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219.フォルセ・ジェントリー

「あった」

 皆とは別行動になってしまったが、学園の図書館から何冊か持ち帰った本を読み漁っていた俺は、夕方に差し掛かる頃漸く目的のものを見つけた。

 書かれた文字を追い、確信を持つ。

 やはり、ポジーの言っていた薬とやらはきっとこれが原料だ。

 葡萄。

 酒の材料として用いられる葡萄の中に、僅かながら昔から『力をつける』とされる品種がある。

 特に医療で用いられるわけでもなく、どんな力がつくかなんて知らない、古い昔の知恵であって根拠もなかった話であるが、葡萄の品種の中には確かに『魔力を増幅させる』ものがあったのだ。

 今回使われたのは、この前ポジーから聞いたとアイラが話していた合言葉と、薬の名前を考えてもこれの可能性が非常に高い。これさえわかれば、ある程度解毒可能な薬も作れるだろう。


 毒薬を気にし、イムス家の魔力増幅薬の解毒剤を作ろうとしていた大切な人の事が頭を過ぎる。

 彼女が解毒に対して熱心なのは、自分の影響だと自覚している。

 自分が不甲斐ないばかりに負った傷が身体に毒の侵入を許し、彼女の目の前でずるずると最悪の状態に陥るぎりぎりの状態まで何もできず、そして人を助けることを優先する彼女もその俺の前で何もできないという状況を押し付けることになってしまった。

 きっと、今回兵科で噂になっているという薬についても、気にかけている筈。

 ふと、昨日相談がある、と部屋に招かれた時の事を思い出す。

 レイシスでもガイアスでもラチナでもなくて、彼女と共にいることが多い特別な存在であるアルでもなく、俺に相談があるといわれた時湧き上がった感情のまま足を踏み入れた部屋に、アルがいないと知った時には混乱した。

 俺の気持ちを知っていて、また警戒もせず男を部屋に入れて、と呆れに近いような寂しさを感じた。やはり男としては意識されないのかと。結果的には、部屋にアルはいなくても最近彼女と一緒にいるようになった新しい精霊がいたのだけど。

 それに……。

 彼女が俺の選んだ香水をつけなくなっていたのは気づいていた。そしてもちろん、その時期も。

 きっと告白を断ってから、悪いと思ってつけていないのだ、彼女は。そう思っていた。そしてそれを寂しく思っていたのは、昨日までだ。

 あの旅で最後にルブラに襲われた時、危険な戦いの中で彼女がポーチから飛び出した布に包まれた何かに手を伸ばした場面を思い出し、彼女が怪我をするかもしれなかったという恐怖と共に湧き上がる喜び。

 彼女が必死に守ろうとしたのは、俺が渡した香水瓶だったのだと昨日気づいた。

 大事そうに棚に飾られたそれはあの時見たまま、ハンカチを巻きつけリボンでとめた姿で部屋にあって。

 最初は何かわからなかったけれど、彼女が慌てたように「レイシスから貰ったものじゃない」と言って、気づいた。『レイシスから』貰ったものじゃない、とかなり前にした筈の質問について答え、否定する彼女に、じゃあ誰から、と問いかけようとした口が喜びに歪みそうになるのを、必死にこらえて。

 あんなに申し訳なさそうな顔をされたら、さすがに気づく。もちろんショックなんかじゃなかったけれど。

 彼女の事だから、それがどのような好意から来るものかは断定できないが、間違いなく大事にされていたそれにほっとして、その後思いついたいたずらは随分と彼女を困らせたようだと気づいたが、申し訳ないという後悔はほんの少し、そしてそれを上回る期待。

 今日感じた視線には気づいている。

 彼女は気づいていないと思っているようだが、それをラチナに指摘されていたことにも。アニー曰く「恋焦がれた視線」ではなかったのは、残念だけど、意識されないよりはよっぽどいいだろう。

