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ルブラが絡んでくる辺りは戦闘描写や怪我などが普段より過激ですので、苦手な方はご注意ください。
「ルセナ、逃げて!」
なぜかグーラーをけしかけているはずのミルちゃんがそう叫んで腕を振り上げ、再び勢いを増したグーラーたちが隊列に飛び込んでくる。
「ミル! これはどういうことか、俺を恨んでのことか!?」
叫び声にそちらに注目すると、剣を構え、しかしなるべくグーラーたちを傷つけないように刃の先に気をつけながら戦い、ミルちゃんを呼び止めるイセンさんの姿が視界に飛び込んでくる。
ミルちゃんはイセンさんの姿を認めると、僅かに表情を変えたもののふるふると首を振った。その表情は蒼白だ。
「お願い逃げて! 私は、私は……そっちのおにーちゃんたちに用事があるの!」
そっち、と見られた方角にいる王子が、大きく剣を振るってグーラーを弾き飛ばすと風歩で数歩下がった。
「たち、ってことは、俺以外に最低もう一人かっ」
小さく呟いた王子は、さりげなく私とフォルを庇うような位置に立つ。それを見たルセナとレイシスは、さらにその前に立って防御魔法を展開し始めた。可能性が高いのはやはり、私か、フォルか!
「下がってください、お嬢様、フォル、デュークもです」
「みんな……ミルおねえちゃんは、僕が話をするから……っ」
レイシスが手を伸ばし庇うような動作をする横で、ルセナが涙目で、しかししっかりと前を見て力の入った声を出す。
だが、ミルちゃんはルセナに逃げろ、と言っていた。
こんなことしたいわけじゃないんじゃないだろうか……? あの信号魔法を使った騎士もミルちゃんも、何かおかし……
「うあっ」
飛び込んできたグーラーをレイシスが風の魔法で吹き飛ばし、ほっとしたところですぐ「ぼーっとするな!」と王子に一喝されて慌てて考え込むのをやめる。
すぐさま腰から取り出したグリモワを大きくし、広げて飛び掛るグーラーを弾き飛ばしてはミルちゃんの位置を確認する。
おねえさまと私で水の蛇を使いあの裏切り者らしき騎士は拘束しているが、問題は「他に敵はいないのか」である。
一人騎士の中に敵が混じっているとなれば、他の皆は大丈夫、ではないのだ。
「ラチナ、アイラ、おかしな動きをしているやつは容赦なく拘束して構わん」
「了解しました」
「はい」
王子の小さな声の指示を拾い、二人で小さく頷く。
戦いにくい。仲間なのかそうでないのかわからないというのは、精神的にもこんなに来るものなのか。普段は特殊科の七人とアルくん、もしくは先生とで行動することが多いせいか、慣れない戦いに思わず目を眇める。
「おねーちゃん! お願い、グーラーを止めて!」
ルセナが叫べば、泣きそうに顔を歪めたミルちゃんは首を振ってまた手を上げる。
騎士にグーラーがやられるたびに悲痛な声を上げ、次第にミルちゃんはぼたぼたと涙を流し始めた。視界が悪いのかふらつくが、それでも、攻撃の手が止まない。
一匹、また一匹と減っていくグーラーに、とうとうミルちゃんは地面に手をついた。
「うああっ……!」
「おねえちゃん!」
飛び出しかけたルセナを慌ててレイシスの腕が止め、それをちらりと確認したイセンさんが走る。
「ミル! グーラーを止めろ! これ以上は無意味だ!」
イセンさんが叫ぶが、ミルちゃんが特に動かずともグーラーはミルちゃんの様子に気づくと人間を警戒したままずるずると下がり始め、ミルちゃんを囲うように残りの数匹が一箇所に集まった。
攻撃が止んだ事で、騎士達がばたばたと走り出す。特に隊長は私たちのそばに駆け寄り、王子を気にしている様子を見せた。身分を聞いているのかもしれない、と考えつつミルちゃんを見ていると、ふと横から話しかけられる。
「こちらで代わりますので、蛇を解いてもらって貰っても大丈夫です」
騎士の一人がいつの間にか横に並び、そう促してくる。
その言葉に頷きかけたおねえさまの腕に手を乗せる。
かなり失礼ではあろうが、ふるふると首を振る私を見てはっとした表情をしたおねえさまは一歩下がった。
「悪いがこちらで拘束させてもらう」
「しかし」
「いいから、下がれ!」
王子の言葉に騎士が渋ったが、すぐそばにいた隊長に止められ視線を動かした騎士はそのまま無言で下がった。
「おねえちゃん!」
