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「終わったー!」
開放感から腕を伸ばし、大きく伸びをする。
教室には私と同じく腕を伸ばしたおねえさまに、背筋を伸ばしながらもほっとした様子のフォルもいる。今日は医療科の試験を受けれなかった私達だけの試験日だったのだ。
さすがに大きく日付がずれた為に順位表には名前は載らないだろうが、評価の対象になる為に緊張した。でも、出来は自信ばっちりだ。短い休みの間に対策に付き合ってくれたアニーとトルド様にはあとでお礼を言わないと。
「特殊科の試験はなしにしてもらえたのはラッキーだったよね」
「旅して無事に帰ってくるのが試験だ! お前らよくやった!」
「ふふっ、アイラ、アーチボルド先生の真似似すぎですわ!」
試験を無事に乗り越えたせいか、テンション高く笑う私達はそのままふざけあいながら帰る準備を整える。
私達の医療科はそもそも夏休みと呼べる程長期の休みは存在しない為、夏休みと言ってももう明後日から授業再開だ。
紳士、淑女科の休みが長くしっかり夏休みなので、学園全体で考えるとやはりどことなく人気は少ない。その間は授業がある科も先生の都合でどこかゆったりした感じが多いのは去年経験済みなので、夏休み期間の授業は楽だと軽い気持ちになれる。
こうして外を歩いていても、すれ違う生徒はいつもに比べてとても少ないので、いつもにぎやかな学園が穏やかに感じる。
普段あまり気にしていない精霊たちの囁き声に耳を傾けながら、ふとこの中に魔石の精霊はいるのだろうかと視線を巡らせた。
精霊に、見た目の違いがあるかどうかはわからない。そもそも見えている精霊が全て植物の精霊だと思っていたのだから仕方ない話だが、グリモワの精霊は暴走した時目が赤かっただけで、今姿を見ても植物の精霊との違いはよくわからない。見た目では、だ。
暴走したグリモワの精霊を、植物の精霊ではないとあの時判断したのは完全に勘のようなものだった。それと、魔力の色も参考になるかもしれない。
ということは、皆見た目一緒なのかな。今まで気づいてなかっただけなのかも。
そんな事を考えながら歩いていると、こつんと頭に何かが触れる。
「アイラ、ぼーっとすんな」
「お嬢様、危ないですよ」
ガイアスとレイシスが気づけばそばに来ていて、少しだけ驚く。気づかないなんて、どうやら本当にぼーっとしていたようだ。騎士科も授業が終わったのだろう。
「ごめん。余所見してた」
「……精霊に何かあったのか?」
声を潜めて聞いてくるガイアスに、苦笑して首を振ってみせる。学園にいる植物の精霊たちは、いつも通りとても楽しそうだ。
そっか、と頷いたガイアスは、一度周囲を見渡すといいなぁと呟く。
「俺も見えたらいいのに」
「確かに。俺も見えたらいいなと思ったこと何度もある」
レイシスまで同意するその内容は、言葉は伏せられているが精霊が見たいというものだろう。
植物の精霊が見えるのは嬉しい。お話して、仲良くなって、いろいろ教えてもらえることには感謝している。知識も増えるし、彼らの会話はとても楽しいのだ。
だが、魔石の精霊のことを考えたときちくりと胸が痛んだ気がして目を伏せると、レイシスが小さく呟く声が聞こえた。
「そしたらもっと、アイラを守れるのに」
え、と顔を上げると、目が合ったレイシスが僅かに動揺し、視線を泳がせる。
「その、……なんでもありません」
どうやら私に聞かせたくて口にした言葉ではなかったらしく、頬を染めたレイシスの熱がうつったかのように私も少しだけ顔に熱が集まる。
レイシスは優し過ぎる。
心のどこかで、彼に見えなくてよかった、と思う。魔石の精霊のあの苦しむ姿は、見る人にも痛みを与えるものだった。やはり特別な力なんて、いいことばかりではないという考えは変わらない。
ふっと息を吐きながら顔を上げると、丁度王子とルセナもやってくるのが見えた。いつも通り七人が揃ったところで、いつものように食堂にランチボックスを買いに行く。
戻ってきた日常を楽しんでいた時、そこにいつもとは違う声が響く。
「フォルセ様……!」
可愛らしい声がフォルを呼び止めると、全員がその声の方向を振り向く。
……ローザリア様。
