154.レイシス・デラクエル
「ルセナぁああっ!」
アイラがルセナの名を呼び、ラチナが悲鳴をあげる。目の前で仰向けに倒れる仲間の姿に、視界が赤く染まったように見える程の熱を感じる。
いや、落ち着け。大丈夫、ここには三人も医療に詳しいものがいるし、先ほど散ったガラス片は恐らくルセナの防御魔法。生死に関わる問題ではない筈だ。
……それでもこれ程許しがたいと思う程度に、あの二人に対して怒りが沸く。
苛立つ思いを押し込め、ガイアスが剣を抜いたのを皮切りに仲間達が動き、俺も兄に出遅れる事数秒、両手に風の刃を携え、弓を番えた二人の前に飛び出す。
「あなた達は下がっていてください」
「ひっ」
「すまない、あれは……っ!」
向けられた刃に、ミハギとセンと名乗った二人が慄く。別に傷つけたいわけではないし、ミハギが放った矢がルセナに刺さった事は故意ではないのだろうことはわかる。だがそれが確証が得られない今、そして至急動かねばならない今、アイラが飛び出す先の向こうに矢を向けるこいつらはただただ邪魔だった。弓を扱う者は前線の仲間を傷つけないようにするというのが大前提なのに、失敗したという事実は変わらない。
案の定フォルと共に飛び出したアイラは、恐らく周りをあまり見えていない。こいつらが矢を放ち、混乱して動くアイラに当たっても迷惑だ。何より俺はこいつらを信用してはいない。
なんといっても、こいつらが昼に語った男の名は、今最も警戒すべき男なのだ。ただでさえいらついているのに、まったく間が悪い。
「大人しくしていれば何もしません」
再度声をかけると、青ざめた顔でこくこくとミハギが頷くのが見えて、とりあえずいつでも飛び出せる風の刃を周囲に携えながらも、手を下ろす。あとは前のグーラーの処理だ。アイラとフォル、ラチナが集中してルセナの治療をできるようにしなければ。
「……あれは」
しかし、掃討しようとした敵はじりじりと森に下がり始めており、ガイアスとデュークが戸惑いつつも剣を構えたままそれを黙って見送っている。
倒さなくていいのかと眉を寄せた時、グーラー達に囲まれるように佇んでいた獣人と思われる少女が、グーラー達に下がれと命じているのが聞こえる。
「お前達、あの人達に手を出しちゃ、だめ」
若干幼い、そしてひどく震えた声でそう話す少女が、グーラーと共にじりじりと下がっていく。月明かりを背負っているせいで表情が翳り見えないが、彼女は酷くこちらの様子を気にしているようだ。……先ほどのルセナの様子を見るに、知り合いか? とすれば。
……ルセナが話していた行方不明の少女だろうか。
確か以前、ルセナがグーラー達と仲がいい獣人の知り合いが昔いたと言っていた筈だ。姉のように慕っていたが、ルセナの家の問題に巻き込まれその後行方不明だと。
ルブラに誘拐された可能性が高いと聞いた。ならば、ここにルブラと繋がる何かがあるのかもしれない。危険だ、と思うが、相手のあの様子では恐らくルセナが倒れたことに動揺し、戦意を喪失しているように見える。
ガイアスとデュークが動かないのなら、追い詰めることはしないか。だがここで逃がすのも危険なのでは、何より貴重なルブラの情報を得られるかもと注意深く森を見る。
後ろの二人は素直に武器を降ろし、動く気配はない。だが狩猟の玄人であることを考慮しそちらにも神経を尖らせながら、ガイアスの元へ近寄る。
「ガイアス、逃がすのか」
「相手は獣だろ、優先はルセナの治療だ。深追いもしたくない……おい!」
ガイアスが声を大きくし、グーラー達の中心にいる少女に声をかけると、自分が呼ばれた事がわかったらしい少女が大きく肩を震わせた。ぺたりとたれていたその珍しい大きな獣耳がぴんと伸び、同時にグーラー達がまた唸る。
「お前、ルセナの知り合いだろう! 話をしよう!」
「……いや! あたしは、……お前達を、追っ手だと」
「追っ手? お前誰かに追われているんだな?」
「……いや! あたしは、逃げる! ルセナ、助けて!」
絶対よ、と叫んだ少女は、少し身体の大きな一匹のグーラーを呼び寄せるとそれに跨り、今度はこちらが止める間もなく森の中へと消えていく。
「今度はあのグーラーの群れとは少し違うようだな」
「少なくとも会話は出来たな……くそ、もう少し話を聞きたかった」
デュークとガイアスが悔しそうにしながらも、周囲を警戒しつつ剣を鞘に戻す。二人が後ろを振り返った時、ミハギとセンが大きく震えた。
「す、すまない! 彼を傷つけるつもりは!」
「……アイラ! ルセナは!」
ガイアスがミハギを無視する形でアイラを呼ぶ。アイラは蒼白な顔で「まだだめ」と叫んだ。
「ルセナは咄嗟に防御壁を張った筈。だけど、矢は一点に物凄い威力で突き刺さるから、壁とは相性が悪いの。おまけに矢が纏った魔力がルセナを縛っていてっ」
「僕がさっき放った矢は刺さった相手の魔力に干渉し相殺します! 僕が解きます!」
言いながら駆け寄ろうとしたミハギを、フォルの腕が止めた。
「干渉してるんだね? ……いい、僕がやる」
ひゅっと周囲の温度が下がる。フォルの魔力が強まったのだろう。
