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149.ラチナ・グロリア



 無事にガイアス、ルセナの二人と合流し、宿に戻った時。

 ガイアスが話がしたいというので、一部屋追加したもののそちらには寄らず、私たちがもともと使っていた部屋に集まった。もとより今後の計画を立てるはずだったから、皆で昼食を手に好きなところに座る。

 先に食べてくれと言われて、少し硬めのパンに腸詰の肉や野菜を挟んだものを口に入れた。ごわごわとして普段食べているランチボックスとは違うと舌が訴えるが、それでも香辛料も効いていて、おいしい、とありがたく頂く。アイラ達は何か栄養のあるものを口にできているだろうかと、不安になった。



「少し、昔話をさせてくれ。……決していい話じゃないんだが」

 全員が食べ終わるとそう切り出したガイアスは、どこか宙を見つめて語りだす。

「俺は、デラクエルの長男じゃない。俺達には、少しだけ歳の離れた兄貴がいたんだ。……もうずっと前に死んじまったけど」

 切り出された内容は本当に明るい話題ではなく、ガイアスは苦笑しながら語っているが、思わずルセナも私も、デュークですらきゅっと口を引き締め、ガイアスを見る。聞きたくない話題なのではなくて、友を心配する気持ちから。

「もちろん当時は俺もレイシスも辛くて仕方なかったんだ。けど……」

 その時のアイラが、非常に危うかったそうだ。

 膨大な魔力を、精神的に不安定な幼いアイラでは抑える事ができず、精霊すら不安定になる程に揺れていたのに、誰も何もできなかったらしい。あまりに酷すぎて、亡くなった人の実の兄弟であるガイアス達が先に立ち直り、逆に心配してしまう程に。

 いつもぼんやりとしていて、時折表情が変わったと思えば静かに泣き、また無表情に戻っては何も映していないような瞳でただ外を眺め、このままでは死んでしまう、と当時は思ったのだと、ガイアスは悔しそうに語った。

 それほどまでに影響を及ぼす人物が、非常に幼い頃亡くなった。アイラの根本は今もそこにあるらしく、そもそもアイラが医療を学ぶきっかけになった出来事らしい。そして。

「兄貴はずっと、病で死んだのだと思っていた。アイラもそれで医療を学ぶ決意をしたし、亡くなった原因は病の時『貴族でないから治療を断られたせい』だと思っていて……貴族でなくても平等に治療できるような医師になりたいって言っていたんだ。……だけど、兄貴は病で死んだんじゃ、なかった。当時の領主が……マグヴェルが、自分の利益の為に毒を飲ませた可能性が非常に高いんだ。……解毒剤を交渉に使ってベルティーニから金を引き出す為に」

 その言葉を聞いたとき、こみ上げた吐き気と眩暈に思わず身を縮めた。だが、話はそこで終わらない。

「その事実は、後に調べてわかった。俺とレイシス、親父と、アイラの父さんだけ知って終わる筈だった。もちろん本気で復讐したいくらい腹がたったけど、やるなら正当な方法で……あいつは罪を重ねていたから、その証拠を集めて蹴落としてやろうって、親父達が頑張ってた。だけど、学園に入る前……ベルティーニが子爵位を賜るきっかけとなった事件なんだが。アイラは、マグヴェルに誘拐された。マグヴェルは自分の子をアイラに孕ませようとしていたらしく、自分のパートナーとして連れ歩く為に攫った。元から随分としつこかったらしい。……その時、あいつはアイラに言ってしまったんだ。……毒を使った事」

「なんてこと!」

 思わず顔を上げ、力が入った私の手に、デュークの手が重なる。

 しかし、ぐっと握った私の手は感覚がなく、視界では触れているとわかるのにその感触すらわからない。思わず、目に涙が浮かぶ。ルセナも同様のようで、手を震えさせていた。

「その時のアイラを、見たんだ。丁度助けに入ろうとしてた時で……ぞっとする程の魔力だった。思わず、足を止めちまったんだ。……助けに入ろうとしていた、全員が。それほどの魔力を爆発させて、アイラは『火の魔法』を使った。マグヴェルも応戦していたが、アイラが押し切った」

「……それで?」

 デュークが続きを促す。私は頬を伝う濡れた感触に妙に苛々して、デュークの手から離れその雫を少しだけ、乱暴に拭う。

「急に、ぷっつり荒れた魔力が消えた。その時何があったかわからないけど、アイラは急に静まった。おかげで助けに入ることができて、あとの始末は……親父達がした。その後アイラはしばらく魔力が揺らいでいたけど……当主と話をしたアイラは、すっかり落ち着いたんだ。けど」

「……落ち着いたって……おねえちゃん、無理に我慢しただけなんじゃ」

 不安そうな顔をしたルセナが、ガイアスに問う。ガイアスは、そうだな、と俯いてしまった。


「おい、待てよ……?」

 突然はっとした表情でデュークが顔をあげ、そして珍しく少し顔色を変えてみせた。

 これ以上何かあるのかしら、と酷く胸が痛んで思わずその腕を掴んだとき、デュークは「最悪じゃないか!」と叫ぶ。

「マグヴェルは確か、服役後はここの領地預かりになった筈だぞ!?」

「ああ、うん。そっか、やっぱりデュークは知ってるか」

「知ってるか、じゃない! マグヴェルは明らかに重罪だったのに、証拠が……ああくそ、これだから、強引にでも牢に……悪い。そもそもこれはこの国の制度も関わってくる大きな問題だな。王家がもっと」

