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「きゃああっ!?」
私が流し込んだ魔力で敵の生み出した水の蛇が陸に上がった魚のように跳ね、センさんが悲鳴をあげたところで蛇が唐突にしんと静まり、下降を始める。
その様子を呆然としながら見ている敵を確認しながら蛇から飛び出し、センさんを地面へ運ぶ。敵が放った水の蛇は、そのまま霧になって消えていった。相手の魔力を私の魔力が上回ったのだ。
「水の蛇はこうするのよ!」
すぐさま詠唱して蛇を二匹生み出し、女二人に向かわせる。センさんがミハギさんの腕に戻ったのを確認してからさらにもう一匹水の蛇をマグヴェルにぶつけ、その巨体を縛り上げた。
「なんなのかしら、あの女!」
「私の蛇を! なんてこと!」
マグヴェルの両脇で騒ぐ二人は放っておき、三匹目の蛇がマグヴェルが声も出せぬよう巻きつき、締め上げる。それを見ながらぐらぐらと視界が揺れ、耐えるように足に力をいれた。
「お嬢様!」
「おい、駄目だ!」
レイシスとガイアスが、私の腕を引いた。二人に引っ張られた私は彼らの腕の中に戻り、マグヴェルから隠される。
それでも私はマグヴェルから視線を離さない。あいつ、生きていたのか。まだ同じような事をしているのか!
「なんなの、なんなの!」
「こんなもの、こんなもの!」
水の蛇を出した女ともう一人の女ががばしゃばしゃと蛇の身体を叩くが、魔法で生み出した蛇がそんなもので怯む筈もなく。
「おーっと、それ以上はやられたら困るな」
私の次の魔法を邪魔するように飛び込んできたのは、後ろで王子達と戦っていた筈の男……ダイナーク。
彼が繰り出した土の魔法に抵抗しようとした私の蛇が、あっけなく消える。
「こいつに死なれたら報酬払ってくれるやつがいなくなっちまうからな」
慌てて後ろを振り返れば、焦った様子で駆け寄る王子達が見えてほっとする。よかった、無事かと息を吐くが、状況が好転しているわけではない。ダイナークは王子達の攻撃からあっさりと逃げてこちらに邪魔できるほど強いのだ。
「んぐぐ」
おかしな声をあげながらげっほげっほと咳をして巨体が揺れると、私の身体は自然とレイシスの後ろへと下げられた。
「ったく、私の名を知っているのは、誰だ?」
のっそりと起き上がるマグヴェルを見て、慌ててガイアスがフードを被りなおす。
じりじりと下がると、ぐっと手を引かれた。
「アイラ。マグヴェルは魔力を使えないよね」
「え? うん。確か魔道具頼りで」
「逃げようか」
「えっ?」
私に囁くのは、フォルだ。逃げるってどういうことだろう、と思っていると、フォルが真剣な表情で、隣にいる王子にも話し出す。
前を見れば、マグヴェルはダイナークの手を借りてまだ咽ている。女二人もよたよたと起き上がろうとしているところだ。
「ここで大きく動きすぎた。ここはまだそんなに街から離れてないからすぐティエリーがやってくる」
「ああ、そうだな」
「アイラやガイアス達がばれていないようなら、離れよう。どうせセンさん達を追ってくる筈だ」
ひそひそと話しているが、そばにいるセンさんたちにも聞こえたようで、頷いている。
私はそれが最善なのかどうなのか、まったくわからなかった。混乱しているのだと漸く気づく。
「まったく、センちゃんは恥ずかしがり屋だな。そんな何人も戦士を雇って、私の愛を試しているのかな」
よくわからない事をいうマグヴェルを注意深く見ていたガイアスが、こちらにこっそりと頷く。逃げることに賛成なのだろう。
しかしダイナークの強さを考えれば、普通に逃がしてくれるとは思えない。どうするのだと困惑するが、フォルたちは本気のようだ。
「合図をしたら、森の方向に全速力で風歩を使おう。相手は僕が止める」
「フォル? そんな、どうやって」
「いいから」
私たちがひそひそと話している間に体勢を立て直したのか、マグヴェルが「さあ!」と叫ぶ。
「強気な女もいいねぇ。ああ、ぜひ手に入れたいものだ。よし、センも含めて女を全員置いていけばお前達は見逃してやろう!」
