馬の嘶く声と共に馬車ががたんと音を立てて止まる。
馬車の御者はベルティーニの商品を普段運んでいるベテランさんだ。岩に乗り上げたとか浅瀬に落ちただなんて運転ミスはしないはずだが、と不審に思い扉に手をかけた時、レイシスの強い魔力の流れを感じた。
「風の盾!」
唱えられた発動呪文に、外で何かしらよろしくないトラブルが発生したのだと確信する。レイシスの得意とする風の盾は、魔法攻撃を防ぐ事はできないが物理的な攻撃を防ぐ魔法だ。
一緒にいるレミリアは、魔力はそこそこあるのだが上手く制御することができず魔法を使うのに向いていないとゼフェルおじさまに言われ、簡単な護身術しか使えない。ここの扉を開けて私が応戦にでるべきではないのではと躊躇い、外の様子を探る為に小窓を少しだけ開けた。
「レイシス、何が起きているの」
ちらりと見えた後頭部にレイシスだと判断して尋ねれば、レイシスは小窓に重なるように立ち周囲を警戒しながら足にくくりつけたホルダーから短剣を手に取ったようだ。
「獣です、恐らくグーラーかと。お嬢様はレミリアと中に。ガイアスが出ました」
「そう」
それを聞いてほっと息を吐く。外には、父が心配して配備したベルティーニの護衛団数人がいるが、ガイアス一人で対処できると判断したのなら問題ないだろう。
そもそもこの世界において、獣は然程脅威ではない。前世で街中に熊なんぞ出ようものなら大騒ぎだろうが、魔法があるこの世界ではそういったことはないのだ。もちろん、獣の中でも魔法耐性を持っていたり簡単な魔法を使う事ができる魔物と呼ばれる種類は別だが、それらは王都北に広がる深い森には多いもののこの辺りのような人の多い地域にはいないのだ。
そしてグーラーとは、狼に似ているが一匹行動が基本で、そのスピードで相手を翻弄する肉食獣であるものの、水に弱く怖がられる獣ではない。雨が降れば引きこもってしまう結構繊細な生き物だ。人の前に出ることすら珍しい。
レイシスの説明を聞いて、レミリアもほっと安堵のため息をついた、その時。
――グォオオオオオオオッ
近くで、大きな唸り声が聞こえる。それも、複数だ。
「え……」
「おかしいわ。グーラーが複数いる?」
不安そうに身体を震わせるレミリアを気にしながら、もう一度小窓を覗く。レイシスがしきりに辺りを気にしているようだが、どういうことだ、と混乱した声を漏らした。
レイシスが前に立っている為に見づらい。が、なんとか隙間から確認した私は驚愕した。
「囲まれてる」
馬車は、グーラーの群れに囲まれていた。
そもそも、群れという言葉を使うことすらおかしい。普段群れない生き物が、群れて獲物を囲んでいる。この異常な状況は、決して楽観視できないものだ。
「レミリア、絶対ここから出ないで」
「お、お嬢様!」
焦った、私を引き止めるような声が聞こえたが、私はレイシスの風の盾がまだ無事な事を確認して外に飛び出した。
突然外に出た私にレイシスが慌てて駆け寄る。
「お嬢様、出てはいけません!」
「何言ってるの、相手は異常な行動をした獣よ! 普段と違う行動をしている獣に気を抜かない! 奴等相手なら水が得意な私が一番よ」
叫ぶ私に、護衛に来ていたベルティーニの社員達が一瞬慌てたが、すぐにそれぞれ武器を構え臨戦態勢を取った。うん、いい反応、さすがゼフェルおじさん仕込みだ。
「奴等の弱点は水よ、水魔法が得意な者は魔法に集中、それ以外は物理的な攻撃でいいわ、馬車に近づけさせないで!」
「了解致しました!」
改めて周囲を確認すれば、場所は左右を林に囲まれているもののある程度広さのある整備された道だった。私達の他にも馬車等が通りかかる可能性が高い。早めに片付けなければ。
私のいる位置の反対方向で、ガイアスの発動呪文が聞こえた。あちらはガイアスと護衛さんたちに任せて、私はこちらを相手することにする。
「レイシスは風の盾を絶対に切らさないで、武器攻撃をしている仲間のサポートを」
「……っ、お嬢様の仰せのままに!」
短剣をホルダーに戻したレイシスが、背の弓に持ち替える。剣を捨てたレイシスは、やはり弓の才能があったのか今では相当な腕だ。すっと彼が矢をつがえた、それを合図に、一斉にグーラーたちが馬車に飛び込んでくる。
「水の蛇!」
両手を突き出した私の手のひらの間から飛び出した水の蛇が、まるで龍のようにその丈を伸ばしその身体の長さを生かして飛び掛るグーラーたちを阻み、食らう。
怯んだグーラーにレイシスの放った矢が突き刺さり、次々と倒れ、水の蛇を逃れもがいているグーラーに護衛たちの剣が突き刺さる。
こちら側は圧倒している。念のため残ったグーラーたちにいつもの『ただの水』をぶちまけ、急いで反対側に回ると、そちらにも優秀な水魔法使いがいたのかすでに動くグーラーの姿はなく、ガイアスが最後の一匹に止めを刺しているところだった。
「ガイアス! 一体なんでこんなことに」
「わからねえ、いきなり一匹が珍しく飛び込んできたと思ったら急に大量に沸いて来た! そっちは!?」
「もうレイシス達が全部倒したと思う!」
安全を確認して私に走り寄ったガイアスは、私の腕を引くと危ないから早く戻れと馬車に押し込んだ。
「怪我人はいないみたいだからすぐにここを離れる。獣の血の匂いでいらない敵まで来たらいけないからな」
「わかった」
そうしてトラブルはあったもののその場を急いで離れ、次の街で常駐している騎士に道中の事を説明し後処理を任せた。
三日後に王都が見えた時にはあの獣の事なんて珍しい事があったね、で特に話題に上ることもなく。
予定より一日早い出発から六日目に私は初の王都へと足を踏み入れ、期待に胸をふくらませながら学園へと繋がる大通りを馬車の窓を開けて楽しんだのであった。




