210
「レイシス待って、どこ行くの?」
いつになく少し強めに手を引かれて、辛くはないが不思議に思ってレイシスに声をかけると、丁度屋敷の玄関でレイシスは「あっ」と慌てて足を止めた。
「す、すみませんお嬢様。えっと、少し商店街のほうに出たいんですけど、大丈夫ですか?」
「え? 学園の外のほう?」
「そうです。ガイアスは今日補習授業担当なので行けないのですが、必ずお守りしますから」
「うん、そこは大丈夫だけど……」
二人が揃ってないと私を守れない、なんて思っていない。ていうかデラクエルのおじさんは一人で守れるようにと育てたはずだし、いずれ私の護衛はたぶんどちらか一人になる筈だから。
問題はそこではなくて……なんで外?
「実は、ついさっき手紙が届いて。こちらの連絡と行き違いになったのですが、どうやらカーネリアンとサシャの二人が今王都にいるそうなのです。仕事だそうですが」
「ええ! そうなの!?」
少し前にガイアスが、家族と会えるよう手配をしておく、とは言っていたが。こちらで連絡を取った時には既に二人は王都に向かっているところだったのかもしれない。たぶん仕事で来ているんだろうけど、会えたら嬉しい!
楽しみだな、何か準備したほうがいい? あ、でももう時間ないのかな?
考えながらレイシスに待ってもらい、わたわたと部屋に戻ってグリモワを手にする。出かけようとしたところでアルくんがふわりと横に並んだ。
『どこか行くの?』
「カーネリアンとサシャが王都にいるみたいなの」
答えれば、アルくんは少し目を丸くして「そうなんだ」と返しつつ、しょんぼりと羽を揺らす。
『冬支度に手間取ってる精霊たちに呼ばれてて、一緒に行きたいけど……』
「ああ、やっぱりそんな時期なんだ。……また会えると思うからその時は一緒に行こう?」
こくんと頷くアルくんに、精霊の準備も手伝えることがあれば言ってほしいと伝えたところで、レイシスを待たせている事を思い出して慌てて外に出る。
「むしろ準備もさせず出発させようとしてしまってすみません」
こちらもまたしょんぼりしているレイシスに大丈夫だと笑って首を振り、二人で屋敷を出る。
ガイアスはいないが、どうやらジェダイが張り切ってレイシスと一緒に護衛してくれるらしい。名前を貰ってからみるみる元気になった彼は、ぶんぶんと両腕を振って勇ましく(可愛らしく)飛び回っている。
そういえば地のエルフィに彼を合わせる話が見送りになった。どうやら地のエルフィがまた王都を少し離れているらしい。
離れているといえば、ラビリス先生とカルミアさんも今王都にいないらしい。フリップ先輩も昨日から王都を離れたとか。
ラビリス先生はもともと私達特殊科の臨時教師だが普段あまり見ることはないし、たぶんあの転移魔法の暴走の件で研究に携わっていたラビリス先生はいろいろと忙しいのだろうから会えないのは残念だが仕方ない。
カルミアさんは学園の警備騎士に選ばれていた筈だが、どうやら少しまた騎士の入れ替えがあったらしくいつの間にか学園から姿を消していた。と言っても、騎士一年目は基本的に修行に明け暮れるという話を聞いたことがあるから、どこかで腕を磨いているのかもしれない。
フリップ先輩は本当に忙しそうだ。どうやらファレンジ先輩、ハルバート先輩もよく王都から出ているようなので、特殊科三年の間で難しい任務でもこなしているのかもしれない。
そういえば、私達二年生にもちらほらと依頼書が届くようになった。どうやら帰ってきてしばらくはアーチボルド先生が制御してくれていたらしいが、そろそろ落ち着いただろうと元に戻しつつあるようだ。
