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147.ガイアス・デラクエル

 思わず舌打ちをしたくなったが、すんでのところでそれを止める。

 俺を心配そうに見つめるルセナに、悪いと謝りつつも握った拳を、なんとかもう片方の手で押さえた。

 朝になり日が昇った方向、見える雪山の形、この辺りに生えている植物や獣達の種類……ルセナが彼の父にその情報を伝え知らせてもらった『俺達の現在地』についての推測は、俺の期待、いや、もはや願いに近い思いを打ち砕いてくれた。

「やっぱり、かぁ。よりにもよって、ティエリー領かよ……ラーク領であってほしかったんだけどなぁ」

 ため息を吐いてみるが、仕方ない。よっと掛け声をつけて、夜の間身体を休めるために使っていた立派な太い木の枝から飛び降り、草を踏みしめる。

 背に背負った背嚢はいのうから、昨日出かける前に詰め込んでいたベルマカロンのパン菓子を取り出す。腹が減ったらこっそり食べようなんて軽い考えで持ってきたそれに自画自賛しつつルセナと分ける。

 ルセナはこの辺りの植物に詳しいようで、木の枝をいくつか渡って果実を見つけてきてくれた。俺の持ってきたパンも、ルセナのとった果実も甘く、塩気が恋しくなるがそこは仕方ない。水は、幼い頃から飲用水を魔法で作り出す事だけは親父に言われまくって苦手であるが練習していたので、なんとかなるのが救いだ。手をお椀代わりに飲むしかないが。


 腹はある程度満たされたが、再びため息が出た。


 万年雪の山といえばメシュケット最南端であるが、その管理は二つの領地が受け持っている。ひとつがルセナの家で治めているラーク領、もう一つがラーク領の隣に位置するティエリー領だ。

 ティエリー領はラーク領に比べて小さいが、丁度万年雪の山を半分程領地としている。もっとも、万年雪の山は国境を越えた反対側に魔物が好んで生活しており、メシュケットの人間も殆ど近づかないと言っていい。

 だが実は、それほど危険であれば万年雪の山はより兵力があるラーク領が全て治めていたかもしれないが、万年雪の山がそう呼ばれる原因である魔力がどうやら国境の向こう側になんらかの作用を及ぼしているらしく、メシュケット領の雪山には魔物がほとんど現れず、そして現れたとしてもそこの魔物たちは万年雪の山を出る事ができないらしい。

 つまり、近づかなければむしろあんな山を越えて攻め入るほど隣国も馬鹿ではなく、兵力がラーク領に劣るティエリー領でも統治できるほど安全な、自然の要塞なのだ。

 山の中に落ちてしまったアイラたちには危険な事に変わりない上に、アイラにとってはティエリー領そのものが鬼門であるのが今俺の焦りの原因なのだが。


「ガイアス……何か、あるの?」

 ルセナが首を傾げる。が、どう説明すべきか……いや、説明してもいいものか、悩んだ。

 ティエリー領には、アイラを近づけたくなかったんだが。



 この国で奴隷制度が廃止されたのは極最近だ。

 それまでは普通に奴隷というものが、特に貴族や裕福な商人の屋敷に多く『所有』され、その人間としての権利を奪われてきた。

 もちろん、ベルティーニではそのようなことはなかった。が、すぐそばにあったマグヴェル子爵邸は別だ。むしろ、昔からマグヴェル子爵家というのはろくでもない者達ばかりだったらしく、廃止された当初もたくさんの女性の奴隷が騎士によって解放されたと聞いた。遺体も、多かったらしい。

 もっとも、マグヴェル子爵はその爵位を失うまで新しい奴隷を密かに所有し、地下に隠していたようだが。爵位を失った時に解放された女性達は、今はベルティーニ関連の店で普通に働くまでに回復していると聞く。


 問題は、そのマグヴェル元子爵が『生きている』ことだ。


 いくつかの罪で検挙されたマグヴェル元子爵。アイラはその後マグヴェルがどうなったかなんて聞いていないようだが、あいつは生きている。

 貴族にとって、爵位を剥奪されるというのは死に等しい刑らしい。俺にしてみたら理解不能だが、爵位を失ったマグヴェルは一年服役の後、その後の人生は監視こそあるものの普通の人間としての生活を許されているのだ。……もっと長く、いや一生でも牢に入っていて欲しかったところだが、罪を重ねた証拠が少し足りなかった。本来ならばそれほどの事をしていただろうに、なぜか証拠が消されているものがあったのだ。

