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桜の花びらが散ってる。
そこにいる人影に抱きつこうとして、私の腕は空を切る。ぶわりと桜の花びらが舞って、叫んだ時……
「アイラ!」
ぱっと笑顔になって私を見ていたのは、おねえさまだった。
「……おねえさま」
見知らぬ木の板を張り合わせた天井。染みもところどころ広がっていて、建物が少し古いように見える。そんな様子を背景に、笑顔のおねえさまはきらきらとした笑顔で、私に手を伸ばしてくる。手のひらに魔力が集まっているから、恐らく診察だ。
「私、いつ」
「アイラは気を失っていましたの。でも、数時間だけですわ。今はお昼を過ぎたばかりですから」
「……ミハギさんとセンさんは?」
あの二人が危ないとあの場に行って、それで……
「フォル! フォルは!?」
がばりと身体を起こした私は、襲われた眩暈に呻く。おねえさまに「まだだめですわ!」と寝かされたものの、それでも茶色の天井が回って見えた。
「フォルは無事です。むしろ元気に動き回っておりますわよ。起きるのは私より早かったんじゃないかしら。今はデュークと一緒に出てますわ。……ミハギさんとセンさんも無事ですけれど、ミハギさんは治療中で」
「そうですか……」
よかった、と息を吐いた頃、漸く回る天井が治まり始めた。
フォルが怪我をしたんだ。……そこで記憶が途切れているようだけれど、私はどうして気を失ったんだろう。マグヴェルにやられた……?
なんにせよ、皆が助けてくれたようだしお礼を言わないと、とぼんやりと考えた頭の中にすっきりしない部分がある。
桜……。
桜の花びらを、見た気がしたのだけど。
思い出そうとすると、燃え上がった葉が散る場面が浮かぶ。私が見たのは焼ける植物達が散った様子だったのだろうか。精霊たちは無事だろうか。寄り代を失った精霊たちは、生まれ変わる者が多い。いなく、なってしまったのだろうか。
目を閉じると、あの時の精霊の悲鳴や怒り、そして炎による熱気や痛みまで思い起こされ、私は慌てて目を開けて天井を確認し、ゆっくりと起き上がった。
「もう起きます、おねえさま」
「……大丈夫?」
頷こうとしてぐらりと揺れて、慌てて「はい」と声に出す。
おねえさまが、ここはすでにラーク領で、ルセナのお父様から送られた騎士達に保護されている事を教えてくれる。マグヴェルやダイナーク達は王子が蛇で縛ってつれてきて、引き渡しているらしい。
あいつらは明らかにルブラに関係がある。放置されていないことにほっとして、さらにルセナが獣人の少女と合流できたという話を聞いてやっと安心して笑うことができた。
おねえさまが私の様子を見て、穏やかな笑みを返してくれる。
「何か口に出来そうなものを探して参りますわ。その間男性陣は遠ざけておくから、身支度を済ませてしまえるかしら」
「大丈夫です。ありがとうございます、おねえさま」
いいえ、とふわりと微笑んで出て行くおねえさまが扉を閉めるのを見つつ、息を吐く。
ふと自分のいる場所を見ると、部屋はそれほど広くはない宿屋のようだと気づく。ベッドが二つ。隣のベッドは綺麗に布団が戻されているものの使った形跡があるから、おねえさまが寝ていたのかもしれない。
真っ白なシーツに包まれたベッドから足をゆっくりと下ろし、一度大きく伸びをする。身体が酷く強張っている気がして擦ると、自分の魔力が妙に減っている事に気づく。
「え……」
ぞわりと身体がざわついた。尽きたとかそういった様子はないが、どこかおかしい。
手を握ったり開いたりしつつ、妙な魔力の減りを確かめるが、原因がわからない。
「……後にするか」
ため息を吐いてベッドから立ち上がった私は、違和感を残したまま身支度の為に洗面所へと向かった。
「アイラ、どこも痛かったりしないかー?」
私が気を失っている間の事を聞きながらおねえさまからもらった豆のスープを飲み終える頃、そういいながらひょっこりと顔を出したのはガイアスだ。
「大丈夫。ガイアス、ありがとう」
スープを飲んでいる間、気を失った私を運んでくれたのはガイアスだとおねえさまに聞いた。重かっただろうなと申し訳がない気持ちと、足手まといになってしまったという不安が入り混じり顔を上げるが、ガイアスは手を軽く振ってからりと笑う。
