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「戻ってきませんわねぇ……」

 ソファの背もたれに左肩を預け、こてんと首を傾げたおねえさまがつぶやく。

 おねえさまが戻ってこない、と言っているのは、王子とフォルにルセナだ。三人は先ほどラーク侯爵に呼ばれて席をはずしている。王都から連絡が何か入ったらしく、その話し合いらしい。

 私とレイシス、ガイアス、おねえさまはお留守番だ。全員で行かずともいいだろうと思ったが、どうやら話し合いは長引いているらしい。

「お茶でも淹れてきます、おねえさま」

「あ、それなら手伝います。お嬢様」

「あ、う、うん」

 そう言われてしまえば仕方ないとレイシスと一緒に給湯室へと向かう。……いまさらながら、「お断り」したあとどうすればいいのか悩んでいるのだが、あからさまに避けるのもおかしいだろう。

 ルセナに昨日教えてもらった薬缶に水を入れ、石を握り込んでお湯を沸かす。

 シュンシュンシュン、と室内に湯が沸く音が聞こえ始めた時、カップを用意していた筈のレイシスの手が、にゅっと前に出てきた。

「わっ」

「お嬢様! 危ない!」

 慌てて身を引こうとした私は、危うく薬缶を転がしかけた。だがそれは伸びてきていたレイシスの手が止め、仰け反ってバランスを崩した私の体もレイシスがとめてくれる。

「どうしたんですか、お嬢様。何度呼んでも、返事がないから」

 どうやら私は呼ばれていたのにも気づかないほどぼーっとしていたらしい。それで危ないと思ってレイシスが薬缶を持つのを代わろうとしたのだろう。

「ご、ごめん」

「……アイラ」

 すぐ後ろ、左耳の少し上から落ちてくる低い声に、どくっと心臓が跳ねる。

 がちがちに身体に力が入ってしまった私におそらく気づいたらしいレイシスは、少し戸惑ったように空いた手を彷徨わせたが、静かに息を吐いた。吐息でほんの少し、私の髪が揺れる。

「アイラ。……その、何かしたりしませんから」

 戸惑ったような声に答える事ができず、しかし何か言わなければと顔を上げると、苦笑いしたレイシスと目が合った。

「俺は……確かに気持ちを伝えましたし、あなたの気持ちもわかりました。……ですが、以前のようにはいかなくても、……あなたと普通に話せないのは、つらい」

「レイシス」

「俺の気持ちは変わりません。……それが困らせているのはわかってます。けれど、押し付けるつもりでそばにいたいわけではないんです。今までどおり、守りたい。それは伝えた気持ちのあるなしに関わらず、あなたが大切だから」

 まるでもう一度告白されているような台詞に、かっと顔どころか体中が熱くなってしまう。思わず俯いてしまったが、いけないともう一度顔を上げた時、レイシスの顔を見て息を呑んだ。

「わかってます。今まで通りにいかないのなんて、そんなの俺がわかっててしたことなのに……いや、その。これじゃ駄目ですね。そうじゃなくて、なんていうか、俺は……」

 必死に言葉を探すレイシス。レイシスは別に無口なほうではないし、その知識の深さから話していて楽しい相手だ。だが、自分の感情や気持ちを言うことは少ない。

 そんなレイシスが必死に伝えようとしているのを聞き逃すわけにはいくまいとじっと見つめ返す。

「アイラ、俺は」


「おーいお茶淹れるなら俺あの甘いの……あ、オジャマシマシタ」


「ちょ、ガイアス!!」

 ごくりと息をのんでレイシスの言葉を待っていたところで給湯室に顔を出したガイアスが、私たちを見て明後日の方向に慌てて視線を逸らし後ずさりしていく。

 大きく目を見開いたレイシスが、瞬時に顔を真っ赤に染めた。気まずそうに苦笑したガイアスが「レイシス、ほら、茹蛸みたいだぞ」と余計な一言を言いながらひらひらと手を振って姿を消す。

「れ、レイシス、あの」

「お嬢様。また今度ゆっくりと」

 すっと元の無表情に戻ったレイシスが、てきぱきとお茶の準備をし始めたかと思うとひとつのカップにざらざらと砂糖を入れる。

「え、レイシス。ガイアスは別に悪気は……」

「ガイアスに先に渡してきますね、すごく早く飲みたいようですし」

「あー……」

 止めようかと伸ばした手は虚しく空を切り、残りのカップを運んで給湯室を出た時には「ぶほぉっ」と咽た声が聞こえた。水も持ってきてよかった。



「遅くなって悪かった」

 戻ってきた王子たちはなんだか深刻そうな表情で、私とおねえさまはすっかり空になったカップを慌てて片付け、新しいお茶を用意する。

 淹れなおして席に着くと、ふう、とお茶を一口味わった王子はカップを置き、上半身を少し倒して身を乗り出し小声で告げた。

「混乱させて悪いが、明日の朝早く出発する」

「まぁ」

 驚いた声をあげたおねえさまに、ルセナが小さくごめんね、と謝罪した。

「見つからないんだ、逃がした二人。……でも、あまり遅くなって彼らがルブラの仲間を引き連れてきたら困るし」

「そう、ですわね……」

「ラーク侯爵が護衛の騎士を多数派遣してくれることになった。王都からの護衛と交代するまでは彼らに世話になって進む。話が二転三転して悪いが、警戒は怠るな。それで……アイラ」

