206
護衛とフォルセ様だけでは飽き足らず?
なぜあの方とご婚約を進めてる? ……って、誰?
「……何のことでしょうか」
言われている意味がまったく理解できず、瞬きするが、視界から怒りで顔を歪ませたお嬢様方が消える事はなくて。
そもそも私、フォルと婚約しているわけでもなければ他にそういった相手がいるわけでもない。もちろんガイアスとレイシスだって違う。
実家からは何も言われていないし、っていうかお父様が私に婚約話を持ってくるなんて事実ならびっくりだ。常々経営等で私達姉弟の婚姻を決める状態にはしない、と言っていた筈だし。何より万が一の場合があっても、噂になる前に私に話が来ているだろう。
しかし私の言葉に彼女達が納得するはずもなく、というかむしろ火に油を注いだ状態で顔色を変えた先輩達を見て、思わず半歩後ろに下がった。雪山で見た熊より怖いかもしんない。
「まあ、誤魔化すおつもりですの? 子爵家、それも成り上がりの元平民が、恐れ多くも王家の一員になろうなど非常識も甚だしい! これだから成り上がりは」
「え!? ちょ、ちょっと待ってください、王家!?」
聞こえた言葉にぎょっとして、思わず先輩達の言葉を遮ってしまう。しかしだな、いや、王家っておい! まさかその婚約相手って!
「デューク殿下との婚約を無理に進めているのでしょう、ベルティーニ家では!」
「はあ!? あ、ありえません!!」
ぶんぶんと首を振りながら、おねえさまを心配する。なんてことだ、よりによってそんな噂が出るなんて。いやいや、どうしてそうなった!
私が王子と婚約という話は事実ではないとおねえさまが知っていたとしても、こんな話おねえさまはきっと気にする……! ただでさえ以前伯爵令嬢でありながら身分を気にしていたのに!
「とぼけないでくださいませ。アイラ・ベルティーニが無理に王子に迫っているというのは確かな筋からのお話ですもの」
「その確かな筋ってどこですか? 何度も言いますけど、ありえません!」
おねえさまは目を丸くし固まっていて、動かない。……や、やばい。フォルと離れるんじゃなかった。これはどうしたらいいの!?
「私達同じ子爵家や男爵家でも遠慮しているというのに、本当に成り上がりの家の者は節操がありませんわね」
「むしろ『同じ子爵家』と一緒にしないで頂きたいわ、私の家は代々続く由緒正しい貴族の家柄ですもの」
「本当、それを考えたらベルティーニ子爵家よりも我が男爵家の方が歴史が古く……」
いやいや話を聞いてよ! いや、いやまてよ。こういう時こそ冷静にだな……っ!
「どなたがそのような事をおっしゃっているのかわかりませんが、そのようなお話は一切ございません!」
務めて冷静に言ってみたが、先輩達はひややかな視線をこちらに送るばかりだ。こうなると、いったい誰がそんな事を言い出したのかと腹立たしい気がしてきた。出鱈目ばかりの確かな筋ってどんなスジ!
「とにかく、身の程をしっかりわきまえてくださいませ。どうすればいいか、お分かりですわよね?」
「ですから、そのような事実はありません」
「本当、生意気!」
目を吊り上げた先輩の一人が、私に手を伸ばす。魔力の流れを感じたが、頭に血がのぼって私が特殊科の人間だということを忘れているのだろうか。
「きゃっ!?」
私が軽い動作で前に進み出てその先輩の手に指先を触れさせただけで霧散する魔力に、先輩が驚いて慌てて手を引いた。しかし次の瞬間強く突き出された手が私を強く後ろへと突き飛ばす。
「うわっ」
「アイラ!!」
そこで漸くおねえさまがはっとして私へと駆け寄った。別に今のはわざと避けなかったのだからこの程度はなんでもない。下手にやり返せば彼女達に手を出したのがこちらになると判断したまで、だが。
「アイラ! 先輩方、これはどういうことですか!」
ばたん、と大きな音を立てて教室内に入って来たフォルが顔色を変える。どうして、と見上げると、フォルの瞳がすっと細められた。
「外に丸聞こえです、先輩方。アイラにそんな話がないのは、僕も保証しますが」
「フォルセ様、それはこの女に騙されて……」
「あなた方は僕がその程度の人間だと言いたいのか!」
フォルの剣幕にひっと息を飲んだ先輩達が、顔色を変えてばたばたと部屋を出て行くのを呆然と見つめる。しかしすぐに意識を戻し、私はおねえさまの手を取った。
「おねえさま、あんな話はありません! それにあんな言い分はっ」
「わかって、いますわ。最初あの方々が来たとき、てっきり私に用事だと思ったくらいです。……あの方達の家は娘を王家に、と尽力されていますから」
「えっ……」
それでおねえさまは会ったとき顔色を変えていたのか。でもなんでその相手が私に……?
