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「おいベルティーニ」

 ノックの音に返事をすると現れたむっつりした表情のイセンさんに呼ばれて顔を上げると、彼は目が合った瞬間に鼻を鳴らして目を逸らす。

 思わずむっと口を尖らせてしまったが、すぐさまにこりと微笑んで「なんでしょうか」とぎりぎりの応対をする。

「食事は一時間くらい後らしい。……それだけだ」

「まあ、ありがとうございます」

 にっこりと微笑んだままアルくんを腕に抱き上げる。

 ここはラーク領端の町の宿の一室だが、部屋にいたのは私とアルくんだけだった。おねえさまは王子のところに行っていてここにはおらず、そこに、イセンさんがやってきたのである。

「おい、お前」

「はい?」

 なんだかやけに不機嫌な声で呼び止められて顔を上げると、視線を逸らしたままむっと口を曲げたイセンさんが「それ、やめろ」と荒っぽく告げた。

「それ、ですか?」

 何の話だと首を傾げ、きょろきょろと自分の周りを見回すが、思い当たらず再び首を捻る。

「その、喋り方。他人行儀で……いや、他人! 他人だが、一緒に旅をして数日たったのにそれは慇懃無礼というものだ!」

「そう、ですか」

 再び「そうですか」と呟きつつも、私は何度目かわからないが首を捻る。慇懃無礼……だろうか。むしろもっと敬えと言わんばかりの態度だったのはイセンさんだったと思う。本人が他人と連呼していることからもわかるように、あまり仲良くしてくれないのはイセンさんである。

 ……もしかして、私の「お嬢様」な喋り方は板についておらず相手を不快にするのだろうか。……それは考え物だ。特に母親に気づかれたら微笑みの鉄槌が落ちてきそうである。

「わかりました」

 ひそかに練習しようと決意しつつ返事をすれば、なぜか満足そうにふふんと笑ったイセンさんは再び視線を逸らし、腕を組んだ。

「珍しいじゃん。ベルティーニが一人でいるなんて」

「それ」

「え?」

 私が話しの途中で止めた事にきょとんとした顔をしたイセンさんは、どこかルセナに似ている気がした。

 はじめは全然似ていないかな、と思った二人だが、ここ数日旅をしていてふとしたことが似ている事に気づいたのだ。たとえば、今のようにきょとんとした表情や剣を振るう時の癖など。

 初日が嘘のようにあのダイナークとマグヴェルが来た日以外は穏やかな旅路となった為に、馬車の中と外にいてはそんなに話す機会もなかったが、顔を合わせる機会はやはりあった為に気づいた事だ。

「その、ベルティーニってやめてください。貴族である以前にうちは有名ですから」

「ああ……悪いな」

 慇懃無礼だと言うのだからと遠慮なく突っ込めば、はっとした表情を浮かべたイセンさんは気まずそうに謝ってくれた。

 そもそも下の名で呼ばれるのが困るのは私が貴族であるから、ではない。貴族になる以前からベルティーニの名前を知らない人というのはこの国においてまずおらず、メインが一般庶民向けの服飾を扱う商家であった為に、他の大手商人(貴族向け)よりも名前の浸透率が高い。

 それは商人としてよい事ではあるが、つまり危険も多いということだ。具体的に言うならば、身代金目的の誘拐やら、である。

 同じベルティーニの子でありながらカーネリアンではなく私にデラクエルの子息二人が直接護衛についているのは私が「緑のエルフィ」だからであるが、カーネリアンだってデラクエルを師とするたくさんの大人たちが護衛についているのだ。ベルティーニの名で呼ばれ続けるのにはやはり抵抗がある。

 納得したらしいイセンさんはしかし、なぜか困ったようにおろおろとしているものの部屋を出る気配はない。もしかしておねえさまを待っているのだろうか。……まさか王子に喧嘩を売ったりはしないだろうけれど……

「一人じゃないです」

 とりあえず先ほどイセンさんに言われた質問に答える。

 にっこり笑ってアルくんを少し前に出してみせれば、眉を寄せたイセンさんが「なんだ猫かよ」と呟いた。猫は猫だが……猫じゃないんだけどな。

「あれ見てたんです」

 窓辺に椅子を運んで腰掛けていた私は、立ち上がって少し椅子を窓辺から離し外を指差す。

 怪訝な表情をしながら近づいて外を見下ろしたイセンさんは、ああ、と頷いた。

「剣の稽古か……」

 外では、ガイアスに王子、フォルにルセナが集まって空いた土地で剣の稽古をしていた。俊敏であるが荒々しいものではなく、それぞれ剣を振るっている姿はどこか美しい。中でも剣を振るう姿は珍しいが、フォルは一際優雅に見えた。