ルセナは、左腹部に矢が深く刺さったようで、そこを真っ赤に染めていた。既に矢は抜かれ血も止まっているようだが、魔力だけに問題があるらしい。もう少し防御力のある服ならここまで酷くなかっただろうにと、自らの衣服も見下ろしながら悔やむ。
荒い息を繰り返し意識がない様子を見るに、相当強い力でルセナの魔力が壊されているのかもしれない。なんて厄介な魔法だとミハギとセンを見れば、彼らは蒼白な顔で震えていた。
「なぜ獣人とわかってすぐ矢を放った。獣人は殺していい対象ではないぞ!」
デュークが声をかけると、ミハギが息をのみ、センは目を潤ませる。
「殺す、つもりは! やつらは全力でやっても、レーバンの矢に屈することは殆どありません。逆にやらなければ僕達が危ないと……レーバンの民はその歴史の中で獣人に幾人も殺されてきたのです。獣を葬る僕達と、獣と過ごす彼らは因縁の相手と言っていい。まさか、あの子の知り合いだとは……っ」
あの子、と言いながらルセナを見るミハギの言葉は震え、しかし嘘を言っている様子もない。要するに獣人はレーバンにとっては躊躇う必要もない相手だったということか。
あの少女は少なくとも無作為にこちらに攻撃をしようとしたわけではなさそうだ、と考えるが、攻撃されたのは事実。何らかの事情があったとしても、それを確認するすべはもうない。
「解けた!」
アイラが歓喜する声にはっとして駆け寄り、落ち着いた呼吸に戻ったルセナの顔を覗きこむ。気は失っているようだが穏やかな呼吸に上下する胸を見てほっとして、治療を終えて大きく安堵の息を吐いたフォルの隣で、腰が抜けたように座り込んだアイラに手を貸して立たせた。
「治療を終えたばかりで申し訳ありません。ですが、騒ぎを聞きつけて賊が現れる可能性があります。ここを離れましょう」
「あ、そっか。そうだね、えっと」
「ルセナなら俺が運ぶよ。レイシス、フォル、皆を頼む」
さっとルセナを縦抱きにしたガイアスが、すぐに風歩を開始した。
デュークが顎で合図したのを見て、ちらりと後ろに視線を向け、行きましょうとミハギとセンを促す。一瞬躊躇った二人を再度促すと、硬い表情で風歩を開始した二人の後ろについて走る。
本当はアイラのそばにいたいが、この二人を視界に入れておきたいので仕方ない。アイラがフォルとラチナのそばにいるのを確認しながら、周囲に賊の気配がないか警戒する。
しかし、なかなか思い通りにはいかないらしい。
闇の中増える気配に、先頭をルセナを担いで走っていたガイアスが足を止める。
月明かりに反射して光る刃物が見えて、相手が張り切ってこちらを狩るつもりなのがわかり、うんざりとした。
表情を硬くし前を見て、しかし弓矢を構えようとはしない二人を見ながら、賢明な判断だなと俺自身は背に背負う弓に手を伸ばす。
「若い子ばっかり集まってどこいくの」
「いいね、女三人! 置いていったら命だけは助けてやるぜ?」
「いや、男もキレーな顔してるのばっかりだぜ? これはやるしかないだろ」
「ぎゃははははっ!」
下卑た笑いを零しながらこれまた三下な台詞を吐く男たちは、十数人といったところか。念の為にと相手に向けて声を張り上げる。
「警告します。今から五秒以内に降伏の意思を見せなければ、攻撃します」
「おい聞いたかよ! 綺麗な顔してお坊ちゃん、怖いねー! おじさんぞくぞくしたよ!」
「ぎゃーっはっはっは!」
さらに大きくなる笑い声にに、アイラとラチナが呆れたようにため息を吐いた音が呑まれて消えていく。
こちらが武器を手にしたというのに、魔力を練ろうともしないのを見て、思わず失笑が漏れた。
それに気づいた兄の眼が、怪しく光るのが視界に入る。続いてこちらを見た王子が楽しげに首を傾げ、その唇が弧を描き、そして声なく僅かに動く。
やれ、と。
「ふん。雑魚だな」
デュークが剣に手をかける事無く、転がった男達の身体を蹴り飛ばしてその間を突き進む。
デュークが俺一人で大丈夫だと判断してくれたのだ。ガイアスは動けないし、アイラやラチナに手をかけさせたくはない。俺なら殺さず一瞬で終わらせるだろうと判断したのだ、デュークは。
そして、それを見たミハギとセンにもし裏の感情があったとしても、その気持ちを削ぐのに丁度いいだろう。この中で一番的確に複数を一度に、さらに手加減して沈める程度に魔力を制御できるのは、俺だと自負している。そしてそれが、はたから見ると非常に恐ろしく見える方法を、あえてとった。
「さすがレイシス、一発だね。全員死んでないし、町についたら適当に騎士に報告しておけばいいかな」
お疲れ様、と意図に気づいているのかいないのか無邪気に笑うアイラに「これくらい問題ありません」と笑みを向ける。もっとも、俺達が町に到着して、騎士がここに向かうまで、こいつらが獣もしくは別の賊に見つからない保障はないし、そこまでは知らない。が、それをあえて言う必要もないだろう。こいつらの中に回復魔法が使えるやつがいれば、それなりになんとかなるだろうし。
「さて。ミハギ、セン。悪いが仲間が負傷しているので、夜通し跳ぶ。ついて来い」
デュークの言葉に、ミハギとセンはただただ頷いて異論を唱えることはなかった。




