181
「んーっ」
大きく伸びをして、身体をほぐす。私とおねえさまは隣の部屋にあったベッドで休ませてもらえたが、男性陣はソファだ。結局逃げたダイナーク達は見つからなかったのだろうか。
身支度を整えて、隣の皆がいる部屋に移動する。既に皆起きていて、テーブルには食事が並べられていた。アルくんがにゃあと鳴いて私のそばに駆け寄ってきてくれる。
「丁度呼びに行こうかと思っていたところだ」
「メイドさんが持ってきてくれたんだ、これ。食おうぜ」
王子とガイアスの言葉で、やたらと豪華な朝食がこの部屋の外から運び込まれたものだと漸く納得がいった。さすがにこの中の誰かが作ったといわれても違和感がある料理だったので。
「おいしそう」
野菜たっぷりのスープに焼きたてのパン、ベーコンを焼いたものやオムレツがいい匂いで食欲がそそられる。盛りだくさんの色とりどりな果物もあるのだが、さすがに七人で食べるには多すぎるのではないだろうか。
ここに来た時頂いたのは和食に近かったが、ルセナに聞いてみたところ朝食で生魚や米が並べられる事というのは滅多にないらしい。
「食べ終わったらまとまって部屋に戻って荷物を取りに行くか」
王子の言葉に頷きながらも、今日は笑顔が少なく感じる。皆、逃げたダイナークたちの事を気にしているのかもしれない。こうしてここに食事が運ばれたということは、まだ外は警戒中だと言うことだ。つまり、あいつらは捕まっていない筈。
食事を終えて、すぐに私達は準備に取り掛かった。今日ここを出て、次に休むのは丁度馬車で半日ほどかかる町だ。遅くなっては町に入るのが遅れてしまう。この状況で野宿は危険だろうことは誰もがわかっているから、慌しく動き出す。
出ようかとルセナが扉の鍵を外して開けるとそこには騎士が三名待機していた。どうやら部屋の移動の間ついてきてくれるらしい。その騎士に聞いてみれば、やはり逃げた二人は見つかっていないとの事。
「他に仲間が来ていた様子は?」
「ない、と言い切りたいところですが」
自信のなさそうな返事にルセナが眉を寄せる。申し訳ありません、と騎士が謝罪するのを聞きながら、王子が何か考え事をするように顎に手を当てている。
「本当に今日出発して大丈夫なのか?」
しばらくしてガイアスが呟いた言葉に、王子がそうだなと相槌を打った。
「一度王都に連絡をとってみるか……」
「とりあえず先に父のところに行きませんか?」
「そうだな」
どうやら荷物を纏める前に侯爵のところに行くことにしたらしい。ぞろぞろと歩きながら、ふと一人後ろで窓の外を見る。
空が遠く感じる青色を邪魔するものはなく、今日は晴天らしい。出発にはもってこいの日なのだろうが、危険があるとなれば考え物だ。
「アイラ」
知らず足を止めてしまっていたらしい私を、ガイアスが呼ぶ。慌てて小走りについていき、ルセナが大きな扉の前で足を止めたところで……その扉が内側から開いた。
「ルセナ」
出てきてすぐにぎらりと睨みつけてきたのは、ルセナの兄だった。
「ふん、父上ならここにはいないぞ」
「……そうですか」
ルセナは小さな声で答えると、その場を離れようとした。
「待て」
それを止めたのはルセナの兄で、ルセナをにらみつけたままだ。
ルセナの兄は、この部屋に父が戻ってくるからと言って騎士を追い払う。
「そいつらはいったいなんだ。なぜ、父上もお前も何も言わない?」
「兄上、それは」
「いつもいつもお前ばかり。俺には言えないというのはなぜだ? 俺は……俺が、ラーク家の嫡男だ!」
「兄上!」
急に激昂したルセナの兄は、あろうことか腰の剣を抜いた。慌てたルセナはその場を下がり、私とおねえさま、そして王子が、ガイアスとレイシス、フォルに庇われるように後ろに下げられた。
「兄上、何を!?」
「お前がいなければ、母が亡くなったとて俺の地位に揺るぎ無かった! どいつもこいつもルセナルセナと。王都の学園に入ったからなんだと言うんだ!」
叫ぶルセナの兄、……イセンさん、だったか。怒っているのになんだか辛そうだ。だがこの状況はよろしくない!