 時折楽しそうにしていて本当に稽古かと言われると疑問だが、その四人を眺めているおねえさまも嬉しそうである。

 しばらく味わうことがなかった、まるで学園にいたころの休日のような光景に目を細める。私があそこにいないのは、なんとなくいづらいと思ったからであるのだが。

「ん……? デラクエル……じゃないか、あの双子の偉そうなほう、いないな」

「……偉そうな方?」

 ちゃんと家名で言うのを訂正してくれた、と思いつつ、首を傾げる。偉そうな方って……ガイアスか? と思わず考えたのだが、ガイアスは視線の先にいる。二人は見分けがつかないほどではないと思うが、双子だから間違えたのだろうか。

 首を捻った私を見て、私の疑問がわかったらしいイセンさんはふんと鼻を鳴らした。

「兄貴のほうじゃない。弟の方であってる」

「レイシスが、偉そう、ですか」

 私の言葉に思いっきり眉間にしわを作ったイセンさんは、すぐに口元を歪めて笑った。

「お前の前ではどうか知らんが、あいつ相当な曲者だろ。兄貴のほうはわかりやすいのにな、なんっつーか人を見下してるっていうか」

「レイシスが? まさかそんな」

「……いや、偉そうっつーか冷めてるっつーか。人の忠告聞かないしなあいつ。相当な猫でも被ってるんじゃないか」

 そういいながらアルくんを指差すイセンさんを見上げて、うーんと唸る。

 猫、か。

 腕の中のアルくんがにゃあ、と鳴く。

 それを黙って見つめたままの私を見て、イセンさんがなんだか焦ったような声を出した。

「いやその。あいつ、忠告してやったのに『貴方に言われなくてもわかってます』とか可愛げない顔で言うから」

「……レイシスに何の忠告をしたんですか?」

 疑問に思って顔を上げると、イセンさんは今度こそ背を向けてしまって、「別に」と部屋の出口に向かう。

「とにかく食事の時間は伝えたからな。どこにいるか知らないが双子の弟のほうにはおまえが伝えておけよ」

「はい」

 返事をして荒々しく出て行くイセンさんの後姿を見ながら、アルくんを抱いて立ち上がる。

 食事は護衛も含めそろってするほうが警備がしやすいからと予め声をかけてくれているのだ。伝えたほうがいいだろう。

「レイシス、どこかな。ガイアスがあいつは不参加って言ってたけど」

 剣の稽古に外に行くと知らせに来てくれた時ガイアスが言っていた事を思い出した私は、部屋かな、と扉へ向かう。確か二人の部屋は一階だったはず、とゆっくりと階段を下りた。

「あっ」

 ガイアスとレイシスの部屋についたところで、ぴょんと飛んでアルくんが離れていく。ガイアスたちのところにいく、と背を向けたアルくんのふわふわの尻尾を見つめながら、ほんの少し緊張して扉にかけた手を見つめた。

「……レイシス、いる?」

 軽くノックしてみるが、返事がない。

「レイシス……?」

 確認するだけ、とちらりと部屋の扉を押してみると鍵がかかっておらずすんなり開いた扉に、逆に心臓がどきどきと煩くなる。忍び込んでいるわけではない、断じて!

 気をつけろ気をつけろって普段あれほど私に言うくせに、無用心な。と頭の中で考えながら覗くと、風にふわりと揺れる柔らかい色の髪が見えた。

「あ、レイシス、いたんだ……あれ」

 部屋に入っていったところで、レイシスがベッドに上半身だけ倒して足を投げ出し、仰向けに寝転んだまま目を閉じている事に気づく。

「寝てる……」

 少し開けた窓から入り込む風でふわふわとレイシスの髪が揺れる。ガイアスより癖のない髪だが、やはりこうして見るとよく似ている。

 どうしようかな、と思いつつ懐かしくてそっとレイシスに近づく。昔はよくガイアスと三人でお昼寝してしまったりしたものだが、最近はそんなことなんて一度もなくて、最近気が休まらない日々が続いたせいかこうして日の光の下で眠るレイシスを見るのはなんだか久しぶりな気がした。

