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『アイラ、おかえり』

 一日を終えて後は寝るだけだと部屋に戻ると、くったりとクッションに身体を預けた猫の姿のアルくんが、小さな声を出す。

 ただいま、と返しながら近寄り、目を合わせる。

「……大分疲労してる。もしかして、魔力を他の精霊に分け与えたの?」

『……親代わりの精霊がいない子供の精霊が、初めての冬越えで困ってたんだ。それで』

「なるほど」

 親代わりがいない、ということは、魔力の扱いに慣れてない。魔力供給に恐らくキスをしたのだろう。キスといっても例の『精霊のファーストキス』……要は指先に魔力の塊を乗せて含ませるあれだ。去年なんだか王子が精霊に惚れられちゃって騒いでたのをふっと思い出して笑う。

「で、アルくんがくたくたになったら意味ないじゃない」

 ぺちょりと尻尾も身体も力ないアルくんに、はい、と指先を差し出す。もちろん、たっぷりと魔力をのせたものだ。

『アイラ』

「これで明日も頑張って? ……去年みたいに、私に精霊達が押しかけないようにしてくれているんでしょう。ありがとう」

 ほら、と指先を近づければ、ゆっくりアルくんが魔力を口に含む。それを確認して、微笑んだ。

「でも、これ以上無理するの禁止ね。なんなら、去年みたいに私が魔力を分けても大丈夫だから」

 ん、と短い返事と共に尻尾が揺れる。

 魔力が正常に流れ始めたのを確認して、シャワーを浴びに行く。

 熱いお湯を浴びていると、ふと昼間のことを思い出した。

「……専属医か」

 確か在学中でも、認められれば専属医に教えられるような内容の治療法を公開してもらえるんだったか。

 フォルはどうするんだろう。おねえさまは? アニーは? トルド様はたぶん、専属医の打診があれば希望するだろうし。

 ……というより、拒否すればどうなるかなんて目に見えてるかも。今の班からもはずされて、学ぶ機会を潰される。やっぱり、学園にいるうちはおとなしくしといたほうがいいんだろうな。

 んー……。

 今度、フォルに相談してみようかな。同じ医療科としての意見、欲しいかも。

 ぼんやりと考えながらシャワーを終えた私は、疲れた頭を休めるために早々にベッドにもぐりこんだのだった。



「お嬢様」

「あ、おはようレイシス」

 朝身支度を終えて部屋を出たところで、ぱたぱたと駆け寄ってきたレイシスが私へと手を伸ばしてくる。

 突然のことに固まっていると、レイシスの手は私の頬の横、……正確には肩から制服の後ろへと伸びてきて。

「猫の毛……アルですね、まったく」

 どうやら肩の後ろにアルくんの毛がついていたらしい。

「そういえばさっき、飛び乗られたかも」

「まったくアルは朝から何をしているんですか」

 むっとした顔をしつつも、猫の毛をとってくれた手はそのままするりと離れていく。ぼんやりとそれを見ていると、レイシスが不思議そうに首を傾げた。

「お嬢様? まだ、眠いですか?」

「え? ああ、うん。昨日早めに休んだと思ったんだけどな。寝すぎたかな」

 そういいながら笑って、二人で階段を下りていく。

 いつもの部屋に入ると、レミリアたちが朝食を準備してくれていたものの皆はまだいなくて。

「今日は一番ですね」

 レイシスがそう呟いて席に向かいながら、「あ」と私を振り返る。

「そういえば、カーネリアン達は昨日の夜に無事に領地に戻ったそうです」

「あ、そうなんだ。無事に戻ってよかった」

 といってもカーネリアンも父も結構何度も王都に来ているようだが。会えない事が多いのは、私も授業や依頼があるしあちらも仕事のせいか。この前は久しぶりに話せてよかったな。

 そう考えてすぐ、レイシスにこの前はありがとうとお礼を言う。レイシスは最初きょとんとしていたものの、「当然のことです」と笑みを見せてくれた。

「当主様もお嬢様に会いたいと連絡が来ていましたよ」

「お父様かぁ。またカレーの試食してもらえるかなぁ。材料いろいろ考え直してみたんだけど、根本的にはあまり問題解決になってないんだよね」

「直接ご相談されてみてはどうでしょうか」

「そうだね。また手紙でも書いておこうかな」

 結構頻繁に家族とのやりとりはしているが、夏の件で心配もかけただろうし。また会える機会があればいいなと思いながらも、カーネリアンに会ったあの日の出来事を思うと少しだけため息が出た。

 眉を下げたレイシスに気づいて、慌てて首を振る。

「いや。あのポジーくんの言ってた薬の事、何もわからないなぁって」

「やはりそちらもですか。こちらでも苦戦しています」

 ふっと笑みを見せたレイシスがそう言って、レミリアが並べる朝食を手伝い始める。それにつられて駆け寄りながら、違和感を感じた。

 ……レイシス、今の笑み……。

 いつものレイシスと何も変わらない。だけど、笑った後私の目を見る前に顔を逸らしてしまったレイシスに、違和感を感じた。これはきっと、何か知ってるな、と直感が告げる。

 私に、隠すか。どうせ危ないことに巻き込みたくないとか考えていそうだな。

 レイシスは情報収集の能力が非常に高い。私達の中で誰も知らないことを、一人何か知っていると言われても、違和感はない。

 王子は昨日何も言っていなかったから、レイシス個人で何かに気づいたか。……確信が、あるわけじゃない。いうなれば、幼馴染だからこそ気づいた違和感っていうだけなのだけど。