 どうせ、同じ穴の狢だった貴族連中が自分達が巻き込まれそうな証拠を握りつぶしたのだろう。

 監視も緩く、ただ領を出る事ができないというだけ。責任はその身柄を預かった領の領主にあり、大抵の場合引き取る貴族なんていない。

 だが、マグヴェル元子爵は『ティエリー子爵』に保護された。

 あいつに最後に狙われていたアイラ、そしてその母であるベルティーニの奥方に復讐と称して危害が加えられないよう、デラクエルでも監視していたのだ。報告によれば、奴は間違いなく今ものうのうと生きている。

 恐らくティエリー子爵は、マグヴェルに脅されているのだろう。父がそう話していたが、それでもティエリー子爵はマグヴェルが領を出るのは困るらしくしっかり監視していたようだ。が、その領にアイラがいていいことなんて一つもないだろう。

 第一、アイラはまだ『あれ』を引きずっているのだ。あいつはアイラにとって最悪の相手である。アイラが引きずっているのなんて、"あいつらへの態度"を見ていれば明らかなのだから。


「ルセナ、なるべく早くアイラと合流したい。デュークとラチナの居場所はわかったか?」

「うん。二人は村にいけたみたいだからね。ルバギアの村といっていたなら、雪山から一番近い筈。先にデュークたちのところにとりあえず向かえばいいと思うよ」

 俺が先ほどの質問に対して言葉を濁したというのに、ルセナは嫌な顔せずすぐに欲しい情報をくれた。

 気にはなっているだろうに、感謝である。説明したほうがいいと思うが、今は感情的になってしまいそうだった。


 デュークから朝一番に来た連絡で、先生には居場所を伝えたと聞いた。ならばやはりアイラを探すより先に、一度そのルバギアの村とやらに向かった方がいいだろう。そしてさっさとその村を出て、ラーク領に行く。ラーク侯爵が領地にさえ入ってしまえば、保護してくれるという話だ。

 昨日アイラと話した感じでは、問題なさそうだった。だが。

「レイシス、早く合流してくれよ……っ」

 本当なら、俺がそばにいければよかったのだが……レイシスもわかっているはずだ、と信じて一度目を閉じる。


「よし、行くか」

「うん」

 太陽の方向を頼りに、俺達は足を踏み出した。



「ここか」

 日が大分高くなったころ見つけた賑わう村。

 生い茂る木に感謝しながらその枝の中に身を隠し、村を見下ろす。

「人、多いね。夕方まで待つ?」

「いや、昼飯の時間になれば外の人間は減るだろ。宿は……あれか?」

 風見鶏がくるくると回る、周囲の建物より一際大きな二階建ての建物に目星をつけ、目を細めて周囲を観察する。

 高い位置から見下ろす村は、そこまで広くはないがそこそこ人は多い。

 村に外壁なんてない。あるのは柵と、ところどころに柱。おそらくあの柱に防御の石でもはまっているのだろう、村は生い茂る木に大半が囲まれているが、獣の侵入などを心配する様子もなくのどかな雰囲気だ。

 外れの方に大きな畑があるせいか、その近辺ではせっせとみんな手押し車を押したり、井戸で汲んだ水をよたよたと運んでいたりと忙しそうである。

 対し比較的店が立ち並んでいる辺りは、この村の人間ではないらしい行商人の姿も見える。……制服姿で降りるのはまずいか。

「ガイアス、デュークたち、どうやって入ったんだろう。宿にいるんだよね?」

「ああ、なんでもラチナが倒れこんでいたところに、旅の人が通りかかって外套を貸してくれたそうだ。ひとまずその旅人達の力を借りたみたいだけど……どうなんだろうな」

 その旅人とやらがどういった人間なのかわからないが、デュークの話では「大丈夫だろう」とのことだった。デュークがそう言うのなら、ある程度信頼できそうな人物なのだろうが。

「……デュークに伝達魔法を繋いで、何か怪しまれないものを持ってきてもらうしかないか」

 どうやらここはどこか大きな町への通り道なのか、宿の大きさを見るに旅人が珍しい土地ではなさそうだと判断する。俺達が集合拠点とするのに丁度よさそうだ、と判断して、デュークに伝達魔法を繋ごうとした時、それより早く俺の前に魔法陣が展開される。

『ガイアス、今大丈夫か?』

 届いた弟の声に、ほっとして繋ぎ返す。レイシスか、どうした? と言えば、幾分か明るい声が返された。

『お嬢様と合流できた』

「お! 早いな、本当か!?」

 思わずよっしゃとガッツポーズしながら言えば、それだけでわかったらしいルセナが大きく息を吐いて嬉しそうな笑みを浮かべたのが見えたので、頷いて見せる。

 とりあえず事情を知るレイシスが合流できたことにほっとしつつ、弟に確認するように言葉を選びながらも声を低く伝える。

「レイシス、ルセナに確認したが、やはり俺達が落ちたのはティエリー領側だ。わかってるな?」

『……了解』

 短い返事によし、と頷きつつ、今度はこちらの情報を伝える。恐らくデュークと合流できそうだということ、こちらの合流地点はルバギアという村であるということ、朝他の皆と情報をやり取りした中では俺達特殊科が授業欠席することで先生が情報操作に苦戦しているという話などを要点だけまとめて説明すれば、それで多くを読み取ってくれるであろう優秀な弟からはすぐに「わかった」という返答がもらえる。

