150
薄暗い中、細く小さくなっていった雨粒が、気づくと葉を伝って下に落ちる雫以外はなくなってしまっていた。
うん、晴れてくれそう。
このまま雨が降っていても魔法で雨粒を避けて移動予定だったが、雨が止んでくれるのならそれに越したことはない。空は少しずつしらみ始め、私は目を閉じて身体を休める二人をちらりと見たあと、洞窟の外へと出た。
するりと肌を撫でる風は冷たいが、気持ちがいい。二人が見える位置を移動しながら大きく伸びをする。
足首が、冷たく濡れる。踏みしめている草が濡れているのだから仕方がないが、伝う雫がくすぐったくて足を止めた。
……王都はあっちかな?
空を見てなんとなくの方向をチェックしながら、ポケットを探る。
取り出した桜の石を日に透かして見れば、透けて見える向こう側の木に桜が咲いたように感じた。石を握りこみ、何も通さず木を見つめる。
「カラントだ」
赤、白の美しい実が生っているのを見つけて、思わず駆け寄る。昨日は雨で気づかなかった。
カラントの実は、学園の私たちの住む屋敷の前にも生っている。魔力をたっぷり含んでいる、少しすっぱいが天然の魔力回復薬と呼ばれる実だ。
少し前に、アルくんが大喜びであの小さな身体の腕の中一杯にそれを持ってきたことがあった。
……ふと、アルくん大丈夫かな、と心配になる。やったことはないけれど、精霊相手に伝達魔法は使えるのだろうか。
ものは試しとアルくんを思い浮かべ、生み出す魔法陣に名前を刻む。伝達魔法は繋ぎたい相手をしっかり思い浮かべながら、名前を刻まなければならないのだ。
ふと、淡い魔力の光に触れていた手が止まる。
……アルくんの正式な名前、何だっけ。アールフレッド……ライ?
「ああもう、王子が長い名前つけるから!」
と言いつつ私が覚えていないのもどうなんだとは思う。だけどアルくんと呼び続けていたので、どうにも……
アールフレッドンダー……? アルフレッド……いや、アールフレッドルライダー……?
とりあえずそれでいいやと消えてしまった魔法陣を再び生み出し名前を刻む。
発動させれば、ザザ、とまるで昨日の雨の音のような雑音が混じる。やっぱり名前、違ったかな。そう思って閉じかけた時、私の生み出した魔法陣に重なるようにもう一つ魔法陣が浮かび上がる。
『アイラ!』
「あれ!? アルくん、繋がった?」
『ああ、あまり聞こえない! アイラ、無事?』
む、駄目だ。私の方では聞こえるけれど、あちらに上手く伝わっていないらしい。……名前やっぱ間違ったかな、とうーんと唸りながら魔法陣を眺め、とりあえず相手に少しでも伝わればと口を開く。
「アルくん。私大丈夫だから、心配しないで。また連絡するから」
『先生から聞いたけれど、大丈夫なんだよね?』
「うん」
極力ゆっくり、穏やかな声を心がけるも、相手にどこまで伝わっているのかはわからない。会話が成立しているか謎だが、先生から聞いているのなら、とほっとして、少し悩んで「またね」と言って魔法陣を消す。
ふ、と息を小さく吐いて、もう一度桜の石を日に透かす。
「アイラ」
急に名前を呼ばれて、後ろを振り返ると、目が覚めてしまったのかこちらに歩み寄るレイシスが見えた。起こしてしまっただろうか。
「レイシス、おはよう。もういいの?」
「はい」
フォルはまだ休んでいるようだ。二人きりのときは名前を呼ぶことが多いレイシスが、草を踏みしめ私の前に来ると、寒くはないですか、と覗き込んでくる。
「大丈夫。レイシスこそ、朝方まで見張りしてたんだからもう少し休んでいいのに」
「フォルと交代でしたから、大丈夫ですよ」
結局昨日すっかり眠ってしまった私は、日が昇るほんの少し前に目が覚め、慌てて見張りの交換を申し出た。たぶん暗くなってすぐにご飯を食べて眠ってしまったから、私自身はかなり睡眠時間はとったはず。
けど、レイシスはあまり休んでいないんじゃないだろうか。私が交換すると申し出た時も、その時見張りをしていたレイシスとしばらくひそひそ声で見張り役の奪い合いをした位なのだが、レイシスは大丈夫だと言って聞かない。私たちと合流する前もゆっくり休めなかっただろうから、目を閉じるだけでも休んで欲しいのだけど。
「先ほどのは、アルですか?」
「ん? ああ、伝達魔法? アルくんに繋いでみたけど、向こうはあまり上手く聞こえなかったみたい。名前、間違ってたかなぁ」
「アールフレッドルライダー、で繋ぎました?」
「うんそう! あれ、あってたのか」
おかしいな、と首を捻りつつ、漸くさっきまでもやもやと気になっていた名前の正解を貰って、合っていたことにほっとする。長いよ王子。