 まあ、見込みがなくてももう、とっくに簡単には諦められない程、焦がれているのはこちらのほうだ。昨日だって、あれじゃどちらが相談にのってもらったのやら。

 今はせめて何かしらで意識されているとわかっただけでいい。彼女が恋に対して一線を引く理由もわかっているから。

 そわそわと落ち着かない心をなんとか静めるために、再び資料に視線を落とす。


「合言葉は、お前は何の酒が好きだ? か」


 ポジーが言っていた薬の名前……ビティスはそもそも、この珍しい力をつけるという葡萄の品種のことだ。どこかで聞いたことがあるとは思ったが。

 これは、現ジェントリー領ヒードスで育てている筈。珍しい品種な為他の地域で盛んに生産しているという話はないが、聞いたことがあって当然だ。確か資料では最近、ヒードス領の葡萄の大口取引があったはず。購入先は確か……。

「あ」

 しまった。思ったより資料を探すのに時間がかかったせいで、ロランとの約束の時間に遅れそうだ。

 ロランは少し遅れたくらいで怒りはしないが、心配はするだろう。

 忠実な従者で、友人で、大切な信頼のおける仲間であるロランを思い出し慌てて資料をまとめ、部屋を出る。

 彼に薬のことを内密に調べて貰っていたのだが、何かいい情報は掴んだだろうか。

 慌ただしく屋敷を出ても、警戒は怠らない。アイラやラチナ、デュークほどではないが、俺自身一人になる時はたとえ学園内でも今も気をつけている。だからこそ、屋敷を出てすぐこちらに向けられた視線に気づいた。

「……誰かな」

 ロランとの約束は屋敷の裏手だ。ここじゃない。

 気配の先を辿り、見知った揺れるやわらかい髪に気がついて、ほっとしつつも警戒心が沸く。

 どうしてローズがここに。

「フォルセ様」

 特に隠れていたわけではなく、俺を待っていた様子の彼女は目が合うとにこりと笑って駆け寄ってきた。

 寒かったのか赤い頬で走ってきた彼女は、俺の前で足をもつれさせ体勢を崩した。ぐらりと飛び込んできた身体を驚きつつも受け止めると、すぐに嬉しそうな表情を向けられて、慌てて昔馴染みである彼女に貼り付けた笑顔を向けつつ、次の言葉を待つ。

 彼女は最近まで、俺の婚約者候補だった。婚約したわけでもなければ、そう口約束したこともないが、なぜか世間からはそうなるだろうと思われていた相手だ。そして昔の俺も、将来は父が決めた相手と結婚するとなれば、彼女なのかな、と思っていた。

 最近ロランに調べさせ、実際に蓋を開けてみれば、熱心に婚約の話を進めようと周囲に俺と彼女が親密であると噂話を流していたのはルレアス公爵家に近しい人間であると知ったが。

 そこに彼女の意思があったかどうかはわからないが、彼女自身が昔から俺に好意を抱いてくれていたのは知っていた。直接的な言葉を言われなかった為にその好意に対して断った事はこの前までなかったが。

「あの……父から、婚約の話はなかったことにと言われたと」

 やはり、と目の前に立つ彼女を見る。

「申し訳ありません。答えはあの時と変わりませんが」

「あの、なぜでしょうか。このお話は以前から……」

「以前から、お断りしてきた筈です」

 そう、将来的には彼女と結婚するのかなとは思っていたが、俺も父も現段階では断っていた。

 俺ははっきりと「考えていない」と。

 父は「まだ決めてしまうのははやいでしょう、二人とも好き合う相手ができるかもしれません」とやんわりと。

 確かに俺は『今までは』父に将来決められたらいずれ相手がローズだろうと他の令嬢だろうと受け入れるつもりでいた。だが、学生のうちは絶対に誰相手でも受けないと宣言していたのだから。

 そして今はもう、父の決めた相手と結婚するというのは否定している。旅から戻ってすぐ、父にしっかり話したのだから。

 あの時の父を思い出す。てっきり、怒ると思っていたのに、父は笑った。

 漸く、その気になったかと。

 お前は闇使いであることを気にせず、愛する人を見つけて欲しいと。母のように一人考え込まず、話し合える関係を築ける相手を見つけろと笑った父を思い出し、ぐっと手を握る。