忙しくなるな、と考えながらレイシスと学園を抜ける。
そんなに変わらない筈の町並みは、学園を抜けると年齢層がずいぶんと変わるせいか新鮮だ。小さな子の手を引くお母さんの姿や、杖を使ってゆったりと歩く仲の良さそうなご年配の夫婦など、学園ではあまり見る事はないから。
少し前まで王都の外でよく見た筈の光景でも、なんだかわくわくとして私は周囲を見回す。今日は天気もいい。帰りに皆の分、ケーキを買って行こうかな。
「アイラ、楽しそう」
隣にいるレイシスにくすくすと笑われて、はっとして顔を抑える。
「ご、ごめんにやけてた」
「サシャとカーネリアンのおかげですが……俺も出かけられて嬉しいです」
にこりと笑うレイシスも、周囲を見渡し微笑んでいる。最近授業の遅れを取り戻そうと皆必死になっていたから、いい気分転換になったかもしれない。皆で来れなかったのが残念だけれど、やっぱりお土産は必要だな、と今ベルマカロンにあるはずのケーキのラインナップを考える。
ベルマカロンの店舗はそう遠くないところにあるので、私とレイシスがたどり着いたのは約束の時間より少しだけ早いらしい。店舗を覗いて店員さんに聞いてみたが、カーネリアンもサシャも今は少し挨拶に出ていてまだ戻っていないとのこと。
「どうしましょうか、上で待たせてもらいますか?」
「うーん」
店舗の上に事務所的なスペースはあるが、せっかく学園の外に出たのだし……。
「レイシス、ちょっと買い物したいんだけど、駄目かな?」
「どこですか?」
「実はこのそばに貴重な薬品や薬草を扱う店があるって聞いて……学園内の薬店じゃ取り扱ってなかった薬があるか見てみたいんだけど」
「ああ、それなら……場所はわかりますか?」
「うん、ベルマカロンより少し先の通りを奥に入って……」
医療科の先生に聞いた薬店の場所を思い出しながら歩き説明すると、レイシスは僅かに眉を寄せる。
「裏路地ですね」
「う……やっぱ裏路地だよねえ」
いくつかの角を曲がった細道で、ちらりといわれた通りを覗き込めば、昼間だというのに薄暗い。ここ通るのは……やめたほうがいいかも。先生、こんなところなら最初から言ってくれ!
「大事な薬なんですか?」
「いや……実はね」
私は腰のポーチから、空き瓶をひとつ取り出す。それを掲げて見せれば、じっとそれを見つめたレイシスが「あ」と目を丸くした。
「それ、イムス家の」
「そう。あの、魔力を増大させちゃう薬。マグヴェルにくっついてた女の人が持ってたの、取ってきたんだよね」
「それを……どうするんです?」
心配そうに私を覗き込むレイシスは、小瓶に手を伸ばすと私の手ごと握り締める。
「危ないことはしないで」
「だ、大丈夫だよ! 実はね、この中身はもうないけれど、成分とか残ってないかなぁって。もし残ってたらその珍しい薬なら何らかの反応を示してくれるかも、って先生には聞いたんだけど詳しくはわからなくて……私、これの解毒薬ができればって思ったんだけど」
「アイラ。それ大丈夫じゃないから。成分分析するってことだよね? そんなことしたら、狙われる」
「うっ……」
やっぱり駄目か、と肩を落とす。先生の言っていた話では、体内の魔力を作り出す器官に作用する薬の判別ならその薬品で原料の候補を絞れるかもしれないって話だったんだけど。そんなのとっくに城の機関で調べてるだろうけど、こちらに情報が流れてくるわけではないし。
「アイラ……」
困ったように眉を潜めたレイシスだが、次の瞬間握っていた私の手を大きく引いた。背に隠された瞬間、混乱した脳内に警鐘が鳴り響く。
びりりと肌に感じる魔力。これは、攻撃だ!
