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「おい、大丈夫か!?」

 合流してすぐ私達の状況を見て目を丸くした王子、フォル、おねえさまに守られるように逃げ込んだジェントリー公爵家の敷地内で、漸くほっと息を吐いた私達は歩む速度を落とす。

「アイラ、何がありましたの」

 すぐに男三人の顔色を見ながらおねえさまに囁かれ、困ったようにしか笑うことができずに言葉を濁す。

 胸触られました。とは言いにくい……。

「とりあえず、薬は手に入れました。ただ、相手がちょっと……まともに相手したらやばかったかも、です」

 そう告げればもちろん、王子とフォルの表情は険しくなる。

 詳しくは、あとだ。まだ外にいるのだから。もっとも、ジェントリー公爵邸の敷地内にあいつらが入り込んでくるとは思えないが。

 フォルに案内され部屋につくと、すぐにフォルの指示で部屋に暖かいお茶が人数分用意された。

 使用人が離れ、部屋に私達だけになったところで漸くほっとした空気に包まれる。

 私が軽く息を吐いたところで、様子を見ていたらしい王子と目が合った。大丈夫かと問われている気がして、軽く頷いて見せる。

「何があった。薬は手に入れたんだろう?」

「おう、それは大丈夫。俺とレイシスで二人分」

 そこでいったんガイアスは言葉を区切ると、歯切れ悪く説明を始める。

「無事に立ち去ろうとしたところで、売人の知り合いらしい男が来た。そいつがちょっと……その、アイラとルセナが気に入ったらしくてな」

「は?」

「相手、男だけど。そういう趣味なんだろ」

 ガイアスの言葉に目を丸くしていたおねえさま、王子、フォルの三人が、次の瞬間にはほぼ同時に頭を抱えた。

「ごめん……僕がアイラに男装したほうがいいなんていわなければ」

「いや、それは正解じゃないか。ちょっと特殊なパターンだっただけで……とりあえず、それで逃げようとしたんだけど。相手さん、やたらと魔力の扱いがうまくて」

 そこでガイアスとルセナの二人が、相手が瞬時に移動して見せたこと、私を上に引っ張りあげて捕まえた状況や、ガイアスを弾き飛ばした魔力などの説明を始める。

 きっと、あんな裏通りじゃなくて、もっとちゃんと戦える場所であればガイアスもレイシスもルセナだって、もちろん私だってただやられているだけだったはずがない。魔力も抑えていたし、状況が悪かっただけで。

 ふっと猫の姿に戻って私の膝の上にきたアルくんを見た王子が目を丸くしたのを見て、漸く私は重要な事を言い忘れていたことに気づく。

「あ……あの」

「アルを追跡に出さなかったのか?」

 王子は決して咎める意図はなかったとは思うが、なんだか申し訳なくなって視線を落とす。アルくんを行かせなかったのは独断だ。

 そこでふと、あの男から逃げたとき、地面に散らばった何かを拾い上げたことを思い出しポケットを探る。

 暗闇で何を拾ったのかしっかり確認していなかったことを反省しつつ手にしたそれは、どうみても小瓶で、『薬』だった。

 傾けるとゆったりととろみのある透明な液体が小瓶の中でゆらめく。

「……何これ」

「おい、話が見えん。アルのこともその小瓶もいったい何なんだ?」

「その小瓶、あの男が落としたものですよね」

 そこで漸くレイシスが声を出し、私の手元を覗き込む。

「うん、なんかヒントになればと思ったんだけど。……なんだろこれ」

「ヒントって何のことですの?」

 おねえさまに問われて、一度深呼吸した私は顔を上げた。皆を見回して、アルくんをぎゅっと抱きしめる。

「売人の男の剣帯に、ルブラの紋章があった」

「……は!?」

 仰天して立ち上がったのはガイアスだ。レイシスも固まっているし、やっぱり二人は気づいていなかったらしい。

「アルくんを行かせるのは危険だと判断した。勝手にごめんなさい」

「いや、いい。それでいいアイラ。というか、本当か?」

「間違いないと思う。それで仲間らしき男も紋章がないか探してるときに咄嗟に落としたこれを拾ったんだけど」

「それ、中身なんだろうね」

 フォルが手を伸ばしてきたので小瓶を渡し、わからない、と首を振る。とりあえず紋章らしきものはない。

「調べてくるよ」

「あ、手伝……」

「いいよ。アイラは休んでて。例の薬のほうは明日ラチナと三人で調べよう。ラチナ、君とアイラの部屋を用意させたから、二人はもう休んだほうがいい」

「えっ、公爵様に挨拶もまだ」

「それは明日でも今度でもいいから。ね、デューク」

「そうだな」

 にこりと微笑んで言い切られてしまえば、ぐっと言葉を飲み込むしかない。別になんでもないのに、と思うのに、おねえさまが心配そうな顔で私の腕を引いて退室を促してくる。

 どうして、と不満に思いながら歩いていた私は、部屋を出るところでそこに飾られた鏡を見て目を見開いた。

 映った自分の、真っ白に近い唇に。



「心配かけちゃった……」

「そんなこと。とりあえず、私達はもう休みましょう」

 シャワーを借りて身体を温めたあと、用意してもらった部屋のふかふかのベッドに腰掛け、ため息を吐く。心配そうに私の周囲をうろうろとしていたアルくんを抱き上げ、頬に頬を寄せて擦り付ける。……ひげが痛い。けど……暖かい。