「ローズ。僕はあなたに、幼馴染であるという感情以外は、ありません」

 きっぱりと告げると、小さな唇を震わせる彼女に頭を下げる。

「すみません、ローザリア」

 そう言って、背を向ける。やはり、心配して探しに来たらしいロランを見つけて、その名を呼ぶ。

「ロラン。彼女を送ってやってくれ。話は後で聞く」

 昔馴染である彼女はもちろん俺の従者の顔も知っている。ロランに任せ、その場を離れた俺は、屋敷の裏手に行く理由もなくなり元きた道を戻る。

 屋敷の玄関を開けたところで、思いもよらぬ人物が待ち構えていたことに、少し驚いた。

「ガイアス……? どうしたの、そんな怖い顔で」

「怖い顔に見えるか、そうか。フォル、ちょっと顔貸せ」

 明らかに機嫌が悪い彼に、目を瞬く。ガイアスがこう表情を崩すのは珍しい。

 二階に上がり、ガイアスの部屋に連れて行かれたところで、はっとする。

「……ガイアス、アイラは」

「おう、察しがいいな、俺と一緒に屋敷に戻ってきたけど?」

 そっか、と言いつつ、混乱した。察しがいいな、ということは。

「さっきの、見た?」

「ああ」

「……それで、なんでガイアスが怒ってるの?」

 何の話がしたいかはわかったが、それでガイアスが不機嫌な理由がわからない。別に後ろめたいことはしたつもりはないが。

 眉を寄せたところで、ガイアスは少し表情を崩した後、大きくため息をついた。

「なんだ、勘違いかよ……てかそうだよな、お前がそんなことするわけないか。悪い、フォル」

「え? ちょっと待って、わけがわからない」

「あー。アイラを想い続けるふりをしつつ鞍替えしたのかと思っただけだ」

「え、それ結構ひどい。そんな想いじゃないよ?」

 いつも通り軽い口調に戻ったガイアスに答えつつ、頭を押さえる。それは確かにガイアスが怒るわけだ。彼は弟の気持ちを知りながら、俺のことも応援してくれていたのだから。……正確に言えば、アイラの幸せを応援してる、だけど。

「ガイアスがそう思うような場面を、アイラにも見られたと」

「そういうことだ。だって抱き合ってたし」

「ただでさえアイラには振られてるのに……え? 抱き合ってた?」

 何の話、と床に座り込んだガイアスを見下ろして、はっとして俺も両手で頭を抱えて座り込む。

「あー……あれはローズが目の前で転んだのを支えただけなんだけど……」

「そんなとこだろうな、うん。お決まりっぽい」

 さっきまで、少しは意識してもらいはじめているかもとせっかく弾んでいた気持ちが音を立ててしぼんでいくようだ。

 藁にも縋る気持ちで「アイラも誤解してるかな」とガイアスに尋ねそうになったが、口を噤む。誤解も何も、俺は彼女の恋人でもなんでもない。そしてさっきまでのことは事実である。

「……アイラと話、していいかな」

「俺に許可を取るな、俺に。まあ、レイシスなら拒否してただろうけど」

「わかってるから悪いけどレイシスには聞かないよ」

「あーもう、どっちの許可でもなくて、本人に言えっての」

 わかってるよ、とあまり意味のない会話をしつつ、零れる息を飲み込んで立ち上がる。

 知らせてくれてありがとうと背を向けたところで、小さな声が耳に届く。

「……頼んだ」

「え?」

「なんでもねぇ」

 聞き取れず聞き返したが、ほら行けといわんばかりに手を振られて、押されるように部屋を出る。

 アイラはどこかな。話せるといいけど。

 とりあえずアイラの部屋の扉を叩いてみるが反応がなく、俺はどきどきと煩い心臓の音から意識を逸らしつつ、階段を下りた。



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