「ルセナ!」
兄弟で争うなんてと思わず手を伸ばしたが、私の手はレイシスに止められた。危ないと言う彼に抵抗する。
「でも、ルセナが」
「アイラ」
フォルとおねえさまにまで手を引かれて、ふらつきながら後ろへと戻される。
ルセナは防御の達人と言っていい。大丈夫、剣なんかはじいてくれる。そうは思っていても、この状況は……ルセナにはつらすぎるのではないだろうか。
「兄上……」
眉を寄せたルセナは、剣に手を伸ばしかけたものの途中でその動きを止めた。
「抜け! 勝負しろ、ルセナ!」
「何を言っているんですか、兄上。僕は兄上に何かするつもりは」
「ふん、腰抜けが。なぜ、なぜ俺よりこんな臆病者ばかりみんな誉めそやす? 俺が、俺の方が」
どうやらひどく混乱しているらしいイセンさんを、ルセナが困った様子で見つめている。
構えてはいないものの、イセンさんは剣を手にしたままだ。大丈夫だと信じていてもついそちらに目がいっておろおろとしてしまう。
ガキン、と音を立てて剣の先が床を叩く。構えているよりは余程いいとほっと力を抜き、ガイアス達がルセナへと駆け寄った。
なんで、なんでと呟くイセンさんは俯いてしまっていて、視線が合わない。ルセナが何かを話そうとしては止め、言葉に詰まっているようだ。どう声をかけたらいいかわからないのかもしれない。
私達の間にも、どうしようかという空気が流れる。そっと離れるべきか、それとも兄弟二人の会話を待つべきか。時間は、あまりない。
ルセナは、がっくりと頭を下げてしまった。慌てて私とおねえさまでルセナのそばに駆け寄るが、ルセナは顔を上げない。俯いてその場をルセナがそっと離れようとした時、ぴくりと僅かにイセンさんが揺れた。
「お前、ミルにあったんだって?」
イセンさんの言葉に、ルセナがばっと顔を上げた。イセンさんはどこかぎらぎらとした目でルセナを見ている。
「よかったな。てっきり誘拐されて身売りでもされているのかと思ったが」
「兄上! なぜそんな言い方を!」
兄に一歩近づいたルセナに、イセンさんが剣を握っていないほうの手を伸ばした。……が、それは。
「きゃあ!」
ルセナのそばにいたおねえさまが引っ張り上げられ、しまった、と伸ばした手は空を切る。
「ルセナ。こいつらはいったいどこの人間なんだ。なぜ俺には知らせない? こいつらもミルの時のように、俺に何か隠しているのか?」
「兄上、お願いします、その人は……」
「ミルの時もそうだ。父上もお前も、俺にはなぜ外に出てはいけないかの理由は教えてくれなかった。知っていたら俺は」
「ミルに外に出ろとは言わなかったか?」
気づけば隣に来ていた王子が、低い声でイセンさんの言葉を止めた。
「黙って聞いていれば、勝手だな。彼女を離せ」
「名乗りもしないやつが、偉そうに首を突っ込んでくるな」
「それを言うならお前も客人に対しての態度ではないと思うがな、いいだろう」
「え、ちょ」
まさか名前を言うつもりかと手を伸ばしてとめようとしたが、私の手を握って止めた王子はちらりと私を見ると首を振る。
「私はデューク・レン・アラスター・メシュケットだ。いつまで女性に無礼な振る舞いをするつもりだ? その手を離せ」
「メシュケット……デューク……殿下!?」
ぱっとイセンさんの手が離れた隙に、おねえさまがぱたぱたと王子に駆け寄る。と、王子はそれをまるで抱きとめるように手を広げて受け止め、一瞬だけとけるような笑みを零す。すぐにもとの少し厳しい表情に戻ってしまったが。
「デューク様……」
「いい、アイラ。そもそも世話になる家の者、これから爵位を継ぐかもしれない者に隠すからこうなったのだ。ルセナがここにいるとわかっている時点で、別に俺らの存在を隠す意味もないだろう」
確かに私達の素性を隠しても、ルセナがここにいるという事実は変えられることはない。今更ながら、彼に隠す意味はなかったかもしれないと気づく。
私達を探しているよからぬ人間がいたとしたら、「ルセナが実家にいるらしい」という噂だけでそこに王子やフォルがいることまで十分にわかる事なのだから。
「……私は、グロリア伯爵家長女ラチナ・グロリアですわ」
「私は、ベルティーニ子爵家長女アイラ・ベルティーニです」
おねえさまに続いて、私もきちんと貴族の礼を取って名を名乗る。
「ガイアス・デラクエル。ま、俺は使用人だけど」
「同じくレイシス・デラクエル」
言葉少なにレイシスが挨拶を終えると、フォルが「えっ」と慌てた声をあげた。
「最後になっちゃったな……ご挨拶が遅れて申し訳ありません、イセン殿。ジェントリー公爵家長男、フォルセ・ジェントリーです」
なんだか呆然としているので聞いているか不安だが、イセンさんにフォルが挨拶を終えたところでぱったりと手にしていた剣が落ちた。
「事情があってあまり公に出来なかった。理解してほしい。それと、このことは内密に」
「あ……」
掠れた声をあげるイセンさんは、膝をついた。どこかで王子に頭を下げなければという思いがあるのかもしれないが、混乱のせいで思考が追いついていない様子だ。
「ご無礼を、」
途絶えたおかしな謝罪の言葉は、小さく消えていく。
なんだか、もやもやするな。そんな落ち着かない自己紹介は、王子が急ぐぞと離れたことで終わりを告げた。
「これで……いいのかな」
「お嬢様、行きましょう」
一人項垂れたように頭を下げるイセンさんを残してぞろぞろと歩き出す。
「兄上!」
少し歩いたところで、前を歩いていたルセナが急に後ろに振り返って、駆け出した。
「兄上はミルが事件に巻き込まれた後、あんなに後悔していたじゃないですか! 僕は元の兄上に戻って欲しいんです!」
悲痛なルセナの叫び。しかしそれは返事がなく、廊下に響いただけだった。




