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「あ」
朝いつもより早めに下に下りてきたところで玄関にガイアスの姿を見つけて、思わず声を上げて立ち止まる。
「アイラ? どうしたんだ、随分はやいな」
今日のガイアスは普段通りだが、私を見て目を丸くしている。随分はやいな、はこちらの台詞でもあるのだけど。
「ガイアス、こんな早くからどこにいくの?」
「あー……」
私が近づきながら尋ねると、ガイアスは頭の後ろをがしがしとかきながら苦笑する。
「授業前に、走ろうと思っただけだ」
「走るって……騎士科って確か毎日修行だ体力作りだとかで走ってるよね?」
特殊科でも基礎体力は大事だとかいって走ったりなどのトレーニングはあったが、騎士科はそれ以上だった気がする。そう思ってガイアスを見上げると、まあそうなんだけど、とガイアスは笑う。
「強くなるならやっぱ基本からかなって」
「……でも、一人で?」
学園の中だしガイアスなら大丈夫だとは思うけれど、思わず心配になって見上げると、ひらひらと降参したようにガイアスが手を上げる。
常日頃私には学園で一人になるなと言うガイアスだからこそ、俺はいいんだという台詞も言えなかったのだろう。
「アイラこそ、こんな時間に一人でどうしたんだ」
「……カーネリアンに連絡取りたいなって」
「一人で?」
じっと二人で見つめあい、そして笑う。
「一人で、なんて行かせないけど」
「わかってる。どうしようかなって悩んでとりあえず下りてきたら、ガイアスがいたの。私も走るから、伝達魔法使える場所まで一緒に行ってもらっていい?」
「任せろ。もう絶対怖い思いさせないから」
穏やかに笑うガイアスを見て、ほっとする。その台詞は気になるし少し心配していたのだけど、今はいつものガイアスだ。
だが同時に心に沸きあがるのは、二度とガイアスにもレイシスにもあんな顔をさせたくないという思い。
私が表に出なければ簡単だ。屋敷の安全な防御の中にいて、危険な場所になんか行かずに。
でも……。
「アイラ?」
顔を覗き込まれて考え込みそうになっていたことに気づき、慌てて笑う。
「カーネリアン、起きてるといいけど」
「あいつなら大丈夫だろ。さ、行くか。おいアル、レイシスたちがもしいないことに気づいて心配したら、すぐ戻るって伝えてくれないか」
「にゃー」
私の足元にいたアルくんは、ガイアスの言葉を聞くと不満そうに鳴く。ついていくつもりで下りてきたようだから、置いていかれるのが気に入らないらしい。
「ごめんね、お願い」
私が頭を撫でると、手のひらに頭をこすり付けられる。了承の返事を貰い二人で外に出ると、朝の空気は冷たく身体を冷やした。
「さむっ。アイラ、風邪引かないようにしろよ」
「もちろん」
二人で走り出す。速くはないが最近の修行の賜物か、持久力には自信がある私は、呼吸を整えながら吸う空気の冷たさを感じつつ先を見つめた。
もうすぐきっと、雪が降る。より一層寒さはきつくなってそして、年が変わる。王子が、成人を迎える。
おねえさまもすぐ成人を迎えるだろうし、私やガイアス、レイシスだって目前だ。学生でいられるのも、あと僅か。
学園の敷地を出る頃には息もあがり、寒かったはずなのに身体が熱く感じるようになったころ、私はガイアスに待ってもらってすぐにカーネリアンに伝達魔法をつなぐ。
『姉上? どうして……』
驚いた様子ではあったがすぐに繋ぎなおしてくれたカーネリアンは、私が息が荒くなっているせいか余計心配をかけてしまったらしくどこか心配そうな声で返事をくれた。
どこから説明するか悩みながら、端的に事情を説明し警戒して欲しいことを周囲に注意しながら伝える。
ガイアスが周りを注意深く警戒してくれている中、あまり詳しくは話せないがと水面下で流行っているらしい薬のこと、それの製造においてベルマカロンやとある領地が関わっているように偽装される可能性があることを念押しすれば、カーネリアンから戸惑うような声が聞こえた。
『なんだよそれ……それ父上には?』
「言ってない。広まらなければカーネリアンから上手く伝えてもらっていいけど、フォルのお父さんが知ってるからそっち方面で伝わってるかも」
『既に動いてるかな。オッケー、わかった。何が起きてるか、詳しくはこっちでも調べる。こっちも油断しないけど、姉上も無理すんなよ。ガイアスとレイシスとレミリアに迷惑かけないように。あとフォルさんか』
「うっ……」
痛いところをついてくる弟の言葉に思わず呻くと、カーネリアンが笑う声が届く。
