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「了解」
レイシスが伝達魔法の魔法陣を消す。相手はたぶん、ガイアスだ。
万年雪の山から少し離れたが、村が見える気配はなく。
太陽の位置で大体の場所を推測し、方向だけ考えて適当に進まなければならないかと思われた私達であるが、万年雪の山を出てしまえば王都に比べれば涼しいながらも時期は夏で、精霊達に会うことができた。
近くに人の住む村はないか、と尋ねれば、大抵の精霊は首を傾げてしまったが、ほんの数人、いつも人が向かっていく方向がわかる、という子達がいて、私達はそれにしたがって風歩で移動している。魔力の残量も気になるが、ガイアスがなにやらできるだけ早く合流したい、と言っているそうなのだ。
どうやら、ここはティエリー領らしい。つまりすぐ隣がルセナの実家があるラーク領だ。ラーク領に入れば、今回の件で動いてくれているジェントリー公爵からの指示で、ラーク侯爵が保護をしてくれる手筈となっているそうだ。王子が一刻も早くそちらに移動したほうがいいのは確かである。
風が涼しく感じる。まだ雪山が近いからだろうが、昨日ほどではなくても夜は冷えそうだ、と空を見上げる。
「デューク、ラチナ、ルセナ、ガイアスの四人は無事に合流できたそうです。下手に動くよりは、ルバギアの村で待つとのことでした。彼らが村の人に雪山までどれくらいの距離か尋ねた時の返答の様子では、風歩を使っても今日合流は難しいのでは、と」
「そっかぁ」
そんな気はしてた、が、大きく息を吐いてその言葉を受け止める。周囲を見渡すが、今歩いている場所は開けた場所で、森に比べたら見通しはいい。緩やかな丘がある為に歩くのがきついのが難点だが、ずっと風歩で移動するのは危険すぎるし……と考えていた私に追加でもたらされた情報は、身体にたまる疲労を濃くするものだ。
「村は、ある程度旅人が通る村のようですが、確認したところ魔法薬に関しては期待できないそうです。……魔力は温存しましょう」
「旅装は揃いそうなのかな」
「四人は既に適当なものを見繕ったそうですが……防御力は期待するな、と」
ガイアス曰く、硬くて身体が動かしにくい、だそうだ。いざと言うとき逆に困りそうな防具である。もちろん使っていればそのうち多少は馴染んでくるであろうが……この制服が優秀すぎるのだ。差が激しすぎるのだろう。
問題はまだある。食料だ。私とフォルは飛ばされた時点で食料などなく、万年雪の山で見つけた果実が今六つ程あるだけで、それ以外は何もない。単純に考えて一人二個といったところか。
レイシスは王都の外に出る時は常に少量の食料を持ち歩くようにしていたそうで、今回何事もなければ研究所見学の後、私とおねえさまに付き合って王都外に日焼け止めにいいと言われる植物を採集しに行く予定だった為、干し肉や糒などを所持していた。と言っても極僅かで、三人でとなると一食分くらいらしい。
というか、糒って。レイシス、そんなものどこで購入して常備していたんだろう。
旅商人の間では一般的なそれは、携帯用のご飯の事だ。この国でお米の用途といえば、これが代表的なのである。
炊きたてのご飯と比べ物にならないが、長期間持ち歩ける上に、水でふやかすと少し嵩が増す為、持ち運び量が少なくて済む……らしい。あまりお腹は膨れないように思うが。
それが根強い用途であるから、以前カレーを食べた時に王子も言っていたが、お米の売れ行きが伸びないのだろう。
普通の人はこれを食べるくらいなら普通にお米を買って炊く。いや、パンかパスタを食べる。つまり、それこそ旅用品を揃えているようなお店じゃないと見かけない。……今度レイシスに売っている店を案内してもらおう。
