218
「はぁ……」
「どうしましたの? アイラ」
思わずもれたため息に気づかれて、おねえさまが私をじっと見つめる視線に苦笑する。まさか、そばにいるのにこのため息がフォルのせいによる寝不足からくるものだとは言えない。
……いや、フォルのいたずらがあれだったのは……きっとフォル、あのハンカチの中身に気づいたんだ。……何も、聞いてこないけれど。なら、あんないたずらだけであとは普通に接してくれたフォルが悪いはずなんてない。フォルのせいじゃない。
再び零れそうになったため息を、慌てて押さえ込む。フォルが近くにいるんだから、気にしちゃうかもしれないし。
「アイラ……?」
私の様子を見ていたおねえさまが、すっと顔を近づける。
少し迷ったような表情をしたおねえさまは、小さな声で私に告げる。
「何があったかわかりませんが……その。フォルセを見すぎでは」
「……え?」
数度瞬きし、おねえさまを見つめ返した私は、次の瞬間一気に顔が熱くなるのを感じた。
そ、それって……っ!
「ち、違いますおねえさま!」
「わかりましたから」
何をわかってもらえたのか、くすくすと笑い出したおねえさまはそっと身体を離すと、フォルを見る。
フォルは先ほどから熱心にトルド様と授業の意見交換をしているので私達と目が合うことはなかったが、そばで本を読んでいた筈のアニーまでが「ふふっ」と小さく笑ったことに気がついて、気まずくなって俯く。
そんなに、見てたかな。
珍しいですね、とアニーに言われて、困惑して顔を上げる。思いのほか穏やかな友人二人の顔を見て自分も落ち着いていく。
自然と顔を近づけた私達は、こそこそと小さな声で語り合う。
「何かございましたの?」
「恋焦がれる瞳……というよりは、どこか困惑した表情でしたわ」
「そ、そうなんだ」
自分がどう見えていたかなんて考えていなかったが、私は、困惑している……のだろうか。
何に、だろう。
首を傾げた私を見た二人は、自分でもわかっていないんですのね、と笑う。
「でも、睡眠はとってくださいね。この前もなんだか寝不足だったみたいですけれど」
そう笑ったアニーに目の下の隈を指摘されて、慌てて手で隠す。
寝不足の日……と少し考えて思い当たり、ああ、と苦笑した。
「この前は……ああ、なんかちょっと夢見が悪くて」
「そうでしたの?」
心配そうにおねえさまに見つめられて、ひらひらと手を振って大丈夫だと伝える。
「朝起きたら内容忘れちゃってたし。全然大丈夫」
笑ってみせるが、横にいたアニーはすっと眉を顰めると、夢ですか、と小さく呟く。
「とても魔力が高い方は、稀に予知夢のようなものを見ると聞いたことがありますわ」
「え?」
初耳な話題に目を瞬きアニーを見ると、難しい表情をしていたアニーはふっと苦笑して首を傾げる。
「実際はどうかわかりませんし、そんな話は医療の授業の中でもありませんね。確かな話というよりは昔からの伝え話とか伝承とか、そんな感じですけれど」
「そうなんだ。でも予知夢とか、そんなことあるのかな」
「んー、いい夢でしたらそれも素敵! とは思いますが、悪い夢の話でしたら信じたくないですわよね」
「確かに」
そう言って三人でくすくすと笑っていると、何の話? と穏やかなフォルの声が聞こえる。
「そろそろ行こうか、いくら授業が午後休みでも、お昼ご飯なくなっちゃうといけないし。待たせてごめん」
そう言ってトルド様が立ち上がり、私達も道具を纏める。歩き出すと前を行くフォルからふわりと感じたかすかな香りに、瞬時に顔が熱くなる。
な、何? 私過剰反応しすぎじゃない!?
