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窓から入る日の光をぼんやりと見つめながら、揺れる馬車に身を預けてぼんやりと皆の話を聞く。
話題は今年の夏の大会についてだ。王都から迎えに来てくれた騎士達の話で、どうやらファレンジさんが優勝したらしい、と聞いた。他にも二日目の試合まで残った人の話を聞いて盛り上がっているのだが、私は思考がどうもまとまらず、酔ったかも、と一人外を見ている。
あの戦いの後、無事に次の町で王都からの騎士と合流し、私達の道中は非常に安定したものとなった。イセンさんたちとその場で挨拶もそこそこに別れてしまったのは少し残念だが、心配していた山や深い森などの地形も、こう何度も襲われていては忍んで移動する意味がないと隠さず護衛がつけられたことで逆に安定し、話に聞いたところあと四日で王都にはたどり着くらしい。イセンさんはルセナをだいぶ気にしていたようだがそれを態度に上手く表すことができず、微妙な別れになってしまった気がする。
捕まえたルブラの男は、一緒に連行するのは危ないと先に王都に運ばれた。それと……ミルちゃんも、だ。
ルセナが必死に止め、イセンさんや王子も口添えしていたようだが、王都から来た騎士はミルちゃんを敵と認定したのだ。もう何日もルセナの笑った顔を見ていない気がする。
「アイラ」
小さく声をかけられてはっと外に向けていた視線を戻すと、隣にいたおねえさまがどこか困ったように微笑んでいた。
「これ、気分がさっぱりするそうですわ」
渡された小さな包みを開けてみる。ころりと手のひらの上で転がる、薄い蜂蜜色。
「……飴?」
「みたいですわね。……フォルからですわ」
え、と後ろを覗き込むが、皆と話すフォルと視線が交わることはない。
再び手のひらに視線を移すと、おねえさまは苦笑して顔を近づけ、小さな声で内緒話をするように囁く。
「自分で渡せばよろしいのに、何を気にしているのか。……レイシスと何かあったのかしら」
「え? レイシス?」
話がわからず首を傾げると、おねえさまはまた小さく笑ってほらと飴を勧める。もう一度その蜂蜜色を見つめた後、口に含むとふわりと広がるさっぱりとした柑橘系の味に、どこかほっとした。
「おいしい」
「よかったですわ。……アイラ、大丈夫?」
心配そうな表情をしたおねえさまに、もちろんと笑顔を返す。
私は、少し疲れているだけだ。私なんかより、よっぽどルセナのほうが元気がない。
ちらりと膝の上に目を落とす。こちらもまた疲れているのか私の膝の上ですやすやと丸くなって眠るアルくんも、どこかここ最近元気がないように思う。
もう王都まであと少し。ここ数日は穏やかな移動が続いているのに、それまでが濃厚すぎる日々が続いたせいか反動のように疲労が抜けない。……考えることが多すぎるのかもしれない。
「もう夏休みに入っていますわ。……帰ったら、ゆっくり休みたいですわね、あのお屋敷で」
ふふ、と笑うおねえさまにつられて、笑みを返す。屋敷のことを思い出すと、ほっと心が温まるような気がした。もうすぐ、またいつもの日常に戻るのだ。
「夏休み、テスト受けてない分補習があったりして」
「え、アイラやめてくださいませ、そんな不吉な予言」
くすくすと笑いながらも、補習があってもいいな、とどこかで考える。……皆とまた学園にいられるなら、それもいいんじゃないか。
そんなことを話していると、お昼の時間なのかゆっくりと馬車が停止した。
ちらりと外を見ると、少し開けた土地のようだ。ここで一度食事をとるのだろうと、皆が少しざわめく。
「昼だー! 飯ー!」
ガイアスが嬉々として飛び出していくのに、レイシスたちが続く。フォルがルセナに付き添って外に出て行くのを見ながら、私もアルくんを抱き上げる。