久しぶりに見るその姿は前と変わらず可愛らしく、ふわふわの髪が風にやわらかく揺れている。
フォルと視線が合ったのだろう、ぱっと顔を輝かせるローザリア様は、誰が見ても息を飲む程の美しさだ。
おねえさまも凛として美しいけれど、儚げなローザリア様は見る者が手を差し伸べたくなる可憐さがある。そんな彼女が、ぱたぱたと足を速めこちらに駆け寄った。
「お久しぶりですわ、ずっとお待ちしておりましたの! 急な任務とお聞きして、私何も聞いておりませんでしたから」
「……ああ、ローズ。久しぶりだね」
頬を染め興奮した様子で話しかけるローザリア様に対し、フォルは少し困ったように首を傾げて微笑む。
どうしたのだろう、と疑問に思った時、ローザリア様の細い指先がフォルの袖口をそっと掴む。
「お元気でいらっしゃいましたか? 私とても心配しておりましたの。あ、そうですわ、父が近いうちにまたお食事をと」
「えっと……ローズ。また、父から連絡してもらうから」
穏やかな声でそう告げたフォルが、僅かに腕を引いた。その時、くいっと私も腕を引かれた事に気づく。私の腕を引いていたのは、レイシスだったけれど。
「お嬢様。先にランチボックスの注文をしておきましょう」
「お、そうだな」
ガイアスが頷いて、私は手を引かれたまま歩き出す。後ろを振り返った時、こちらを見つめる王子と目が合って息を飲む。
「……デューク様?」
細められた目が周りを睨むように見回し、また再度私と視線が絡む。
どうしたのだろう、と足を止めかけた時、私は前のめりに倒れた。
「ひゃっ」
「あ、お嬢様!」
私がレイシスについていく形で歩いていたのに突然止まった為に、腕を引いていた彼のほうに倒れてしまうのを、レイシスが慌てて抱きとめてくれる。
すぐに申し訳なさそうに眉を顰めたレイシスに顔を覗き込まれ、大丈夫だと笑う。
「ごめん、前見てなかった」
「いえ……」
くっと唇を引いたレイシスが、私の手をゆっくりと離していく。
再び後ろを振り返ると、また目が合った王子が視線をフォルへ戻した。
「フォル。話は後にしろ、アーチボルド先生が待ってる」
「え? あ、ああわかった。ごめんローズ。急いでるから」
「あ、フォルセ様……!」
切なそうな声に、伸ばされた細い指先に目を奪われる。
……ローザリア様、やっぱ綺麗だな。きっとフォルがずっといなくて寂しかったんだろうな……。
そう考えた時、私を真っ直ぐに見つめるあの時のフォルの瞳を思い出す。
――アイラ、俺は、アイラが好きだよ。
その言葉が脳内によみがえり、私はぱっと視線を落とした。真っ直ぐにローザリア様を見れずに慌てて視線を戻す。
気配だけで王子達が先に進んでいた私達に追いついた事に気づき、レイシスに促されるままに歩く。
ずっとずっと、フォルはローザリア様が好きなのだと思っていた。あの婚約の話が出てから、だろうか。
それがそうではなかったから……フォルが、私を好きだと言ってくれたから?
そこまで考えて首を傾げる。気まずい、のだろうか。ローザリア様が、フォルのことを好きだと思うから……?
でも、私はちゃんと、告白はお断りしたはずで。何も問題はない筈、だよね?
「フォル」
横にいた筈のガイアスが、少し後ろを歩いていたフォルに向かっていき離れていくのをなんとなく目で追うと、レイシスが私を呼ぶ。
「お嬢様? つきましたよ」
「あ、うん。わあ、今日のメニューもおいしそうだね」
「私このサラダも楽しみですわ」
おねえさまも会話に加わり、わいわいとランチボックスを人数分注文する。私達が来るのはわかっていたようで、いつもの食堂のおじさんが「すぐだよ!」と笑ってくれた。
どことなくそれを遠くに感じながら、ふと視線を感じて顔を上げた。
食堂のそばの中庭に、見知った人影を見つける。
……グラエム先輩?
また一人でいる彼を珍しく思い見つめていると、鋭く視線を向けていた先輩は漸くそこで私に見られていた事に気づいたのか僅かに目を見開き、そしてふっと口角をあげ笑う。
「……先輩?」
私が訝しんで声に出したときには、既にその場に先輩の姿はなく。
「アイラ?」
隣にいたレイシスが不思議そうに私を覗き込むのに首を振って何でもないと答えながら、私は僅かに胸に燻る不安のような焦りのような、わけがわからない感情に苛立ち眉を顰めた。




