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「さて、今日の授業はこれで終わりです」

 少し離れた位置から穏やかな先生の声が聞こえ、同時に教室内が騒がしくなる。

 私達の班は先生が先ほどまで説明していた治療法の授業より少し進んだ別の治療法を自習していた為、先生の合図ではなく皆がキリがいいと感じた当たりで肩の力を抜き始めた。今日の報告書は後で先生に提出すればいい。

「この研究ももう少しで最終段階ですわね」

「ええ。とても興味深い内容でした」

 おねえさまとアニーがそんな会話をしているのをぼんやりと聞きながら、今日の授業のまとめを紙に書き記していると、ふと前が翳った。

「フォルセ様」

 可愛らしい声が聞こえて、あげかけた頭をぐっと力を入れて止め、再び紙にペンを走らせていく。ローザリア様がフォルに用事があって来たのだろう。

 そう考えて、なんとなく顔を上げられずに視線を紙に固定する。別に私が悪いことをしたわけではないのだけど、なんとなく説明できない感情が、私の視線を目の前の紙から離そうとしなかった。

 最近はこの状態と同じ感情のせいで、アニーの様子も気になって仕方がない。王子とおねえさまには、アイラが気にすればアニーも気にするだろうから、そのままでいいと言われたのだけど。


 ふ、と息を小さく吐く。


 そのままでいいといわれても、私の「そのまま」で一度レイシスにつらい思いをさせているのだ。

 兄弟同然と接していたレイシスが、苦しそうに「男として見てほしい」と言っていたのを思い出す。似たような事で、状況は違えど今度はアニーに嫌な思いをさせるのが嫌だった。ガイアスに兄弟のように接しても、まわりはそうは見えない筈だ。

 それに、それを考えた時にちらつく妙な不安。何かを思い出しては妙に胸が苦しくなるのだが、いったい自分が何に捕らわれているのかまったくわからない。


「フォルセ様。今日の夕食はご一緒できると聞いて楽しみにしておりましたの」


 自然とため息を吐きかけた時聞こえた柔らかな声に、指が止まりかける。

 私はフォルの告白に対して、お断りした。ということはもしかして、フォルは今度こそローザリア様と婚約の話が……

「アイラ」

 紙を見つめていると名前を呼ばれて、はっとして慌てて顔をあげる。

「アイラ。皆が迎えに来ていますけれど、終わりそう?」

 いつの間にか前に立っていたおねえさまに言われて、慌てて確認の為に紙の文字を目で追う。内容を確認しながら扉の方角を見ると、なるほど確かに、こちらに向けて手をぶんぶんと振るガイアスの姿が見えた。

「えっと……うん、大丈夫、終わりましたおねえさま」

「そう、よかった。アイラ、今朝も早くからレミリアとスパイス調合してたから、眠いんではなくて?」

「あはは、やっぱ気づかれてましたか」

 笑って立ち上がり、使った道具を纏める。医療科の生徒が部屋を出て行き、少なくなったのを見計らってガイアスたちも教室内に足を踏み入れ、皆が集まる。

「お嬢様、今日の午後は大魔法の練習だそうですよ。先生が朝言っていました」

「あ、そうなんだ。よし、やるぞー!」

「アイラやる気満々だな。よっし、どっちが高威力を持続できるか勝負すっか!」

「その勝負、俺も乗った。アイラの大魔法は威力があるから張り合いがある」

 ガイアスと王子がそう主張してきて、おねえさまに「そういう修行ではありませんわ」と窘められる。

 くすくすと笑いあっていると、ふわりと花の香りがした。

「それでは失礼致しますわ。フォルセ様、また夜に」

 今の花の香りは、どうやら通り過ぎたローザリア様のものだったらしい。ふと、自分はカレーのスパイスの匂いが移ってはいないだろうかと気になった。ローザリア様は本当にお姫様みたいだな、可愛くて、いい匂いで……。

「なんだ、フォル。お前あいつと食事するのか?」

「……父が勝手に約束してしまったんだよ。ちょっと行って顔は出すけど、それだけ」

「なるほどね」

「……僕は今日忙しいから、本当にすぐ帰る」

 フォルがそういうと、王子はなぜかくつくつと笑い出す。

 それに言い返すフォルの言葉を聞きながら、ちらりとアニーを見る。ガイアスは私のそばにいるが、アニーは特に気にした様子はなさそうだ。

 ……うーん、難しい。やっぱ普通でいいんだよ、ね?