「大丈夫大丈夫。ただ風歩で運んだから、身体どっか痛くないかなって心配したんだけど」
「それは、問題ないけど……ガイアス、私、魔力が減ってるみたいなの」
何でかな、と聞く前に、ガイアスの妙な表情に気づき口を噤む。
「それは、えっとなー」
「……ガイアス?」
言いづらい、と顔に書いてあるガイアスを見てどうすべきか悩むと、そばで見ていたおねえさまが「そういえば」と話題を変えた。
「レイシスは何をしておりますの? まったく」
どこか咎めるような口調に、不安になる。レイシスがどうしたのだろうと顔を上げれば、ガイアスが苦笑して待ってて、と告げて部屋を出て行く。
「……どうしたんだろう」
「まったく、こんな時に男ときたら」
どこか怒った様子のおねえさまに首を傾げながら待つこと少し。アイラ、と明るい調子で戻ってきたガイアスの後ろにいるレイシスを見て、ほっとする。
「レイシス。どこか怪我とか、してない?」
「……アイラ」
珍しく皆がいるというのに名前を呼んだレイシスが、見てわかるほど身体の力を抜いて笑みを浮かべた。違和感を感じたが、心配をかけていたのだろうと申し訳なくなる。
その時だ。
とす、と何かが落ちる音に何だろうと振り返った時、窓枠から飛び込んできていたらしいその姿に目を見開く。
柔らかい金の毛に薄茶の瞳。私が見間違う筈もない姿だが、ここにいるはずがないのに。
「アルくん、どうして……」
「来たんだよ、昨日」
ガイアスの言葉で、まさかと驚いてアルくんを見る。
『アイラ』
まっすぐに見つめてくる瞳が、少しの後僅かに逸らされた。
『アイラ。僕は君の溢れた魔力を使ってここに来た。君は魔力を暴走させたんだ』
「え?」
「おい待てアル、その話は」
ガイアスが割ってはいるが、アルくんは止める様子はない。
とてとてと歩み寄ってきたアルくんは、その小さな足を私に向けた。
『精霊には、帰郷の魔法がある。自分が寄り代と選んだところにすぐ戻る魔法だ。アイラがいなくなったって聞いてすぐに使おうと思ったけれど、距離があるとそれなりに魔力を使うみたいで、僕は魔力が足りなかったせいでそれが使えなかった』
うん、と言いながら頷く。精霊にそのような魔法があるのは聞いた事があるが、そもそも精霊は寄り代と選んだものから離れる事が少ない為、あまり使ったという話は聞かない。
なんでいきなりその話題? そもそもなんで帰郷の魔法を使うと私のそばに? と首を傾げたが、私が魔力を暴走させたという話も気になってそれを考える事ができず、アルくんの話を待つ。
『僕はあの桜の木の精霊じゃない。最初からずっと、アイラの持つ桜だけの精霊だ。だから帰郷の魔法を使おうとしたけれどずっと魔力が足りなくて』
「……え?」
『昨日君が魔力を暴走させた。それで石に魔力が流れ込んで、僕は帰郷の魔法を使う事ができた』
石、と言われて、漸く話の意味を理解し始める。
はっとしてポケットに手を入れてそれを探し出し、取り出す。変わらずそこにある桜を見て呆然とした。にいさまから貰ったこれを寄り代としている精霊がいるだなんて、思いもしなかった。……いや、違うか。
「魔力の暴走ってなんで……」
「アイラは、過去にも二度暴走させているぞ。……知ってたか?」
諦めたようなため息交じりの声でガイアスに言われた内容に息を呑む。
マグヴェルだ。……今までは暴走させかけただけ、だと思っていたけれど。
「……誰も怪我、してないのよね? ミハギさんと、センさんは?」
「ルセナが防御壁を張ってくれていたから大丈夫ですわ」
それでも、と混乱した頭で考える。魔力を暴走させて皆を危険な目にあわせたのだ、私は。
「……ごめんなさい」
思わずぐっと力をこめて石を握りこむ。
ごめんなさい、ともう一度言って俯いた時、視界で金の毛につつまれた尻尾が揺れた。
自分の心の中で、何かにたどり着きそうになった時。急に頭がぼんやりして考えが止まってしまう。
もやもやと溜まった不安で圧迫されたように胸が苦しくなって、それで考える事を止めるのだ。
「アルくん」
呼べば見上げてくる薄茶の瞳が同じだとずっと気づいていた筈なのに。
あなたはサフィルにいさまですか。
この一言はどうしても言えないのだ。