幸い一番後ろを歩いていた私はさっさと思考を切り替えることに専念し、無駄に真面目な顔で薬草しりとりを脳内で始めた私を不審に思う人間はいなかったのである。
「勝ったー!」
「おねえちゃん、どうしてそんな強いの……」
くったりと座り込んだルセナの横で飛び跳ねる私に、ガイアスが「アイラは元気すぎるだろ」と突っ込みを入れてくる。
騎士科の稽古場を借りて魔法の練習をしていた私達であるが、自習時間であった為に自分達で「模擬試合しょうぜ」の流れになったのである。
フォルは調べたいことがあると言っていたので不参加で屋敷にいるが、フォル以外の六人が集まって模擬試合をし、現在私はルセナに勝利したところだ。ぎりぎりだったけど。
「というか、ルセナは騎士科の中でも相当強いんだけどな」
「アイラ、お前騎士科でもやれるんじゃないか?」
ガイアスと王子に言われて、むっと口を尖らせる。さっきこの二人には負けたばかりである。ルセナに勝てたのだって、試作の魔法が成功したからであってほぼ偶然といってもいい。
特殊科のメンバーにおいては、その日勝てた相手に次の日負けるなんていつものことだ。つまり、今一回ルセナに勝ったからといって私が強いわけじゃないのだ。この前は負けたし。
「にしても、アシッドレインを完成させてるとは思わなかった」
「……次から、酸の雨でも溶かせない防御壁にする」
随分と悔しそうなルセナだが、防御魔法の多彩なルセナなら本当にそうしてくるだろう。だからこそ、今回たまたま勝ったのだと言える。不安定な私はやはり、まだまだ強いとは言えないのだろう。
それにしても、昔は勝ったり負けたりだったガイアス相手には随分勝率が下がった気がする。
騎士科で戦いを学んでいるのはわかっているが、私だって特殊科で学んでいるのだから……時間が違うと言ってもなんか悔しい。もっと練習頑張らないと!
王子は剣が速すぎてついていけないし。ガイアスも剣を使うが、まだ見切れる。……避けれるかは別として。
そんなことを考えていると、目の前でレイシスと王子が試合を始めた。
速さ対決、と一瞬考えたくらい、速い。
レイシスは長剣は使わないが、弓矢と短剣を上手く使い分け相手と距離をとり、得意の魔法の詠唱時間を稼いでいる。
対し王子は剣がレイシスに届かないため、短い詠唱で確実にレイシスの魔法の邪魔をしつつ距離を詰めているようだ。しかし、短い詠唱の魔法にしては威力が強い。
うわ、すごい。この勝負、どっちが……。
ごくりと息をのみ手を握る。気づけば隣にいたおねえさまもじっと手を握って見つめている。きっと王子のことを心配しているのだろう。王子頑張れ、といいたいところだが、ここは公平に一人が王子なら一人はレイシスを応援させてもらおうか。
「わっ」
レイシスの魔力が膨れ上がったと思った瞬間、放たれた矢を避けていた王子の剣が何かに絡め取られたかのように動きを止める。
その隙に飛び込んだレイシスの短剣が王子に迫り、キン、と大きな音がなった。審判をしていたガイアスの防御に触れた証拠だ。
「勝負あった! 勝者レイシス!」
「くっ」
悔しそうな王子が、急に動くようになった剣を支えに膝をつく。……すごい、レイシス。王子に勝てるのか。私ぼろぼろだったんだけど。
「相変わらずレイシスは手数が多すぎて戦いにくいな」
「ありがとうございます」
王子の言葉ににっこりと笑顔でお礼を言うと、レイシスは足早に私のそばへと駆け寄った。
「お嬢様、回復薬は使いますか?」
「あ、貰おうかな」
レイシスから学園で配布されている弱めの回復薬を受け取り、お礼を言って口にする。
相変わらずレイシスは優しい。でも、知らない間にものすごく強くなってたんだなぁ。
「……お嬢様?」
きょとんとした表情で私を見るレイシスに、慌ててなんでもないと首を振る。
次は私ですわ、と歩き出したおねえさまの代わりに隣にレイシスが座り、ぼんやりとおねえさまとガイアスの試合を見る。
「そういえば、さっきのどうやったの? デューク様の剣、突然動かなくなったけれど」
おねえさまとガイアスの試合は、決め手となる攻撃がなかなかでなかった。おねえさまの重力の魔法にガイアスが引っ張られて、本領発揮できずにいるらしい。その様子を見ながら、先ほどの試合について尋ねる。
「簡単です。風の魔法ですから」
「……相変わらず、レイシスの風との相性の良さには驚くなぁ」