外に出ると窓から差し込む日の光より強い日差しに、思わずくらりと視界が揺れた。
「アイラ」
小さく名前を呼ばれると、腕を支えられた。眩しさに目を細めていると、腕の中のアルくんが伸ばされた手に抱き上げられ連れて行かれる。
「レイシス」
「大丈夫ですか?」
「うん、眩しかっただけ」
ありがとう、と顔を上げると、視界の先で少し眉を寄せた表情をしたフォルが見えた。が、すぐに視線が逸らされて背を向けられ、フォルはルセナを支えたまま騎士達の集まる方へと遠ざかっていく。
きらきらと日の光を反射する銀の髪をなんとなく見ていると、レイシスが首を傾げた。
「アイラ? 行きましょう」
「あ、うん」
目が慣れたところでレイシスに続き、皆の後を追う。王都が近づくにつれ、日差しがきつくなった気がする。そんな事を考えながら空を見上げた。
「おいしかったー」
ガイアスが満足気な声を出して立ち上がると、ぶんぶんと腕を振る。
馬車の移動は身体が鈍るとガイアスたちは食後によく運動しているようだ。……食べてすぐ動くのは無理だとぼんやりといつもそれを眺めている私は、座ったままごそごそとポーチをあさり薬を確かめる。
もはやクセのようになっているが、あいた時間はこうして薬を確認したり珍しい薬草を摘んではビンに詰めたりして、少しずつ頭を切り替えている。戻ったときに医療科の授業内容を忘れてしまったとなれば問題なので、復習も忘れない。
昨日新しく採取したばかりの植物の根の状態を確認していると、ふっと前が翳った。
「アイラ」
落とされる声は相変わらず透き通るような、それでいて柔らかい声だ。それでもだいぶ低くなったな、と考えながら顔をあげると、予想通りの銀糸のような髪が揺れる。
「フォル、どうしたの?」
「昨日珍しいって言って植物採取してたでしょう。ちょっと見せてもらってもいい? 昨日町の本屋で買った辞典に載ってる植物かも」
「え、本当? 私も見たい」
魅力的な話題につい喰らいつきながらも、先ほど目を逸らされた気がしたのは気のせいだったかな、とどこかほっとしてフォルが隣に座るのを感じながら手に持っていた小瓶を持ち上げる。
「ほら、このページのこの植物、葉の形とか根の特徴とか一緒だと思うんだけど……」
「あ、本当だ。写真みたいに花は咲いてないけれど、もしかして咲く前の摘んできちゃったかな」
二人で一冊の本を覗き込みながら、ビンの中の植物を観察する。本を見ると、どうやら花の蜜に毒があるようなことが書いてある。
「……毒草か。薬としては使い道なさそうだなあ」
「指先の痺れなどが症状って書いてるね。……アイラ大丈夫だった?」
「うん、たぶん花の蜜を体内に摂取したら危ないとかじゃないかなぁ」
そんな会話をしつつ、少し残念に思いながらポーチに植物を入れたビンを戻す。もちろん毒草だって立派な研究対象だし、その毒に対する解毒の研究にだって使えるが、何かの薬になればいいなと思っていただけに少し残念、とポーチを整頓していると、フォルがふと名前を呼んだ。
「アイラ、それ……大事なもの、なの?」
「え?」
フォルが指差すものを辿って、はっとする。ポーチの中にあるフォルの視線がそそがれているハンカチに包まれたもの。それはフォルが選んでくれた香水だ。
「これは、その……そうなんだ」
一瞬言葉に詰まりかけたが、なんとか頷く。まさか本人にもらった香水をハンカチでぐるぐる巻きにしてリボンで止めたものを見られるとは……いや、普通に「割れないように」とでも誤魔化せばよかったのか。私がこうした目的なんて、話さなければばれるわけないのに……
隠した理由がなんだか後ろめたく感じるせいか、一人焦る頭でぐるぐると考えていると、しばらく私の言葉に続きがあるのかと待っていたらしいフォルは「そっか」とだけ呟いて指先を下ろす。
それを見てどこかほっとして、私は慌ててポーチを閉じる。
