173
「ベリア・パストンという生徒はご存知かな」
侯爵に呼ばれ近い席に集まった私たちに、人払いをした侯爵が告げたのはそんな話だった。
「え……はい、後輩ですが」
ガイアスが答えると、そうか、とラーク侯爵が何かを考え込むように俯いた。
なぜここで彼女の名前が?
「まさか」
私が首を捻っていると、眉を寄せて厳しい表情をしたレイシスが「彼女も行方不明に?」と小さく呟いた。
聞こえてしまった私達は思わず立ち上がってしまう。
「なんだって!?」
「まさか!」
そういえば私達は、何名が無事だった、もしくは誰と誰が無事だったと王都に連絡をとっていたのだろうか。私なんて任せきりで、連絡すらとっていない。もし「全員無事だ」という言い方で王都に伝えていたら、こちらはベリア・パストンは王都にいる筈だと信じ、先生達は「ベリア・パストンも含めて無事だった」と安堵していたのではないだろうか。
「ん、どうしたんだい?」
どうやら先ほどのレイシスの呟きが聞こえなかったらしい侯爵が、優しそうな顔を上げて首を傾げる。
「父上、ベリア様がどうかなされたのですか?」
恐る恐るといった様子でルセナが尋ねると、ああと頷いたラーク侯爵は「実は」と皆を見回す。
「彼女が、どうやら大事な伴侶の救出をしなければ、と言って行方をくらませたらしい。もしかして皆の中に将来を約束した人がいるのだろうか」
「……えっ」
侯爵の視線に、男性陣がぎょっとして目を開き、そしてすぐに「またか」というような表情に一斉に変わる。
同じ行方不明でもあの暴走に巻き込まれたわけではなかったとほっとして、つい彼女らしい発想にがっくりと項垂れてしまった。
「……いえ、何かの、間違いかと」
ルセナが代表して言うと、一度目を見開いた侯爵はすぐに「やはりそうか」と言う。え、予測済みですか。彼女の性格は、こんな遠く離れたラーク領まで伝わっているのだろうか。
「しかし、問題だな。一人で出たのだろうか」
王子の言葉に、皆が頷く。彼女は私たちが姿を消したその場にいたのだから、先生がいくら任務と説明しても意味がない。そうではないとわかりきっているだろうから。
だがまさか行方不明になるとは……いや、彼女ならありえるかもしれない。無事だといいけれど……。
その件については彼女の兄も動くそうなので(恐らくグラエム先輩ではないだろうが)気にはなるものの任せることにし、なんだか落ち着かないながらも話題は次へと変わる。
「こちらからも騎士をつけますが、王都からも護衛が派遣されているようです。必ず御身は無事に王都にお連れしましょう」
「無理はしなくていい。私は仲間にも恵まれているし、自分でも戦える」
王子はそう言いながら首を振り、すぐに「それで進路は」と先を促す。
侯爵は手にしていた地図を王子が中心になるように広げると、立ち上がって指先でラーク領を指し示す。
まずこちらが我が領の中心で、と恐らく現在地らしい場所に指をあて、するすると北上し私たちに進路を示してくれる。ラーク領にいる間は特に進むのに障害がありそうな道はなさそうだ。交易が盛んであるから、仕入れた品を安全に運ぶ為に道の整備もしっかりしていて、治安も悪くならないように気を使っているという。
頷きつつ地図と進路、それに周辺の地形も頭に叩き込む。いくらラーク領の道が安全であろうと、警戒するに越したことはない。もっとも、ダイナークやマグヴェルはここに拘置されることになったらしいので、ルブラが私たちを狙ってくる事はないと思いたいが。
「出発は明後日です。今まで過酷な道のりを、薬で凌いでいらっしゃったのでしょう。必要なものはこちらで用意しますので、明日は一日しっかり休息をとってください。王都にもそう伝えてあります」
「ありがとうございます」
お礼を言い、再び皆地図に集中する。ラーク領はいいが、その後は一度山を越えなければならないようだ。回るか、登るか。王都から示されたのは迂回する方法らしいが、道が悪く馬車だと大きく時間を使ってしまいそうだ。
