20
カチャン、カチャンと室内に音が響く。
丁寧に磨かれた銀食器を見ながら、食器まで金ぴかじゃなくてよかったとか場違いな事を考える。ちなみに私の家はいくら裕福でも銀食器は普段使わない。理由は父が銀食器に魅力を感じていないかららしい。
出歩く事が多い商人は、旅先にまで銀食器を持ち運ばない。傷がつきやすいからだ。忙しい為に銀食器の手入れに時間を費やしたりもしない。といっても、うちは貴族のお客さんも来る事があるせいか用意はしてある、らしい。そういえば前フォルは銀食器でもてなしてたかも。
ちなみになぜか食事は私にも出されていた。横で子爵がお酒を飲みながらそれは楽しそうに何か喋っているので、さっきみたいに殴られないように適度に相槌を打っている。
話の内容は殆ど彼の食器に始まり宝石やら屋敷の絵画自慢だ。絵画を眺めるなんて似合わないな、と思いつつ頷いてはいるが、そんなことより私はなぜこんな夜中に連れ出されてステーキなんぞがっつり食事をとるハメになったのかため息ばかりだ。
予想外にも私の食事もある事で、手錠は両手を束ねていた部分だけ外された。相変わらず腕にはまるで腕輪のように金の太い魔道具が嵌められているが、両手が自由になっただけマシだ。
そこで、家令のおじさんの腕に嵌められているものと私の腕の魔道具が同じものだと確信する。なぜそんなことになっているのかと考えてまず、彼が父の部下だとばれたのでは、という懸念が浮かぶ。
その場合、私がここに連れてこられた理由は絶望的になる。人質なんぞなりたくない。まだ王都のパーティーのパートナーになりたくて私が自ら来たと言えと脅されてるほうがマシだ。
なんにせよこの腕輪のせいで伝達魔法を習得していても使うことができないというわけだ。伝達魔法とは、離れたところにいる相手に伝えたいことを一方通行ではあるが伝える魔法のことだ。電話のように話し合う事はできないのが不便ではあるが、一瞬で届く手紙だと思えば便利な魔法である。
他に伝える方法は、と考えて唇を噛む。せめて昼間であれば、冬でも活動している精霊に頼む事ができたかもしれないのに。
ふうとため息をついて、ナイフとフォークを置いた。目の前には無駄に切る作業に時間を費やしたせいで細切れになったステーキがあるが、口に運ぶ気にはなれなかった。
領地の南方で作られている特産の赤ワインでご機嫌になった子爵は私のその行動には特に目くじら立てる様子はなく、ご自慢の絵画をいくらで手にいれたのか語っている。そのお金がどこから出たのか考えるだけで皿を割ってやりたい衝動に駆られるが、皿に罪はないので耐える。恐らくこのぴかぴかに磨かれた皿も綺麗に掃除された屋敷も、いつ追い出されるかわからない恐怖の中ここで働いている人達がせっせと頑張った証拠だ。
そして、こんな状況を作り出した張本人である私をここに連れて来た男だが……彼の目の前に積み上げられた皿は恐らく十枚は越えていて、今もひたすら肉にかぶりついている。どうやら本当に空腹だったらしい彼は、一心不乱といった様子で食事を進めていてこちらを気にするそぶりすらない。
この人さえいなければなんとか逃げれる気がしないでもないんだけど……と思いつつ見ていると、どうやらお腹の膨れたらしい男が背もたれに身体を預けて「食った食った」と満足気な声を出した。
「ふん、やっと満足したか。なら早く出て行け」
「ふうん?」
子爵の言葉に男が面白そうに笑う。え、何? こいつがいなくなってくれるなら万々歳なんだけど! という私の思いは透けて見えていたらしく、男がにやりと口を歪めた。
「いいのか、俺が出て行けばそのお嬢ちゃん逃げるぜ?」
「な、魔法は封じているから大丈夫だ!」
「おめでたいヤツだな、あのデラクエルの当主から手ほどき受けてるんだ、舐めてかかるとお前みたいな男なんてすぐにお嬢ちゃんにやられるぞ」
「馬鹿な。私が用意した魔法封じの魔道具は一流のものだぞ! 王都の魔法騎士でも破れん一品だ。どれだけ金がかかったと思っている!」
「知るかよ」
酒のせいなのか怒りのせいなのかわからないが赤い顔で怒る子爵に、軽い口調で返す黒ずくめの男。この時ばかりは子爵に賛成である。お願いだから出て行って欲しい!
