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「専属医か……」
フォルはふっと目を伏せると、小さく唸る。
「もっと早く制度のことをなんとかできればよかったんだけど」
私が今後の事の不安や疑問を口にすると、真剣に話を聞いてくれたフォルは最後に悲しそうに目を伏せてしまった。慌ててフォルのせいではないと手を伸ばすと、そっと首を振られる。
「こうして学生が悩む状況がまずよくないんだよね。……でもアイラ、あくまで僕の意見だけど」
フォルは一度言葉を切ると、じっと私を見つめ、ゆっくりと再び口を開く。
「僕は専属医の話が来たなら、受けたほうがいいと思う。……もちろん、今はね」
「……だよね」
学生のうちに断り学ぶ場を放棄するのでは何のために入学したのかわからない。
フォルもそう私に説明しながら、学生のうちにそう一般の人間と貴族同時に助ける場面もないだろうと、思いつめるなと私を諭す。
しかし複雑な感情にもやもやとしていると、フォルはふっと笑顔を見せた。
「僕はやるよ。そうじゃないと、医療科で学ぶ意味がないからね。大丈夫、アイラ。学生のうちは専属医の知識を学んでも、専属医になったわけじゃないんだから」
「うん……」
「大丈夫。医療科で何かあっても、僕が助ける。守るから、信じて?」
「フォル……うん?」
フォルの力強い言葉に、ふっと沸いた疑問に私は顔をあげた。
「そういえばフォルって、なんで医療科……?」
「え?」
フォルは確かに強いし、医療科においてもすばらしい成績だ。だが、彼はジェントリー公爵家長男、そしてジェントリー家には他に子はいない。普通なら、カーネリアンと同じく紳士科に入学しそうな気がするんだけど。
今更すぎる質問だが、フォルが大きく目を見開いて私を見つめた後、ふっと表情を崩す。
「大体はアイラと変わらないと思うけれど」
「……そうなの?」
「うん。僕も今の医療の制度は不満があるし……あ、でも第一は、僕は必ずデュークの隣に立ってこの国の役に立ちたいから、かな」
「え……?」
首を傾げた私に、フォルはにこりと微笑んだまま、少しだけ身体を前方に倒す。
距離が近くなって、内緒話をするように声を落とされ、私も自然に身体をフォルのほうへと傾けた。
穏やかなフォルの笑顔に少しだけどくんと心臓が音を立て、囁くような小さな声を緊張しながらしっかりと耳に入れる。
「僕は、小さい頃からデュークの隣に立って一緒に国を変えようって思って生きてきたんだ。それがジェントリー家の務めだからってだけじゃなく、大事な友人の為に、そして僕の為に。デュークが騎士科で腕を磨くって言ったから、僕は医療科を決めた」
「そう、なの?」
フォルの言葉に目を瞬き、その瞬間いつも一緒にいる二人が思い浮かぶ。ああ、確かになんか、しっくりくる気がする。
「デュークは回復が苦手だから。僕はデュークを守るんだって、そう言って父にお願いした」
「そっか」
なんだかその気持ちが嬉しくなって笑顔で頷く。フォルと王子は幼馴染だ。私も、ガイアスやレイシスが回復が苦手だったから、小さい頃は私が回復をやるんだって張り切ってたっけ。
それでガイアスが前衛でレイシスが後衛で、私が回復で、という話になったんだった。懐かしいな。
共感。
それが大部分を占めていたような気がしてフォルを見ていたとき、私は揺らぐその視線に違和感を感じる。どこか悲しそうなその雰囲気に呑まれ、そっと手を伸ばす。
これは、私と同じじゃ、ない。
「フォル……?」
不安に駆られて名前を呼ぶと、私の手がフォルの頬に触れる前にはっとした様子を見せたフォルがそのまま私を見つめ、動きを止める。
やがてゆっくりと肩の力を抜いたフォルは、ぽつりと呟くように言う。
「王家が駄目なら僕が変わりになるんじゃなくて、デュークを支えたかったんだ」
小さな小さな声、それでもはっきりと聞こえてしまった内容に、私は小さく息をのんだ。
ああ、だから。
フォルは立場的に、王子が駄目なら次の王は、と見られる事が多い。フォルに現在継承権の話はないし、フォルはそれを望んではいない。フォルはあくまで王子の隣に立ち、支えることを望んでいたのだ。
ならどうすればいいのか。きっと手探りでいろいろ試したんだろう。
そうして努力してきたのか、フォルは。それなのにイムス家に王子になれと誘拐されて……。
「覚えてる? 闇使いの話」
「え?」
「僕はきっと、何においても人を助けることができる何かを覚えたかったんだと思う」
困ったように最後に笑ったフォルは、おかげで領地経営の勉強もあって大変だと、さらりと言って笑う。
「そんな顔しないでアイラ。大丈夫、僕はロランがいるし。あいつかなり優秀なんだ。それに、僕は医療科で学べてよかったと思ってるよ」
「……うん」
頷きながらも、少し視線を落として落ち着かない心の中に意識を向けながら、ゆっくりと考える。
闇使いの話、か。
さっきどこか悲しそうな、そして自嘲しているような笑みでそう言ったフォル。
確か前聞いた話では、昔の闇使いが孤独に耐えかね、愛する女性に力を分け与えることで同じ闇の加護を持つものとしたような、そんな話だった。
具体的に闇のエルフィがどのようなものかわからないけれど、同族にしようと咬んだ相手が無事である保障はない、と。フォルはどうやら、闇使いは人を傷つける者だと思っている節がある。だから、王子が騎士科を選んだとき、同じ騎士科ではなく医療科を選んだのではないだろうか。……考えすぎかな。
確かに血を飲んだり、咬んだりという行為は『傷つける』行為なのかもしれないが……私は、フォルに……
「私は、闇使いが人を傷つける者だとは思わないな」
ぽつりと自然に口を衝いて出た言葉に、視界に映るフォルの指先がぴくりと震えた。
ゆっくりと視線を上げると、顰められた形のいい眉。
細められた瞳は私に向けられ、何か言葉にしようとした唇は震えるものの言葉を紡ぎ出さない。
「だってフォルは優しい。それにきっと、前に言ってた……闇使いの始祖の人も、きっと何か、フォルが言っていた理由以外の何かがあったのかもよ? 闇のエルフィのこと」
寂しくて、愛しい人と同じでいたいと思う闇使いが、本当にフォルの言うように勝手に相手を危険な目に合わせる存在だろうか。
……なんて、偉そうなこと言うほど私は詳しいわけではないけれど、でも。フォルは違う、これだけは私は断言できるから。
そこで漸く、フォルが何も話すことができず固まってしまっている事に気がついて、言い過ぎたかもしれないと考えが過ぎる。
やばい、私ほとんど知らないくせに、何を勝手な事を。
えっと、と場を繋ぐような言葉を呟きながら、話題を変えようとしている自分に気づき、混乱する。
謝る?