ちなみに私が糒を知っていたのは、幼い頃、卵かけご飯が食べたくて父親にお米が欲しいと訴えた時渡されたのが糒だったからだ。ついでに卵は生で食べさせてもらえなかった。
実は今もお腹ぺこぺこ、といった状態なのだが、この見通しのいい場所に他に食べ物になりそうなものもなく。さっきからイグルは倒しているが、あの鳥は食べられる部位があるのかイマイチ不明だ。
食べずに進むのは魔力の回復も見込めないし、と、結局雪中花の果実を一つずつ食べた私たちは、また青空の下を歩く。
夏になる前におねえさまと作った塗るタイプの日焼け止め、持ってきておいてよかった。
「水の矢!」
私の放った魔法が、空を飛ぶイグルの身体に直撃する。「キエエッ」と一鳴きした巨体がそのまま羽を投げ出して落下し、どすん、と大きな音が響き渡った。
「やはり、森のそばを歩くと獣が多いですね」
レイシスが武器を戻しながら辺りを見回し、落ちたイグルのそばに駆け寄ると、膝をついて死んでいることを確かめた。
風歩と徒歩を繰り返しながら、日が落ち始めた頃森のそばまでやってきていた私たちは、今夜の寝床を探していた。が、この辺りは獣が多く……って。
「わっ」
襲い掛かってきたグーラーを、フォルの氷の剣が切り伏せる。
思わず周囲を警戒するが、このグーラーはグーラーらしくというべきか、群れずに一匹で行動していたようで、ほっとする。
「……無理ですね。木の上で休むにもイグルが邪魔ですし、危険ですがもう少し開けた場所に移動しましょうか」
「でもレイシス、このままだと、雨が降りそうだよ」
昼間見上げた空は雲ひとつない晴天だったというのに、夕刻が近づくにつれ増えた雲はどんどん厚くなっていき、今ではどんよりとした雰囲気だ。
「旅人用の小屋でもあればと期待してこちらに来たのですが……」
レイシスの言葉に頷きかけた時、森の中を覗きこんでいたフォルが、待ってと声をかける。
「あそこ、グーラーが来た方向にあるあれ。……洞窟かな」
フォルが指差した方角に、確かにぽっかりと口を開けた場所が見える。
グーラーは水が苦手だ。雨が近づくと穴ぐらや岩陰、洞窟などに隠れる性質がある。雨宿りできるかもしれない、と期待するが、岩に囲まれたそこは薄暗い中で不気味に浮かび上がって見える。
その時私の頬にぽつりと何かが触れた。
「……雨」
ぱらぱらと振り出した雨が髪を濡らし、肌を冷やす。
それはあっという間に大粒となり、痛いと感じる程だ。
「仕方ありません。行きましょう!」
ばちばちと地面を叩く雨音が煩いと感じる中で声を張り上げたレイシスが、私の手を取って走り出す。その私達の後ろについてきたフォルが途中で追い越して、先に洞窟へと近づいた。
しばらく中の様子を窺っていたいたフォルが、雨粒の中でこくりと頷いてみせる。視界が白いと感じる程激しい雨は、身体の熱を容赦なく奪っていく気がした。
「……何もいませんね」
雨が直接身体に当たらない洞窟に入り込んだだけで声が聞き取りやすくなったが、相変わらず背の後ろではもはやばしゃばしゃと滝のそばにいるのではと思うほど煩い雨が外部の音を飲み込んでしまっている。
これでは外から何かが近づいてきてもわからないな、と思いながら、洞窟の中を見回す。洞窟と言っても数歩奥に進めばすぐ向こう側の壁にぶち当たってしまい、天井も近い。フリップさんたちがいたとしたら、頭をぶつけていたんじゃないだろうか。
奥がどこかに繋がっていました、のような場所より、休むだけならこちらの方がよっぽどいいが、洞窟と聞いて若干ときめいてしまったのは私のゲームオタクな脳内が悪いということで、不謹慎な考えを追い払って体の雫を魔力で飛ばす。
「レイシス、フォル」
二人を呼んでその腕に触れる。しゅわ、とまるで炭酸が弾けるような音がして濡れた制服から水分が飛んだのを見て、フォルが感嘆の声を上げた。
「アイラは上手いね」
「水魔法は少しだけ得意だから」