ここはどうだとか、あっちは駄目だとか話していると、時間はあっという間だ。
ルセナが少しうとうととしているのを見て、そろそろ解散しようという話をし立ち上がると、王子とフォルが「俺達は残るから」と残りの皆に休むように促した。
「侯爵と少し話があるんだ」
そう言われてしまえば、残りは顔を見合わせつつも頷くしかない。
王子とフォルの二人に就寝の挨拶をして侯爵には再度お礼を伝え、部屋を出て揃って歩く。
眠そうに目を擦っていたルセナが、ぽつりと「もしかしたら」と呟いた。
「ミルおねえちゃんの事とか、ルブラの事を話すのかもしれない」
「ああ、なるほど」
ガイアスが頷いたところで、ルセナが「僕の部屋はここだから」と挨拶をしてそばの扉に入っていく。
ガイアスとレイシス、私とおねえさまで歩きながら、また進路の山の話をしている時。
「おい」
急に後ろから声をかけられて、振り返った私達の前に現れたのは、若い男だった。
茶色の癖のある髪をなんとか後ろで縛っている、細身の男。身長はあまり高くない、と思うが、恐らく私達より年上ではないだろうか。
男は不躾にぐるりと私たちを見回すと、一瞬で目を大きく見開き頬を染めた。あちゃー、と思いつつその視線を辿った先にいるのは、やはりおねえさまだ。
「……ラーク侯爵のご子息ではありませんか?」
しばらく呆然とおねえさまを見つめていた青年に、レイシスがゆっくりとした口調で尋ねる。はっとして我に返ったらしい青年が、少し慌てた様子で、しかし尊大に「そうだ!」と答えた。
「ああ、ルセナの学園の友人が学園の依頼で来ているとは聞いていたが……おまえらどこの者だ?」
尊大な口調を崩さず言う彼は、もしかしたら誰が来ているのか父親から聞かされていないのかもしれない。ガイアスとレイシスはともかく、私とおねえさまは家名を名乗るべきか少し悩んだところで、ふん、と胸を張った男がまた口を開く。
「父上からはどこかの子爵家の使用人の出で、優秀な生徒だと聞いているから変に恥ずかしがる必要はない。ふん、ルセナに似合いの友人だな」
じろじろと私たちを見ながら言う男は、自分の名を名乗ろうとしない。侯爵が説明したらしい言葉は、実際ガイアス達の事であるから嘘ではないが……つまりそれはこの場にいるガイアスとレイシス、そしてこの場にはいないルセナを馬鹿にしているということだ。……なんだか貴族らしい考えである。
ところで、名乗ってくれないと私はこの人の名前すらわからないのだが。肯定していたのだからレイシスが言うとおりラーク侯爵の子息、つまりルセナの兄なのであろうが、さすがに貴族の名前全部覚えているわけではないんだけれど。
少しつりあがった目でじろじろと見られるからなんとなく落ち着かない。ルセナにはあまり似ていない、と思う。ルセナは父親に良く似ていたが、兄は母親似なのだろうか。と、そこで彼がミルちゃんの件で関わった兄なのかと思い出し、その事情……母親が亡くなり、嫡男としての立場が不安定だと言われているという事情を思い出して思わず眉を寄せた。彼は貴族特有の事情に巻き込まれてしまい、つらい立場なのだろう。……やったことはよくないが。
居心地の悪さに、おねえさま達と目を合わせてどうにかしてここを離れようかと思案した時。
「お前、名は」
男が名を尋ねてきた。ただし、視線はおねえさまだ。
私は、と言いよどんだおねえさまに、男は一歩近寄ると強引にその手を取る。
「俺はラーク家の長男だ。お前、どこの使用人だといったか? どうだ、王都の学園なんて辞めて、ここに仕えてみないか。ここには俺も卒業したラーク領の学校もあるし、勉学に関しても不自由はさせない。将来もいい生活をさせてやる」
うわぁ! 直球! っていうかよりにもよっていろいろな問題発言を!
