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「アイラ、何かあった?」

 ひょい、と顔を覗き込まれて思わず悲鳴をあげかけたが、ふわりと口に手のひらを被せられてなんとか堪える。昼食後の穏やかな空気の中、一人外でぼんやりとしていたのだから驚いたのは当然だと思うけれど。


「しー、わざわざ離れて来たのに。珍しいな、お前が休憩時間にラチナと一緒にいないの」

「ガイアス」

 口元に人差し指を立てたガイアスは私が声を潜めたのを確認すると、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。

「……心配かけちゃった?」

「まー、たぶんレイシスも気づいてると思うけど。昨日の朝からなんか考え込んでただろ?」

 素直に話されるガイアスの言葉に、気を使わせてしまったと申し訳なくなり視線を落とす。

 アルくんに話をしようとしたのは一昨日の夜。それから、ちらちらと姿は見るのに私が何か話そうとすると出かけてしまうのだ。

 それが気になって昨日もトルド様に薬草を見せに出た先で何もないところで転んだり、薬作りで誤って毒草を使おうとしたりとありえないミスを連発しておねえさまとフォル、アニーにも心配をかけてしまった。

 皆には疲れてるんだ、って言って早く帰らせてもらったけど……それ以降もまったくアルくんと話ができないのは、さすがにダメージが大きかったらしい。

 ふう、と知らず知らずのうちにまたため息を吐いていると、こつんとおでこに何かがぶつかった。

「おいこら、俺がいるの忘れてるだろ」

「あ……ううん、忘れてはないよガイアス」

「はいはい。で、どうしたんだよ」

 隣に腰掛けたガイアスがそういいながら空を仰ぐ。言いあぐねていると、いい天気だなー、とのんびりした声が聞こえてきた。

「暑いけど。ラーク領は涼しかったな」

「うん。雪山は寒かったけどね」

「そういえばアイラ雪山に飛ばされたんだもんな。無事でよかったよほんと」

 からからと笑うガイアスにつられて、笑みが浮かぶ。そんな私をちらりと見たガイアスは、よっ、と声を上げて勢いよく立ち上がった。

「無理に話せとは言わないけどさ。いくら学園の中だからって、屋敷の外は危ないから一人で出るなよ」

「……あ、そうか。ごめん、ガイアス」

 私が今いるのは、屋敷の裏だ。屋敷の壁に背を預けて座り込んでいたところにガイアスが……

「あれ、ガイアスよくここわかったね」

「ん? ああ、レイシスと探してたんだけど、アルが教えてくれた」

「……アルくんが?」

「ん、そうだけど……」

 そこで言葉を切ったガイアスは、私を覗き込むように見た後に小さく息を吐く。

「なるほどね。アルになんか言われた?」

「えっ! ち、違うよ」

「じゃ、逆か」

「ガイアス……。昔からすごかったけど、最近やたらと野生の勘とやらが働いてるんじゃない?」

「ははっ! そうかも。いや、アイラはトクベツわかりやすいと思うけどな。フォルも心配してたぞ」

「……そっか」

 がっくりと項垂れて、頬に手を当てる。周りに心配をかけているということは、アルくんも気づいているはずだ。

 ふと、なんでアルくんは話したがらないのだろう、という疑問が浮かぶ。

 ガイアスの話を聞くに、恐らくアルくんは私が一人でいるのを見てた。……心配して教えてくれたんだ。

 じゃあ、なんで話をしたがらないのか。……話したく、ないんだ。私が何を話そうとしているかわかるから。

「ずるいな……それじゃ、にいさまだって言ってるようなものじゃない」

 私の呟くような小さな声が聞こえたのだろうガイアスが、ぴたりと動きを一度止めた後、ゆっくりと私の頭に手を伸ばす。

 くしゃくしゃと撫でられて、俯いたままガイアスの胸の辺りに視線を落とす。

 しばらく制服を着ていなかったせいか懐かしく感じる特殊科の証であるバッジを見ながら、そっと顔を上げた。

「ガイアスは、話せた……?」

「いや。……なんか、どうすればいいかわかんねーな」

「そ、だよね」

 しばらく二人でその場で黙り込む。そよそよと僅かに肌をくすぐる風もやはり最近まで感じていたものとは違い、こんなことでも学園に帰ってきたのだなと感じる。

「……俺もさ」

「うん?」

「何回も思ったんだよ。アルと話せたらって」

 ガイアスはそこで言葉を切ると、珍しい表情を見せる。

「アイラが旅先で気を失ったとき、アルが合流しただろ? あの時話そうとしたんだ。けど、「アイラが起きてからでいいだろ」って言われてさ。でもそれからも、後にしてほしいとしか言われなかった」