「さすがですお嬢様」
二人もこれくらいできるだろうが、二人には疲労の色が濃い。ここに来るまで細かい戦闘が多かったので仕方が無いが、二人がなるべく私に戦わせないようにしていたから、というのもあるだろう。さすがに気づいて申し訳なく思ったが、正直なところ運動不足気味だった私が長時間歩くのに少し疲れて、判断が鈍っていたのは事実だ。……筋トレ、帰ったらしようかな。
せめてものお詫びに、と、私は洞窟内を見回して、奥にある枝をかき集める。
どうやら私達と似たように雨宿りにでも使った旅人がいたのか、ここには以前焚き木をした形跡があった。その時に用意されたらしい薪をありがたく頂戴して、魔力で乾燥させて火を熾す。
「水は飛ばしたけど、温まったほうがいいよ」
二人に声をかけて奥へ呼び、私もそばに腰を下ろしてリュックサックを開く。
鍋が欲しいなと呟きながら、そばの石を物色し、今日の夕刻、森に近づいてから採集した野草や木の実、果実をいくつか取り出す。
「……糒を戻すための椀なら二つありますが」
「わ、レイシスすごい」
備えあれば憂いなしである。直火も大丈夫だといわれてこれなら料理できそうだと満足してそれを手にとり、レイシスを見習わねばと思いつつ石や枝を使って挟み、魔力で水を満たした椀を火にかける。
「食べられる植物ですか?」
「そうそう、いっぱいあったよ!」
レイシスに聞かれて頷きながら、ちぎった薬草を椀に入れて茹で、糒も少し貰って入れる。しっかり煮えて水分が糒にたっぷり含まれたところで、とったばかりの瑞々しい果実の汁をたらす。
「わ、いいにおい」
「あ、これ、ユクサの実ですか?」
レイシスが反応したのは、汁をたらした果実だ。このユクサの実はメシュケットの広い範囲で生息しているが、食べると実に触れた舌が痺れる苦さという性質の為普段見向きもされない。が、その果汁はまるで塩のような味であり、こうして調味料がない時は役に立つものだ。ちなみに、旅が多い商人の知識であり、父から習ったのはだいぶ前である。覚えておいてよかった、と思いつつ、完成だよ、と二人の前で味見して、頷いてみせる。
おいしいとは言えないが、食べれないこともない。雑炊もどきである。
「一緒に煮込んだのは、レグラス草だね。疲労回復効果のある薬草だ……火を通したら苦味が消えるって聞いてたけど、本当だったんだ」
「すごいですね、こんなところで暖かい食事が食べれるなんて」
私の作った雑炊もどきをなんの抵抗もなく口に含んだ二人は、笑う。ほっとして食事をちまちまと進めるが、椀自体が小さいためにすぐに空になってしまい、あとは残っていた雪中花の実をしっかり味わって食べて食事は終了だ。物足りないが仕方ない。
疲れた身体が睡眠を求めて、瞼がさがる。
うとうととした中で、見張りを交代でしなければならないな、と相談する二人の声が小さく聞こえた。
外はまだ土砂降りの雨で、煩い。しかし聞き逃すもんかと瞼を無理矢理上げて、二人に「私もやるから」となんとか伝える。
苦笑した二人が見えた。やばい、寝そう。けど、絶対やるから。
そんな言葉は私の脳内だけで恐らく口に出る事がなく、私の視界は暗くなる。
短い間なのか、長い間なのか。眠っていたらしい私は僅かに意識が浮上して、微睡む頼りない思考の中で、顔を合わせて何かを相談し合っているレイシスとフォルが二人とも険しい表情のような気がして、口を開いた。
どうしたの、という言葉は恐らく声になっていなかったのだろう。相変わらずこちらを見る事がなく話し合っている二人が、視界に入っているのに夢のように揺らぐ。
「あいつが、いるのか……ここに」
「そうだ。だから……」
二人が何を話しているのかわからないが、私も見張り、する。となんとか声に出したらしい私を、驚いた様子で、そして次には苦笑して二人が見た……気がした。




