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「ん……?」
急に意識がはっきりしだして目を開けるが、部屋の中は闇に包まれているのを理解して慌てて身体を起こす。
時間を調べるが、まだ真夜中。朝日が顔を出すまでまだ時間がある時間帯だが、部屋の外の様子がおかしい。ばたばたと慌ただしい足音が聞こえたのはたぶん夢ではない。
『アイラ』
声をかけられて顔を上げると、アルくんが精霊の姿で、ジェダイまでもが姿を表し、警戒を露にしている。やはり、気のせいではないのだ。
『部屋にいて。ボクが見てきてあげる。この部屋は防御がかかってるし、アイラが招き入れなければ安全な筈だから』
「……わかった。でも屋敷も簡単に侵入されるような屋敷じゃないから、敵だとしたら手練。気をつけて、すぐ戻って」
ジェダイに注意を促しつつ、ベッドから抜け出した私は手早く寝巻に上掛けを羽織り、グリモワを手にした。そっと扉の近くに寄り外の様子を伺うが、やはりいつもと違う空気を感じる。
『アイラ。ジェダイを待って』
扉に手を伸ばしかけた私を、アルくんが止める。……皆は無事だろうか。何が起きてるんだろう。
しかし、戻ってきたジェダイから告げられたのは以外な言葉だった。
『下まで見に行ったけど、どうやら王子様たちが何かあったみたいで起きたようだよ。不審者はいない』
「え……?」
予想外の言葉にもう一度状況を尋ねると、どうやら下にいるのはフリップ先輩に王子、そしてハルバート先輩とファレンジ先輩も来ているらしい。
なんでそのメンバーが。
嫌な予感に眉を寄せ、扉を開ける。今度は止められることはなかったが、アルくんもジェダイも私についてふわりと羽を揺らし部屋の外へ出た。
「アイラ」
顰められた声にはっとして振り返ると、同じく寝巻に上掛けを羽織っただけのフォルの姿。
「アイラも何か物音に気づいたの?」
少し警戒した様子のフォルに、ああ、とジェダイに教えてもらった下の状況を小声で伝える。話を聞いたフォルは私と同じように眉を顰め、何かあったのかなと呟いた。
「行ってみようか。……あ、アイラ。上着、それボタン閉めて」
「え」
言うが早いか、伸ばされたフォルの手が下からボタンを留め始めるので慌てて私は上からボタンを閉じていく。やっぱまずかったかなこの格好のまま出てくるの……淑女あるまじき姿だろうけど、今更だしな。淑女じゃない自信……じゃなくて、自覚はある。まあ着替えるのもおかしいし……。
「よし。ほら、行こう? 暗いから気をつけて」
寝ているかもしれない他の皆に気を使ってか、小さな声は耳元で囁かれいつもより距離が近い。
危ないからと差し出された手に自らの手を伸ばしたときに僅かに緊張し指先が痺れたが、ぎゅっと握られた手にほっとして暗い中ゆっくりと、足音を忍ばせて階段を下りていく。足元は暗いが、フォルの手が暖かいせいか不安はない。
下りてすぐ、いつもの部屋から漏れる光に気づく。
隠れていても仕方がないので軽く叩くと、ひょっこりと顔を出したのはガイアスだった。
「え? ガイアス!?」
「あれ? アイラにフォル、どうして……」
言いながら、扉から顔を出していたガイアスの視線が下がり、その視線を追った私はいまだフォルと繋がれたままだった手を見て慌ててぱっと離した。
「ガイアス、何かあったの?」
「あ、とりあえずほら」
何事もなかったかのように話を進められ一人あたふたと促されるままに部屋に入り、少し驚いた。私の横を飛んでいたジェダイが、「増えてる」と呟く。
部屋にいたのは、王子と三年生の特殊科メンバーだけではなかった。ガイアスにレイシス、ルセナまでいる。
聞けば皆、物音と気配に何事かと集まったらしい。私はジェダイの報告を待ってから出たので、ガイアスたちより遅かったようだ。
「皆ごめん、デューク殿下を起こしに行ったんだけど、騒がしくして起こしてしまった」
フリップ先輩が眉を下げる。が、今はなぜここに三年特殊科のメンバーが集まっているのかの方が気になる。
それより、とレイシスが話を促すと、王子もどうしたんだと口を開いた。どうやらまだ自分が呼ばれた理由を聞いていなかったらしい。
しかし、特殊科の先輩達は少し言い淀んで、ため息を吐く。
「……実はまずいことになったんだ。その……」
困った様子ではっきりと言う前に頭を抱えてしまったフリップ先輩の肩を、ハルバート先輩がぽんと軽く叩いた。
「僕から言いましょう。ビティスの話は聞きました。が……実は、フリップの領地でビティスの栽培がされていることがわかりました」
「……え?」
疑問の声は誰のものだったのか。しん、と静まった部屋の中で、しばらくしてルセナがはっと目を見開く。
「どうして。それはジェントリー領のものだったんじゃ」
「グロリア伯爵の知らぬところで、新種の葡萄として栽培されていたのですよ。大量に、ね」
「つまり……えっ、まさか!」
目を見開いた私に、ハルバート先輩がゆっくりと頷いて見せる。
「収穫されたあとの明確な用途が判明されていません。たまたま視察の際にフリップが珍しい葡萄だと見ていて、覚えていたのでわかりましたが……」
「まさかこれ」
ガイアスが目を丸くして固まると、ファレンジ先輩がまるで肯定するようにため息を吐きながらも頷いた。
「ハメられたかもな。グロリア伯爵が薬の製造に手を出してると噂が立てば……その噂の真偽はともかく婚約発表どころじゃない」
「例のジェントリー領、いえ、ヒードス領の書類の偽造疑惑もあります。狙いはラチナ嬢かアイラ嬢、どちらにしても殿下の周囲を敵が疑っての行動かもしれませんね」
ハルバート先輩の言葉を理解して、指先から冷えていくような感覚を味わう。
はっきりと『敵』とハルバート先輩は口にしたが、要は王子の婚約を邪魔しようとする何か……それは、年頃の娘を持つ貴族なのではないだろうか。
そんな……それでベルマカロンと、おねえさまの領地が危険な事に巻き込まれたというの!?
