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「あ!」

「きゃっ、びっくりした……アイラ、どうしましたの?」

 医療科の教室に入ったところで叫んだ私を、隣にいたおねえさまが驚いた様子で覗き込んでくる。

 私は鞄の中に入れた手を動かしながら、大きくため息を吐いた。

「ごめんなさい、今日使うつもりの薬草、部屋に忘れてきちゃったみたいで」

「え? もしかしてナマド草? 在庫、準備室にあったっけ」

 先に教室にいたトルド様とアニーが、私の言葉が聞こえたらしく隣の準備室に走るのを見て謝罪の言葉をかけながら、もう一度鞄の中を確認する。が、やっぱり目的の薬草が見当たらない。

「部屋の机の上かも……ああ、なんで忘れたんだろう」

「ごめん、ナマド草在庫ないみたいだよ、夏休み前に授業で使っちゃってたみたい。どうする?」

 準備室からひょっこりと顔を出したトルド様が困ったように眉を下げている。ナマド草は少し珍しい薬草なので、期待はできないと思ったがやはり。

「せっかく昨日先生に譲ってもらったものだったのに。ごめん、取ってくるから!」

 慌てて教室を出ようとした私の手が、ぐいっと引っ張られた。

「アイラ待って、僕も行くから」

「……うー、ごめんフォル」

 一人で出るなということだと気づいて、申し訳なさに頭を下げれば、ぽん、と一瞬だけフォルの手が頭に触れた。

「大丈夫。行こう」

 微笑まれて、撫でられた頭に一度だけ手を伸ばした私は慌てて後を追う。

 別に夏休み中なのだから授業に遅刻するというわけではないが、復習の為にと言いつつもせっかくの夏休みに私達の為にトルド様とアニー様は時間を割いてくれているのだから、私のせいで時間を遅らせるのは申し訳ない。

「うう、忘れないようにって机の上に置いたのに」

「逆に忘れちゃう事、あるよね」

 くすくすと笑ったフォルも、私に合わせて速めに足を動かしてくれているようだ。申し訳なくなって顔を見上げた時、その先に見知った姿を見つける。

「あれ? あれって先輩……」

「え?」

 私の声できょとんとした表情をしたフォルが私の視線の先を追い、ああ、と頷く。

 遠くに見えるのは、間違いなくグラエム先輩だ。木陰に座っているのでわかり辛いが、珍しく一人のようでぼんやりと空を見上げている。

 ふと、春のことを思い出す。カルミア先輩との事で噂話の忠告や、ライル・マッテゾルにアニーの件で襲われた時助けてくれたりしていたのに、お礼がなかなかいえなかったのだ。原因はまあ、いつも他の女子生徒と甘い空気だった為に割って入れなかったせいなのであるが。


 もう季節は変わって夏だ。ずいぶん遅すぎるけれど……。


「ごめんフォル、ちょっと待ってて。グラエム先輩にお礼が言いたいの」

「え? アイラ!」

 大丈夫だから、と言って走る。私が駆け寄ったのに気づいたグラエム先輩は一度目を見開いた後、めんどくさそうにため息を吐いた。

「なんだ、おまえか」

「そんな面倒そうに言わないでください」

 視線を逸らされ、むっとしつつも頭を振る。何度も助けてもらったということは、何度も迷惑をかけたということだ。こんな態度を取られるのは私が悪いのかも……いや、本当にそうなのかも。でも、初対面が初対面だし……じゃない、私は今お礼を言いにきたんだった!

「あの」

「何」

「……そんな全力で目を逸らさなくても」

 ふん、と鼻を鳴らされただけで、やはり合わない視線に半ば諦めつつも、深呼吸する。

「あの。春はいろいろ、ありがとうございました」

「……は?」

 お礼もしくは謝罪が遅いせいでこんなに嫌われているの可能性もあるのだろうかと思いかけていたが、私の言葉を聞いたグラエム先輩は視線を私に戻し目を見開いている。どうやらかなり驚いたらしい。

「あの……春に、いろいろ助けて貰ったのでずっとお礼を言いたかったんですけど遅くなっちゃって……私、何か他にもやらかしてました?」

「いや、……礼?」

「はい、お礼です」

 ぽかんとした表情のまま私を見つめていたグラエム先輩は、次の瞬間堪え切れないと言った様子で噴出した。

「ばっかじゃねーの! お礼ってお嬢ちゃん、俺に何されたか覚えてる?」

「だから、お嬢ちゃんって言わないでくださいよ! 歳そんなに変わらないじゃないですか。……で、何かされましたっけ」

「一年前、何されたか覚えてないの?」

 一年前……? 夏の大会のことなら、あれはもう終わったことだ。確かに脅されたりしたけれど、結局この人は最後に私を回復したのだ。何をやりたかったのかは知らないが、何か目的があったのではないだろうか。