「レイシス!?」
「狙いはこちらではありません。この道の奥で何かが……」
「あっ」
レイシスが目を凝らした先でまた強い魔力の波動を感じる。一般の人より高めの魔力が異常事態を伝えてくるが、躊躇う。
感じる魔力は二つ。戦闘らしきものがおきているのはわかるが、路地は狭い。向かえば逆に邪魔になるか? それに、私が飛び出したらレイシスは。
誰かが襲われているのなら助けなければいけないが、ただの喧嘩の可能性を考慮すると逆に私達が危険な場合もある。今は小規模に感じる戦闘だが、私達が行ったことで家を破壊する規模になっても困るので、裏路地での戦いに首を突っ込むのはよろしくない。よろしくないのはわかってるけど!
「ジェダイ、ごめんこの奥で戦ってる人の特徴と様子を教えて」
『わかった、ボクいってくる!』
ひゅっと飛んでいくジェダイの背を見ながら、周囲を見回す。少し奥の通りに入っているせいか、人の気配がない。慣れているのか建物の中にいる人たちが気配に顔を出す様子もないし、これは日常の事なのかもしれないが。
「アイラ」
ぎゅっと握る手に力を込められて、レイシスの言わんとしていることに気づく。行くべきではない。わかっているけれど……。
見つめた先から、ジェダイがスピードを上げて戻ってくる。ジェダイの報告を聞こうと顔を上げた時、路地の奥、建物の陰から吹き飛んできた何かが地面に転がった。
人だ、と息を飲んだ時、遠目にその覚えのある姿にぎょっとする。
「……なっ、ポジーくん!」
同学年の兵科のポジー少年で間違いないと気づき、思わず名前を叫ぶ。
小柄な身体は地面に伸び、手に握られた相変わらず体躯に似合わない大剣が心許なく揺れる。たぶん腕が上がらないのだろう。その瞬間、私とレイシスは飛び出した。これは、十分助けに入らなければならない状況だ!
「ポジーくん、大丈夫!?」
「おい、ポジー!」
駆け寄った瞬間膨らんだ魔力を、レイシスが弾く。視線をやれば、奥から現れたのはまだ若い男だった。
「なんだぁ? お仲間か? お、その子可愛いじゃん!」
にたにたと笑う若い男は筋肉が自慢なのか日焼けした肌を大きく露出させているような服装で、金属のアクセサリーを見せ付けるように揺らしていた。目つきも口調もにたにたとこちらを馬鹿にするような視線で、見るからにあまり状況がよくなさそうだと思わせるおにーちゃんだ。ポジー少年、なんでこんな人と喧嘩してるんですか。
「ねぇねぇ俺と遊ばない? あ、こんな子供に手出したら俺ちょっと変態かも?」
「お嬢様に触るな」
伸ばされた手をレイシスが問答無用で跳ね返す。
途端にむっとした男は、しかし次の瞬間げらげらと笑い出した。
「お嬢様だって! もしかして学園のお嬢ちゃんとお坊ちゃん? こんなところにいるなんて、馬鹿だねー。君もナイト気取りみたいだけど、まじになっちゃってさ」
何が面白いのか笑いが止まらないらしい男はとりあえずレイシスに任せて大丈夫そうだな、と、念のため注意しながらすぐにポジー少年を診察する。どう戦ったのか、腕の部分に魔力漏れがある。足も傷が多いし、はやく治療しないと。
「ポジーくん、意識はある? 腕と足以外、どこか違和感があるところは?」
「おい、無視すんなよ」
私がポジー少年に触れたところで、低いイラついたような声が聞こえた、が。レイシスは私を隠すように移動すると、男の前に対峙する。男は少し目を細めると、ぶら下げていた鎌のような武器を持ち上げた。
「彼をこんな目に合わせたのはお前か?」
「ああ? なんか文句あるのかよ。敵討ちでもしちゃう?」
「そうか。正当防衛……ということにしとくかな」
ひゅ、と頬に風が触れた。




