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「うわぁ、ほんとに柔らかい!」
熱々のイグルの肉は本当に柔らかくて、じゅわりと口内に広がる肉汁が、塩と胡椒だけの味付けのはずなのに思わず笑顔が浮かぶ美味しさだ。おいしい!
ミハギさんたちもそうだが、私たちも同じく、お互いに隠し事がある微妙な雰囲気だったが、食事をしたことでそれが若干薄れているのがわかる。といっても主に気が緩んでいるのは私とガイアスくらいで、おねえさまとルセナが心配そうに眺めているものの、他は探り合うような空気だ。
私達も明らかに隠し事をしているのは相手に伝わっている状況なのだから、あちらだけ事情を話せというのも気が引ける。
王子は食事をとっているが、私やおねえさまが用意したスープは口にするもののイグルの肉を食べる気配がない。その辺りは王子として生まれた彼の幼い頃から根付いた警戒なのかもしれないな、とさりげなくスープの具を増やし、彼が肉を食べなくても違和感がないように周りでフォローする。もっとも、ミハギさんたちは気づいているかもしれないが。
この雰囲気のままで行くのかなぁと思案していると、センさんと目が合う。
彼女はずっと困ったような顔をしていたのだが……「ごめんなさい」と悲しそうに笑った。
「逆に心配をかけてしまっているわね」
「セン」
ミハギさんがセンさんを遮るように名前を呼ぶが、センさんはいいのよ、と笑う。
「別にこうして同行を許してくれた方たちにまで隠す事じゃないわ。……私たちは村を出て、ラーク領にお世話になるつもりなんです。……結婚する、予定で」
「まあ! そうでしたの」
ぱちんと手を叩いて、おねえさまが目を輝かせ頬を染めた。予想外に出てきた恋の話題に、私もつい二人を見て新婚さんなのかと身を乗り出す。
だが明るい話題と判断したのは私とおねえさまだけで、王子たちは逆にその内容に首を捻っていた。
「……レーバンの人間が、他領に行くんですか?」
ルセナが少し驚いたように目を見開き尋ねると、王子は反対に奇妙なものを見るように目を細める。
何か問題があるのかと首を傾げたが、その謎はすぐに解決した。
「よくティエリー領が許したな、その才能が他にいくこと」
「……それが問題なんです。ただ、村の許可は得ているんですよ」
ミハギさんの表情に、ああと納得した。貴族は、自領の優れた人間が領を出て行くのを嫌がる者が多い。昔マグヴェルが領主だったころ、多くの優秀な子が他領の学園にすら行けなかったように、貴族は民を自分のモノと勘違いしている者が多いから。
ミハギさんが観念したように語りだす。眉を寄せ、斜め下を向きながら思い出すように語る声はかたい。
「実は、もっと早くに僕とセンは婚儀を挙げる予定だったのですが……ティエリー子爵の親戚とやらが、その権力を盾に彼女を妻にと望みまして。当然既に婚約していた彼女を差し出すつもりはなく、村全体でも反対してくれて抗議していたのですが……聞いていただけませんでした」
「なるほど、それで他の領地に身を隠すのか……その先がラークなら納得だ」
ガイアスが頷くと、微妙な沈黙が落ちる。この手の……婚姻を左右される話は残念ながらよくあるもので、むしろ村の人間が権力に屈することなく彼らを逃がしたのは珍しい。貴族自身が平民と結婚することはなくても、有能だと判断した平民に貴族と結びつく事ができない縁戚を宛がう。貴族とはどこまでも傲慢な者が多いのだ。
「あの男……ジャス・フィニウムと言ったか。あいつは村に来てはセンを差し出さなければ狩りに行かせないと村人の行動を制限させるような真似をして……いつも村長がさりげなく追い払ってくれていたが、これ以上村に迷惑をかけるわけにはいかないのです」
ですから、とミハギさんが悲痛な声で語るが、ふと、ルセナが「レーバンが討伐隊を出してくれない」と言っていたのを思い出した。呉服屋も「傭兵が獣を討伐」と言っていたはずだ。……まさか、彼らが逃げて村の縛りが悪化したのではないのか、という疑惑に気づいたのは、私だけではないようで。
「いや、それって」
ガイアスがそう言いかけた時だ。
「レイシス?」
ばしゃりと液体が零れる音。
手にしていた村で購入したばかりの旅用の簡素な椀や匙を地面に転がし立ち上がったレイシスが、唇を震わせてミハギさんを見た。
「あっ」
ガイアスが叫び、戸惑ったように皆を見渡した後、レイシスの手を引いた。が、レイシスは促されても座ることはなく、ミハギさんに近づく。
「今、なんと言いましたか」
「え?」
「その男の名です!」
「ちょっと、レイシス?」