もしかしたら精霊相手だから上手くいかなかったのかもと悩みつつも空を見上げた。まだ太陽は昇り始めたばかりだ。
「ほらレイシス、まだ眠いんじゃない?」
俯いて動かないレイシスを促して洞窟へと戻る。フォルはまだ眠っているようだとほっとして、レイシスに寝るように促し、私は荷物整理を始める。と言っても、昨日雨が降る前に採集したものを仕分けたり下処理するだけだ。
いつもの医療科の授業での作業と変わらないと、鼻歌交じりにその作業を進める。そうしていると、アニーはどうしてるかなとか、トルド様大丈夫かな、と学園が気にかかってくる。今の授業で作成している薬は、フォルなしだと厳しい。薬というものはやっぱり暑さに弱いものが多い。フォルの氷魔法の絶妙な調整があってこそできるのではと始めた課題外の薬だったのだけど。
目を閉じた二人を見て、今のうちに、と先ほど見つけたカラントの実を取りに外へ出る。
低木で手が届くところにある、まるでビーズのような連なった実を採り過ぎないように注意しながら、椀にのせていく。すっぱいし、魔力回復薬ほど劇的に回復するものではないがこの状況では貴重なものだ。
つやつやしたその実を口に含んで、酸味に反射的にぷるりと一度身体が震えながらも笑みが浮かび、上機嫌で二人のところに戻る。太陽も昇ってきたし、そろそろだろうと二人に声をかければ、眠りは浅かったようで二人ともすぐに目を覚ました。
挨拶を交わして、顔を洗ったりと身支度を終えた二人に採ったばかりのカラントの実を少し渡し、今日の予定を相談しあう。
「今日の夕方までには合流したいね」
「たぶん大丈夫だと思うけれど……ってすっぱいね、これ」
フォルが顔を顰め、思わず笑う。
「ジャムにしたいんだけど。さすがにそんな調理器具もなければお砂糖もないしなぁ」
「ああ、ベルマカロンのジャムはすごくおいしいよね」
「……お嬢様が最初に作ったジャムは、すごい苦かっ」
「レーイーシースー!」
そんな裏話はしないでよろしい! と止めても、既に聞こえてしまったらしいフォルは「焦がしたんだ」と笑い始めてしまった。
和やかにスタートした一日も、外を歩き始めれば獣、野鳥、獣、山賊、獣と休まる時がない。
精霊に道を尋ね、途中ガイアス達と連絡を取りながら時に風歩を使い、休憩を取るときはカラントの実で回復しながらグリモワに魔力を注いで、また進む。
かなりの強行軍だが、そのおかげだろう。
空が赤く染まる頃。
「アイラー!」
笑みを浮かべて手を振るおねえさまが、その頬まで赤く染めて私に抱きついてくれる。
「おねえさま! デューク様、ガイアス、ルセナ! 無事でよかった!」
「こっちの台詞だぞ、迷子三人組め」
「それを言うなら、全員迷子だけどな」
からからと笑うガイアスにつられて、皆も笑い出す。やっぱり皆揃った時の喜びは大きい。
「無事で、よかった」
勝手に震えた声はそれ以上は飲み込んで、皆にばれないよう目を擦る。
まだ学園の屋敷に戻ったわけじゃない。学園はまだまだ先だ。それでも、私はたどり着いた居場所に、ほっと息を吐いたのだ。
「駄目か」
既に日が落ちた空の下で、学園の寮のアイラの部屋の上で、屋根に座り込んで魔力を練り上げてみるが、どうにも発動に至らない。
魔力が足りない。アイラの場所を明確に把握していない。距離がありすぎる。……さまざま理由はあるが、それでも、と悩む。
背の羽を動かしてみるが、透けて向こう側が見える程薄い精霊の羽は非力だ。これで飛んで行くくらいなら、帰郷の魔法を使ったほうがいい。帰郷の魔法なら『寄り代』に無理なく戻れるのだ。こんな時こそ精霊特別の魔法を使わなくてどうする、と思って留まったのに、肝心の魔力が足りないなんて。……恐らく寄り代の持ち主であるアイラ自身に魔力の余裕がないのだ。
「余計心配だよ……アイラ」
途切れ途切れの伝達魔法。きっと名前を誤認識とされたのだろう。つまり、僕があの名を自分の名と思い切れていないということだ。
あちらの名だったら、綺麗に伝わったのだろうか。
アーチボルドからの情報は大雑把過ぎてよくわからない。フリップも妹の為にと手を尽くしているようだが、王子が行方不明という事実を隠すために大きく動けないでいる。
ハルバート・ランドロークもファレンジ・フォレスも必死に情報をかき集めているようだが、原因があんな新研究の失敗では悪意が混じっていても真実を探りにくい。
もし悪意があったとすれば、誰が……誰を狙ったのか。
「アイラ」
呼んでも、返事は返ってこない。遠すぎる。薄く細く繋がった魔力だけを頼りに、その感覚に縋る。
ガイアス、レイシス。頼むよ……あいつに、近づけないでくれ。