 でもレイシス、たぶん話すつもりないんだろうなぁ。

 少しだけ嘆息して食器を並べ終えたところで、「おはよーう!」と元気に飛び込んできたガイアスに続き皆の顔を見て、そっと視線をレイシスから外す。

 こんな時はガイアスに聞いて見るのが一番だな。

 一人そう考えながら、私も皆と朝の挨拶を交わした。



 夜。

 いつも通り就寝……となる前に、ガイアスを部屋に呼んだ。が、私の表情を見たガイアスは「大事な話なら」と自分の部屋に私を呼んでくれる。アルくんのことを気にしたのかもしれない。まあ、アルくんなら別に聞かれても問題はなかったのだけど、一度部屋に戻って用事を済ませた私はガイアスの部屋へと招き入れられた。


「へえ、レイシスが?」

 私の朝感じた違和感を説明すると、少し目を丸くしたガイアスが頭をガシガシとタオルで拭きながら、なるほど、と頷く。どうやら先にシャワーを浴びたらしい。

「ま、アイラがそう感じたのなら、そうなんだろ。悪い、俺気づいてなかった」

「えっ」

 あっさりと勘を信じたガイアスは、「何か隠してるかーありえるよなぁあいつだし」と呟いている。

「ま、それなら俺がそれとなく調べてみるよ」

「うん……確証があるわけじゃないけど……何かわかってもガイアスまで隠さないでね?」

「ははっ、アイラに隠し事は俺らは難しいんだろうな。ただし、逆もなしだぞ」

 笑いながらもじっと見つめてくるガイアスに、こくんと頷いて見せる。うん、私が二人に絶対隠すなんて……フォルの事以外、と注釈はつくかも。

 そんなことを考えているとくしゃくしゃと頭を撫でられた。

「ほら、レイシスは俺に任せて、戻れ」

「……うん。おやすみガイアス」

 手を振って部屋に戻る。自室の扉を閉めた時、なぜかわからないが思考がばらつき、私はゆっくりと深呼吸する。

 今日はクッションの上に丸まっているもののアルくんも調子は悪くなさそうだ。ほっとしてシャワーを浴び、最後にグリモワの魔力調整をしてベッドにもぐりこむ。

 隠し事、かぁ。

 レイシスが、私に隠し事。……でも、ルブラのこととか教えてもらったのも私だけ大分後だったみたいだし、前に私に知らせずに二人とも仕事でいなくなったこともあったっけ……。

 何が何でもお互いを知っている程一緒にいる子供時代はもう終わったのなんて、わかってる。いつも一緒にいて気づかなかったけれど、王子はもうすぐ成人でおねえさまだってそう。そして、私達だって。成人はまだ先、と言えるのは、学園に最年少で入学したルセナくらいだろう。

 もやもやとした感情が浮かぶのは、私の心が身体に追いついていないからだろうか。

 目を閉じると浮かぶ、普段は銀である筈の赤い瞳。一番の隠し事はこれ? ……いやいや、前世の記憶? でも、最近あまり違和感ないかも。なんだかすぐに思い浮かぶのは、フォルとの秘密だ。もちろん王子も知ってるけど。

 そういえば、婚約者の話が出てるってことはもしかしてローザリア様は知ってるんだろうか……って前も考えた気がするなこれ。


『アイラ』

 急に名前を呼ばれて目を開けると、ひげが触れそうな距離にアルくんの顔がある。驚いて目を見開き固まると、尻尾がゆらゆらと揺れるのが見えた。

『悩み事?』

「えっ」

『ここ、すごいしわ』

 ぽん、とやわらかい肉きゅうが眉間にのせられて、金色の毛が額をくすぐる。慌ててがばりと身体を起こし、顔を隠す。

「うわ、ほんと? いや、ちょっと考え事いろいろしてただけで、大丈夫」

『……そう?』

 小首を傾げたアルくんに大きく頷いて見せて、再び布団に潜り込む。ゆらゆらと揺れる尻尾に、暖かいぬくもり。

「えい」

『わっ』

 ふと思い立ってアルくんを布団に引きずりこむ。最近、寒くなってきたよねえ、夜は特に。

「んー、アルくんあったかい!」

『アイラ! ちょっと! 僕湯たんぽじゃないんだけど!』

 珍しく大慌てでじたばたと動くアルくんとその後きゃっきゃと騒ぎあい、それを見ていたジェダイが「僕も獣になろうかな」なんて言い出して笑い合って、疲れた私は知らぬ間に深い眠りの世界へと入っていたのだった。

 


 目の前にいる人にわけもわからず恐怖して、心臓がばくばくとなるのが煩くて胸を押さえる。

「待って!!」

 伸ばした手が闇に染まる。はっとして息をのんだけれど、それどころじゃない気がして感覚がない手をがむしゃらに伸ばす。

「待って!! ……っ!」

 叫んで飛び起きて、大きく呼吸を繰り返す。

 アイラ、と眠そうな声がかけられる。驚いたらしいアルくんの頭をゆっくりとなでながら、ごめん、なんでもない。と言って再びベッドに倒れこんだ。

 何か夢、見てた気がするんだけど。


 その日は私は、珍しく落ち着かない夜を過ごした。



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