188.ガイアス・デラクエル
「あちゃー」
思わずもれた声に慌てて口を塞ぐが、俺の前で固まっているやつはそれすら気づいていないらしい。
「おーい。おーい、フォルー大丈夫かー?」
前に回ってぱたぱたと手を目の前で振ってみるが、古典的なこの方法をやったところでフォルは瞬きひとつしない。これは大ダメージらしい。
とりあえず引っ張っていくか。
そう考えてちらりと窓から部屋でまだうずくまっているらしい弟を確認しつつ、そっとフォルをひっぱる。アイラは真っ赤な顔で出て行ったが、アルが走っていったのが見えたから大丈夫だろう。
よたよたとした足で呆然とついてくるフォルを見て苦笑しながら窓から見えない位置まで移動し、まあ座れとたまたまそばにあったベンチを指差せばフォルはおとなしくそこに腰掛ける。
「まーあれだ。あのレイシスの様子を見るに、あれは事故だ事故。たぶんこけてああなったんだろ」
剣の稽古の最中に、急に宿の奥のほうを見つめたフォルを不思議に思って近づいたところで、フォルが「アイラの腕」と急に呟くのでなにかと思って様子を伺えば俺たちの部屋にアイラがいた。もしかしたら、窓を閉めようと窓から手を出したアイラの腕でも見たのだろうか。
レイシスが寝ていたのかブランケットをかけたアイラの身体が沈んだ瞬間フォルが石化魔法でもくらったかのように固まり、そこから視線を離さなくなった時点で無理やりでも連れ出せばよかったんだが。
「抱き寄せて……キス、してた」
「いや、キスはぶつかっただけだと思うぞ……たぶん、うん」
呆然と呟くフォルに慰めにならない言葉を返す。あれはどう見ても確かにキスしちゃってたかなー……抱き寄せたのはたぶん寝惚けたで言い訳できるけど、あれはなー……。
アイラがかけたブランケットに手をついたらしいレイシスは、自分の身体にかかっていたブランケットを自ら引っ張る形になってしまい起き上がりきれずに、まるでアイラを押し倒したような体勢で顔を合わせてしまっていた。そんな小説みたいなこと、と思ったが目の前で起きたものをフォルが見てしまったのは事実。しかもしっかり位置的にはキスしたような角度だったし。
うーんとどう慰めるべきか唸っていると、ベンチに座っていたフォルが俺を見上げていた事に気づく。
「……なんで、慰めてくれるの? ガイアス」
そう聞かれるが、質問の要領を得ず首を捻れば、フォルは表情を崩して笑った。
「だって、双子の弟の応援じゃなくてライバルを慰めるって」
「ああなんだ、そういうことか」
笑えば、興味深そうに見上げてくる目が答えを求めていて、苦笑した。
「そんなの、アイラが現状お前を嫌ってないからに決まってるだろ」
「アイラが……」
「そ。アイラがお前を疎ましく思ってるなら全力で排除させてもらうけどな。そうじゃないのに俺個人の感情で邪魔してどうすんだ、アイラが選ぶ事だろ? それにレイシスは弟だけど、お前は俺の友人だろ」
「……それは確かに正論だけど」
納得しきれていないフォルが苦笑し、息を吐きながら背もたれに背を預けるのを見ながら、俺もその隣に腰掛ける。
「確かにレイシスは弟だから頑張って欲しいと思ってるし、アイラの父親なんて俺かレイシスのどっちかとアイラが結婚してくれればいいと思ってるのは事実だけどな。それを言うなら王子はどちらかといえばお前を応援している節があるし、俺だって友人としてフォルを見捨てたいわけじゃない」
「ちょっと待って、ベルティーニ子爵的には結婚候補、レイシスはわかるけど、ガイアス、君も?」
「そーだよ。俺かレイシス、どっちかの嫁になればアイラはベルティーニの家を出ないって事だからな。もちろん娘の幸せが第一だろうから、他にアイラが好きなやつがいるなら強制したりしないだろうけど。アイラの両親はアイラに政略結婚なんてこれっぽっちも求めてないだろうから、爵位は関係ないと思うし」
「つまり僕の生まれはまったく役にたたないんだろうね」
くすくすとフォルは笑うが、そもそも最初からフォルがそれを武器にするつもりはないだろうというのはなんとなくわかる。
それにベルティーニにはデラクエルがついているから、そもそもジェントリーとは元より繋がりがあるのだ。それこそ前子爵マグヴェルを嵌める程には親密なはず。今更子同士の結婚なんて繋がりは求めないだろう。
「つか、政略結婚の話をするならそっちだろ。ルレアス家から猛攻撃受けてるんじゃないのか?」
「さすがデラクエル、情報が早いね」
「そうじゃなくてもあのお嬢様はわかりやすすぎるけどな」
ははっと笑って見せれば、フォルは笑うのに失敗したような顔をして力ない声をあげた。やっぱさっきのダメージでかいか、と様子を伺うと、フォルはまた煮え切らない表情をする。
