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「アイラ、今少しよろしいかしら」

 ノックの音の後聞こえたおねえさまの声に驚いて、慌てて扉を開ける。まだ寝るには早いかなという時間だが、こんな時間におねえさまが来るのは珍しい。

 どうぞ、と招きいれ、椅子に促しながらお茶の準備をする。おねえさまはきょろきょろと部屋を見回すと、アルくんはいないのね、と呟いた。

「出かけてますよ、アルくん。アルくんに用事ですか?」

「いえ、そうではなくて、その。アイラに相談があって」

「ああ、大丈夫です。ちょっと待ってくださいね」

 すぐに用意したお茶を運び、おねえさまの前の椅子に座る。

 落ち着きなくおろおろとしたおねえさまを見ながら、彼女の用意が整うのを待つ。

 お茶の香りを吸い込み、一度口を湿らす程度にお茶を含んだおねえさまが、じっと私を見つめた。

「アイラ、その、今日は大丈夫でしたの?」

「え?」

「グラエム先輩と何か話していたでしょう?」

 え、と瞬きし、おねえさまを見つめる。てっきり王子関連の話かと思っていたから、こんな不安そうに尋ねてきたのがグラエム先輩の話だとは、と少し驚いた。

「大丈夫ですよ。防音の魔法をかけていたとはいえ、班の皆の前にいたんですし……それにグラエム先輩、たぶんあまり悪い人ではないです。変な人だけど」

「……すっぱり言うわねアイラ」

 目を丸くしたおねえさまは、ほっとした様子でくすくすと笑い出す。

 漸く力が抜けたらしいおねえさまを見つつほっとして、私も一度お茶を口にした。

「私を心配して来てくれたみたいですよ、たぶんですけど。この前の噂は私を狙った故意のものだ、一人になるなよーって言ってました。意外ですよね」

「まあ……それは確かにそうなのですけど、えっと。そんな内容でしたの? てっきり」

「てっきり?」

 何かを言いかけたおねえさまは、珍しく「しまった」という様子で口元を押さえた。てっきり、なんなのだろう。

「えっと……デュークが話を聞いて心配しておりましたの。グラエム先輩は女好きで有名な相手だからって。去年から何かとアイラにちょっかいをかけているからって言ってて」

 ああ、と声を上げながらも首を傾げる。グラエム先輩、探しても見つからない程度にはあまり一緒にいることはない人だけど。それにちょっかいをかけるって……

「そうかなぁ? 先輩のは何か違うような……」

 ふっと昼間の事を思い出す。私を心配してくれたのは好意というよりはなんかこう、違うような。まあとりあえずそれはおいといて。

「で、おねえさま。相談って何ですか?」

「えっ」

 ぴたりとおねえさまが固まる。おねえさま、最初にここに来たとき「相談があって」と言っていたじゃないか。さすがにグラエム先輩が何を言ってきたのか聞いてきたのは私の心配をしてくれたんであって、おねえさまの相談じゃないだろう。

 じっとおねえさまを見つつ待っていると、おねえさまは少し目を逸らした後、ぽつりと小さな声を漏らす。

「ごめんなさい、アイラ」

 突然言われた謝罪の言葉に、え? と首を傾げる。何かあったっけ?

「私、後悔してますの」

「後悔?」

 何を、と思いつつも不穏な空気に、少し胸が苦しくなる。ま、まさか王子のことを後悔とかじゃない、よね? なんだかんだいいつつ、私王子とおねえさまの仲は応援しているつもりなのだけど……!

 どきどきと手を握り締めおねえさまの言葉を待つ。おねえさまは俯いたまま、言葉を選びながらゆっくりと口を開く。

「アイラがデュークの婚約者といわれた時、私、違うとわかっていても動けなかった。……本当は自分だとも言えずに」

「……え?」

 いや、私は大丈夫なんだけど……というより、なんか、今聞き間違いでなければすごい事を聞いたような……?

 呆然とおねえさまを見つめると、顔を上げたおねえさまが泣きそうな顔なのに僅かに頬を染め再び俯いた。……聞き間違いじゃなかった!!

「ええ!? い、いま自分が婚約者だって言いました!?」

「そ、その。つい先日、正式に家にお話があって。もちろんまだ公表していませんから、正式な婚約者ではないのですけど」

 今度は耳まで染めたおねえさまが、きゅっとその細い指先に力を入れたのが見えた。うわぁ、し、知らなかった!

「お、おめでとうございます、おねえさま! いやむしろ、いつのまに、まじですか!」

「あ、アイラ? 落ち着いて」

 しまった口調がおかしなことに!