 おとなしくベッドに入り天井を見上げ、ふと気づく。もっと考えることがあったはずなのに、皆と話さなきゃと思うこともたくさんあるはずなのに、こうしてベッドに入ってしまえばひどく身体が疲れていることに気づかされた。

 今更になって這い回る手の感触を思い出し、眉を寄せる。ぎゅっと暖かいアルくんを抱きしめ、もう考えるのはよそう、と、私は目を閉じた。



 うとうととした中で、まるで夢のように瞼の裏によみがえる光景は、私をぐっと抱き寄せたレイシスのさらさらの髪。

 幼い頃からそうしていると落ち着いたはずなのに、妙に心に沸きあがった罪悪感に近い感情に、私は引きずられるように落ち着かない感情に眉を寄せ、深く眠りにつくことができずに複雑な感情の波に飲まれたのだった。




 疲れきった身体を起こした時、辺りは暗かった。

 まだ、夜? 何時だろう。

 辺りを見回してみるが、隣のベッドで眠るおねえさまと、私の布団の上で丸まって眠っているアルくん以外の姿はない。ああ、そうだ。フォルのおうちに来てたんだ。

 ひどく喉が渇いている気がして、そっとアルくんを起こさないようにベッドを抜け出す。

 おねえさまの規則正しい呼吸音以外は音のない室内を足音を立てないように進み、そっと部屋を抜け出した。

 しんと静まる廊下に出て、ランプシェードの明かりが揺らぐ足元を見つめ、勝手に出たらいけなかったかな、と一瞬考えて首を振る。水差しはなかったし、コップを借りるだけでも。


 皆どうしたかな。まだあまり遅い時間じゃないみたいだけど、とゆったりと歩き、皆で集まった部屋を目指す。

 先のほうでまだ音がするから、誰か起きているはず。使用人の方でもいれば、と考えて、自分が無性に誰かと話したいのだと気がついた。少し震えていた指先を誤魔化すようにぐっと握る。


「だから!」


 少し進んだ先で扉の下の隙間から漏れる明かりに気づいた時、その部屋の向こうから聞きなれた声が聞こえてはっと立ち止まった。

「お嬢様にはやはり伝えるべきではなかった! あんな危ない目にあわせて、なんのための護衛だ!」

「落ち着けってレイシス。わかるけど、危険からすべて遠ざけろとは言われてないだろ、当主様に。アイラの行動を制限するつもりはない」

「だからって……!」

「危険から遠ざけるんじゃない。危険から守るのが俺たちの仕事だったはずで、今回のことはあの場で守れなかった俺の落ち度だ」

「またそうやって、自分だけのせいみたいに!」

 ずいぶんと荒々しい口調のレイシスをなだめるガイアスの声に混じり、仲裁に入ろうとするルセナの声も聞こえて、私は動けずその場に留まる。

「位置からして俺が一番守りやすい位置にいたんだ。結果相手の魔力に弾き飛ばされたのは俺で、アイラを助けたのはレイシスだ。事実だろ?」

「俺は……っ!」

 会話の論点がぶれている内容に、いつものレイシスらしくないと俯いた。私のせいだ、と考えて、眉を寄せる。

 私が、敵に掴まれたりしなければよかったのだ。でも、だからって。私は、みんなと仲間だと思って、それで……。


 ごちゃごちゃと考えていると、涙が溢れた。

 ただ黙って守られているのが正解?

 二人がどんな気持ちで私を守ってくれているのか、きちんと考えて行動したこと、ある?

 じわ、と滲んだ視界に、泣くのはずるいと唇をかみ締める。

 一度言葉になってしまえば、いくつもの感情が沸きあがる。

 レイシスの気持ちには答えられないと、私は伝えた。それでもレイシスは私のそばにいて守ってくれている。そのままでいいといわれて、そのままに。

 そのレイシスの前で危険な目にあって、彼の気持ちを私は乱したのだ。


 ああ、と唐突に、最近レイシスが遠いと思っていた自分を思い出して自嘲した。

 レイシスが遠くなったんじゃない。私が、レイシスとの距離をはかりかねていたのだ。

 じりじりと、扉の隙間から漏れる光から離れる。

 部屋に戻ろう。皆に見つかったら、混乱させるだけだ。

 部屋から十分に距離をとって駆け出した私は、喉の渇きも忘れて、眠れぬ夜を過ごした。


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