いや、雰囲気を変えたほうがいい?
正解がわからなくて混乱する私は、おろおろとしながら無意識に腰のグリモワに手を伸ばす。
そっとその表面の石に触れるのは、最近の癖だ。ジェダイが無事かどうか確かめるその癖が、はっとフォルの空気を変えた。
「そうか、アルはいないけど、ジェダイはそこにいる?」
「え? あ、うん」
そう、だよね、とフォルは僅かな笑みを見せる。どこかほっとしたような表情のフォルに首を傾げると、フォルは笑った。
「だってアイラ、あれほど言ったのに、僕と二人きりになろうとするから」
「えっ……? いやだって、その、相談が! それにジェダイはいるし!」
「うん、そうだね。それで、悩みは解決しそう?」
「とりあえず、その。話があれば、学生のうちは得られる知識に手を伸ばすことにする」
なぜか笑いが止まらなくなったらしいフォルは、答えを聞きながらもくすくすと笑い続ける。
なんだか落ち着かなくなって、フォルから視線をはずす。その時棚の上に置きっぱなしにしていた、ハンカチとリボンでぐるぐる巻きの存在を見つけて僅かに動揺した。
しまった、あれ、引き出しにでもしまっておくんだった。
そう思った時にはもう、遅くて。
「……あれ? あれは」
私の視線の先を追ったであろうフォルが、棚の上の存在に目を向ける。
あ、と声をあげ慌てた私はつい椅子を鳴らして立ち上がってしまい、しかし返って怪しいことに気がついて動揺を思いっきり表に出してしまう。
「やっぱり大事なものだったんだ。でもどうして」
ぐるぐる巻きのその存在に、フォルは首を傾げる。
「れ、レイシスに貰ったものじゃ、ないから」
前にフォルにそれを見られたとき、フォルはレイシスに貰ったものかと尋ねてきた。答える前にベリア様が急に現れてあの時は何もいえなかったけど。
私の答えに僅かに目を見張ったフォルは、そのまま不思議そうに私を見つめる。
あれは……あれはフォルにもらった香水だ。こんな、ぐるぐる巻きにしてるのなんて知られたらきっと傷つける。私の馬鹿、なんでしまっておかなかったの!
こんなときでも、ふわりとフォルから感じる香りに一瞬視界がくらりと揺れた。私が、選んだものだ。フォルは変わらずつけてくれている。……なら、フォルだって私があの香水をつけていないことくらいきっともう、気づいているのに、今更だ。
「アイラ」
ふと名前を呼ばれて、ゆっくりと視線を上げていく。目が合った銀の瞳は、やわらかく細められた。
「ちょっと意地悪、していい?」
「……へ?」
まるで子供のように笑うフォルに呆然としていると、彼は腰のポーチから小さな何かを取り出す。
フォルの手に握られたとても小さな小瓶の中で揺れる液体を呆然と見ていると、フォルは私の手を自分の方へと軽く引く。
「え?」
とん、と蓋を開けた小瓶の口が手首に触れ傾く。ひやりと一瞬冷たい感触に驚いている間に、フォルは私の手を離して小瓶を元に戻していく。
「フォル?」
「思ったより長居しちゃった。ごめんねアイラ、また明日。相談、いつでも乗るから」
そういうと、彼は私の手を再び引いて、出口に向かう。前を歩くフォルから感じる香りに混乱していた私が部屋の扉にたどり着くと、フォルはぱっと手を離した。
「僕に声をかけてくれて、嬉しかった。なんだか僕のほうが助けられた気がしたけど」
ふっと笑うと、フォルはおやすみといってあっさりと部屋を後にした。
ぱたんと閉じられた扉を見て呆然としつつ、慌てて部屋の中に戻り先ほどの香水を引き出しにしまおうとして、はたと気づく。
この、香り。
既にいない筈のフォルを感じて部屋を見回した私は、まさかとフォルに先ほど掴まれた手に視線を落とす。
「……フォル!」
先ほど手首に押し付けられた小瓶の中身。あれの正体に気がついて、私はへたりとその場に座り込む。
私のあげた、香水じゃないか。
その後、いつまでも感じる存在に落ち着かず、お風呂に入ったはずなのに消えない香りとちらつく悪戯な笑みを思い出して、私は熱い顔を枕に押し付けるようにして夜を過ごす嵌めになった。