「とりあえずデュークと合流できたら、お前達との合流場所を相談して連絡する。人がいたら、ルバギアの村の位置を聞いて向かって来てくれ。……目立たないようにな」

『ああ』

 レイシスもアイラに、ここにマグヴェル子爵がいるということを知られたくはないのだろう。短い答えに意図を察して、少しほっとする。正直、アイラに隠すことが正解か、予め自身でも警戒してもらう為に説明しておくのが正解かなんて俺だけで判断するのは自信がなかったのだ。理想は、知らせず、そして関わらず無事にティエリー領脱出であるが。

 ふと、今ここにはいないアルの存在を思い出す。……アルはあの場にすらいなかったのだから、今さぞかし心配しているだろう。先生から話を聞いてくれていればいいが。

 レイシスとの伝達魔法の接続を切り、さてと村の様子を眺め、再度、今度はデュークに向けて魔法陣を展開する。

 すぐに繋がったデュークに、村の様子を伝え、ここがルバギアの村で間違いないか確認すれば、王子はすぐに外に出るという。

 接続を切って村を見ていると、最初宿屋だと目をつけていた風見鶏の回る大きな建物から、簡素な服を着た人間が二人出てくる。……どこからどう見ても町でよく見る普通の若いカップル……には見えない整った顔立ちの二人は、パタパタと早足で一つしかない村の出入り口へと向かっていた。その腕の中に、大きな荷物を抱えている。

「ルセナ、行くぞ」

「うん」

 目立たないよう木の幹に隠れながら町の出入り口のそばまで向かう。そっとその辺りに落ちている石を拾い上げ、二人のそばに投げて合図すれば、程なく木陰に現れた顔にほっとする。昨日の昼別れたばかりだというのに、随分会っていない気がした。

 思わずかけた声が「よ、久しぶり」で、顔を見合わせた四人で笑いあう。

「無事で何よりだ」

「ラチナはもう大丈夫なのか?」

「ご心配をおかけしましたわ。もう、問題ありません」

 会話をしながらも、二人が抱えていた荷物を受け取りそれを広げる。その辺りの店でも入手できるような革製の旅用の軽装だ。防御力は非常に心許ないが、この目立つ制服に比べたら随分とマシに思える。この制服は敵との遭遇率を上げるという非常に迷惑な欠点がなければ、魔力が浸透しやすい素材でそこそこ優秀な防具なのだが。

 良く見れば、デュークとラチナの二人も村人の衣服とそう変わらないながらも旅用の軽装のようだ。

「これ、アイラたちの分も用意できるかな」

「用意するとなれば、ここを出る時、もしくはあいつらがここに来る時の方がいいな。あまり買いすぎて怪しまれても困る」

「金は? 俺こんなことになると思わなかったからあんまり手持ちないんだけど」

「私がある程度なら用意してありますわ」

 草陰でごそごそと貰った衣服に着替えながら、アイラ達とレイシスが合流したことを告げる。

「あの三人は雪山の中だ。距離的にも今日の合流は無理だな」

「山さえ降りてしまえば風歩も使えると思うけれど、とりあえず方角を教えないといけないね……デューク、僕この服、ちょっと大きい」

「仕方ないだろ、でかい町で装備を揃えられるようになるまで我慢しろ」

 子供用の服、なんて用意できなかったらしく、男の中だと一番小柄なルセナは少し大きい服をベルトで無理矢理縛っている。この分だと、女物でもアイラの服を探すのは大変そうだな、と思いつつそこはラチナに任せる事にする。

 嵩張るが、制服は悪用されても困るので背嚢に仕舞い込み、剣は元通り腰へと収め、身体の動きの感覚を確かめる。

「かってぇ」

「だから、我慢しろ」

 苦笑したデュークに連れられて村へと足を踏み入れる。丁度昼時、皆が食事の席についているのか、人が少なめの時間帯だとさっさと宿の中に入り込む。宿の中では「今日は若いお客さんが多いねぇ」とにこにこした恰幅のいいおじさんが、デュークたちが泊まっていた部屋の隣を用意してくれた。

「長くはいれないな、この村」

「そうだな。狭いから噂がたつのが早い」

 そんな会話をしながら、頭の中ではマグヴェル元子爵の事はやはりこのメンバーに言っておくべきだろうと考え、俺は話があると言ってデュークたちの部屋へ向かった。


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