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「嫌だよ、どうして!?」
馬車に乗る前にルセナの叫び声がして、思わず足を止める。
声のする方を見ると、雨避けの魔法すら使わず濡れた状態のルセナが、父親であるラーク侯爵に噛み付くように声を荒げている。
「あれ、ルセナどうしたんだろう」
「親子喧嘩……か?」
隣にいたガイアスも首を傾げる。
ルセナの父親は白髪交じりの髪をきっちりと纏め、少し目尻が下がり気味のルセナに良く似た優しそうな面立ちだ。こちらに背を向けるように立っているから現在の表情は見えないが、同じく雨避けの魔法も使わず息子に向き合っているラーク侯爵は荒立った雰囲気を感じさせず、どちらかというと「落ち着きなさい」と穏やかにルセナに声をかけているようだ。
しばらく困惑してそれを見守っていた私とガイアスは、ルセナがなぜ珍しくもあんなに怒りの表情を露にしているのか、彼の言葉で気づく。
「どうしてミルおねえちゃんは一緒じゃないの! おねえちゃんも一緒がいい! おねえちゃんが一緒じゃないと行きたくない!」
その言葉にはっとする。侯爵の身体の向こうに、小柄なミルちゃんの姿が見えた。察するに、ミルちゃんを連れては戻らない、というような話をされたのかもしれない。ガイアスがはっとして「まだ聞いてなかったのか」と呟いたのが聞こえて、彼は既に聞いていたのだと知る。
「言っているだろう。彼女を連れて帰っても、彼女は一人なんだ。何があったか忘れたのか」
「なら、ならミルおねえちゃんは学園に連れて行く! 学園に一緒に帰るから!」
ルセナがそう叫んだ。雨が収まってきているせいか、二人の話し声、内容もよく聞こえてしまう。ミルちゃんだけが小さな声で、「ルセナ、あの」と何かをいいかけたようだがそれを止めてラーク侯爵が一歩だけ前に出た。
「いい加減にしないか、ルセナ!」
ラーク侯爵の大きな声に、ルセナがびくりと身体を震わせた後、泣きそうな顔で俯いた。
同じく泣きそうな表情のミルちゃんがそれを見てルセナに駆け寄り、何かを話している。それは聞こえなかったが、次に私の耳に届いたのは、侯爵の声だった。
「ミルはずっと家族に会えていないのだぞ。……母親が待っている。待っていたのはお前だけではないんだ」
ぐっと言葉に詰まるルセナ。
……そういえば、彼女のご家族は全員侯爵の手によって安全な地へと移動した、とルセナが言っていただろうか。確か、ご家族にもルセナは連絡が取れないのだと。
もしかしたら、ここでミルちゃんと別れてしまえばまた会えなくなってしまうかもしれない、とルセナは思っているのかもしれない。
彼女を一緒に連れて行けない理由は、ルセナの兄だろうか。危険だとわかっていてミルちゃんを外に使いに出しルブラに攫われる原因を作った人。侯爵がミルちゃんを連れて帰らないのがもしその兄が原因だとすれば、兄はいまだに反省していないのだろうか。
そんな人が次期ラーク侯爵に、と考えかけて、ふるふると首を振った。そんな他所の家庭の事情を推察するのもどうかと思うし、そもそもその兄だって聞いた話だけで私は判断してしまっている。この考えが既に間違いだ。
そこでふと、もしかしてそれ以外の理由があるのだろうかと考える。彼女は『ルブラに攫われた』と思われる人物だ。こうして無事に戻ったなら、城の騎士だって王だって侯爵だって、もっと何か聞きたいことがあるのではないか……? 彼女は、かなり重要な人物の、筈。
ちらりと王子が乗り込んだ馬車を振り返りながら疑問に思う。本当にミルちゃんをご家族の下に戻すのだろうか。……危険ではないだろうか。ルブラは情報の漏れる恐れのあるミルちゃんを放っておくだろうか。
「ねぇ、ガイアス」
呼べば、ちらりと私を見下ろしたガイアスがの手が頭にぽんと乗った。
「どうした? そんな顔して」
「ミルちゃん、離れて大丈夫なの……?」
ああ、とまた視線を外しルセナたちの方に目をやったガイアスが、私の頭に載せていた手を軽くぽんぽんと動かすと、大丈夫だ、と言う。
「ルセナには言えないが、近いそうだよ。家族が住んでいる場所。騎士を数人残して家族に会わせた後、事情を詳しく聞くらしい」
「……そう、なんだ。でもそれじゃ、どうしてルセナに教えてあげないの?」
「どうだろうな。侯爵が困った顔してたから、それ以上は聞いてない」
そっか、と呟きながらルセナを見る。何かしら理由があるらしい彼の父の考えには口を出せず、ただ見守るしかないのが少し歯がゆい。
彼女は私と同じ特殊な血を引きながら、私と同じではない。私は見た目ではわからないが、獣人の彼女の頭部には見てすぐわかるしるしがある。ルセナが言うように王都に連れて行くのは危険だろうから、きっと今は耐えるしかないのだ。
「ほら行くぞアイラ」
ガイアスに腕を引かれて、そこを離れ馬車に乗り込む。そうだ、私はやらなければいけないことがあったんだ。
「じゃあお願い、アルくん」
任せて、と精霊の姿で馬車を出て行くアルくんを見ながら、ふうと息を吐いた。
アルくんに魔力を渡し、私達が行く馬車の外で定期的に周辺の精霊に協力をお願いして、私たちに近づこうとする人間がいれば知らせてもらうのだ。
「大丈夫か?」
「うん平気。ちょっと多めに魔力を渡してるから、疲れただけ。アルくんのほうが大変だと思う」