「私も、その『警戒』をすればいいんですよね?」

「……負担をかける。悪いな、俺が手伝えればいいんだが」

「えっ?」

 視線を下げて「悪いな」と話す王子に、少し違和感を感じた。王子の言葉はなんだか、私にばかり負担をかけて……というようなものではなく、まるで何か後ろめたい事があるような妙な反応だ。

「そんな。索敵は得意分野ですから、問題ありません」

「……そうか。できる限り負担がかかり過ぎないように配慮しよう。それと、アイラには必ずガイアスがつくように。アイラは無理をしすぎる傾向があるが、お前がついていれば大丈夫だろう」

 名前を呼ばれた瞬間、軽く「おう」と返事をしたガイアスの隣でレイシスが僅かに目を見開いた。しかしすぐに眉を寄せ黙り込んでしまう。

 こんなとき普段、レイシスがそばにつくことが多かった。それはガイアスが前衛に立つタイプであるからだとは思っていたが、今回王子が私のそばにつく相手をあえてガイアスと呼んだのは……ばれているからだろうか、私が上手く接することができずにいたのが。

 レイシスが先ほどの話で何が言いたかったかは、その後お茶を飲みながら一人ゆっくり考えた。……こんなことがないように、ということだろう。ひどければ私たちの関係のことで、陣形などにまで影響を及ぼすようになるかもしれないのだから。

 普段はともかく、こうして集団で移動するとき、そしてもちろん戦うときなど、私情を挟んでいては命に関わることにだってなるかもしれない。

 周りにも気を使わせることだろう。……王子とおねえさまのことは大丈夫なのに、私はどうして……


「アイラ」


 ふと名前を呼ばれて顔を上げると、いつもの不敵な笑みとは違う、なんだか困ったような笑みを浮かべた王子に見つめられた。

「ちょっと来い」

「えぇっ」

 思わず背筋が伸びた。じきじきに呼び出しのお叱りですか!? 体育館裏ですか!?

 言われるがまま立ち上がったものの腰が引けた私をずるずると王子が引っ張っていき、給湯室へと足を踏み入れる。

 扉を閉めた王子は、こつん、と私の額を、軽く叩いた。

「馬鹿。お前は難しく考えすぎだ」

「え?」

「全部顔に書いてある。フォルにもレイシスにもいいたい事はあるが、まずはお前だ。普通にしとけ……っていってもその普通ができないから問題なんだろうが」

 腕組をした王子は苦笑したまま、伸ばした手で私の頭を軽く撫でた。一瞬気持ちよくて目を細め、はっとして慌てて後ずさる。

「おねえさまが」

「ラチナに悪い、か? 安心しろ、俺はお前をどうこうしたいとはまったく微塵も思ってない」

「そういう問題じゃ……いえ、それなんか言い方ひどくありません?」

「ははっ! お前は手のかかる妹だな。お前だって俺のことなんてなんとも思ってないだろう? お前は……いや。で、話を戻すが、普通にするのは悪いことじゃない。二人だってそれは十分わかってる」

「でも、デューク様。私今まで二人の気持ちに気づかなくて、すごいその……身勝手な」

 ふと思い出す以前のこと。

 簡単にフォルに血を勧めてしまったことも、二人への普段の態度も。

 王子はまたくしゃくしゃと少し乱暴に私の頭を撫で、そうだなぁと呟くように言う。

「いいんじゃないか、明らかに経験値足りてないしな、アイラは。線引きは難しいかもしれないが……あの二人にしたことは、俺やガイアスやルセナ相手でもお前はやっただろうしな」

「け、経験値……」

「お前はお前のままでいればいい。下手に気を使っても、あの二人は気にするぞ?」

「うっ……」

「いや、違うな。お前、俺には妙に遠慮するな。ラチナの存在があるからだな? なら、フォルもレイシスも俺と同じように思えばいい。相手がおまえなだけだ」

「それが問題なんですっ!」

「アイラ」

 改まって名前を呼ばれて、王子を見上げる。澄んだ青い瞳は今は珍しく優しげに細められ、まるで言い聞かせるようにゆっくりと王子は話し出す。

「……ゆっくり考えればいい。それを急かすようなら、俺やガイアスがあいつらにガツンと言ってやる」

「それってすごい豪華ですね?」

 涙が浮かびかけたのをごまかすように笑えば、王子がまた不敵な笑みを浮かべて腕を組む。

「ああ、特別だな。俺は俺の仲間を大事に思っている……お前もそうだし、みんなもそうだろう。背を預ける事ができる最高の仲間だ」

 だから、と王子はほんの少しだけかがんで私と視線を合わせた。

「気にせず普段どおりいけ。皆同じように心配しているし、頼りにしている。お前も、一緒だろう……お前がおかしいと、皆にうつる」

「なんですかそれ。風邪みたいに」

「ああ、おかしいのは普段からか」

「デューク様!」

 妙な感じで話をしめた王子は、ひらりと手を振って「落ち着いたら来いよ」と手を振って出て行った。少しして心配そうに顔をのぞかせたおねえさまを見て、笑う。

 私はとても幸せだ。

 あとで王子にこっそりお礼に行こうと決めて、私はおねえさまと手を繋いだ。



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