「昔からあそこは妙に婚約を推して来るんだ。何度か断ってるんだけど、このままだとそのうち婚約させられるんだろうなとは思ってたし、僕は父にそのうちそうなることに対しては抵抗はないって伝えてた」
「……ふうん?」
なんだか妙な過去形交じりの言葉に、続きがあるのだろうとフォルを見ながら会話を促す。フォルは一度ごくりと息を飲んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「僕はアイラに一目惚れしたんだよ、昔、初めて会った時あのベルマカロンの店で。天使だと思ったんだ……少し一緒にいたらかなりお転婆な天使だと考えは改めたけど」
「へえ。まあ、アイラだしな」
笑って続きを促す。ここまでフォルが自分の事を話すのは珍しいなと思いつつ、周囲に人がいないのをそっと確認して、フォルを見る。
「僕は一目惚れをする前は、恋をする気がなかった。あの歳にしてそんな決意して、なめてたんだろうな。こんな後戻り出来ないほど惹かれるとは思ってなかったんだ。……どうせ結婚する相手は決められた人間なんだから、恋をするだけ無駄だって。だけどあの時アイラに一目惚れして、そのうちにどうしても頭から離れなくなって、学園でアイラに会えるってわかった時に決めたんだ、学園にいる間だけ恋をさせてもらおうって」
「……なんでだ?」
フォルの父親は知っているが、息子に政略結婚を勧めるタイプにも見えなければルレアス家との婚約を取り付けたがるような地位だとも思えない。ジェントリーはルレアスより上だと言われているし、それが一般的な見解だ。もちろん俺が知らない事情というのもあるのだろうが、フォルの表情になんだか違和感がある。
しかしフォルは俺の疑問の声を聞くと、ふと目を見開いてすぐ、嬉しそうに笑う。
「怒らないんだ。僕の考えに気づいたラチナは、アイラを弄ぶ気かって怒ってたんだけど」
「え。いや、そうじゃないだろ? お前がアイラを傷つけるとかそんな……いや待てよ、そのつもりならアイラと両思いになっても、学園を卒業したらルレアスと婚約するつもりか?」
「そうだったんだけどね」
「おい!」
思わずぎょっとして立ち上がると、フォルはまた笑みを浮かべる。少し無理した笑みに毒気が抜かれて、また俺はフォルの隣に腰を下ろした。
「できるわけないよね、こんなに好きなのに」
「あーそうかよ、びっくりさせるな惚気るな!」
自分でも馬鹿だったと思うよ、と笑うフォルにどんな心境の変化があったのかはわからないが、結局根本的に「なんでそうしようと思ったか」は解決していないのだろうとなんとなく察した。
……レイシスもめんどくさいやつだが、フォルも大概だ、やっぱり。アイラ、妙なやつばっか好かれるよな本当。
「で、どうするか決まったのか?」
「どうしようかな。でも、好きだから」
「そうだよな、さっきの見てこれだけフォルが饒舌になる程ショック受けてたなら、諦めて他に譲るのはやめといたほうがいいんじゃねーか」
からかうように横目で見ながらあごに手をつき笑えば、フォルは少し驚いたような表情をしたあとににやっと口元を悪戯に歪めた。
「本気だから、レイシスに負ける気はないよ」
「レイシスも本気だからな、お前に負けないと思うぞ。なんたって俺の弟だし」
「そっか」
ふっと笑ったフォルを見て、立ち上がる。
「さてと。……ああフォル、俺、どっちの味方ってわけでもないけどさ」
「うん?」
「可愛い妹だからな、アイラは。アイラを幸せにする覚悟と度胸と気合と自信と、能力実行力その他もろもろがない場合は認めねーから。レイシスであろうとお前であろうと」
「これは、手厳しいね」
「そうそう。だからその悩みとやらはとりあえず置いといて、アイラを落とすとっからはじめろよ? アイラは手ごわいぞ」
え、と小さく呟いたフォルが立ち上がった俺の顔を見上げるのを見返してから、笑う。
「学園終わるまでとか悩んでたんだろ。そんなの、アイラと恋人になってからアイラに悩みをぶつけて一緒に解決すればいーだろうが。片思いの段階で悩んでどうする、レイシスに負けるぞ」
じゃーな、と手を振って、フォルの返事を待たずに歩き出す。
偶然だが男同士でまぁ恋話なんぞ、ラチナ辺りが聞いていたら手を叩いて喜んだだろうにと思いつつ、しかしラチナは今ここにいないことをしっかりと確認して部屋に向かう。
次は大混乱の最中にいるだろう弟の方だな。アイラも気になるが、もうそろそろラチナも部屋に戻るだろうし……いや、そういえばそろそろ飯か。
あーあ。あいつは、何してるかな。久しぶりに顔見たいけど。
そんなことを考えながら部屋に戻った俺は、窓から見たときと寸分違わず同じ体勢で固まっている弟を部屋で見つけて再び苦笑いを浮かべたのだ。




