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「よし、これで大丈夫、かな」

 ぶんぶんと腕を振ってみたり、背を逸らしてみたりしながら怪我が治ったか確かめる。ずきずきと痛んでいた背中は、もうなんともないようだ。

 打ち付けてはいたが元々あまり酷い怪我ではない。少し伸びをして完治したことに満足し、ちらりとソファに座って待っていたフォルを見た。

「フォール。ねぇ」

「駄目だよアイラ。大人しく待ってようね」

 む、と思わず口が尖ってしまう。まだ何も言ってないじゃないか。

 とはいってもお見通しのようで、治療が終わったから皆を追いかけようという願いは聞き入れてもらえないらしい。確かに二人だけでうろつくのは危ないかもしれないけど、もう外も落ち着いて来たって言ってたのに……。

 部屋の出入り口に鍵は掛かっているが、今度はフォルが鍵を持っているから出れるのに。


 仕方ないか、とソファに腰掛け、背もたれに背を預けた。

「ねえ、アイラ」

 しばらくぼんやりとしていると、突然話しかけられて思わず身体が跳ねる。

 慌てて返事をすると、フォルはくすくすと笑った。

「そんなにびっくりしなくても。アイラ、あのね。……闇の事なんだけど」

「……うん?」

 まさかの話題に目を丸くしながら返事をする。あまりその話はしたがらないフォルが、珍しい。

「闇のエルフィはね。ずっと、ずーっと昔。闇使いの始祖って言われている人が恋した相手って言われているんだ」

「……始祖? の、恋人?」

「そう。闇を使う人間は総じて弱い。でもね、始祖は愛を信じて恋人に力を分け与えたといわれているんだ。……その成功例は決して多くはないけれど、成功すればその相手は闇のエルフィとなり、闇の精霊の加護を得て闇使いを支えるといわれている」

「え……っと」

 話が難しすぎて言葉に詰まる。それより、なぜいきなりフォルはこの話をしだしたのか。

 似たような話は今までも聞いた。けれどもっと、確信に触れる何かをフォルは言おうとしている。それだけはわかるから、じっと私を見つめてくる瞳を見つめ返す。

「闇使いは、常に孤独を味わう、と言われているんだ。呑まれそうになるんだ、闇に。抑える力が足りなければ自己中心的に相手に危害を加えようとするやつも多いし、何よりその性質上人に好かれる事は少ない。だから、力を分け与えてでも誰かと共にありたいのかもしれないけれど……ああ、そんな顔をしないで。誰だって独りは怖いっていうのはわかってるんだ。ただ、好きな相手を咬みたいって思うのはおかしな話だけれど」

 私はどんな顔をしていたのだろう。今の話だと、闇使いに咬まれた相手が闇の力を分け与えられるという事だろうか。

 苦笑したフォルの手が伸びて、私の頭を数回撫でた。その手つきは優しくて、決して今フォルが言ったようなどこか怖いイメージの闇使いと、フォルは同じものではない、と私は思ってしまう。けれど、それをフォルはすぐに否定した。

 するりと頭を撫でていた手が下りていき、私の頬を滑り降りると顎に触れて、私はほんの少し加えられた力で顔を上げた。

「僕だってそうだよ。……好きな相手……アイラ、君に思うがままに咬みついて、エルフィになってもらえたらと思った。失敗すれば、物言わぬ人形のようになってしまうとわかっていて」

「あ……」

 思わず顔が熱くなるのを必死で耐え、しかし耐え切れずに目をそらした。

 その話はきちんとお断りした筈なのに、真っ直ぐに伝えられる想いにどうしたらいいかわからなくなる。

 確かにお断りしたが、フォルは……とまで考えて、話はそこじゃない、とぎゅっと目を瞑った。

 そうだ、確か闇のエルフィを作り出す過程での失敗作、のような話を、あの捕まえたルブラの男も言っていた筈。つまりフォルが言っているのは事実で、ルブラもそれを実験やら研究やら、しているのだろう。

 でも、闇使いは弱いって……孤独を味わうって……。

 うーん、と唸っていると、フォルはくすくすとまた笑い声をたてた。思わず、そんな話題だったっけ? と顔を上げれば、フォルと視線が合う。

「気にしている場所はなんとなくわかるけれど。でも、僕があんなことを言っても怖がらない辺りはさすがアイラというか」

「え?」

「僕は、素直に君を咬みたいとまで言ったのに」

「ああ……フォル、確かにそういう話題、珍しいね?」

「あはは!」

 大きな声にぎょっとする。そこでもないよ、と言うフォルの言葉で少し考えて、ああ、と納得する。

「フォルが咬むかもしれないって怖がればいいの? だってフォル、今までいくら血を飲んでも、目が真っ赤の時でも、私を咬んだこと、ないもの」

 今度びっくりしたのは、フォルみたいだ。目を丸くしたフォルは、やがてふにゃりと笑う。

 こんな笑みを向けてくれるフォルが私を咬みたいだの思うがままにと言われても、実感が沸くわけがない。

 そこで、ふと前に血を分けたときの事を思い出した。……そういえば、闇使いにとってはあれは恋人同士の行為と言っていたっけ。私、知らなかったとはいえなんてことを。いや、今考えると、知らなくても普通に止めるべき行為だったか?