ありえない事を大威張りでいいながら、マグヴェルが一歩足を踏み出した、瞬間。
「行くぞ!!」
王子の叫び声に、私は腕をレイシスに引かれる。
慌てて風歩を使うがフォルが気になって振り返ったところで、詠唱を開始していた彼の魔力が異常に高まったのが見えた。
「スノウストーム!」
まさかの大魔法にぎょっとする。
夏の夜の空気が一気に真冬のような猛吹雪に変化し、ダイナークはぎょっとして慌てて防御に動いたようだ。
肌に触れる空気が冷たい。恐ろしい威力の吹雪に、フォルの魔力が心配になる。白い雪の中から飛び出して私たちを追ってくるフォルの姿が見えてほっとしたが、ダイナークがどんな動きをとるのかわからない為に油断もできない。
「全速力だ。後ろは振り返るな、アイラ!」
王子に言われて、慌てて頷き進行方向に視線を向けて走る。フォルが並んでしまえばもう後ろを気にしている余裕なんて私にもない。
吹雪から遠ざかっても肌に触れる風は冷たく体温を奪う。普段風の抵抗を抑える為に使っている魔力が上手く使えず弱ってるのだと気づき、ここで漸く逃げる判断は正解だったのだと気づく。私は魔力を上手く使う余裕がないのだ。
ふっと風が和らいだかと思うと、ルセナと目が合った。恐らく私の代わりに風を抑えてくれたのだろうと気がついて、周りには気づかれてしまっていた動揺に恥ずかしくなる。敵と対峙している中で集中できないだなんて足手纏いもいいところだ。
だがそれも一時だ。マグヴェルは絶対にまたセンさんを追ってくるだろう。なるべく早く獣人の少女と合流してラーク領に逃げたいところだが。
なんでマグヴェルがいるんだ、ここに。
確かに死んだかどうかなんて確認していなかったが、てっきりどこかに捕まっているものだと思っていた。あれほど罪を重ねていた男があっさりと出る事ができたのだろうか。こんな、数年でまた同じような事を繰り返すほど反省してないあいつを見ると、確かに自分の中の魔力が上手く制御できずに揺れるのを感じる。
サフィルにいさま、助けて。
思わずポケットに手を伸ばし、桜の石の存在に縋る。
移動しながらガイアスがおねえさま達にも、恐らくダイナークが以前も見た人工的な地のエルフィであると説明すれば、ちらつくルブラの影に皆の表情が引き締まる。
「ルセナの友人もそうですが、各自使う魔法には気をつけないと」
「ああ」
「このまま逃げ切るのがベストですわ」
走る私達に必死についてきているミハギさんとセンさんの息が荒くなってきている。もう周囲には木々が増え始め、獣人の少女と約束した森の通りに入ったと確信して周囲を見渡す。
だが私が走る横に淡い光を放ちながら並んだ精霊が、私がエルフィであると気づいて心配そうに告げたのは、「後ろに君たちを追っている女二人がいる」というもので。
「あの女二人が追ってきてる!」
叫んだ私の横を、炎の矢が通り過ぎた。
「なんてこと! 森で火の魔法を使うなんて!」
「ラーク領はここから遠くないのに!」
「あっ」
ざざざ、と音を立てて、むき出しの木の根に足をひっかけたらしいセンさんが転ぶ。勢いあまってその場で転がったセンさんが木にぶつかりぐったりとしたのを見たミハギさんがそこに飛び込み、慌てて足を止めた私達の視界に炎がいくつも飛び込んでくる。
再びルセナが水属性の防御魔法を生み出すが、いくつかの炎の矢から炎が木に燃え移り、周囲からばちばちと炎が上がり始める。
驚いて飛び出してきた精霊たちで、森がざわついた。
「ひどい……っ!」
やるしかないかと皆が詠唱しだした時だ。
防御魔法の中にいた筈なのに、すっとその魔法が消える。そういえばさっきも消された、と思った時、漸くマグヴェルが昔も『魔法を消す魔道具』を持っていたのを思い出した。
「危ない!」
誰が叫んだのか。飛び込んでくる炎の矢に水魔法で対抗しようとしたが、遅い。がむしゃらに水の防御魔法を生み出した私が、そろりと目を開けた時飛び込んできた光景は、目を瞑りたくなるもので。
センさんを守ろうと覆いかぶさったミハギさんの身体を、炎の矢が容赦なく襲っていた。
もしかしたら立て込んでいるので明日の更新だけお休みするかもしれません。




