175.ガイアス・デラクエル
「さて行くか」
「え、やっぱり?」
アイラ達が出て行ったのを確認してからデュークが立ち上がったのを見て、思わず声をかける。
「当然だ。釘を刺しておかないと」
「……身分を明かさずにどうやって?」
フォルがため息を吐きながらデュークを見上げた。
ここに残っているのは、レイシスとルセナが部屋に戻る女二人を送っていったので、俺とデューク、フォルだ。フォルが残ってくれていてよかった。暴走したデュークを止めるなんて俺にはできないし。
なんだかアイラとラチナをさりげなく追い出したような気はしていたが、やっぱりルセナ兄のところに行くらしい。ルセナを連れて行かないのは、ルセナがどこか兄に遠慮しているからだろうか。
「そんなの、話し合いに決まっているだろう。大丈夫、懇切丁寧に説明してやる」
「不安しか感じないね」
その通りだわ。
フォルに全面同意しつつ、よっこらせと立ち上がる。どっちにしろあいつには何かしら言っておかないと、とは思うのだ。こちらだってアイラの事をあれこれ言われ腹に据えかねたものがある。
もちろん、昨日の件は反省した。レイシスにもあとでちくりと言われたのだ。俺達が使用人なのは事実だが、それを認めた上で貴族に歯向かうというのは、自分が使える人に迷惑をかけるものと思えとそれはちくちくと。まあ、レイシスがイラついていたのはむしろ相手に対してだとわかっていたが。
「……言い過ぎてはいけないよ。ルセナが言っていただろ、いつもはもっと穏やかだって。何かあったのかもしれないし」
「だから女性を辱めていいとは言わんよな?」
「……はいはい」
若干諦めたように言うフォルに目配せする。諦めるなフォル、おまえが諦めたら止める人がいない!
しかし俺の視線は苦笑で流され、フォルに仕方ないからついて行こうかと肩を叩かれた。言い過ぎませんようにと祈るしかない。何のために侯爵が隠してくれたのか考えるんだ、デューク。
「あれ、そういえばなんでラーク侯爵は自分の息子にすら嘘ついてるんだ?」
「嘘ではないんじゃないか?」
「いや、確かに俺は紹介通り子爵家の使用人であってるけどさ」
真っ先に紹介すべき第一王子やジェントリー公爵の息子の名を出さないのはおかしいだろ、と暗に言えば、デュークはふんと鼻を鳴らしつまらなさそうに手を上げた。
「信用してない……っていうのは親子関係の間柄だときつい話だな。だが、ミルの事を考えれば納得も行く」
「……ああ、獣人のあの子を危険な目にあわせたのはあいつだったっけ」
いろいろ事情があんのか、と思いつつも、なんだか遣る瀬無い。これから怒りに……じゃない、注意喚起しに行く相手の事情を慮ってもやもやとして周囲を見ずに廊下を歩いていると、前を歩いていたデュークが急に立ち止まった。
「いっ、うわ、ごめんデューク!」
アイラ並のドジっぷりでぶつかってしまい思わず謝罪すると、こっそりと横でフォルが「レンだよ」と囁いてきてしまったと口を押さえる。「デューク王子」の名は有名だ。その姿は学園では隠していないものの、今まではあまり公に姿を現さなかった王子であるから大丈夫だとは思うが、ここでは二番目の名であるレンと呼ぶべきだったと慌てる。
しかし俺とフォルの会話が聞こえていたらしいデュークがちらりと後ろを見て、「もうそれでいい」と小さな声で言う。
一度デュークと呼んでおいて、さらにレンと呼びなおしたらそれこそ彼が「デューク・レン・アラスター・メシュケット」であると言っているようなものである。失敗した。あとでアイラたちにも口裏あわせに言わないといけない。
しかも最悪な事に、ちらりとデュークが止まった原因を確かめようと向こう側を覗けば、そこに侯爵と息子が揃っているではないか。あちらはこちらに気づいたようだし、思わずやっべと小さな声が出てしまったのは仕方ないだろう。もちろんそっちは聞こえてないと思う、たぶん。
「これはこれは、」
「父上! あの者共はどこの家の使用人なのですか。こちらが聞いても答えようとしない、無礼な者共です」
何かを侯爵が言いかけたのを遮って、ルセナの兄が喚く。それを聞いて侯爵がすぐに顔を顰めたが、彼は気づかずにまだ口を止めない。
「女性がいたでしょう、女神のような容姿の。あの者だけ是非うちで雇いましょう、父上」
その言葉を聞いた侯爵が、ぎょっとした後ちらりとデュークを見た。そのまま息子は見ずに、深く頭を下げる。
