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「レイシス!」
駆け寄り、思わず飛び込もうとした私であるが、ぎりぎりで立ち止まりその顔を見上げた。
レイシスは私のその行動を不審に思う事無く、むしろ驚いたように目を見開いた後、それは嬉しそうに微笑んだ。
「お嬢様、ご無事で何よりでした」
すっと伸ばされた手が私の手を握り、甲に口付けられる。慣れはしないその行動にぶわっと身体が熱くなり固まってしまったが、レイシスはそんな私を見てまた笑んだ後、後ろへと視線を向けた。
「フォル、無事でよかった。怪我は?」
「大丈夫。……それにしても、雪熊は眉間が弱点だったんだね、知らなかった」
話し始めた二人を背に、雪を拾い上げて頬につける。……冷たい。
ぽいっと投げて、しかしまあ頬は冷えたかと満足して、頬を伝う雫を払いながらレイシスがさくっと倒した雪熊たちに視線を向ける。
……ごめんね、と思いつつ、目を逸らす。彼らは家族だったのだろうか。食べられるのは困るけれど、できれば逃げ切りたかった。まあ、魔物にそんなあまい事は言っていられないのだけど。
「もう少し降りることになりますが、廃村がありました。そこに寄りませんか?」
レイシスに急に離しかけられて驚きつつ、その言葉にひっと息をのむ。廃村。廃村って、なんかいそうで(いないから廃村なのだろうが)怖い!
「……レイシス、アイラはお化けとか、嫌いなの? 昨日も山小屋の中に白骨死体があるんじゃないかって心配してたけど」
「……小さい頃からお変わりないようですね」
えっ、私レイシスの前でお化けを怖がった記憶ないんだけど。しかし、幼馴染の記憶力は侮ってはいけない。
生暖かい視線を向けられて、私はそれ以上この話題に触れるのを即やめ、さっくり話題を変えることにする。
「そ、その廃村って、近いの? そこで今日は休むの?」
「いえ、せめて何か……そうですね、衣服とまではいかなくとも、ローブやマントでも何か制服を隠せるものがあればいいのですが」
どうやら、レイシスが丁度廃村を見つけた時、少し離れた位置で魔力が動く気配がしたことで、私達に気づいたらしい。
ということは、廃村までの距離は本当に近いのだろう。確かにまだ朝方だから、そんな早々に今日の寝床を見つける事はないだろう。
頷いて、報告をしながら山を降りる。雪がかなり浅くなっているから、走れはしないが徒歩でなんとかなりそうだ。その代わり、雪中花はもう殆ど見かけない。途中いくつか見つけたそれをリュックサックに丁寧にしまい込みながら三人で歩く。
グリモワに魔力を補充しないといけないな。
今日のうちにどこか人がいるところに行けるだろうか。
ガイアスとルセナは、野宿したみたいだけど大丈夫だろうか。
王子とおねえさまは、何事もなく休めているだろうか。
レイシスが無事で、よかった。
いろいろなことを考えていると、まだ朝だというのに少し疲れて、ため息が零れた。でも、なんというか……安心して考え事が出来るのは、前を歩く幼馴染のおかげなのだろうか。
「わぁ……ほ、本当に廃村ね」
そこは遠くから見ても異質な雰囲気であったが、近づくと「灰色」が目につく酷く寂れた場所だった。一言で表現するなら「不気味」がぴったりである。
廃村なのだから当然だが、まさにゴーストタウン。普段なら絶対に入りたくない場所だ。
建物は、片手で数えられる程しかなかった。だがそれのどれもが木造で、所々に穴が開いている。雪の重みのせいか、屋根が崩れ落ちている家もある。人が住まなくなってから、ずいぶんと長いのではないのだろうか。廃村を見たのは初めてだか、これ程ぼろぼろの状態になるものだろうか。
穴だらけの家屋に吹き込む風で、辛うじて窓際に引っかかっているカーテンらしきものが揺れるのをみて、びくりと肩に力が入る。何かいるのではないか、覗いているのではないかと嫌な想像で、そこから目を逸らす。
「……外側から見た時より、ひどいですね。何か羽織るものを探すのは無理かな」
レイシスはどうやら村の中には足を踏み入れてはいなかったらしく、残念そうに眉を下げて周囲を見渡している。
「万年雪の山の村……どうやって暮らしてたんだろう」
ずーっと雪が降っていたら、それこそ作物も育たないだろうし暮らす上で不便が多いだろう。寒い場所で何より重要なのは暖を取る方法だが、昨日暖炉を使ってみてわかったが、少なくとも山小屋の作りでは熱が逃げてしまい、部屋を暖めるのには不十分だった。薪を使うにも木だって少ないし、火石のような道具を使うにも仕入れる場所があるのか不安だ。こんな場所ならば、行商人も殆ど来ないだろう。
もう少し大きな町というのであればいいが、こんな数軒……多く見積もっても十人前後で暮らすには、協力しあっても不便すぎる場所だろう。だからこそ、こうして廃村となってしまったのであろうが。
まっさらな、足跡なんて一つもない村に私達だけが足跡を残して歩く。ちらちらと覗いてみるが、建物に入るのは危険な気がした。怖いし。