 だんだんとガイアスの声が、僅かに震えだす。最近背も伸びたせいか、少し大人びたガイアスにおいていかれたようになっていた私はその姿に目を見張る。

 子供の時、デラクエルで学ぶ大人達に負けて悔しい思いをしたガイアスが、強気に「次は負けない」と言っていた、あの時と同じ表情に、息をのみこむ。

「俺何度も兄貴って呼んだんだ。一度も否定はされなかった。けど、その後は確実に避けられた。……話せねーよ、あんな兄貴見たら」

「ガイアス」

「レイシスだってそうだ。何度もアルを気にして、結局……。そのうち、逆にこっちが聞くの怖くなった。どうしたら、いいんだろうな、ほんと」

 苦笑したガイアスが、少し乱暴に私の頭を撫で回す。


 私……自分だけこんな気持ちになっているつもりでいて。最低だ。


「待とう、か」

「え?」

 ぽつりと小さく声を出せば、ガイアスがきょとんと私の顔を覗き込む。

「待とうか。アルくんが話したくなるまで。後でって言ったってことは、きっといつか話してくれるんだよね」

「え……」

「だってにいさまだもん。絶対約束守ってくれる」

 ね? と、笑うことはできなかったがガイアスを見上げれば、ガイアスは目を見開いたまま私を見下ろす。

 私だけこうして心配かけてごめん、と言う言葉が出そうになったけれど、止める。

 逆に、恥ずかしくなった。ガイアスもレイシスも、私にそんな素振りは見せなかったから。たった二日で私は二人に心配をかけてしまっていたというのに。私だけ……私だけ特別つらいとでも思っていたのだろうか。

「そうだよな。……あの兄貴だもんな」

「そうだよ。……焦りすぎちゃった」

「ははっ!」

 ガイアスが笑って、私の手を引く。

「戻ろう。レイシスも心配してる」

 手を引かれて歩きながら空を見る。

 ふわりと飛ぶ光を見て、私は唇を引き結んだ。



「はあ」

 フォルとおねえさまと一緒に医療科の授業の遅れを取り戻すために勉強漬けだった午後を終え、食事が終わると早々に部屋に戻った私に笑顔を向けてくれていたガイアスとレイシスを思い出す。本当はもう少し皆のところにいたほうがよかったかもしれないが、今日だけは。

「私……」

 部屋を見回すが、グリモワの精霊以外にこの部屋に精霊の姿はない。アルくんはまだ外にいるのだろうか。そう考えながらベッドに腰掛けたとき、手の甲やスカートに、一気にぼたぼたと雫が落ちる。

 泣いたって意味ないのに。

 気づかない振りをしてくれているのか静かなグリモワの精霊を視界の端にとらえながら、ぐっと手を握る。

 ガイアスやレイシスは、同じ思いをしていたのに私に気づかせないようにしてたのに。ガイアスもレイシスも、私をずっと気遣ってくれていた。

 私は、皆よりずっと「経験」があるはずなのに。

「一番子供だ……私」

 ぐっと手の甲で目元を拭い、すぐにシャワーを浴びる為に立ち上がる。アルくんに見られては意味がない。

 ざあっと勢いよく噴出すお湯は、今は上手く魔力によって調整されている為に熱過ぎる事もぬる過ぎる事もなく、私の頬を伝っていく。

 学園に帰ってきてからだけじゃない。旅の間も、私は迷惑をかけっぱなしだったと思う。甘えすぎだ、と自身を責め、そうじゃないと首を振る。

「気づいたなら……なおさなくちゃ」

 もやもやとした感情をどう制御すればいいのかわからず見つめた先で、私の身体を伝い落ちた水が流れていく。ふと、昔のことを思い出した。



「アイラ。水の魔法はね、こうして流れていく水や、降り注ぐ雨を想像するといいよ」

「わかりました、サフィルにいさま」

 幼い頃、まだ簡単な魔法すら使いこなせなかった時、失敗を繰り返していた私に水魔法の使い方を教えてくれたのはにいさまだった。

「アイラは植物の友達だ。水は彼らの命だから、きっと上手くなるよ」

「うん!」

 今の今まで忘れていたような遠い記憶がまるで今のことのように思い出されて、思わず懐かしさに笑みが浮かぶ。

 にいさまのおかげで水魔法はすごく上達がはやくて。でもその代わり火が上手く使えなくて、それで……いつだったか指先で小さな爆発を起こしかけた事があって、その時もサフィルにいさまが助けてくれて……。

「アイラ、――――、ね」

 ふと、笑顔のサフィルにいさまが浮かぶのに、その時の言葉が思い出せず顔を上げる。

 なんだっけ……何か、言ってたんだけど。

 そう思ってしばらく思い出そうと悩んでみるものの、浮かんでくるのはあの時の笑顔だけだった。


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