慌ててそばに行き手を引く。ミハギさんもセンさんも完全に驚いて腰が引けている。二人ともある程度魔力が使えるのだから、魔力を感じ取れる筈。今のレイシスから漏れる蠢く魔力は恐怖だろう。
「レイシス、その男、知り合いなの?」
「あ……ええ、その」
「父さんから聞いた事がある名前なんだ、アイラ。仕事の事だから」
ガイアスが割って入り、そうなの、と呟きながらレイシスを見上げる。レイシスは私と目を合わせると、視線を少し彷徨わせたようだが、すぐ微笑んでくれた。
「……仕事で、手合わせしてみたいと思った相手でして」
「そう、なんだ。強いのかな」
首を傾げるが、ミハギさんとセンさんがおろおろとしているのが目に入って、慌ててごめんなさいとレイシスとガイアスを引っ張って戻る。レイシスのお椀を拾って丁寧に魔力で生み出した水ですすぎ、もう一杯スープを注ごうとしたが、それはレイシスが止めた。もうお腹が一杯ですから、と笑うレイシスの表情が、なんとなく気になる。
「レイシス……?」
「いえ。さて、食事が終わったのでしたら出発しましょう。夜までに身体を休められるところを探さないといけません」
「そうだな」
王子が周囲を見回して、ある程度皆が食べ終わっていることを確認すると立ち上がる。
慌てておねえさまとセンさんと一緒に後片付けをし、荷物を纏める。水魔法は旅では大活躍だ。
ガイアスと王子とルセナが、そしてその少し離れた位置でレイシスとフォルが何かを話しているのが目に入り、その強張った表情に思わずおねえさまと顔を合わせるが、おねえさまは笑って「休むところが見つかるといいのですけれど」と片づけを終え、空を見上げる。
「まだ時間はありますわ。なるべく急いで町のそばまで行きたいところですわね」
「……そう、ですね?」
微妙な違和感。先ほどまでの探り合う空気とはまた違う何かに、僅かに胸騒ぎを感じたが、駆け寄ってきたルセナに手を握られて「行こう」と笑みを向けられると、その胸騒ぎは「皆がいるから大丈夫」という思いに薄れていく。
それからの風歩は、少し先ほどより急くものを感じたが、センさんたちは本当に遅れる事無くついてきてくれた。得意であるというのは本当らしい。
「何よ、あれ! ありえないわ!」
センさんの悲鳴に、顔色を変えたミハギさん。それぞれが番えた矢が放たれ、周囲の空気が魔力に震える。
日は落ち始め、森のそばを通過していた私達の横手から木陰に隠れながらも次々と現れる獣。草木に邪魔されることなく的中する矢の残す、箒星のような淡い光が不気味に浮かぶ。
センさんとミハギさんとは違った意味で、私たちに緊張が走る。なんでここに、まだ終わってはいなかったのかと身体が震え、私は私の手を引いたフォルに身を任せる。そんな私とフォルの周囲を、皆が守るように集まった。
「なんでグーラーが群れてるんだ!?」
ミハギさんが叫ぶ。そう、今群れて私たちを襲っているのは、グーラーだ。
ミハギさんが放つ矢がグーラーを仕留める。センさんの矢もミハギさんの矢も、水魔法を纏う事無く一撃でグーラーを打ち倒しているが……そう、群れた彼らはやはり数が多かった。
「おい、どこかに人間がいるかもしれん!」
王都付近で去年散々目撃されたグーラー事件は、闇に操られた人間が一緒だった。
しかし王子の忠告にぎょっとしたミハギさんが、まさかと矢を放ちながら周囲に視線を配る。
「人……? まさか獣人がいるのか!」
ミハギさんの声を聞いた時、「違う」と私たちが叫び返す前に、私とフォルの前に立つルセナの肩が跳ねた。
「あ……」
ルセナが一歩後ずさりし、私とフォルにぶつかった。それでもそれにまるで気づいていないかのように身体が後ろに引いてしまったルセナが、その小さな身体を震わせる。
「おねえちゃ……」
掠れたルセナの声が私たちに届く。普段ルセナに「おねえちゃん」と呼ばれるのは、私だ。だがルセナの瞳は前を向いており、そしてその視線の先を追った私たちは息をのんだ。
薄暗くなってきた森の中で、月明かりを背負って浮かぶ、少女の姿。そこから伸びる影に、人間にない筈の大きな獣耳。
「いた、獣人だ!」
ミハギさんが、その姿を見て躊躇いなく弓を構えた。容赦なく漲る殺気に、思わず背筋が冷えて、「なぜ」と震える。人を殺めたくなかったのではないのか。
「駄目!」
「ルセナ!?」
ルセナの悲鳴に近い叫び声に私とフォルが手を伸ばした時、すでにルセナはそこにいなかった。
パリンと何かが割れる音と、月明かりに浮かぶきらきらとした何かの破片。
まるでステンドグラスが砕けたように鮮やかにばら撒かれる、色、色、色。
見覚えのあるあの欠片は、ルセナの防御魔法ではないのか?
かはっ、と息が漏れるおかしな音と共に、さっきまでそばにいた筈のルセナがその身体に矢をはめ込んで仰け反った。
「……ルセナ!!」