扉を開けたら、屋根が崩れそう。そう呟いた私の言葉に頷いた二人が、無理そうだな、と断念することを決めた。
「無駄足でした、すみません」
「いや、制服はなんとかしないといけないね。……貴族の子であると言って歩いているようなものだ」
フォルがうーんと唸りながら、みんなの服を見る。騎士科の制服、医療科女子の制服、医療科男子の制服。ばらばらであるがどこか統一性のあるそれは、知らない人が見ても「いいとこの学園の制服」となるだろうか。……なりそうだ。
いくらもうすぐ(この国の)成人が近いといっても、貴族の子どもがその辺りをうろうろしていたら、悪人の格好の的だろう。誘拐とか、追い剥ぎとか……レイシスやフォルなら、綺麗だから売られてしまうかもしれない。奴隷制度はこの国では廃止されたが、近隣の国で買い取り手はいるのだ……と考えて、思わず身震いした。山賊とか、会いませんように。
「王都の学園は有名だから、商人のように行き来が多い人間なら一発でわかるだろうしね」
「せめて、お嬢様だけでも何か羽織るものがあればよかったのですが……さすがに、寒いでしょう」
レイシスが心配そうな表情で私を覗きこむが、私はそれに首を振る。一応、夏に身体を冷やす水魔法の逆バージョン、温める炎の魔法の応用を使用済みだ。
が、決定的な問題があるとすれば、私が火の魔法が苦手なためにかなりぎりぎり、身体が冷えすぎない程度にしか使えないということか。無理に暖めようとして人体発火は避けたいところである。
口には出していなかったその問題はしかし、幼馴染にはばればれだったようで。
「嘘ですね。アイラ、火の魔法苦手でしょう?」
名前を呼ばれて、かっと顔が熱くなる。レイシスは珍しくどこか意地悪そうな笑みで、私の頬に手を伸ばし「ほら冷たい」と自分の主張を確かなものだと確認する。
そうなの? と驚いた表情でこちらを見るフォルに、苦笑した。
「本当に、これくらいなら大丈夫だから」
「この状況では仕方ありませんね。とりあえず、ここを出ましょう」
家の中を覗かなくて良かったことにほっとしつつ、村を後にする。山の斜面はだいぶ緩やかで、もう麓のほうなのではないだろうかと来た道を見上げた。うん、山だ。私たちはどこから下りてきたのだろう。
「すみません、ガイアスに連絡を取ります」
「あ、うん」
レイシスが魔法陣を展開するのをぼんやり見つめながら歩く。レイシスは立ち止まることなく歩いたまま伝達魔法を使用し、尚且つ周囲を警戒している。今ならなんとなくガイアスが心配していなかったことに納得ができて、笑った。レイシスは強い。さすが双子。
「お嬢様と合流できた」
会話を始めたらしいレイシスの為に、私もフォルも口を噤む。
視線だけを辺りに向けるが、魔物がいる気配はない。もう雪山は抜けるだろうというのは、地面を見ればわかる。
泥交じりの地面が、靴を汚す。雪とは違う歩きづらさであるが、凍ることがない泥の上に雪が混じりこんだ不思議な地面に、本当にあの雪山は魔力の影響で雪が消えないのだと思わせる。離れてきたせいで、泥の水分を凍らせる程の魔力がこの場には及んでいないらしい。
時間があるのならその謎に迫ってみたい気もするが、そんなことを考えた冒険者は多数いるだろう。きっと解明できないなにかがあるのだろうな、と山を見上げる。
ファンタジーな世界だとは思っていたが、私が今までいた世界は随分と狭かったようだ。
王子とは合流できたか、など一通り情報交換を終えたレイシスが伝達魔法を終了し、私たちにもガイアスから得た情報を知らせてくれる。どうやら、あちらは王子との合流がまだできていないらしい。
「先生が苦戦しているようです。俺達特殊科が一気に消えた事を、怪しまれないようにするのに」
「まあ、そうだよね。何しろデュークは王子だから」
困ったようにため息を吐きながら、フォルが「問題が大きくならなければいいけど」と呟く。
……フォルはいいのだろうか。フォルだって、公爵家の人間だ。騒ぎになれば大きなものになるだろう。
そういえば、とふと気づく。フォルのお母さんの話って、聞かないな。心配、してるだろうな。
「お嬢様、父には連絡したほうがいいでしょうか」
急にレイシスに話しかけられて、顔を上げる。……そういえば、私も両親に連絡してないけれど、レイシスもなのか。
「ゼフェルさんになら、うちの父から連絡が行っているかもしれないね。アイラのご両親に話すかどうかは、ゼフェルさんが決めるんじゃないかな」
「王がなるべくこの件を伏せるようにと言っているのだから、とりあえず王子と合流するまではこちらからは控えましょうか……」
問題は山済みだ。
フォルとレイシスが相談しあうのを見ながら、空を見上げた私は。
「あ」
大きく羽ばたく、鳥。鋭い爪が、きらりと光る。爪だけで、私の手のひらくらい大きさがありそう。
図鑑でしか見た事がないあれは、獰猛で知られる肉食鳥、イグルではないだろうか。
「魔物の次は、人食い鳥か」
「魔力は無いけど、厄介だね」
私の視線に気づいた二人が、大きなため息を吐きながらそれぞれ武器を手にする。
私たちの冒険は、まだ始まったばかりのようだ。