ふっと頭に過ぎるのは、私の立ち上げたベルマカロンを必死に支えてくれるカーネリアンとサシャの顔。
そして王子と一緒にいるときの、幸せそうなおねえさまの笑顔。
「……犯人、ただでは済まさないわ」
「アイラ、まだ決まったわけじゃないから」
隣にいたフォルに宥められるが、私はぐっと握った拳に力を入れた。
ベルマカロンやおねえさまが狙われて笑っていられるほど私はお人よしではない。被害が出ようものなら百倍に返してやる。
「このこと、おねえさまは?」
「ラチナにはまだ話していない」
フリップ先輩の言葉に、それまで黙り込んでいた王子が顔を上げた。
「このこと、ラチナには」
「言わないんですか」
私が王子に視線を合わせて問いかけると、王子はすっと眉を寄せた。
「そんな顔するな、アイラ。……フリップ。俺から言わせてもらえないか?」
「殿下、これはうちの領地が」
「ラチナを不安にさせたりはしない。俺に説明させてくれ」
王子がきっぱりと言い切るのを見つめながら、私は自分に向けられた視線に気づいていた。それでも私はそちらに視線を向けず、そっと俯く。
レイシス……やっぱり私は関わらないほうがいいって思ってるかな。
さっきただじゃ済まさないとか言ったけど、やっぱり私が動くことに反対してたりするのかな。
「こちらでも情報を集めます。とりあえずこれを仕組んだのは誰か調べないと」
「ならグラエムに話を聞いて見るか? あいつなら何か知ってるかも」
ハルバート先輩とファレンジ先輩の会話をなんとなしに聞きながら、ふとそこに出た名前に顔を上げる。なんでグラエム先輩?
しかし思った事が顔に出ていたのか、気づいたファレンジ先輩が笑う。
「三年で今一番情報通なのはたぶんグラエムだ。さすが女たら……」
「ファレンジ。言いすぎですよ」
「いてっ」
ハルバート先輩の手刀が脳天に落ちファレンジ先輩が奇妙なうめき声を漏らす。……ハルバート先輩、綺麗な顔して容赦ないな。
でも、王子も含めて仲良さそう。きっといいコンビなんだろうな。
すこし羨ましい気持ちになって見つめながら、私は自分にも何かできることはないかと思考を巡らせるのだった。
とりあえず、とハルバート先輩が既にわかっている情報だけを教えてくれたあとは、解散の流れとなる。王子と先輩方は少し話すようだけれど。
時間も遅い。あとは明日にしようと促されるが、胸に残る漠然とした不安に視線を落としていると、私の前に誰かが立った。
「お嬢様。部屋に戻りましょう」
そっといつも通り伸ばされた手を無意識に避けかけて、はっとする。
しかし既に私の動きに気づいたレイシスが、僅かに目を瞠った。
「うん、えっと、戻ろう!」
慌てて取り繕うように笑い、レイシスの横に並ぶ。何してるんだろう私、これ以上レイシスを不安にさせるようなことするなんて。
でも。
レイシス、あの夜のこと何も言ってこないな。私がいないところであんなにガイアスには意見を言っていたのに。
私に黙っていろとも言わない。この前油断したことへの注意もない。レイシスが何を考えているのか、わからない。
漏れかけたため息は慌てて飲み込み、来たときと同じように暗く静まる階段を不安に思いながら上っていく。
「それじゃおやすみ、アイラ」
「おやすみ、おねーちゃん」
はっとして、私の後ろを歩いていたフォルとルセナが追い越して小声で挨拶を交わし部屋へ戻っていくのを見送り、そっとレイシスを見上げた。
感情の読めない表情で私を見ていたレイシスは僅かに瞳を揺らがせると、小さな声で囁く。
「おやすみなさい、アイラ」
「……うん。おやすみ。……ガイアスも」
「おう、おやすみ」
やっと視線が合ったガイアスにほっとしつつ、部屋に戻る。
明日、朝一にカーネリアンに警戒するように連絡しようかな。早く、起きないと。
こういう、戦闘以外の見えない敵は怖い。
グリモワを机の上に置き、アルくんとジェダイにおやすみと声をかけた私は、考えることを放棄して目を閉じた。
明日から頑張るから。
訪れた睡魔は、あっという間に私の意識を攫っていった。