「息子がお客様に向かって無礼な振る舞いを。誠に申し訳ない」
「父上!?」
「黙らないか、お前は大事な客人になんて失礼な事を」
腰を折った父親を見て、ルセナの兄はひどくうろたえる。父に謝罪を促されてもする事無く、なんなんだよ、と言って逃げ出していってしまった。
侯爵の態度はこちらが貴族であるとばれない程度では最大限の対応なのかもしれない。しかし、俺の立場からすれば侯爵に頭を下げられているのは落ち着かない。
「なんと謝罪申し上げればいいのか……」
「父上」
デュークが何も言わない為におろおろしていると俺達の背後から声をかけられて振り返れば、アイラ達を送った後追ってきたらしいレイシスとルセナの姿が見えた。
ルセナは困ったような顔をしたまま良く似た顔の父親を見上げ、「僕のせいかもしれません」と言う。
「兄上は本当に普段あんな人では……」
ルセナが兄を庇った時、漸くだんまりで様子を見ていたデュークが「かまわない」と話す。
「だが、こちらも事情があるとは言えラチナとアイラに対しての態度や言動だけは見過ごせない。世話になっておきながら言うのもなんだが、私達はともかく彼女達は女性だ、侯爵。何かあるようなことは許せない」
「本当に申し訳なく……すぐに言い聞かせます」
「侯爵」
デュークが強めの声で侯爵を呼び、顔を上げた侯爵の目を見る。二人はそれ以上特に会話することなく、侯爵は頷いて再び頭を下げた。
「行くぞ」
満足したのか、デュークが背を向ける。
ルセナがおろおろとしているので手招きで呼び寄せ、一緒に行くぞ、と引き上げさせ、デュークの後ろを歩く。
ぼんやりと、王子と侯爵の会話ってあんなもんなのだろうかと考える。侯爵にも遠慮が見えたし、デュークも言いたいことを言わずにいたようだ。……いろいろあるんだろうな、政治の世界も。俺なんて言いたいことはすぐに言っちゃうから、絶対向かないな。
「話し合いにすらならなかったな」
「これでいいんじゃないかな」
デュークとフォルの会話を聞きながら、俯いて隣を歩くルセナを気にかける。ラーク家は次男に継がせたらどうだという話が出ているのは知っている。ルセナはそれを望んでいるだろうか。
結構有名な話ではあるが、本人を見てしまうと成程と思ってしまう。普段は違うとルセナは言うが、成人している男が弟が帰って来たのが原因であんなに不安定になるようでは領主としてやっていけるのだろうか。
ルセナは父に良く似ている。対しあちらは前妻に良く似ているらしく、本当に侯爵の息子なのかとまで噂され少し気の毒だとは思うのだが。貴族というのは、やはり煩わしそうだ。
部屋に戻り、アイラとラチナはこの後どうするだろうかと考えて立ち上がると、レイシスもついて行くと座ったばかりのソファから腰を上げた。
強くなったな、とお節介にも考える。間違いなく、アイラはフォルもレイシスも振った筈だ。慰めるのは俺の係だなと思っていたのに、どうやらこの弟はいつの間にか気持ちに折り合いをつけたらしい。目がたまにまだ獲物を狙う狩人だとは、思っていても言わないが。
フォルもフォルで、昨日の様子を見ると振られたというのに堪えてない、というより諦めてないように見える。
妹分のアイラの事を考えて、苦笑がもれた。アイラは妙なのに好かれるな、と。
とりあえずラーク侯爵がしっかりマグヴェルやダイナークを捕まえてくれているから、そこだけはほっとできる。
アイラはアルの事をどうするのか何も言わないが、今のところ拒否している様子もないようだし下手に口を出さないほうがいいだろう。
扉をノックするとすぐに元気な声が聞こえて、アイラとラチナの二人がにこにこと顔を出す。
「ガイアス、レイシス。明日出るのなら、今日センさんとミハギさんに挨拶できないかな」
「あー、聞いてみるか」
アイラが抱いている猫を見ながら答え、その後ちらりとレイシスを見る。いつも通り無表情の弟を見ながら「じゃあデュークたちのところに行こう」と答え、さりげなくアルを抱き上げたのは、兄なりの弟への配慮だ。
「さ、行くか」
何が楽しいのかにこにこしているラチナとアイラを促して部屋を出る。二人の様子を見るに、フリップ先輩や両親に連絡するのは問題なく済んだらしい。
ふにゃ、と情けない声を出すアルをそのまま抱いて、俺達はぞろぞろと魔法石が飾られた廊下を歩いた。