 恥じらいが無かった事に対しての羞恥なのか、それとも今更その行為自体の意味を恥ずかしく思ってか、急に全身が心臓になったんじゃないかってくらい身体がどくどくとして焦ったが、フォルは気づいたようすがない。

 しばらくすると視線を落としたフォルは、ふっと息を吐いてから話を続けた。

「それでね。本当は僕、期待してたんだ。アイラが緑のエルフィ以外のエルフィであるって聞いて。もしかしたら、闇のエルフィの素質があるんじゃないかって勝手に。……君を闇のエルフィの実験台にしようとしたあの男と一緒だ」

「えーっと。あの男って、アドリくんの村を滅ぼしたあのルブラの?」

 そう、と頷いたフォルは俯いたままで、しばらくそれを見ていた私はその話の内容を考えてから、ふう、と息を吐いた。

 そっか。私闇のエルフィという可能性もあるのか、と思うが、なんだかしっくりとこない。

 そもそも聞いた感じだと、闇のエルフィというのは闇使いの恋人であって、素質とか関係あるんだろうか。その辺りの事、詳しい事が何もわかってないんだろうか。フォルは、その可能性が高いと思っているんだろうか。次から次へと疑問が沸くが、それを口に出せず黙り込む。

「……大丈夫だよアイラ。僕が勝手に期待しただけで、そうである証拠とか何もないんだ」

「ううん、闇のエルフィが嫌なわけじゃないんだけど……」

「まあ、さっき地精霊が見えたんだよね。なら違う可能性の方が高いんだろうけれど」

 その地精霊も、私が地のエルフィである可能性は否定しているのだ。……つまり、何もわかってないってことか。

 まあ、闇のエルフィである可能性がないというわけでもない。私はもっと必死に、自分の能力を探すべきだろうか。……正直、「特殊な力」とやらに憧れる気持ちは私にはない。緑のエルフィであるというだけで十分であるし、新しい精霊の友達ができるというのは素敵な事かもしれないが……

「なんだか、難しい顔してる。アイラ」

「……フォル、特殊な力があるって、嬉しい?」

「ああ。僕は……そうだね」

 難しいよね、と笑うフォルに、そうだよねと頷き返す。否定はしたいような、違うような。微妙なのだ。

「けれど、……そうだね、自分をしっかり知るっていうのは、大切、なんじゃないかな」

 なんだか自分にも言い聞かせるような様子のフォルの言葉に、思わず口を噤む。

 二人ともソファに腰掛けたまま、静かな時間が過ぎていく。時計すらないこの部屋は、本当に無音だ。ただしそれは気まずいものではなくて。

 前もそうだったな、とぼんやりと考えていると、突然今度はガチャガチャと耳障りな音が響いた。


「おい、無事か!?」

「え?」

 私とフォル、二人同時に首を傾げ扉を見る。

 現れたのは、揃って顔色を変えた特殊科の仲間達だ。

「え? え、どうしたのガイアス」

 とりあえず一番に飛び込んできたガイアスを見れば、私とフォルを見てほっとした様子を一瞬だけ見せたガイアスがすぐ表情を険しいものに戻し、ばたばたと部屋に入り込んで室内を点検しはじめた。

 最後に室内に入ったルセナがフォルから鍵を受け取るとしっかりと鍵をかけ直す。

 それを確認した王子は、私達のそばまで来るとふっと小さく息を吐いた。

「先程の爆発はやはり石のせいだった。……が、その混乱に乗じてマグヴェルが逃げた。ダイナークも一緒だ。女二人は捕獲したままだったが」

「ええっまたですか!?」

 思わずそう言わずにはいられなかったが、それを聞いてルセナが申し訳なさそうに眉を寄せた。……逃がしたのは言ってしまえば彼の領地に仕える人達だ。失言であったと気づいたが、ルセナは事実だよと首を振る。

 だが、それで心配して急いで皆が戻って来てくれたのだと納得して、安心した。皆も無事でよかった。

「困ったやつらだな、逃げ足速くて」

 ガイアスが室内の点検を終えたのか、呆れた表情で戻ってくるとどっかりとソファに座る。


 結局そのまま逃げた二人を見つけ出すことができなかったようで、私達は防御がしっかりしているからという理由でその部屋から出る事ができずに一夜を過ごす事になった。



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