ところで、男が言った「デラクエルの当主」という言葉が少しばかり引っかかる。ベルティーニの当主、ならわかるが、デラクエル……? 確かにガイアス達のお父さんであるゼフェルおじさんから魔法の指導を受けてはいるが、彼はそんなに有名なのだろうか。ゼフェルおじさんは私達の他に数人のベルティーニの社員さんに同じように魔法を教えているが、余り表に出ている人ではないのだが。
妙な引っ掛かりを感じて思案する私の横で、男の態度にとうとう堪忍袋の緒が切れたのか子爵がガチャンと大きな音を立てながら立ち上がった。
「約束の食事は食わせてやった! 早く出て行かないか!! これ以上何を要求するっていうんだ!」
「なんだと思う?」
にやにやと笑う男。彼が何をしたいのかわからないが、彼が出て行くつもりがないのだけはわかって項垂れた。
どうするのかと子爵を見上げると、私の視線に気付いた子爵と目が合って、その瞬間怒りに歪んでいた子爵の顔はそれは嬉しそうににたりと笑みを浮かべた。
「アイラちゃん。もう夜も遅いし、寝室に案内しよう。特別に大きなベッドを用意したんだよ、気に入ってくれるといいけど」
「……はぁ?」
何を言い出したんだと間抜けな声が出た私に、子爵は距離を少し詰めて馴れ馴れしく私の肩に手を回した。思わず全身に力が入ったが、子爵はぽんぽんと慰めるように肩を叩くばかりで気にしていない。
「寂しいだろうから、私が一緒に眠ってあげよう。これから一緒に暮らすんだ、早く屋敷に慣れてくれるといいんだけどねぇ。大丈夫、籍を移す前に孕んでも子は私の子だと認めてあげるから」
「ひっ!?」
何言ってるんだこの酔っ払い!?
肩にかけられた手が背中に移り、するりと撫でられた瞬間ぞわぞわとした寒気が身体を襲い私は慌てて椅子から飛び上がった。
結婚、結婚と言いやがりましたか!? 背を撫でられた恐怖と大混乱の脳内は最低限の生命活動すら忘れたのか、私の呼吸は落ち着きなく細切れになり耳障りな音を立てた。
「な、なん、」
漸く口から出た疑問は掠れた声で情けなくも震えていた。しかし私の態度なんぞ気にしていない酔っ払いはうんうんと頷きながら嬉しそうに語りだす。
「君を娶ってやればいちいちベルティーニに交渉しなくても資金提供はしてもらえるだろう? ベルティーニの娘を父親が溺愛しているのは有名な話だし、孫の為なら惜しまないだろう。なに、最初は娘を手放すのが惜しかろうか、子が出来れば話は別だと聞くしな」
「いやどんな理論だよ」
つい本音ぼろりしつつ引きつる顔はそのままに後ずさる。要は既成事実作っちゃえばいいよねー! って理由で私を連れてきたんですよね!? 予想してたより最低です、本当にあり……じゃない、とにかくこれはまずい!
ちらりと横を見ると、あの黒ずくめの筋肉男はにやにやと私を見ているだけで動く気配がない。こうなれば……一か八か!
「ぜーったい、お断りしますわ!」
力の限り叫んで、扉に走る。途中、おい! と叫ぶ子爵の声と、報酬は? と余裕で尋ねる男の声が聞こえたが無視だ。ぎょっとしている家令さんが目配せして自身の手に握る何かを見せてきたので、それを確認せず奪い取って扉を開ける。
「待て!」
子爵の叫び声を背に飛び出した部屋を振り返る事なく廊下を走る。途中使用人の姿はなかった。夜中だから最低限しか起きていないのだろうと考えながら、程なく見えた大きい扉の前で立ち止まる。
この世界で一般的なそう大きくはない閂状の鍵を外し、体当たりするように扉を開けて飛び出せばそこはまだ闇に包まれていた。そこで漸く家令の人から取ったものを走りながら確認すれば、小さなひし形の石だった。
横目で来た時も見た異様な庭を確認しつつ、なんだこれ、と悩んだのは一瞬。同じ大きさのひし形を、すぐに見つける。石を持った手のひらからすぐ下、手首に嵌められたあの枷に見つけた窪みに、確信してそれをはめ込んだその時。背後でダンと大きな音がしたと思った瞬間、私の身体は宙に浮いた。
「ぐっ」
「残念お嬢ちゃん」
あの黒い男が軽々と片手で私の腹に腕を回し持ち上げていた。圧迫され呻いた視界で、腕からするりと抜け落ちた魔道具が地面に叩きつけられるのを確認して瞬時に集中する。
「げ、いつのまに!」
どうやら私が手錠を外せると思っていなかったらしい男が慌てて私の口を塞ごうとしたが、遅いよ、と呟いて笑う。私は呪文なんぞ唱えていない。
「精霊さん!」
手のひらに溜めた魔力を見せるように庭に向けて叫ぶ。
とたんに周囲がざわめく。後ろの男が動揺したのを確信して手を上に向けた。
「うっわ!」
突然上からバケツをひっくり返したような水が降ってきた事で驚いた男の腹を蹴り上げて地面に転がり、距離を取る。
どうだ得意の水攻撃! ガイアス達にもたまに使うが、『ただの水』です変に警戒してくれてありがとうございます!
