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「で、つれてきたのか」
ポジー少年を背負って屋敷に戻ったガイアスを見て目を丸くした王子に説明を求められて、私とレイシスで今日あったことを説明すると、王子は額に手を当てて大きくため息を吐いた。
「なんで裏路地なんかに兵科の生徒一人でいたんだまったく……」
少し呆れたような声音だが、その視線は心配そうにポジー少年に注がれている。
大丈夫なのか? と聞かれて、私もフォルも顔を見合わせつつ「たぶん」と答えるしかない。
「疲労だと思うんですけど」
「僕とアイラの二人で診察したけど異常はなさそうなんだ。ラチナも診て見る?」
「お二人が診察して大丈夫なら、問題ないと思いますけれど……」
言いながらも促されてポジー少年の横に膝をついたおねえさまが手のひらを動かすが、次第に首を傾げ始める。
「なんとも、なさそうですわね。怪我も治っておりますし」
「そうか」
王子はふうっと息を吐きながら、立ち上がる。
「レイシス、来い。アーチボルド先生のところに兵科の教師が来ていた筈だ。恐らくポジーのことだろうから説明に行くぞ」
「あ、はい」
レイシスと王子がぱたぱたと部屋を出て行くのを見届けつつ、私は簡易の台所に向かう。起きたとき何か栄養がある口にしやすいものがあったほうがいいかもしれない。スープとかなら飲めるかな。
準備を始めるとすぐに気づいたおねえさまが手伝ってくれて、フォルも協力してくれたので医療科メンバーで特製スープを作る。本当は粥やら味が薄いもののほうがと一瞬考えたが、そもそもほとんど魔法で治療している上に今日あの時までは元気であっただろうから、と考えて、とりあえず消化のいいもので栄養があれば、とあれこれ手を加える。
途中兵科の教師が様子を見に来たが、会議に行かなければならないと後のことをアーチボルド先生に頼み、慌ただしく出て行った。
「あ」
ポジー少年が目覚めないまま、私達の夕食も終えた頃。
急に声をあげたルセナに、どうした、と振り返った王子が「ポジー!」と叫ぶ。
「おい、大丈夫か?」
すぐそばにいたガイアスとレイシスが駆け寄る。目が覚めたらしいポジー少年はぼんやりと天井、そして皆の顔を見回し、次の瞬間がばりと急に身体を起こした。
「あ、だめ!」
「うっ」
当然ぐらりと傾いた体を、ガイアスがすぐに止める。
「ポジー、いきなり動かないで、ひどい怪我でかなり血液を失ってるはずだから」
フォルに優しく諭されて、おろおろと不安そうな表情をしたポジー少年はゆっくりと頷く。
ほっとして、ガイアスが身体を起こすのを手伝ってあげているのを確認して台所へと急ぎ、スープを温めなおす。先に水を飲ませたほうがいいかとカップを手に取ると、おねえさまが「私が」と受け取ってくれたので、ゆっくりとスープの鍋をかき混ぜた。
「どう、どこかおかしなところや、痛いところはない? 魔力は全身に流れているのを確認できる?」
フォルの質問に答えながら水を飲み干したポジー少年は、漸くほっと一息ついたようだ。
「すみません。えっと、ご迷惑を……アイラ様と、レイシス様の姿を見たところまでは覚えているんですけど」
しょんぼりと話し出すポジー少年に、まずは、とスープを差し出す。
「魔力漏れもあったし、鎌の切り傷がひどかったの。薬は飲ませたけれど、食べるのが一番だから」
「ありがとうございます……!」
目を潤ませたポジー少年は、どうやら食欲はあるらしくすぐにスープに手をつけた。よかった、これが一番の回復だから、とほっとして、おねえさまが全員分のお茶を用意しているのを手伝う。聞けばどうやら、ポジー少年、昨日緊張して眠っていなかったらしい。どうりで目が覚めなかったわけだ。
ルセナがアーチボルド先生を呼んできてくれたようで、ポジー少年があっというまにスープを平らげた頃、安堵した表情でアーチボルド先生が部屋へと現れた。
「よかった。随分と兵科の先生が心配していたぞ」
「ご心配おかけして申し訳ありませんでした」
ポジー少年は丁寧に頭を下げたが、問題は解決したわけではない。
当然、なぜこんなことに、という話題になると、ポジー少年は困ったように目を伏せた。
しばらく「えっと」「その」と言葉を探していたポジー少年は、じっと私とレイシスを交互に見つめた。
「その。お二人もいらしたあの通りに、珍しい薬店があると聞いて……」
「えっ、ポジーくんも薬店を探してたの?」
驚いて声をあげると、王子が「ああ、アイラが行きたがった薬屋と一緒なのか」と目を丸くする。
「どこの薬店だ?」
アーチボルド先生が怪訝そうな表情で私を見る。
医療科の教師に教えてもらったことを告げ、通りの名前と道順を説明すれば、ああ、とアーチボルド先生が頷いた。
「成程ね。でも、アイラはわかるがなんで兵科のお前がそんな珍しい薬店に? 薬なら、大抵は学園の商店街にあるだろう」
「う……」
あからさまに言葉を詰まらせたポジー少年を見れば誰でも、「何かある」と気づくだろう。
はあ、とどこからかため息が聞こえる。少し待ってみたが、ポジー少年は口を開こうとしない。焦れたアーチボルド先生に名前を呼ばれると、ポジー少年はぶんぶんと首を振った。