「お嬢様こそ、こんな場所ではなくて外で戦えば、負けなしかもしれませんよ?」
やわらかく微笑むレイシスだが、昨日はガイアスと話はしたのだろうか。本当に合言葉、知ってるのかな。
ちらりとレイシスを見上げると、気づいたレイシスがふわりと微笑む。……大丈夫、だよね。勝手に行ったりしないよね。
「あ、勝負がつきそうですね」
レイシスに言われ視線を戻すと、ガイアスがおねえさまの隙をついて地属性魔法で足元を崩したようで、バランスを崩して倒れこんだところで審判の王子の勝者宣言がかかった。
「勝負あり、勝者ガイアス。おいラチナ、大丈夫か?」
「問題ありませんわ」
差し出された王子の手にそっとおねえさまが指先をのせ立ち上がるのを見て、見詰め合う二人からさっと視線を外す。
今のところ全勝だし一位はガイアスかレイシスかな、とボードに書かれた表を見て、六人分の名前に眉を寄せる。
フォル、どうしたんだろ。調べ物って言ってたけど、不参加って珍しいよね。
「……お嬢様、少し行ってきますね」
「あ、うん頑張って」
次はレイシスとルセナが戦うらしい。笑って手を振って見送りつつ、意識をもう一度ボードに向ける。
なんとなく落ち着かない模擬試合は、結局ガイアスの優勝で終わった。
「おいアイラ、戻ろうぜ」
「あ、うん。あれ?」
ガイアスに呼ばれて顔を上げるが、他の皆が帰る様子がなくて首を傾げる。
「デュークとラチナは用事があるらしくてこのままフリップ先輩が迎えに来るまで待機。レイシスとルセナはもう少し練習してから屋敷に帰るってさ」
「あ、そうなんだ。わかった」
頷き二人で歩き出す。
外に出るとひやりとした風が頬を撫で、すぐにガイアスが私を気遣ってくれる。
「寒くないか?」
「うん、大丈夫。大分冷えたね。……ねぇ、ガイアス」
少し悩みつつも名前を呼べば、ガイアスはすぐにふっと笑みを見せた。
「大丈夫だよ。レイシスなら昨日ちゃんと話した。勝手に飛び出したりしないって」
「……そっか。やっぱり知ってたの……?」
「確証はないらしいけどな。その後結局デュークとも話して、たぶん……あれ?」
話している途中で不自然に言葉を止めたガイアスを見上げると、少し先を見ているようだった。
その視線を追った瞬間、はっとしたガイアスが私の手を引いたが、私の目はしっかりとその先の小道にある見知った姿を捉えた。
ここからでも綺麗な銀糸のような髪は、夕日に染まってオレンジ色に輝き、飛び込んだ何かを受け止めた衝撃でさらさらと揺れる。彼のすらりと長い腕から覗く青灰色も、私は知ってる。
「え……」
指先が、そっと美しい水色のドレスに触れている。午前に見た彼女の制服姿とは違うが、細身に見えて意外としっかりした背に回された細い腕は、間違いなくローザリア様の、手。
「フォル……?」
明らかに抱き合っている二人に、足が止まる。あれ? フォルは、屋敷にいるはずじゃ。
すっとローザリア様が少しだけ離れ、フォルを見上げた事で、その紅潮した嬉しそうな表情が見える。フォルの顔はこちらからは見えないが、彼の腕は間違いなくローザリア様を支えていて。
「行くぞアイラ」
気づけばぐいぐいとガイアスに腕を引かれて歩き出していた私の視界がぶれて、二人の姿が木陰に隠れて見えづらくなる。
「ま、待ってガイアス。歩きにくいから」
「ああ」
言いながらも腕を離さないガイアスに引っ張られるまま歩いた私はその後あの二人がどうしたかなんてわかるはずもなく。
「アイラ、おい」
ぱたぱたと目の前で手を振られて、はっとしてその腕を辿り、帰ってきていたらしい王子を見る。
「あ、お帰りなさい」
「ああ、じゃなくて。何ぼーっとしてんだ、具合でも悪いのか?」
「え、いえ。大丈夫ですけど」
見上げつつ、ソファに預けていた身を起こす。屋敷にガイアスと戻ってきてからいつもの部屋で休んでいたのだが、どうやら寝不足のせいかぼーっとしていたらしい。手にしていたのはグリモワだ。魔力調整している間にぼんやりしていたのだろう。
ふと気になって見回してみたが、レイシスもルセナも、フォルもまだ戻っていない。というより、ガイアスもいない。部屋にいるのは、私と王子とおねえさまだけだ。
「まあいい、大丈夫なら、全員揃ったら作戦会議だ」
「……え?」
「アイラ、あの薬の正体を暴きに行く」
ひそめられた王子の声に、私ははっとして居住まいを正したのだった。




