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「うう、眠い」

「眠い、ですわね」

 雪崩れ込むように入り込んだ部屋は、朝食の仕込みで起きていた宿屋の主人に何とか頼み込んで用意してもらった宿の一室だ。突然だったので朝食はなしだぞ、という約束だが、もちろん異論はない。食欲より睡眠欲である。ちなみに、私とおねえさまの二人部屋だ。ルセナにはフォルがついている。

 とりあえず一旦皆寝よう、と解散した私達はそれぞれの部屋に引っ込んだわけだ。飛び込んだベッドで、酷使した足はふわふわとはいい難いものの迎え入れてくれた布団に沈み、急激に重たく感じた。もうしっかり休むまでこのベッドから出てやるもんか、という思いと、シャワーは浴びたいかも、という思いが混じるが、だんだんとそれが霞んでいく。

 視界に、隣のベッドに同じように突っ伏してしまったおねえさまが見える。ああ、おねえさまもそのまま寝てしまうかな。せめて布団だけでも……かけてあげない、と……。




「アイラ。アイラ、起きてくださいませ」

「……んえ?」

 困ったような声に呼び起こされて目を開けた時、眉を下げたおねえさまが「もうとっくにお昼を回ってますわ」と言うのが聞こえた。

「えっ……あ! ありがとうございます、おねえさま!」

 慌ててベッドから飛び上がって起き、荷物をかき集める。確か解散する前の話では、夕刻前に一度集まろうという話だった筈だ。

 その前にシャワーを浴びたい、と思う乙女心を、おねえさまが察してくれたのだろう。私はもう終えていますからと促されて、部屋のシャワー室に飛び込む。

 学園の寮のシャワー室よりも狭いが、旅の途中で浴びられるだけ十分だ。泡立てた石鹸に身を包み、ほっと息を吐く。泡を流して身体と髪の水分をタオルでふき取り、ふと思い立ってあの香水を手に取る。今ほんのりつけるだけなら特に失礼になることもないだろうとそれを見ながらつい頬が緩み、慌ててぺちぺちと軽く頬を叩いて準備を進める。


「お待たせしました、おねえさま!」

 身支度を終えて部屋に戻ると、待っていてくれたらしいおねえさまはにこりと微笑んで、食事をしに行きましょうと誘ってくれる。


「アイラ、ラチナ」

 食堂に下りる為の階段が見えたところで、丁度すぐそばにあった扉が開かれると、ひょこりと顔を覗かせたのはフォルだった。

「二人とも。ルセナはもう大丈夫だよ」

「よかったですわ!」

 昨日解散前にルセナの容態が変化してはいけないからとフォルが付き添ったのだが、もう大丈夫と聞いてほっとする。

「……私はデュークたちを起こしてまいりますわ。ルセナも行きましょう」

「え? ああ、うん。おはよアイラ。ラチナ、待って」

 丁度顔を出したルセナが、挨拶しようとする前におねえさまに連れ去られるように手を引かれていく。小走りになるルセナの顔色は良く、よかった、と思わず呟く。

「……あ」

 ふわりと香るものに気がついて思わず顔を上げる。フォルの方からほんのりと香るのは、私が何日か前に王都でフォルにと選んだあの香水ではないか、と心が沸き立ちフォルを見上げた時、私は言葉を飲み込んだ。フォルがとても嬉しそうに笑っていたのだ。

「アイラ、つけてくれてたんだ」

「え?」

「ありがとう……すごい嬉しい。やっぱりアイラにぴったりだ」

「あ……えっと、その。フォルも……」

 見たことがないくらい嬉しそうに微笑まれて、声音までいつもと違うように感じ、返事をしようと思ったのに言葉が喉の奥に引っかかってもごもごとおかしな声が出る。

 顔が熱い気がして、俯く。フォルの綺麗な顔は見慣れているのに、落ち着かない気分だ。心なしか動悸まで。

 私もしかしてまだ疲れてるんだろうか。あんなに寝たのに! と一人悩んでいると、おっはよー! と聞き慣れた軽い声がかけられた。

「アイラ、何して……あれ? なんかいい匂いするな」

「……王都にいる時に、ラチナたちと香水を買いに行ってたんだ。僕もアイラもそれを持ってたから」

「へえ! 二人ともつけてるのか? あんまりきつく感じないもんなんだな香水って。侍女科の奴等がつけてるのとは別もんかな。いいな、今度俺も連れて行けよ!」

 にかっと笑うガイアスに、こくこくと頷きながら逃げるようにフォルから離れると、後ろに見えたレイシスと目が合い、おはようございます、と微笑まれる。

「食事に行きましょう」

「え、あっ」

 手を引かれて、慌てて後ろをついて階段を下りる。食堂は、昼を過ぎた時間のせいか閑散としていて、八人掛けの大きなテーブルを奥に見つけたレイシスがそちらへと向かうと、私を奥に促す。

 レイシスが隣に座るとぞろぞろと階段を降りてきた仲間達も席につき始め、食堂が賑やかになり、恰幅のいい店主が食堂の奥に走っていくのが見えた。

 私の向かい側におねえさま、そしてその隣に王子、フォル。レイシスの隣にルセナが座り、最後にガイアスが席に着くと、テーブルに若い女性がにこにことやってきた。宿の主人の娘らしい女性は、頬を染めて王子やフォル、……いや、ぐるりとテーブルにつく男性陣を見回して、ご注文は! と高い声をあげた。