 それにそれは別として、とにかく私は春に助けて貰っているのだからお礼を言うのは当然だ。

「別にあれは……」

「甘いね。春にも忠告してやったのに」

 くくっと堪え切れないような笑い声をあげながら、グラエム先輩は面白そうな表情で私を見る。

 なんとなく居心地が悪くて、私はふと頭に浮かんだことをそのまま口にする。

「先輩は、今年の大会どうだったんですか?」

「ああ。何、俺にキョーミある? あそこにいるの、お前の王子様じゃないの?」

「は?」

 あそこ、と言いながらグラエム先輩が視線を向けた相手は、心配そうにこちらを見るフォルだ。距離はそこまで離れていないが、声は聞こえていないかもしれない。

 お前の王子様、という言い回しが、つまり私の恋人ではないのかという意味だろうかと自信なく考えて、首を振る。

「何を言っているんですか? フォルは……」

「王子様だろ、血筋的にも」

「いや、まあそうでしょうけどそれは微妙な問題のような……」

 フォルの父親、ジェントリー公爵が王弟なのは隠していない事実なのだが、最近ルブラのせいでフォルの立場も絡んだ妙な事件に絡まれるせいか肯定できずに視線をグラエム先輩に戻すと、楽しげに細められた瞳がこちらをじっと見ている。

「それとも何? いまだにお前、あいつの気持ちに気づいてないの?」

「はい?」

 にやにやとした笑みに、ああ、と気づく。彼はフォルの気持ちを言っているのだろう。……告白、されたんだから、今更それは違うと言うつもりはないけれど。

「先輩、やっぱ性格悪い」

「ずいぶん遠慮なく言ってくれるじゃん」

「私は、お礼に来たんです!」

 楽しげに返されてついむっとして言い返し、慌てて口を手で覆う。

「ってこれはお礼言いに来た態度じゃないですよね、すみませ……」

 言いかけたところで、くるりと視界が反転する。

 背中に軽い衝撃。風に揺れる葉、雲ひとつない青空の中で、黒髪を揺らして金の目が私を見下ろす。

 は? と目を見開いた私のすぐ前に、綺麗な金の瞳が近づいた。

「お子様アイラちゃん? お礼って言うのはこーすんの。いっつも見てたよな? 春頃俺の周りちょろちょろしてただろ」

「なっ、私はお礼を言おうと……っていうか気づいてたんですか!」

 近づいて来るグラエム先輩の肩に手をかけ押し返していると、ばたばたと足音が近づいてくる。見なくてもわかる。フォルだろう。

「アイラ! グラエム先輩、何をしているんですか!」

「残念、王子様が来ちゃった」

 私の耳元に唇を寄せるとグラエム先輩はそう囁いて、離れていく。その瞬間別な腕が伸びて私は引っ張り起こされた。

 ふわりとかすかに香るのは、あの香水だ。

「先輩、いくらなんでもやりすぎ……」

「じゃーそのお転婆なお前のお姫様、ちゃんと捕まえとけよ、ジェントリーの坊ちゃん」

 グラエム先輩の声を聞いている途中で、私はフォルが急に身体を起こしたことで再び地面に転がった。低い位置からだが地面にごろりと落とされた衝撃で一度目を閉じてしまい、恐々と目を開けると、フォルがグラエム先輩に腕を引っ張りあげられているのが視界に飛び込んでくる。

「フォル!」

 驚いて見上げた先で、グラエム先輩がフォルの耳元に一度顔を寄せると、ぱっと手を離す。

「じゃーね、お嬢ちゃん」

 にやりと私に笑みを向けるとさっさと背を向けて歩き出したグラエム先輩は、途中で風歩を使いすぐに姿が見えなくなってしまった。

「……だから、歳近いのにお嬢ちゃんって……」

 わけもわからず混乱した頭でとりあえず文句を言いつつ、身体を起こす。すると、はっとした表情でフォルが慌てて私に手を伸ばしてくれた。

「ごめんアイラ。大丈夫?」

「フォルは悪くないよ。ごめん心配かけちゃった」

「……ううん」

 なんだか心ここにあらずと言った様子のフォルを見て、顔を覗き込む。僅かに寄せられた眉を見て、少し不安になる。

「フォル? グラエム先輩、何を言っていたの?」

「あ、ううん。皆待っているし行こうか」

「あ! ごめん急いでたのに!」

 慌てて二人で走り出す。お礼をちゃんと言えたような、言えていないような……と微妙な気持ちになりつつも、なんだかグラエム先輩らしいなぁ、と少しだけ笑った。次同じことがあったら、遠慮なく魔法使うかもしれないけど。



 フォルに屋敷の入り口で待っていてもらい部屋に戻ると、アルくんが猫の姿で机の上をうろうろとしていた。

 私を見るとほっとした様子で、「よかった!」と叫んだアルくんを見て目を丸くする。ガイアスと話して、アルくんを待とうと決めてから数日経ったが、こうしてきちんと話しかけられたのはひどく久しぶりな気がした。

『忘れ物どうやって届けようか悩んでたんだ。これ忘れないように机に置いてたんでしょう?』

「うん、そうなんだ。朝慌ててたから、忘れちゃった」

 笑えば、笑い声が返される。ほっとして薬草を手に取り、部屋を出る前に一度振り返る。

「いってきます、アルくん!」

『いってらっしゃい、アイラ』

 ゆっくりと揺れる尻尾を見ながら、私は嬉しくなって手を振って部屋を出た。


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