225
「おそらく間違いありませんわね」
フォルの家から学園に戻り、休みなのをいいことに朝から屋敷の一室で薬の成分を調べていた私、おねえさま、フォルの三人は、やはり薬の材料にビティスと呼ばれる葡萄の一種が使われていることにため息を吐いた。
フォルがはじめからビティスではないかと疑い、事前に必要になりそうなものを準備してくれていたので作業はスムーズだった。本物のビティスと薬の魔力の波動など、疑いようもない一致に眉を寄せる。
アルくんも一緒に調べてくれていたのだが、含まれる自然の魔力などを見てもビティスの可能性が高いとのこと。そこで問題になるのは、やはりビティスの産地、そして大量に購入した先だ。
「そのジェントリー領で作られたビティスの取引先、本当にうちなの……?」
なんと、ビティスを大量に購入したというのが、ベルマカロンであると書類に記載されていたらしい。
念のためフォルが公爵であるお父さんにも聞いてくれたが、『書類上は』間違いないとのこと。
フォルの屋敷は学園敷地内の外だからとすぐにカーネリアンに伝達魔法を繋いだが、そちらは回答待ちだ。今はガイアスとルセナが学園外で待機してカーネリアンからの伝達が来るのを待っている。
カーネリアンの話では、確かにジェントリー領から葡萄は仕入れているが、果物の産地として有名な南の方に位置する領地からの仕入れだったはずで、ジェントリー領ヒードスからの仕入れではなかったはず、らしい。
しかしこれがもしうちが仕入れていたとなれば……ベルマカロンが薬に関与していないか、疑われるのでは。
そう考えると漏れるため息に、すぐにおねえさまとフォルの不安そうな顔が視界に入り、慌てて首を振った。
「アイラ。やっぱりまだ体調が悪いのでは……朝食もあまり召し上がっておりませんでしたし」
「大丈夫だよ。フォルの家のご飯おいしくて味わいすぎただけだって」
我ながら苦しい言い訳だとは思うが、別に体調が悪いわけではないというのは本当だ。
誤魔化すように部屋の資料棚から地図を取り出しテーブルに広げる。
「えっと、ヒードスは……」
「ここですわ。こっちのジェントリー領と、グロリア領の間の小さな領地。元はヒードス男爵領でしたのよ」
「……あ。そういえば、期間限定でジェントリー領なんだっけ……?」
どこかで聞いた話を思い出し首を捻ると、フォルがふわりと笑みを浮かべた。
「アイラ、覚えてたんだ。そう、ここは後継者が育つまでジェントリー領で、という話だったんだ。と言っても年明けにはもうヒードス領に戻る予定なんだよ。もうほとんど執務も次代のヒードス男爵が行ってて、うちには資料があがってくる位なんだ。そこの跡継ぎがデュークと同い年だったはずだから」
「……あ! そうかこれ、昔フォルに教えてもらったんだ!」
急に話がよみがえり、まだ小さい頃フォルと机を囲んで教えてもらった事を思い出した私は懐かしさに地図をまじまじと見つめる。
「昔ってもしかして、一度だけフォルセがうちの領地に来る前にアイラの領地に行ったときのことですの?」
「そう。と言ってもあの頃はまだマグヴェル領だったけどね」
そんな話をしながら地図を見つめ、すぐ眉を寄せる。
「もしヒードスのビティスが悪用されてるとしたら、ちょっとまずいね」
「……経験の少ない領主には手に余る問題になるかもしれませんわね。というより、産地より購入先ですわ。ビティスは他の地では生産されておりませんの?」
「完全に否定はできないけど、あれは珍しい品種なんだ。そもそもビティスは一粒が小さくて種が大きいせいかあまり加工には使われないんだよ」
「じゃあなんでベルマカロンで仕入れたんだろう。っていうか、ビティスを仕入れたのかな……」
「その辺りは報告を待たないとね。こっちでも父が確認をしていると思うけど……さっきも言ったとおり、ヒードスに関してはほとんど資料は次の領主が作成しているから少し時間がかかるかも」
落ち着かないのは皆も同じなのか、ため息交じりの話し合いは暗い。ここには三人しかいないが、王子とレイシスも下でいろいろと調べてくれている。
フリップ先輩とアーチボルド先生が今出かけているらしいが、王子とレイシスは二人が戻り次第協力を仰ぐつもりらしい。先生、怒るかな。そんなことを考えていると、私は突然頬を引っ張られる感触に思考が現実に戻された。
「いひゃい、な、なんれすかおねーしゃま」
「ふふっ、アイラその話し方可愛いですわね」
くすくすと笑ったおねえさまは頬から手を離した後、少しむっとした表情で私に詰め寄る。
「アイラ、やっぱりおかしい。考え事するのはいつものことですけれど、何をそんなに寂しそうにしておりますの? 会話もいつもより全然少ないですわ!」
「えっ」
どきりとして目を瞬く。
実は昨日の夜聞いてしまったレイシスの言葉がぐるぐると頭を回っていて、朝からほとんど集中力がない、というより考え事がまとまらないのだが、必死に隠しているつもりだったのに。
視線を感じて向けた先で、こちらをじっと探るような瞳で見つめるフォルと目が合ってしまい、慌てて俯く。
二人に話すつもりは、ない。というより、自分が何に悩んでいるのかいまいちわかっていない。ただもやもやとした思いが全てを覆い隠すようで、考えがまとまらないのだ。