「アルが……お前も、無理すんなよ」
心配してくれるガイアスに大丈夫だと頷いて、魔力を回復しようとそっと目を閉じる。薬を使わないのなら、ゆったりと休むのが一番だ。
今この馬車に乗っているのはガイアスと私、王子におねえさまだけだ。夜営を挟むので今回は男女別ではないらしく、精霊拳で分けたので偶然だが、レイシスとフォルは分かれ、別の馬車にミハギさんとセンさんの二人と乗っている。
ミハギさんとセンさんは侯爵がこのまま連れていくらしく、一緒に移動になったのだ。
ルセナはラーク侯爵と一緒に馬車に乗るらしいが、大丈夫だろうか。そう考えていた時、出発、と騎士が叫ぶ声が聞こえた。
「ルセナは納得したらしいな」
それまで静かだった王子がぽつりと呟く。やはり王子は知っていたらしい。
しんと静まった室内で、がたがたと馬車が揺れる音だけが響く。しばらくそうして走っていた時、ふと風の魔力を感じた。
「え」
「心配するな。俺が防音の魔法を使っただけだ」
私とおねえさまがほぼ同時に緊張した面持ちで顔を上げた時、目を閉じていた王子がそういいながら崩していた姿勢を正し私を見る。
「アイラ、お前、アルのことは聞いたのか?」
「……えっ、と……」
息をのんで王子を見つめる。アルのことをは聞いたのか、と言われても、何を、と頭が回らず、しばらくしてガイアスを見れば、ガイアスはただ黙ってこちらを見ていた。
「アルに直接兄貴なのか聞いたのか、って意味じゃないか?」
助け舟を出してくれたガイアスに、「ああ」と言いながらも混乱する。やはり皆、もうアルくんがどういった存在か知っているらしい。
アルくんには、聞いていない。聞くべきだった? 王子が報告を待ってた?
「その顔じゃ、聞いてないな?」
にやりと笑った王子が、「安心しろ、ただのお節介だ」というので、ほっとする。逃げている自覚はあるが、まだ勇気が出なかった。
「ただもしそうだとしたら……不思議だな。精霊に生まれ変わるなんてことが、あるのか」
「そもそも記憶があるのでしょうか」
「どうだろうな」
三人が話し始めるのを聞きながら、俯いた私はポケットから石を取り出した。サフィルにいさまにもらった、桜の石。
「アイラそれ、見せてもらえるか?」
無理ならいいんだ、と王子が珍しく控えめに話すので、少し考えて私は桜の石を王子に手渡す。
「……石に桜を閉じ込めた魔法石、か。これは我が国独自の技術だから、随分と外には人気が有るんだ。植物をこうして石に入れる技術は数年前に成功してから増えてはいるが、桜は少ない。なんと言っても咲いている時期が短いからな」
「ああ、そういえば今王都にいるけどあまり見ないな」
ガイアスが相槌を打ちながら頷く。私はそもそも立ち寄る店が偏りすぎているせいか、そういうものが売っていそうな店すら知らないな、とふと思い出す。一年以上王都にいるのに、びっくりするほど私は王都について知らないらしい。
「アイラ。……お前、何のエルフィかわかったか?」
手元に戻ってきた桜の石を大事にポケットに戻した時に言われて、あっと小さく声をあげる。
そういえば、私が魔力を色で判断できるのは緑のエルフィの能力ではなく、他の力である可能性が高いと王子に説明されていたのだった。
「すみません、調べていませんでした」
王子は早くから私に教えてくれていたのに申し訳なく思い顔をあげると、いや、と呟いた王子が何かを考え込むように黙ってしまう。
その後ふっと風の防音の魔法は消えてしまい、また馬車の中はがたごとと馬車が揺れる音だけになった。
休憩、夜営を挟んでも、私達を襲うような存在を感じる事はなく、次の日の夕方には外壁に囲まれた非常に大きな街が見えた。
そこに来て王子に警戒を解くように言われ、アルくんに終了を告げほっとして猫の姿に戻ったアルくんを抱き上げた。
「お疲れ様」
「にゃん」
鳴いて返事をしたアルくんを抱きしめたまま、私たちを乗せた馬車はルセナの実家がある町、シュルグへ入る。
休憩の時に聞いた話では、ルセナはかなり意気消沈してしまっているらしい。なんとかする方法はあるかな、と考えてみても、獣人が生きるには王都は厳しい場所だろう。そうでなくても、ルブラにまた攫われるようなことがあってはならないのだ。この領内においては、今度こそ守るとラーク侯爵が話してくれたらしいが。
窓を開けてもいいという許可を貰い、おねえさまと二人でわくわくとしながら窓を開けて外を見れば、流れていく風景は少し珍しいものに感じた。
「ラーク領は交易が盛んな場所だ。出入りが激しい為に異国の雰囲気もあると聞いていたが、これは見事だな」
王子が見ているのは、街灯だ。王都にあるものより間隔が狭く、丁寧に舗装された街路が明るくみえる。街灯そのものもデザインが統一され、建物や並びは王都の一番広い通りと似ているのに、こちらの方がお洒落に見えるから不思議だ。
明るければ犯罪も減る。裏路地の方にも街灯の設置をしているようで、これはいいなと王子が呟いた。
もうすぐ夜になるというのに、活気があった。ふと一年位前に王子達と夕方の王都を歩いたことを思い出す。あの時より、人は多いかもしれない。
気づけば馬車の揺れも少なくなってきていた。あまり痛みは感じないが、座っているだけというのも案外疲れるものだ。
ゆったりと流れていく風景を見ながら、もう少しで降りれる、という安堵を感じ、私はおねえさまと笑いあった。