 きらきらと日の光を浴びて光る髪は優しく揺れ、ふとサフィルにいさまを思い出す。

 口元はどちらかといえばサシャに似ている。目元はやっぱりサフィルにいさまかな。でも双子なだけあってガイアスもそっくりだ。

 ……当たり前だけど、カーネリアンや私は似ていない。兄弟のように育ったからといって、……違うのだから。

 

 頭ではそんなこと当然だと思っていたけど、本当にそうだと理解したのは最近な気がするな。それでもガイアスもレイシスも、デラクエルの"四人"は皆、同じように私の大切な兄弟に変わりないのだが。


「睫長い」

 ふとそう思って小さく口にした瞬間、至近距離で揺れる銀に縁取られた瞳を思い出す。……フォルもそういえば長かったな。二人とも女の私が嫉妬したくなるほど綺麗だ。

 ……私は、


「……っ!」

 考えかけたことを意識が理解した瞬間正気に戻った頭がそれに蓋をし、レイシスに伸ばしかけていた手を戻す。


 揺れる前髪を見て、風邪をひいてはいけないと窓に近寄り、そっと閉じる。楽しそうな声が聞こえていたから、丁度この部屋の近くで皆が剣の稽古をしているのかもしれない。

 食事の時間の少し前に起こしに来よう。

 レイシスがこうして昼寝をしているのは珍しい。私ばかりに負担はかけられないと、道中での索敵の役目を風を操るレイシスに代わってもらった事もあるから、きっと気を張り詰める日々が続いて疲れていたのかもしれない。

 そっとそばにあったブランケットをかけ、レイシスの首元でブランケットから手を離そうとしたとき。

「あっ」

 突然伸びてきた手に腕をとられ、あっという間に引かれて体勢を崩した私はぼふんと音を立ててベッドに飛び込んでしまった。

 まわされた腕が背を押さえ、まるで抱き枕のように抱き寄せられて目を閉じたレイシスの顔が間近に迫り、ぎょっとして「ひゃっ」と叫んだ私の声で、ぱっとレイシスが目を覚ます。

「……、え? アイラ? え?」

 抱き寄せられたまま身動きが取れない私の顔を見て、レイシスが珍しく寝ぼけているのかゆったりした声で呟きじっと私を見つめ、次いでみるみるうちに顔を真っ赤に染めていく。

「す、すみませ、うわ!?」

 勢いよく起き上がろうとしたレイシスは、先ほど私がかけたブランケットに手をつきひっかかってそのまま倒れ、私の上にどさりと落ちてきた。

 ごつ、と音がして両者の額がぶつかり、あまりの衝撃に悶絶したところで、近すぎる距離に二人の目が見開く。声すら出せず息を止めた私を見下ろしたレイシスがさらに顔を染め目を潤ませ、また「ごめん」と呟いた。

 額を押さえてなんとか身体を起こしたレイシスは顔が真っ赤のままで、大丈夫かと思ったところでふらついてレイシスがひっくり返り、視界から消える。

「痛ってぇ!」

「れ、レイシス!?」

 悲鳴に慌てて私も両手で額を押さえたままベッドの下を見ると、しりもちをついたらしいレイシスが額を押さえたまま俯いていた。

 耳まで真っ赤に染めたレイシスが、ゆっくりとこちらを見上げる。

「すみません、夢かと、その。思ってて」

「……イセンさんがレイシスに食事の時間を伝えろって。一時間後くらいになるからって」

「そうですか」

 微妙な沈黙の後、耐え切れず立ち上がった私は短く回復の呪文を唱えるとレイシスの額に手を伸ばし、驚いて顔をあげたレイシスには気づいたが、目を合わせる事なく背を向ける。自分の額にも回復魔法をかけながら部屋の出口へとそそくさと向かった。

「そ、それじゃ私これで!」

「あ、えと、はい」

 ぎくしゃくと部屋を飛び出した私は一目散に自室に戻り、扉を閉めてずるずるとその場に座り込んだ。

「……昔とやっぱ違うよね」

 まわされた腕の力強さを思い出し、私はがっくりと頭を落として膝を抱え、その場でため息を吐いたのだった。



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