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161.レイシス・デラクエル


「ミハギさん! センさん!!」

 アイラが俺の腕をすり抜けて飛び出していく。周囲はバチバチと爆ぜる音で煩く、熱気で空気が揺らめいて、ひどい有様だ。一瞬の内に森を炎に包む程の炎の矢を放った敵の女が悠々とこちらに向かってくるのが見え、慌ててアイラに手を伸ばす。

「駄目です、お嬢様!」

 ミハギの背に矢が刺さったのは見えた。あれはどう見ても致命傷に見えたが、今から治療して助かるだろうか。もちろん救いに行きたい気持ちはあるが、敵がそれを許しはしないようだ。あいつらは、マグヴェルが連れていた女だ。

 急いでアイラを追いかけたが、すぐに足を止め俺は魔法に吹き飛ばされたらしいアイラの身体を受け止める事となった。悲鳴をあげたアイラを腕でしっかりと抱きとめ、すぐに防御の為の壁を張る。ミハギとセンは、土の壁に覆われていた。

「くっ」

 吹き飛ばされたらしいのに、アイラは目の前で土の壁に覆われた二人を見てさらに悲鳴をあげてもがく。

 急いで助けないと、ミハギさんが、と切れ切れに叫ぶアイラであるが、恐らく俺達からミハギとセンを引き離したあの土の壁の地属性魔法を使ったのはダイナークだ。マグヴェルが追いついたのだろうとアイラを強引に引きずる、が。


「あ、あ、あっああああっ!」

 奇声が聞こえて思わず眉を寄せ、アイラの姿を自分の後ろに隠すが、視界にでっぷりとした腹が目に入り、アイラを真っ直ぐ指差す短い指を見て思わず舌打ちをした。

「アイラちゃん!! アイラちゃんじゃないか! ああ、私に会いに来てくれたんだね!」

「んなわけあるか」

 ガイアスがそう言い返しながら治療をと焦るアイラを引っ張る。

「落ち着けアイラ」

「ガイアス! ミハギさん、すぐ治療しないと!」

「わかった、わかったから!」

 アイラは必死に俺とガイアスの言葉に頷こうとしているが、無理だろう。マグヴェルのせいで誰かが死ぬかもしれない、という状況はアイラを酷く混乱させるはずだ。

 ……というのに、あの男は相変わらず何か勘違いしているのか、途端ににやにやとした笑みを浮かべだす。

「アイラちゃん! ほら、私のところにおいで。ああ、忌々しいデラクエルめ、その手を離さんか!」

「デラクエル!? デラクエルがいるのか! おお! 俺様の宿敵、デラクエル! おいデラクエル、勝負しろ!」

 ダイナークまで騒ぎ出して、それぞれの思惑も行動も別というこの状況。

 まさしく場は混沌としている。こうなる前に逃げ切りたかったがこうなってしまえば仕方ない。

 アイラを渡すわけがない。ならば覚悟を決め、相手を倒すまで。

「ガイアス」

「ああ、仕方ねーな」

 これは本気でやるしかないと体内の魔力を沸き立たせる。

 ちらりとフォルを見ると、彼は頷いてミハギのいる土の山を見る。治療は彼に任せて、と思った時、また雨のように火が降り注いだ。アイラがひっと息をのむ。


「これ以上森を燃やさないでっ!」


 悲鳴に近い叫び声を上げたのは、アイラだ。耳を押さえていやいやと首を振る彼女を見て、はっとする。


 きっとアイラの目で見るこの森は、地獄絵図だ。


 考えても見れば、俺には飛び交い逃げ惑う精霊の姿は見えないし、彼らの悲鳴も聞こえないが、アイラの目には普段仲良く過ごしている精霊たちが逃げ惑う姿が見えているはず。俺ですら眉が寄る程の炎に包まれた光景であるのに、助けて助けてと泣き叫ぶ精霊の声がアイラを襲っているとしたら。

「くそっ」

 ガイアスが剣を持った両手を振り上げ、大きくそれを振った。周囲の炎が僅かに揺らぐが、相手の魔力に自分の魔力をぶつけて火を消すのでは時間がかかりすぎる。

「水の蛇!」

 ラチナが唱えた水の蛇が、木に燃え移った炎を飲み込みながら森を翔る。じゅっと消えていく炎にはっとしたアイラがそれに続くが、マグヴェルを囲んだ女二人が「させないよ」と叫んで更に魔力を吹き荒らした。

「ルセナは全体防御! ラチナとアイラが森の消火、フォルは治療、レイシスは援護! ガイアス、出るぞ!」

 デュークの指示が出され、従うしかないと魔力を練り上げる。

 風魔法は駄目だ、この炎を更に遠くに運んでしまう。ここは威力は少し落ちるが水魔法か、と詠唱すれば、ダイナークが腕を振り上げたのが見えた。

「水の玉!」

「地の蛇!」

 ダイナークが五匹同時に生み出した蛇を、水の玉で叩き潰す。その瞬間にデュークの剣が閃き、体勢を崩したダイナークにガイアスの剣が繰り出された。が、それはガキンと大きな音を響かせて弾かれる。身体に直に防御魔法を貼り付けているのだろう。

 アイラの位置を常に気にしながらチェイサーを放つ。チェイサーは一度生み出してしまえば魔力を練り上げる必要がなく楽であるが、得意の風でない為になんとも使い勝手が悪い。水は、アイラの得意分野だ。

「沈んでいなさい!」

「くはっ」

 どうやらこちらの目を盗んで攻撃を仕掛けようとしたらしい敵の女の一人が、ラチナの重力魔法で地面に押しつぶされたのが見えた。あれではしばらくは簡単に動けないだろうから、残るはもう一人の女に、厄介なダイナークと、魔力はない筈のマグヴェルに注意して……