「これからだろ? ……まあ、とにかく差し迫った問題として、俺はアイラをマグヴェルに関わる場所からさっさと離したい」

 ガイアスが言いたかったのは、そういうことですのねと納得する。

 そんな話を聞いて、軽く「大丈夫でしょう」なんて事は思えない。

 デュークが、大きく息を吐いた。

「そういえば……アイラは以前、俺が聞いたとき、好きな人がいる、と答えていたな。そして、その人間は『いなくなった』と」

「それ、まず間違いなく兄貴の事だな」

「……そうか」

 ガイアスが頷いたことで、部屋に妙な沈黙が下りる。


 いなくなった。亡くなったではなく、いなくなったと答えたと聞いて、なんとなく違和感がわく。

 そして……その違和感が、「もしかして」という今までの別な違和感に対する答えの糸口が見つかったような、そんな感覚がじわじわと胸に浮かび始めた。

「……アイラは、好きな人がいると答えたのですね」

 確認のように呟けば、デュークが頷いた。

「まだ、好きってこと?」

 ルセナが少し泣きそうな顔で呟く。……アイラに好きな人がいることに対してではない。どこか、その想いを自分に重ねているように見える。

「どうだろうな。ただ、わかりやすいのは、アイラは……いや」

 ガイアスはふるふると首を振って、その話題を少し強引に止める。だが、たぶん言いたいことは、わかる。

 アイラはその幼い頃の恋心が砕けた時点で、恋をやめてしまっているのではないか。きっと、考えたくないのでは。……向き合えないのでは。

 まだ好きだからか。それともそこで感情が止まってしまっているのか。それなら、あの二人への……いや、ジャン・ソワルーやカルミア・ノースポールも含めて、アイラがやたらと自覚しない理由も……いえ、駄目ですわね。これはあくまで私の推測で、その推測で結論付けては。……ああ、ガイアスもそう思ったから、言葉をとめたのかもしれない。

 ふと気になって、ガイアスを見つめる。

「ガイアス、それ……レイシスは、フォルセは、知っていますの?」

「フォルは、どうだろうな。あいつ意外とアイラと仲がいいっていうか……アイラが結構気を許しているというか。直接話して話題が出てたらなんとも言えないな。いや、アイラが自分でその話題を出すわけがないか……知らないかも。レイシスは最近自分の感情を自覚したばっかりだからな、わかってても追いつかないんじゃないか、若いし」

「お前が年寄りみたいな発言だな」

「だって俺、そこまで燃えるような恋は未経験だからなー。静かにじわじわとならなんとなくわかるけど」

 デュークとガイアスの言葉は軽く交わされるが、最近のレイシスを思い出して思わず眉が寄る。

「無理して追い詰めたら私怒りますわ」

「ま、ずっとそのままってわけにもいかないから、追々とは思ってたんだけど……マグヴェルは駄目だ。あいつはアイラにとって最悪の相手だ」

「その意見には、同意ですわ」

 はあ、とため息が漏れる。

 何でよりにもよって、ここの領地なのか。そもそもどうしてこんな王都から飛ばされるようなことに。しかも、ばらばらに。

 ふわりと、頭に暖かいものが触れた。……デュークの手だ。

 そっと柔らかくのった彼の手が、額から後頭部へと緩やかに移動を繰り返す。ほっとしていくのと同時に沸き上がる甘い感情を、私は確かに自覚している。アイラは、それに蓋をしてしまっているのだろうか。


「ああ、そういえば思い出したぞ。フェスダー・ルフトートだったか」

 急にデュークが出した名前が、今何の関わりがあるのだろうと首を傾げる。見ればルセナも同様だったが、ガイアスだけが「ああ」と苦笑した。

「あの最低男がアイラに自らの立場を振りかざした暴言を吐いた時も、アイラの魔力の漏れは酷かったな。成程、あれは避けたいな。あんなのが暴走したら冗談じゃ済まない」

「だろ?」

「……誰? 何の話?」

 ルセナが首を傾げるが、デュークは私の頭から手を離しパンパンと叩いて、立ち上がる。

「善は急げだ。とりあえずここの村で旅支度が整うか調べつつ、ここに元貴族がいるかでもそれとなく聞いてみよう。ガイアスの話だと、アイラはマグヴェルに執着されていた可能性が高いからな。……聞き込みでマグヴェルの名前を出すなよ、目立つなっていっても、ここじゃ仕方ないかもしれないが」

 そう言うと、それが当然であるかのようにデュークの手が私に伸び、行くぞと声をかけられる。

 その手を握って、一度頭を振った私は、親友の無事を願いつつ気を引き締めなおして立ち上がった。


 その夜私は、ルセナの張る防御壁より強固で、フォルの作り出す氷よりも冷たい氷の中に閉じ込められた彼女が静かに目を閉じて眠っているのを見上げ、泣きながら壊そうと叩く夢を、見た。


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