 そもそも二人の口からそうだと聞いたわけじゃないんだし……と悩んでいると、急にほっぺにひやりとした指先が触れる。

「アイラ。つつきたくなってしまいますわよ?」

 くすくすと笑ったおねえさまが、私の頬をつんつんとつつく。

 小さく「大丈夫でしょう?」と囁いたおねえさまは、さらに顔を近づけて小声で囁く。

「あのガイアスがなんのフォローもしていないわけないですわ」

「え?」

 おねえさまの言葉だと、ガイアスがとてつもなくすごく聞こえるんですが。目を丸くしおねえさまを見ると、おねえさまがふわりと笑う。

 そこに、すぱっと誰かの手が入り込んだ。

「……デューク様? この手はなんですか?」

「見るな、減る」

「ほう、おねえさまが笑顔を私に向けてくれたのが悔しいんですね、わかります」

「アイラ……お前今日の午後の授業、覚えてろよ……?」

 ばちばちと火花を散らす私と王子を見る皆が笑う。

 ふと、気づく。王子のこれも『嫉妬』であろうが、こうしてあからさまなのは私相手が多い。他でも見るには見るが……全部、私達だけの時な気がする。

 おねえさまが学園内で男子生徒に声をかけられることはよくある。だが王子はいてもほとんど動かなくて……ラーク領でルセナのお兄ちゃんに敵意をむき出しにしてたのが、ここにいると少し珍しく思える。

 きっと嫉妬することで王子の気持ちが周囲に漏れることを必死に耐えてるんだ。ばれてしまえばおねえさまが今度その嫉妬の対象になるから。


 そう思うと、なんともいえない気持ちになって王子をまじまじと見つめる。それに気づいた王子は私を見下ろしてにやりと笑っただけなのだけど。



「はい終了ー」

 パンパン、とアーチボルド先生が手を叩く音が聞こえて、魔力を押さえ込む。ほんの少しだけ乱れた呼吸を整えながら皆の方に歩いていくと、ごくりと息を飲んで先生を見上げた。

 先生は考えるように顎に当てていた手を外すと、にっと笑って私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「よくやった。今日の練習、一番優秀だったのはアイラだ」

「え……や、やった!」

「まじかよ……」

「負けちゃいましたか」

 私が喜ぶと、そばにいたガイアスとレイシスが少し残念そうな声を出す。ぱっと振り返ると、悔しそうな顔をした王子と目が合った。

「悔しいが……確かにアイラの大魔法を使うときのコントロールの高さは評価に値するな」

 ふん、と言いながら顔を背ける王子だが、王子の火属性の大魔法の威力もすごかった。火属性は純粋に攻撃力特化のものが多いが、室内に張り巡らされた防御壁を破壊するんじゃないかと思った程だ。

「レイシスもなかなかだった。ガイアスはずいぶん成長したようだが、まだ荒削りだな。ラチナとルセナは安定しているが、もう少し威力を高めてもいいだろう。フォルは……」

 先生はそれぞれに指導しながら、最後にじっとフォルを見る。

 フォルは先生の視線を真っ直ぐに受け止めたが、すぐに「すみません」と俯いた。

「今日はその、調子があまり」

「……何かあったか? 今日って、お前最近ずっと不調だろ」

 先生に突っ込まれて、フォルが僅かに固まった後唇を引き結ぶ。それで少しだけ驚く。

 フォルが不調だったなんて、気づかなかった。

 驚いておねえさまと目を合わせる。フォルと一番一緒に行動をしているのは私達だが、おねえさまも驚いたような顔をしていた。

 しかし、ルセナもきょとんとした表情であるが、王子、ガイアス、レイシスはどこかわかっていたような表情をしている。

 どうしたのだろう、とフォルを見上げた時、ふわりと綺麗な笑みをフォルが見せる。

「すみません。以後気をつけます」

 それ以上聞けない雰囲気に、私は口を噤んでその様子を眺めるしかできなかった。

 ぎこちなく固まった空気をどうすべきかとおねえさまと目配せしていると、その空気を壊すような軽快な音が聞こえて、稽古場の扉が開かれる。

「我が女神! お久しぶりです!! 心配しておりましたぁあ!」

「は!? え、ピエール!?」

 飛び込んできてすぐ私に突進してきたピエールに対処できず、次の瞬間ピエールの腕が私の背に回った。勢いがよすぎて受け止めきれず、たたらを踏んだ私をピエールの腕が慌てて支える。

 いつもはさらりとかわすが、先ほどまでの空気に飲まれていたせいか咄嗟に動けずにこうなってしまったのであるが、抱きついてきた本人もまさか避けられないと思わなかったのか、きょとんと私を見下ろした。

「あれ?」

「あれ? じゃないです離れろこの変態」

 どかっと鈍い音がしたと思うと、私の前にいたピエールはくるりと円を描いて飛んだ。

 何も問題がないという表情で私の前に立ったのはレイシスだ。ぱんぱんと手を払っているが、今何したんだろう……。

 容赦ない攻撃にそっとレイシスの背後からピエールに視線を移すと、彼は大の字で床にうつぶせになって転がっていたが、次の瞬間にはぴょんと立ち上がって、レイシスに「ナイスパンチだった」と親指を立てて見せている。大丈夫らしい。

「相変わらずだなお前……その防御力関心するわ」

 ガイアスの尊敬だか呆れだかわからない声で、私達の間にあった緊張した空気は解かれ、稽古場に和やかな空気が戻ったのだった。

 さて、ピエール相手に稽古するかな、大魔法の。


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