慌てておねえさまと繋いでいたほうの手を強く握り、それは、と口を挟もうとした私にじろりと向けられた目は冷たい。
「餓鬼にようはない。俺が気に入ったならもうちょっと胸が育ってから来るんだな」
「はぁ!?」
なんだか非常にいただけない台詞が聞こえたぞ、おい!
「このようなドレス、着る機会なんて滅多にないだろう? ここにくればいつでも、何着でも用意してやる。ここはメシュケットだけじゃなくて周辺の国からもたくさんの品が集まるんだ。そうだ、ベルティーニのドレスの新作も贈ろう」
「……結構ですわ」
掴まれた手をぐっとひいて、おねえさまが数歩下がる。私と手を繋いでいるほうは握り締めているのでつられて数歩下がった私は次の瞬間突き飛ばされた。
「わっ」
「アイラ!」
伸びた腕に抱きとめられ、それがレイシスの腕だと気づく。代わりに前に出たのはガイアスで、彼はおい、と低い声を出すとおねえさまと男の間に身体を割り込ませ立ちふさがった。
「それくらいにしとけ、いくら侯爵家の子息だろうが容赦しないぞ?」
「使用人風情が、その口の利き方はなんだ!」
「ああ、使用人だ。でも、お前の使用人じゃないんでね」
ぐっと眉間にしわをよせた男が、舌打ちと同時にガイアスに拳を突き出す。ああ、なんて馬鹿な事を。
「軽いな」
やはり難なく受け止めたガイアスが、にやりと笑ってそれを押し返す。目を見開いた男はそのまま大きく仰け反って、手のひらに拳を押し返されただけなのに尻餅をついてしまった。
「くそ! 野蛮人め! さすがルセナが選ぶ友人なだけあるな!」
「おまえ、こいつらに手を出すのはやめとけよ、絶対後悔するぞ?」
ガイアスが私とおねえさまの方を示しながら言うと、さっさと「行くぞ」とおねえさまの手を引いて歩き出してしまった。
慌ててレイシスと後を追おうとして、レイシスがその場から動こうとしないのに気づきはっとして彼の前に回りこむ。
「レイシス、駄目。ルセナのお兄ちゃんなんだから」
「……そう、ですね。今は何もしません」
今はって。若干物騒なレイシスを無理矢理引きずって、部屋を目指す。私も言われた台詞には腹が立つが、私達は今日こちらにお世話になる身である。ここは我慢だ、我慢。
ガイアス達の部屋の方が手前にあったが、問答無用で私達の部屋まで送られた上に「絶対夜に扉を開けるなよ」と何度か念を押されてしまった。
「ラチナ、いいな? 何かあったら俺らじゃたぶんデューク止められないぞ」
「わ、わかってますわ!」
顔を真っ赤にしたおねえさまが頷いたところで、ちらちらと気にしつつもガイアスとレイシスが戻っていく。
うーん、ルセナのお兄ちゃん、大丈夫だろうか。おねえさまに手を出したりしたら、いろいろまずそう。王子はこの件で権力を振りかざして何かをしたりはしないだろうけれど。
「なんだか、疲れましたわ」
「そうですね……」
今日会ったのが私達だったからいいものの、……いや、伯爵家令嬢のおねえさまにあの態度も問題があるが、今侯爵とお話中で一緒にいなかった二人はあの男より立場も上だ。あの二人はそれで怒ったりしないだろうが、いつか二人がそうであると気づいた時あの男が困りそうだ。
ところで、彼の名前はなんだろう。辛うじてラーク侯爵家の長男は今年成人だったような覚えがあるが……ああ、王子やおねえさまより一歳上? そうは見えなかったな。
疲れてベッドに座り込みながら、明日あの人に会いませんように、と祈り、私はドレスを脱ぐために重い身体を起こした。