『きちんと次どうしたいか二人に相談してくれればいいよ。あ、できればこっちにも定期的に連絡欲しいけど。俺からじゃ学園内の姉上に連絡取るの難しいし』
「わかったよ。カーネリアンも、何かあったら手紙頂戴。至急の場合はどうするかこっちで相談しておく」
時間は少ない。手短に話を終えると、ガイアスがもういいのか、と私を見る。
「これからはレミリアにでも頼んで一日一回こっちから伝達魔法繋ぐようにしとくか。何かいい連絡手段考えないと……レイシスとレミリアの二人と、あとで相談する」
「うん、わかった」
再び息を整え、走り出す。何事もなく屋敷そばまで帰って来た私達であったが、屋敷の裏手から現れた人物を見て思わず足を止めた。
「フォル!」
「あれ?」
私達を見て同じく目を丸くしたフォルは、駆け寄るとどうしたの、と声をかけてきて。
「いやいやこっちの台詞。フォルこそどうしたんだよ」
「僕は……ちょっと用事が」
「ったく、一人で出るなよな、お前もアイラも誘拐歴あるんだから」
「された歴……不名誉だけど、そうだね。でも一人じゃなかったから大丈夫」
「あ、ロランさん?」
私が相手に思い当たって口を開くと、そう、と微笑んだフォルの笑顔が冷たい空気の中冴え渡るように見えた。
「ちょっと、例の裏通りに居座るやつらについて詳しく……ね」
きらきらした笑顔だが、ぞくりと背筋が冷えたのは絶対に外の寒さのせいだけではない。ガイアスが引きつった笑みで「お、おう」としか返さないのが証拠である。
フォル怖い。何か知らないけどめちゃくちゃやる気だ。
「さて、皆がおきてくる頃だね。戻ろうか」
いい笑顔持続のままフォルに促され、ぶんぶんと首を縦に振ってガイアスと一緒に後に続く。
裏通りに居座るやつら、と言っていたが、ルブラのことだろうか。確かにあの近辺ならフォルの家の敷地からそこまで離れていないし、ロランさんなら何か詳しく知っているのかも。
聞こうかなと思ったが、フォルなら何かいい情報を掴んだら教えてくれるかな、と考え直して止める。せめて暖かいところで聞こう、今のフォルに怖いこと聞いて凍りたくはない。
「二人は朝早くから体力づくり?」
「あー、カーネリアンに連絡取るってアイラが言うから」
「成程。確かにそのほうがいいね」
そんな会話をしながら屋敷に戻り、いつもの部屋に入るとそこにはまだ朝食の準備をしてくれている侍女達の姿しかなくて。にゃあ、と鳴きながら擦り寄ってきたアルくんを抱き上げ時計を確認し、まだ時間があるからと一度部屋に戻る。
さっとなら間に合うかな、と急いでシャワーを浴び、身支度を整える。こういうとき魔法は本当に便利だ。さっと水分を飛ばせば髪がすぐ乾くのだから。……飛ばしすぎると髪に悪いとレミリアに一時間は説教されるけど。
今日の授業のことを考えながら下に下りると、今度はほぼ皆が揃っていた。いつもは先生の部屋にいるアドリくんの姿もあるということは、先生は屋敷にいないのかもしれないが。
あ、フリップ先輩もいない。……昨日のこと、おねえさまに王子はいつ説明するのかな。
そんなことを考えていると感じた視線に目線を合わせ、顔を俯けたレイシスの姿が目に映る。
どことなく気まずい思いをしながらいつもの場所に腰掛け朝食を口にするが、なんだか味はよくわからなかった。
「アイラ」
騎士科の皆と別れてから、教室に向かう途中でアニーと合流し今日の授業の流れを確認していると、そっと袖口を引かれてフォルに声をかけられる。
「特殊科所属の医療科の僕達に依頼が来ているみたいだから、夕方から時間を空けて欲しいんだけど……大丈夫?」
顔を覗き込むフォルの心配そうな顔は、どう見ても時間の心配ではない。私がいろいろと集中しきっていないのに気づいているんだ。
駄目だ。早くなんとかしないと。
じっと私を見つめる宝石のような銀の瞳に、ふっと浮かんだ思いが口をついてでる。
「フォルは……ロランさんに、危ないことを止められたりしたことがある?」
「……ロラン? まあ、いつもだけど……基本的には文句を言いつつフォローしてくれてるかな。ああ」
途中で目を見開いたフォルが私をじっと見つめ、ふわりと笑う。
「ありがたいことだと思ってる。けれど、無茶しすぎなければいいんじゃないかな。一度話してみるといい。言わないと、すれ違ったままだよ、アイラ」
穏やかな表情をしたままのフォルが私の頭に手を伸ばしかけて、はっと顔を赤くすると「ごめん」と言ってその手を下ろす。
「さすがにここじゃ、目立つね。アイラ、大丈夫だからそのまま思いを口にするといいよ」
私の悩みをすっかり見抜いたらしいフォルの笑みに、私はどこか穏やかな気持ちになりながら頷いたのだった。