「適当に上手い食事と飲み物を人数分持ってきてくれないか?」

 一番そばにいたガイアスが声をかけると、はい! と元気に返事をした女性は頬を染めてぱたぱたと走り去っていく。うーん、学園ではあまりみない光景だが、確かにこうなるのも頷けるメンバーかもしれない。特に王子とフォルは目を引く容姿だろう。

「……防具揃えないとね」

「なるべく顔を隠せるやつだな」

 すぱっと言い切った王子に笑いが漏れる。

 今後どうするかなどを話していると次々と運ばれる食事に、皆が笑顔になった。王都ではあまり見ない料理だが、大皿にどかんと載せられたソースがかかった大きなお肉、鮮やかな野菜炒めに、見たことがないパイのようなもの。スープはスパイスが効いた香りで、食欲をそそる。

 グラスに注がれた薄い緑の飲み物には、透き通った氷が浮かんでいる。手に取るとカランとグラスと氷がぶつかり合い、どきどきと口に含んだそれは柑橘系のジュースだった。酸味にさっぱりとしつつほんのり感じる甘さに、思わず笑みが零れる。

「美味しいですわ、このジュース!」

 おねえさまが嬉しそうな声を出すと、どうやら魔力を使いさりげなく食事を調べていたらしいフォルと王子もそれを飲んで笑みを見せる。それを見て、あっと思わずおねえさまと顔を合わせた。

 恐らく二人がやっていたのは、毒や魔力の確認だ。先にやるべきだった、と思うが、普段そんな習慣は私達にはないから失念していた。

「大丈夫だぞ、俺が届いた順に殆ど調べたから」

「え、ガイアス、そんなことできるの?」

 私がびっくりして訪ねると、ぱちりと目を大きく開いたガイアスは「もちろん、俺もレイシスもできるぞ?」と軽く言う。

「俺よりガイアスやレイシスの方が上手いんじゃないか」

「俺もガイアスも小さい頃から練習させられていましたから」

 王子の質問にレイシスもさらりと答える。知らなかった、と呟きそうになるが、二人がそれを練習したのは恐らく護衛対象の私の為だと気づき、少し背筋が冷えた。私はそこまで危ない立場ではない筈だが、なんだか申し訳ない。

 おねえさまがどうやってやるのかと尋ねると、覚えてしまえば簡単だと王子が毒の魔力の波動などを説明しだすが、人間に流れ込んでしまった毒と食事や飲料に含まれた毒の探知は若干違うらしく、医療科で体内の毒の探知を先に学んだ私とおねえさまは先入観のせいかその違いに眉を寄せる。

 毒は大抵植物から作られるが、植物自体この世界には魔力があるものなので、独特の波があるのだ、とは説明されても、エルフィである私は幼い頃から精霊に言われる事で頭で先に「この植物は毒だ」と理解してしまっていたので調べようとしたこともなく、イマイチぴんと来ない。

「今度調べて見ようかな」

「む、難しい、ですわね」

「慣れだな。まあ、全ての毒を回避できるわけじゃないが」

 そんな物騒な話をひそひそとしながらも、食事は美味しいと堪能する。パイに見えたものは意外にしっとりとした生地で、中はピザのようなソースとたくさんの具とチーズが詰められていた。この地方の郷土料理らしい。栄養価も高そうだが、美味しいといっぱい食べると太りそうだねと、おねえさまと二人で切り分けた一切れで我慢。


 テーブルに並べられた皿が綺麗になり始めた頃、食堂に新しく人が現れる。ミハギさんと、センさんだった。

 二人は私たちを見つけると、良かった、と駆け寄る。二人はこの町に入った時点で別れた筈で、宿も部屋がなく別だったのだが。

 目的地はラーク領と二組とも一緒なのだからまた会う機会もあるかもしれない、と思ってはいたが早い再開に少しだけ驚いた。

「えっと、ルセナくんだったか。もう身体は大丈夫かな。昨日は、本当にすまなかった……やってしまったことは謝って済む問題ではないと思っているが、もう一度」

「本当に大丈夫です。僕が飛び出したんですから」

 ふるふると首を振ったルセナだが、ミハギさんはそれでも同じように首を振り、これを、と言いながら手にした鞄からガチャガチャと音が鳴る布の袋を取り出す。

「あ、魔力回復薬」

 覗きこんだルセナが驚いたような声を出す。

 どれどれ、と覗き込んだガイアスが、ぎょっとした顔で「七本も」と言った。

 魔力回復薬は高い。一本でここの宿の一人分の宿代を払ってもおつりが来るだろう。つまり、七人分の一泊の宿代より高いのだ。

「受け取ってください。……といっても、確か調達したいと言っていましたよね? たぶんこの町で調達できるのはこれで全部だと思います」

「え?」

 ミハギさんの言葉に首を傾げると、彼はその目を細め、急に唇を引き結ぶと、声を潜める。

「実は、昨日の夜に領主の息子が『討伐』の為にこの町に入ってるんです。領主の息子が率いた討伐隊が現地で薬の補充をしたらしく、この町の薬は品薄となっています」

「討伐?」

「領主の息子?」

 言われた情報に、全員が顔を見合わせてその不穏な空気を察して口を噤む。

 しばらく視線を揺らがせていたミハギさんは、観念したように口を開いた。


「僕達がレーバンの人間だということで、先ほど僕達にも討伐隊に加わるようにと指示されました。……例の獣人の討伐だそうです」

 

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