私たちの中では一番前に出ていたガイアスのそばまで、全員で周囲を警戒しながらじりじりと進めば、ルセナがミルちゃんに向かって聞いているこちらの胸が苦しくなるような声を出す。こちらに駆け寄っていたイセンさんがその様子を見て、足を止めた。
「おねえちゃん、どうして、こんなこと!」
「逃げ、逃げてルセナ。お願いルセナ。駄目なの、来るの。私はルブラから逃げたんじゃないの」
「え……?」
戸惑って歩み寄ろうとした足を止めたルセナの前に、剣を手にしたままのガイアスが立つ。混乱したルセナを、再びこちらに足を向けたイセンさんが手を引いて戻した。
「逃げたんじゃないってどういうことだ」
ガイアスの鋭い声に、ひっと息をのんだミルちゃんを見てグーラーたちが唸る。しかしその中の一匹にしがみ付いて震えながら止めたミルちゃんは、ぼたぼたと涙を零しながら掠れた叫び声をあげた。
「私は、ルブラの位置を把握されているの! ルセナの仲間と合流しろって! そうしないと、ママが、ママが殺されちゃう……っ!」
「なっ」
ミルちゃんの告白に誰しもが息をのんだ、その時。
「キャウン!」
やけに乾いた、軽い爆発音のすぐ後にグーラーの鳴き声が響く。
目を見開いたミルちゃんが弾けたように飛んだグーラーの身体を抱きとめた時、そのグーラーの身体に大きな穴が開いているのが見えて、愕然としまるで時が止まったかのようにその光景が目に焼きついた。
「フェアリーガーディアン!」
膜が周囲にあるような、鈍い音に混じってルセナの声が遠くで聞こえ、ひどい耳鳴りに無意識に両手を耳に当てた時、生み出していた水の蛇の異変に気づく。
振り返った先で赤い雨が降った。見る見るうちに私とおねえさまの蛇は弾け、赤い雨に混じって地面へと降り注ぐ。
拘束していたはずの男は、身体の一部がない。
思わず耳を覆っていた手を離し、そちらに向かいかけたが、それを止めたのは仲間ではなかった。
「おしゃべりですねぇ、ミルは」
ねっとりと絡みつくような声に、漸く私はそこでこの場に現れた、先ほどまではいなかったはずの人物に気づき、無意識に足が止まる。
顔をあげて見た時、ミルちゃんの後方からひょろりとした男が現れた。
にやにやと口の端を持ち上げ笑う、眼鏡をかけた若い男。どこかで見たような気がする、と考えたとき、その特徴的な服に気づいた。
胸の辺りにある鳥、蛇の模様。
「ルブラ……」
間違いない。そう確信したとき、私はその男と目が合った。
「ああ、お初にお目にかかります。……弟は元気でしょうか? まあ、記憶は消しましたけどね、まったく愚弟が世話になりました。殺してくれて構わないのですがね」
「は……弟……?」
勝手に語られる内容を理解できずに混乱していると、ふっと目の前で話す男の姿に、以前、アドリくんの村を滅ぼしたあの男の姿がだぶって見えた。
「まさかお前……あの時のルブラの男の」
同じ事を考えたらしいガイアスがそう呟いたとき、男は眼鏡のブリッジを右手の中指で押し上げると、その手の隙間から視線をこちらに投げかけてにやりとまた笑う。
「愚弟とは一緒にしないでくださいね。改めまして、ルブラの研究員の一人、そうですね、オウルとでも名乗っておきましょうか。……さて、単刀直入に申し上げます。第一王子と公爵子息、それに……ベルティーニのお姫様は私と共に来ていただきましょうか」
「はいそうですか、と言うとでも思ってんのか?」
剣を手にしたガイアスが、私たちを守るように移動する。足に、暖かな存在がまるで守るかのようにぴたりとくっついた。アルくんだ。
「そうですか。ですが、言うことを聞いたほうが身の為かと。本当はお姫様は予定になかったんですがね……ああ、そこの」
ふっと顔をあげたオウルと名乗った男が、私たちの斜め後ろを指差した。
その瞬間、ひっと息をのんだような声が聞こえる。振り返った先に、先ほど私が騎士の受け渡しを拒否した男がいた。
わけがわからず視線を戻した時、オウルが一瞬妙な動きをする。……そして。
どしゃっと何かが崩れる音。慌てて振り返ったとき、先ほどオウルに指差されていたあの騎士の男が、ゆっくりと倒れた。不自然に、下半身だけ。
「ひっ」
ルセナが悲鳴に近い声を上げる。思い起こされるのは、アドリくんの村。記憶に残る、カゼロさんの死。
騎士達が一気にざわめき、周囲に殺意にも似た張り詰めた空気が満ちる。
「さあ、次はどなたにしましょうか」
楽しげな声は、どこか場違いに私たちの耳に届いた。