何が起きたのかと慌てる男から離れることが出来たので、横の花壇に飛び込んだ。
冬の、真夜中に咲き誇る異様な花々。そこにはしっかりと、無理矢理魔法で休むことをさせてもらえない精霊達がいた。すぐに状況を把握してくれた精霊達が一斉に動き、私の魔力を利用してその葉を大きく成長させ私の姿を隠す。
「おい! なんだこの魔法は!」
普通、植物を大きく育てるなんて魔法はない。これこそ緑のエルフィの特殊な魔法だ。といっても、私が隠れることができているだけで何かすごい効果があるわけではない、ただの時間稼ぎ。今頃ここの精霊が母に私の状態を伝えてくれているだろう。風の魔法があればここまで来るのに十分、いや十五分くらいか、なんとか持ちこたえなければ。
男が庭に飛び込んだようだが、突然成長する花々に行く手を阻まれ苦戦している。ここにはツツジのような低木がたくさんあるので、急激に成長する木に阻まれればさすがの男も痛みに顔を顰めていた。
じりじりと後退しながら隠れていた私は、目の前で大きくなった葉を見てはっとして足を止める。
薄闇の中でも他の葉より黒く見え、大きく伸びた細くしかし先だけ扇形に開いた珍しい葉。図鑑で見た時ですらその効果に納得した覚えのある姿。
「これ……猛毒の……」
思わず呟いて、その葉を辿り茎、そして先に咲いた毒々しい赤い花を見て確信する。この花は猛毒を保有するサンミナンという名の花だ。葉の汁が触れるだけで肌がしびれ、一滴体内に入るだけで強烈な傷みに襲われ、場合によっては死に至る恐ろしい花。だけど珍しい品種で、国内では殆ど見られない筈。なぜそれが、こんなところに。
呆然とそこで立ち尽くした時、少し離れたところで叫び声が聞こえた。
「ああーばれた。ばれちゃった? その花の事わかっちゃったのかい?」
ふひひ、と奇妙な笑い声をたてて、屋敷の扉の前、少し高いところにいた子爵が、家令の首に腕を回しその顔の横にナイフを突きつけながらこちらを見ているのが見えた。
「なっ」
「おっとそこを動いちゃ駄目だよアイラちゃん。この家令はねぇ、地下にいる私のコレクションの鍵を勝手に壊そうとしたからね。罰として娘を地下に閉じ込めてこれの腕にも魔道具を嵌めたんだがねぇ。まさか君に味方するとは。裏切り者かなぁ? あとで娘のほうにもお仕置きしないとねぇ」
「や、やめなさいよそんな」
「おーっとっと、動いちゃだめだよアイラちゃん。こいつ殺しちゃうよ? といっても、そこから動いてその花の茎でも踏んだらアイラちゃんもやばいと思うけれどね? 毒で君らの大事なお兄ちゃんと同じように死にたいかい」
「は……?」
呆然と子爵を見上げる。毒、という言葉に私に近づいていた黒ずくめの男が「げ」と小さく呟いて動きを止めたのが視界に入ったが、この隙に逃げようだなんて考えは出てこない。
それどころじゃない。
「おにい、ちゃん……?」
「そうそう、何年前だったか、君の家のメイドに頼んでデラクエルの息子一人に飲ませた時は、失敗だったなぁ。医者をやる前に死んじゃったんだから困ったもんだよ。偶然流行った病のせいで私もすぐ逃げる準備しなきゃいけなかったんでね、計画が台無しだったよ」
酔っ払っているせいか饒舌な子爵の言葉が、上手く理解できない。
彼は今何を言っている?
「ま、本当は死ぬ前に解毒剤渡すはずだったんだけど失敗したし、一緒にメイドも死んでくれたから助かったね。そもそもあの病で死んだのはあの二人だけだったからね、ばれるかとひやひやしたよ」
脳内に、あの時屋敷の使用人たちが話していた「今回の流行り病はすぐに治療を受ければ助かるとの話でしたのに!」という言葉が蘇る。そうか、『あの病で死んだ人』はいなかったのか。
機嫌よく話し続ける子爵。余程、私が話を聞いているのが嬉しいのか身振り手振りで語り、笑う。その手に持ったナイフが、家令から、離れた、瞬間。
「ああああああっ!」
私の身体は勝手に庭から飛び出していた。
おにいちゃん。サフィルにいさま。にいさま!
「炎の蛇!」
得意ではない炎の魔法が、確かな威力を持って子爵に飛び掛る。驚いた子爵は家令と手に持っていたナイフを手放し、振り上げた杖が蛇を消し去っていく。……あれも魔道具か。
近づきながら再び手を振り上げ、水を呼び出し子爵にぶちまける。攻撃魔法でないそれは子爵の杖に消されることなく降り注ぎ、身体を濡らした。
悲鳴を上げてその場に尻餅をついた子爵に、再度手を振り上げる。
「雷の花」
私の呼び出した光の玉が、子爵より少し前方ではじける。自分に届く前に弾けた魔法を杖で防ぐ事ができなかった子爵は、周囲にまき散らかされた水によって伝わった電撃をまともに食らう事になり仰け反った。
「がっはぁ」
静かに子爵の前に立ち、子爵が落としたナイフを拾い上げる。ひっ息を呑んだ音が聞こえたが、私はただその金の装飾があるナイフを見つめ、構えた。
「やめろ!」
叫んだ声は誰のモノだったか。次の瞬間、私の目の前にひらりと桜の花びらが舞った。