「マグヴェルっ」


 視界に飛び込んできたのは、いつの間にか土の壁がなくなり遮るものがなくなったミハギとセンの元に駆け寄るマグヴェルの姿。

 ミハギの治療中だったフォルがマグヴェルの後ろに付き従っていたもう一人の女の水魔法で治療を中断せざるを得ない状況に持ち込まれていて、厄介な存在に唇を噛む。恐らくまた、マグヴェルの持つ杖は魔力を消す類の魔道具なのだろう。

 そちらに援護に入ろうとしたものの、ダイナークの攻撃が激しすぎてこちらにまで影響が出始め、俺は自分の足元から突き出してきた地の針をなんとか避けつつ、残っていたチェイサーをマグヴェルの後ろの女に飛ばす。

 チェイサーは正確に女を捕らえるとその身体を打ち上げ、恐らく戦闘不能状態までには持ち込めたのであろう、女はどさりと落ちた後は動かない。

 しかし、それを気にした風もなくマグヴェルが手にした杖を振った。

「この男、トドメをさしてやろう!」

「やめて、ミハギーっ!」

 センの悲鳴に、常に視界に入れていた消火をしていた筈のアイラが一瞬見えなくなる。

「アイラ、駄目だ!」

 思わず叫んだが、アイラはマグヴェルの元へと駆け出し、ミハギとセンを庇おうとする。マグヴェルの手に握られていたのは、仕込み杖だったのか。ぎらりと光る刃に、センが悲鳴をあげた。

「この男もデラクエルも始末して、センもアイラちゃんも私が娶ってやろう!」

「駄目!」

 アイラが飛び込む。

 躊躇いなく振り下ろされたそれに、周囲に血飛沫が散った。


 向かいかけていた足が止まる。


「フォルーーーー!?」


 アイラが絶叫する。マグヴェルが振り下ろした仕込み杖は、飛び込んだアイラを庇ったフォルの氷の防御を容易く消し去り、庇うように掲げられた彼の腕を傷つけていた。吹き出した血は多いものの、腕を落とされたりはしていないようだが、それを間近で見たアイラの様子が……一変した。

「しまった!」

 遠くでガイアスの声が聞こえる。


 強い風を感じ、アイラに駆け寄る事ができず思わず風に煽られて足元がぐらついた。

 何が起きた、と考えると同時に、唐突に、ずっと昔にガイアスと交わした会話が思い起こされる。




「覚えているか、兄貴が死んだ時のアイラ」

「……忘れるわけないよ」

 揺らいだ魔力が暴走しかけ、奥様が幼いアイラの魔力の制御の為に苦戦していたあの頃を忘れるわけがない。

「それに……あの誘拐事件のとき」

「あの時少しの間だけ、マグヴェルの前でアイラは魔力を暴走させた」

 マグヴェルの影がちらついた時、それが怖い。アイラの中ではあのことはなにも終わっていない。

 荒れ狂う程の怒りを幼い頃から抑え付けていたアイラの危うさは、よく知っていた筈なのに。


 そうガイアスと話していたのに。




「アイラ!」

「魔力の暴走だ!」

「ふざけるな、アイラの魔力量で暴走されたら!」

 後方でガイアスとデュークの焦った声が聞こえる。

 揺らぐ魔力に抵抗しながら、必死にアイラの元に向かおうとするのに、距離が近づく程息が出来ない重苦しさに襲われて呻くしかできなくなる。


「おい、なんだこれ……ぐあっ」

「ちっ、おまえはそのままやられておけ!」

 ガチンと何かがぶつかる音の後、ダイナークがデュークに切り伏せられてあっさりと地面に沈んだのが見えた。やっつけの地のエルフィの力ではこの吹き荒れる魔力の対処法がわからなかったのだろう。ちらりと周りを見れば、ルセナとラチナが必死に仲間全員に少しでも吹き荒れる魔力に当たらないように防御を張ってくれている。

 マグヴェルは杖を掲げたようだが、魔道具などで抑えられるわけがない暴走した魔力に中てられ、とうに気を失っていた。そしてそれを、アイラが虚ろな目で見下ろし、その手に魔力をかき集めている。……まずい。

「アイラ、殺しては駄目だ!」

 俺が叫んだ瞬間、一瞬だけぴくりとアイラの身体が揺れる。だがその腕は振り上げられ、見る見るうちに魔力は鋭利な刃物のように鋭く具現化される。

 駄目だ。いくらこれ程の怒りを持っていても、二度も暴走に耐えたのはアイラがこの方法を望んでいないからのはず。今ここでマグヴェルを殺したらアイラはきっと、


『後悔する! アイラ!』


 俺が叫んだ時、頭に直接響くような声が重なって届いた。


 ひらり、ひらりと舞う桜。もちろんこんなところに桜なんて、あるはず、ない。


「あ……」


 呆然と宙を見るアイラの手の中が淡く光っている、と思うと、力が抜けたように振り上げていた手をだらりと下にしたアイラの手の中からその光が転がり落ちた。

 荒れ狂う魔力はもうなくて、代わりにひらひらと舞う桜が、炎で荒れた一帯を癒していく。焼けた緑を癒すのは間違いなく、植物の精霊魔法。

 ふわりとアイラを守るように抱きついた人影に見覚えがあった。


「あれは……アル……?」

 デュークが呆然とその光景を見て呟く。ガイアスがそれを否定した。

「違う。あれは……」

 

 兄上だ。


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