いや、逆に考えれば、私でよかった。私は事実無根だといえるが、おねえさまがその対象になったらきつかったかもしれない。
漸くそこでほっと息を吐いて振り返ると、フォルがどこかを見つめてじっと考え込んでいる。
「フォル?」
「……とりあえず、行こうか。授業に遅れてしまうよ、二人とも。アニーが何かあれば先生に伝えてくれるとは言っていたけど」
そう言うと、フォルは私の手を引いた。ほんの少し繋がれた手は空き教室を出たところで離され、私達はばたばたと教室へ向かう。
そこにはもう先ほどまでの穏やかな空気はなく、教室に入った瞬間にもあちらこちらから向けられる冷たい視線に、落ち着かない気持ちになる。
ここまで広まっているとなると……王子に相談したほうがいいかも。何せ噂の相手だし。
そんなことを考えつつ授業に挑むが、たまにちらちらと向けられる視線にため息を吐きたくなる。というより、おねえさまの顔色が少しずつ悪くなっているのが気になって、周囲に防御壁を張りたくなってきた。
心配そうなトルド様とアニーになんとか笑みを向けつつ、慎重に治療法の研究を進める。これが上手くできれば、もしかしたら新しい治療法として確立してもらえるかも、と昨日まで楽しんでいたのが嘘みたいに、今日の授業時間がひどく重く長く感じる。
そんな時間にも終わりはしっかりと訪れ、ほっとしたのも束の間。
先生が教室内から退出すると同時にまたひそひそと聞こえ始める噂話は留まる事を知らず、思わず立ち上がりかけた時。
「アイラ様」
どこか嘲笑を含む聞き覚えがある声が聞こえ、げんなりとして息を吐く。眉を寄せたアニーをさりげなく隠しつつ、相変わらず豪奢な様子の少女へと視線を向けた。アニーは以前彼女と共にいたが、苦手としていた筈だ。
「ごきげんよう、レディマリア様」
にっこりと微笑みを返し、負けるものかと声を張る。用件が丸わかりな分、朝よりは声に力が入った。来るかも、という予測までできるほど、彼女は「王子狙い」の筆頭だ。
「少しお話がございますの」
「そうですか、どのような?」
一応聞いて見るものの、視線で外へと促されているのは理解しつつこの場から動こうとしない私を見て、レディマリアは挑戦的な笑みを浮かべた。
「まあ。こちらでお話してもよろしいのかしら」
「ええ、どのようなお話かは存じ上げませんが、こそこそと隠れる理由はございませんので」
むしろこの場で話したくてうずうずしているように見えるレディマリアに、あえて遠慮なく言葉を返す。ひそひそとされるよりこの場で言い返してやる、と気合をいれた。どうせ、一人で行くと言えばおねえさまやフォルに止められるだろうし。
「では。冬前に学園で大きなパーティーがあるのはご存知かしら?」
「……え?」
少し驚いて目を見開く。てっきり王子のことを言われると思っていたが、パーティー?
「あら、お聞きになっていない? てっきりご招待されているものかと思っておりましたのに」
「は? いや、パーティーって」
「年明けに行われる殿下の成人記念の式の前に、学園でお祝いさせていただきましょう、というお話があがっておりますの。その件でしてよ?」
「はあ……」
そういえば年明けすぐに王子って成人を迎えるんだっけ、とぼんやり考える。だが、それこそ確か厳かなもので、私なんかが招待される場ではない。だが学園でと言うのは……?
ちらりとおねえさまとフォルを見ると、二人も首を傾げている。特殊科の、しかもこの二人が知らないってどういうことだ?
「まあ、お噂通りですのねアイラ様」
急に、嬉々とした声が聞こえて顔を戻す。手にした扇で口元を隠し、目を細めたレディマリア様とばっちり目が合う。
「王子殿下の他にもフォルセ様と仲良くされていらっしゃるとか。特殊科は本当に仲がよろしいようですわね」
「……レディマリア様!」
おねえさまがとうとう怒りを滲ませた声を上げる。
今フォルと目を合わせた事を言っているらしいが、何が言いたいのか、と思わず口から出かけて、慌てて飲み込む。あからさまな挑発に口を噤み相手を見つめると、ひそひそと声が聞こえた。
「フォルセ様、お可哀想に。ずっと付きまとわれたかと思えば王子ですって」
「本当、ご迷惑をおかけしてあの図太さ、さすが成り上がり」
「ラチナ様も、利口だと思ってたらあんなのが友人じゃ大変だな。フォルセ様もその程度ってことか」
男女関係なく囁かれる言葉に息を飲む。繰り返される内容が、異様な程フォルの名を紡ぎだす。
私と王子が噂になった理由ってまさか。
私が可能性のひとつに気がついた時、がた、と荒々しく椅子が床とぶつかった。
「どんな噂なのか詳しく知らないけれど、アイラはデュークとも僕とも婚約の話は出ていないけれど?」
突如切り裂くような静かな怒りを含む声が教室内に響いた時、しん、と部屋が静まった。
「フォル」
「確かに僕達特殊科は仲がいい、皆ね。それだけでそんな噂が流れるなんて、驚くけれど」
一度言葉を切ったフォルは私の横に並ぶと、周囲を一度見回した。
「大事な友人が妙な噂に巻き込まれるのは面白くないな。ねえ、デューク」
「ああ、本当にな」
ざわっと教室がざわめく。レディマリア様の後ろ、扉に視線を向けるとそこには少し息を乱した王子がその呼吸を整えながらこちらをじっと見つめていて。
そこにガイアスやレイシス、ルセナの姿を見つけて、ほっとして肩から力が抜けた。
反対に、レディマリア様は「なぜ」と顔から血の気を引かせたが。
「私もフォルも自分で見つけた仲間を信頼しているし、自分の目も信用している」
「噂に惑わされるつもりはないけれど、さすがにやりすぎじゃないかな?」
淡々と言葉を口にする二人に、周りが呑まれたように空気を変えた。
「成り上がり、だったか? 優秀な人間が上に立つのは当然だな。我が国はいい人材に恵まれたようだ」
静かな笑みに怒りを滲ませた王子の気迫に、レディマリア様が蒼白な顔で周囲を見回し、縋るような視線を向ける。その方向に視線を移した瞬間、ふわりと柔らかな青灰色が舞った。