 にしても、おねえさまが婚約! まあ、王子もうすぐ成人だもんなぁ、そうだよねぇ、婚約者の一人や……いや、一人でいいんだけどさ。おねえさまもそういえば三年に上がってすぐ成人だったかな?

 なるほどなるほど、と頷いて、ん? と首を傾げる。

「え、まさか後悔ってそこじゃないですよね!?」

「ち、違いますわ! そうではなくて、その……覚悟を持ってお受けした筈なのに、私あの時名乗り出る事ができなかったから……」

 今度は打って変わってしょんぼりとしてしまったおねえさまを見て、慌ててしまう。私のせいでアイラが、と小さく口にしているが、別に私はあれで困ってはいない。何も気にしなくていいのに!

「おねえさま、私は全然大丈夫ですよ?」

「私の、覚悟の問題でした。アイラ、本当にごめんなさい。友人を盾にするような態度になってしまって……言い訳ではありませんけれど、まだ、公表できなくて。でも、それでもあの時もっと他にやりようがあったと思うの。だから私がもっと上手く立ち回れていたら、もっと自信が持てていたら」

「おねえさま……」

 なんか難しい問題だ……私は本当に気にしてはいないのに。ただ、私が気にするしない以前の問題なのだろうということはなんとなく、わかった。

 そもそもあの噂、おねえさまのせいではない。グラエム先輩も言っていたが、私狙いという可能性もあるのだ。むしろ婚約発表前にお相手に妙な噂が流されたおねえさまは被害者である。だが、おねえさまが言いたいのはそこではないのだろう。

 後悔、というくらいだから、おねえさまはきっと悔やんだのだ。これではいけない、って。そして、王子との婚約を後悔しているわけではないおねえさまがそこを悔やむということは決して悪いことではなくて。

 どう声をかけるべきか悩んでいると、おねえさまがぐっと顔をあげた。

「私、さっきの"相談"という言葉、取り消しますわ」

「え?」

「アイラ、あの時はごめんなさい。私、今度こそ頑張ります。デュークの隣に、きちんと並べる女性になりたいから」

 ふっと纏う空気が変わり、力強い瞳に凛とした雰囲気、そしてもとよりある美しさが、おねえさまをとても大人に見せる。

 うわぁ、かっこいい……!

「おねえさまなら、きっと大丈夫です」

 間違いなく同性でありながらどきどきして、私は頬に熱がのぼるのを確認しながらおねえさまに笑みを向ける。

「でも一人で悩むくらいなら相談してくださいね?」

「ふふ、ありがとう」

 大丈夫おねえさま、今のところ王子よりおねえさまの方がかっこいいです、なんて冗談を考えつつ、じゃあなんで王子はフリップ先輩のところに通っているんだろう? と疑問が過ぎるが、私はそのままおねえさまと少しだけ話をして深く考えることはなく。

 よくフリップ先輩、許したなぁ。おねえさま溺愛してたけど……。なんか、二人が一気に大人に見えてきた。

 そろそろ寝ないと、という時間に丁度アルくんが戻ってきて、プチ女子会は終わりを告げる。

 なんかいいな、おねえさま。

 そんな感想を抱きながらベッドにもぐりこんだ私は、久しぶりにまたおすすめの恋愛小説をおねえさまに教えて貰おうかな、と珍しい事を考えながら目を閉じた。

 私も、おねえさまに負けないくらい頑張らないと。



「あ」

 おねえさまと語らった次の日、朝一番に顔を合わせたのは王子だった。

 丁度同時に廊下に出たところで、まじまじと王子を見る。

 おねえさまをあんな『いい女』にしたの、王子なんだよな。

「……アイラ?」

 不審そうに王子が私を見ていたが、すっと顔色を変える。

「アイラ。何を言いたいのか大体わかった気がするが、離れろ。俺は誤解で友人に決闘を挑まれたくはない」

「へ?」

「おはようございます、お嬢様」

 ぐい、と腰に回された腕が引かれ、耳元でささやかれる声に思わずぴたりと身体が固まる。なんだか少しひやりとする声音に、反射的に。

「お、おはようレイシス」

 恐る恐る振り返るといい笑顔のレイシスがいて、背筋が伸びた。これ、私が悪い!?

「お嬢様、今日は確か何も予定はありませんでしたよね? 出かけましょうか」

「え? ええ? あ、ちょ待って!」

 後ろから「遅くなるなよー」と王子の小さな声が聞こえる中、私はずるずると外へと連れ出されたのだった。


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