「すみません! ただの、興味というか……!」
「はあ? ……ったく。仕方ないな。フォルセ、ポジーをもう一回診察したら、ガイアスとルセナの二人と寮に送ってくれ。ポジー、お前は明日、兵科の先生が行くまで部屋で待機」
「わかりました」
項垂れたポジー少年の代わりにフォルが了承の返事をすれば、先生はちらりと私達を見た後部屋を後にする。
先生の口ぶりからすると、ポジー少年の「興味」という言葉はまったく信じていない。むしろ送り届けるのにフォル、ガイアス、ルセナを指名した辺り、万が一の襲撃に備えているようだ。
狙いはポジー少年……? あの若い男からそんな様子は伺えなかったけれど。
うーんと考えながら、ちらりとポジー少年を見る。と、ばっちりと目が合った。
きょろきょろと周囲を見回した彼は、あの、と私を見て小さく声を出す。
その瞬間、ふわりと魔力が広がり室内の壁に防音の魔法がかかる。魔力の主は間違いなく王子だ。
「ポジーお前、先生がいなければ話せるか」
「……すみません、先ほどは」
しょんぼりと肩を落とした彼は、聞きたい事があると話を続ける。主に私、そしてフォルやおねえさまに視線が向かっている。
なんだか嫌な予感がして、皆が視線を交し合う。何を言われるのだろう、とごくりと息を飲んだところで、ポジー少年はゆっくりと口を開いた。
「皆さん、『ビティス』ってご存知ですか?」
「ビティス?」
ポジー少年以外の全員が首を傾げると、ポジー少年は「そうですよね」と意味深に呟いた。
「皆さんはある意味一番遠い存在ですからね」
「なんのことだ?」
目を細める王子に、ポジー少年は言葉を選びながらゆっくりと話し出す。
「ビティスは最近話題の薬です。といっても、話題になってるのは一部ですけど」
「薬? そんなの、聞いたことないんだけど……」
医療科三人で目を合わせる。私達が誰も知らない薬……?
「三人とも知らないのか」
王子が怪訝な顔をすると、ポジー少年は言い辛そうに、言葉を途切れさせる。
何の薬、と尋ねかけた私を見て、ポジー少年は短く答えた。
「魔力増幅薬です」
「なっ……!」
医療科の三人、そして王子が顔色を変えた。当然だ。魔力増幅薬というのは、基本的に国が使うなと指定する場合の方が多い。イムス家のあの小瓶の薬しかり、だ。
もちろん医療目的で認められているものはあるにはあるが……
「既存の認められた魔力増幅薬の中に、そんな名前のものはないわ」
おねえさまが顔色を変えてそういうと、残りのメンバーも事態を理解して目を見開く。
「つまり、またあの魔力を暴走させるような薬が出回ってるってことか? おい、まさかそれって小瓶に入った液体じゃ……」
ぎょっとしたガイアスがそういうと、ポジー少年はゆっくりと首を振る。
「違います。小さな丸薬で……一粒で、魔力が二倍位増える感覚がある、と聞きました。それで、あの辺りで手に入るような噂を聞いて、薬店が怪しいと思って」
「おい、使ったんじゃないだろうな?」
王子が眉を顰めると、ポジー少年は今度は大きくぶんぶんと首を振ってそれを否定した。
「ち、違います! 最近学園の、兵科の生徒の間で密かに流行ってるんらしいんです。僕はそれを突き止めてやろうと……」
「裏路地に入ったのか」
レイシスに突っ込まれて、今度こそ力なく「はい」とポジー少年は項垂れた。なるほど……。
「それって……先生に言ったほうが」
「だ、ダメです。まだその、実物は見たことがなくて。噂の範囲、というか。ただ実際、同じ兵科で急に試験前になると魔力が増えたりするやつがいておかしいなって」
「それこそ先生に言わないとだめだろ」
「それが……そいつ、平民なんです。家が苦しいって、将来は騎士になりたいって頑張ってるやつで……」
そこまで聞けば嫌でもわかる。もしそんな薬を試験で使ってるとなれば、その子の夢は絶対に叶うことはないだろう。それどころか、学園にいられるかどうか……という話になりかねない。なんといっても、貴族ならまだしも平民は止めてくれる後ろ盾が、ない。自業自得といえばそれまでだが……いやいやそもそも、その子が本当に薬を使っているのかすらわからない現時点では何も言えない。
「それでも……そんな薬が出回るのは、許せる事ではございませんわ」
言いにくそうに、おねえさまが告げる。ここには王子もいる。王子はこの話をスルーできる立場ではないだろうし、事は重大だ。何と言っても今、イムス家の薬の件もあるせいで魔力増幅薬には国がピリピリと警戒をあらわにしているところだろうし。
「ったく、困ったな」
王子のこの言葉に全てが詰まっている。まさか学園の生徒がそんなものに手を染めているとは……非常に、まずい事態だ。
王子はしばらく考えた後、ポジー少年にこのことを誰かに話すことを禁じ、今後一人で動くことも止めさせ、今日のところは戻るように促す。
ポジー少年は、噂を頼りに裏道に入ったものの、たまたま若い男に鉢合わせしただけらしく自分を攻撃してきた相手のことはほとんど覚えていないようだ。
「アイラとレイシスは、ポジーを襲った男の特徴を教えてくれ」
すっかり空気が凍りついた中で、私達はゆっくりと頷いて見せたのだった。