香水は、あの日フォルとレイシスに気持ちを伝えた後、落ち着くまで使わないと決めた。だがそんなのは自己満足で、あえてフォルに話すことができない。なんだかもやもやとした気持ちがせりあがってくるように感じて、私はポーチを腰へと戻す。
ふと、どうして、という考えが頭に浮かぶ。……どうして私は、香水を使ってはいけない、と思ったのだろう。わかっていたようで、疑問が沸くと答えが上手く掴めない。
「それ、よっぽど大切なものなんだね」
考え込みそうになったとき、そんなフォルの言葉が聞こえて顔を上げる。
「え……?」
「アイラ、あの時……怪我した時、それを拾おうとしてたでしょう。だから」
フォルに言われてはっとして、私は思わず目を泳がせてしまった。
ルブラの男と戦ったとき、はずみでポーチから飛び出したそれに手を伸ばして私は怪我をしたのだと、漸く気づく。
「それは……っ」
「レイシスに、もらったもの……?」
思わず否定しかけたとき重なるように告げられたフォルの言葉に、思わずぽかんとフォルを見上げる。
「……へ?」
「その……ごめん。アイラの気持ちはわかってるけどその……前にアイラ、レイシスと……」
フォルが小さな声で何かを言いかけ、しかしすぐに首を振る。
「……何言ってるんだ俺は……何か最低だこれ」
ぼそっと呟かれた言葉に、少し驚いてフォルを見上げる。フォルが「俺」と自分の事を呼ぶのが珍しくて口を開きかけた瞬間、耳に届いたアルくんの叫び声に私は咄嗟に手を伸ばす。
「フォル!!」
伸ばした手をフォルの首に回して抱き込み、もう片方の手を振り上げてグリモワを飛ばす。次の瞬間、フォルの背後から飛び出してきた何かは私のグリモワに大きく弾き飛ばされる。
「え!?」
「アイラ!!」
混乱したフォルの声と、状況に気づいたガイアスが叫ぶ声が聞こえるが、私は自分のグリモワを攻撃の為に再び振り上げた時、飛び出してきたものの正体に気づいて思わずその手を止める。
「敵か!?」
「待ってガイアス!」
剣を抜いて飛び込んできたガイアスを慌てて止めると、頭を僅かに動かしたフォルがうずくまるものの正体に気づいて、驚いたような声をあげる。
「……えっ、彼女って」
「ベリアじゃん!」
ガイアスの叫び声に、王子たちが駆け寄ってくる。すると、うずくまっていた人間……やはり、見覚えのある少女がむくりと頭を起こした。
「ひどいですーアイラ先輩! 問答無用でふっ飛ばさなくてもいいじゃないですかぁー」
「ご、ごめんなさいベリア様、フォルに真っ直ぐ向かってきたから、敵かと思わず……」
「まー、いいです! 漸く会えましたし! ああ、遠かった! 先輩方、お迎えに上がりました!」
にっこりと笑うベリア様がにこにこと身体を起こす。騎士達がどうしたらいいのかと戸惑い、王子が事情を説明しているのを聞きながらふっと気になる言葉に顔を上げる。
が、私が質問する前にベリア様はにこにこと皆を見回すと、騎士を見て目を丸くした。
「あら、あららー? 私が最初に合流できると思ったのに……ところでここはどこですか? 私ずーっと歩いていたので、もう隣国に入っちゃうんじゃないかと思いましたよ」
「え? もうすぐ王都に入ると聞きましたから、ここは確か……」
説明しようとしたおねえさまの言葉を聞いた瞬間、ベリア様は目を丸くする。
「え、王都の近く!? 私、まっすぐ南に向かったはずなのに」
「……どんな道歩いたらそうなるんだ? ベリアがいなくなったって聞いたの、半月近く前じゃないっけ」
ガイアスが呆れた声を出し、剣を仕舞う。張り詰めていた空気が消えていくのを感じたとき、私は自分のあごの下辺りで揺れる銀糸にふと気づいた。
「……アイラ、そろそろその、離して……」
「わっごめんフォル!」
突然のベリア様の登場に焦っていた私は、抱きこんでいたフォルの頭をわたわたと解放したのだった。