ただ、寂しい。
あんなにレイシスに想われて守られているのに、寂しいのだ。
「……アイラ。どうしても辛くなったら、相談してね」
ふわりと頭にのせられた手がゆっくりと往復し、見上げた先で柔らかい笑みを浮かべたフォルと視線が合う。
「もう。フォルにいいところを取られた気分ですわ。そういうのは、私の役目ですのよ!」
「そう? でも譲らないよ」
くすくすと笑いあう目の前の二人を見て、涙腺が緩みかけて慌てて後ろを向く。
二人は覗き込んだりしなかったが、やわらかい空気を背に感じて私はぶんぶんと首を振る。気分を切り替えるように。
「……よし! 私ちょっと体術魔法の練習してくる! フォル手伝って!」
「え? 今から? っていうか体術!?」
「次あの男にあったら絶対当ててやる!」
「えっ、何を!? ま、待って私も行きますわ!」
仰天する二人を引っ張って練習部屋に移動しながら、思考は既にアーチボルド先生に一年の頃から特殊科皆が習っている体術魔法の復習だ。
言葉にすると体術と魔法というなんだか相反する言葉がくっついた感じではあるが、要は魔力を体術を行う際の助けになるように変換する魔法だ。得意としているのはガイアス、そしておねえさまである。
風歩が代表的だ。おねえさまは重力魔法を元より得意としていたので、振り下ろした腕に重力を乗せたりと攻撃への転換が上手い。ちなみに一番下手なのはお察しの通り私である。風歩の時の風の抵抗なくしたり水中での水の抵抗なくしたりは得意なんだけど、どうやら運動神経がそこまでよくない私はそれをカバーするところから始まるせいか、皆に追いつくには努力が足りなかったようだ。
苦手分野は得意分野で補えばいいやと思ってたのが、間違いだった!
いっそ体力づくりも本格的にやろう。
たくさんの決意をしながらも、身体を動かすことで頭を働かせないようにしている私はその後ガイアスから連絡が来るまで無心に体術魔法の練習を続けたのだった。
「ビティスはうちで仕入れてない。ベルマカロンで仕入れたのは、やっぱりジェントリー領の南の領地で取れたお菓子用の葡萄だけだよ」
ガイアスがカーネリアンから受けた情報を皆に説明すると、その結果に、フォルが考え込むように俯いた。
「資料を誤魔化された? なんにせようちの落ち度だ」
「いや、フォル。既に王家でもヒードス男爵がほぼ自力で領地経営をしているのは知っているし、許可もしている。どちらにせよ一度ヒードス男爵に話を聞かなければ」
難しい会話を始めた王子とフォルを見つめながら、私はおねえさまとキッチンでお茶を淹れる。
「それにしても、ベルマカロンではどうしてそんなに葡萄を?」
ビティスは仕入れていなくとも葡萄は大量に仕入れていた事実に、隣で茶葉を用意していたおねえさまが不思議そうに尋ねてくる。
「少し前、秋の始まり位に葡萄の時期ということで、葡萄フェアでケーキをたくさん売り出していたみたいです。丁度私達は忙しくしていましたけど」
「それでしたら、証拠というかわかりやすく正しい使い方をしておりますわよねえ。とすると、ビティスはどこに消えたのでしょう」
二人で首を傾げつつ、話し合う二人を見つめる。気づけばルセナもその難しい会話に加わりだしているが、私が気になったのはガイアスとレイシスだった。
今日、ガイアスと目が合わない。
そして、レイシスとは目が合わせられない。
こんなの初めてだ、とこっそりため息をつく。
ガイアス、何か気にしているのかも。そうは思うがいつも失敗しても前を向くガイアスしか知らないだけに、どう声をかけたらいいのかわからない。
レイシスは、何か言われるかもと反射的に身構えてしまいそうで怖い。これじゃだめだとわかってるのに、どうしても……まだ自分の中で考えがまとまっていないのだ。
私どうしたらいいんだっけ。いつもどうしてたっけ。
「アイラ? お湯が沸いて……あ、お兄様」
おねえさまの声に現実に戻り、部屋に入って来たフリップ先輩を見る。
どこか焦っている様子の彼は挨拶だけ軽く済ませるとすぐに王子達の傍で一緒に書類を見つめだす。
フリップ先輩とアーチボルド先生には私が体術魔法の練習をしている間に王子達が話をしてくれたらしい。先生はばたばたとどこかに出かけたし(その際私達に絶対に今日は屋敷を出るなとばっちり釘をさしていった)、フリップ先輩も忙しそうだ。
「ん? あれは」
その時ふっとフリップ先輩の視線が、キッチンのそばの台に置いていた葡萄に向けられた。
「噂のビティスですわお兄様。フォルが用意してくれて……」
おねえさまの言葉を聞きながらずんずんと歩いて近寄ってきたフリップ先輩が、その葡萄を一房摘み、さっと顔色を変えた。
「これがビティス!?」
「お、お兄様!?」
慌てた様子で部屋を飛び出したフリップ先輩をおねえさまが追う。様子がおかしいフリップ先輩に王子が眉を寄せ立ち上がり、フォルもルセナも不安そうに顔を見合わせている。
「何……?」
そう疑問を零すものの答えはここにはなく。
結局追った王子がおねえさまを引きつれ戻ったときに、どうやら伝達魔法を使う為に学園の外に出たようだ、とフリップ先輩のことを聞かされても、私には何が起きたのかまったくわからなかった。




