142
「フォル!」
とにかくフォルを助けなければと彼に手をかざし、少ない魔力をなんとかひねり出して異常を探す。
皆は無事だろうか。ガイアスは、レイシスは。おねえさま、王子、ルセナ、皆どこにいるのだろう。先生も、このわけがわからない状態に巻き込まれたのだろうか。
考えながらフォルを診察し、異常に魔力が少ないことに注目する。フォルの魔力量は私より多いはず。それが、これほど減っているなんて。……私もフォルも魔力が減ってしまった理由はよくわからないが、フォルの方が重症なのはフォルが「私を守ったから」ではないか?
私はフォルの身体に守られるような体勢だったのだ。ありえる、と思ったところで、原因は魔力の減りすぎだろうと判断して腰に手を伸ばす。
私が持ってきている魔力回復薬の小瓶はたった二本だけ。悪いと思いつつフォルのポーチを確認するが、そこにも回復薬は二本しかなかった。ポーチの中に、覚えのある小さなボトルを見つけてじわりと涙が浮かぶ。フォルも、昨日私が選んだ香水を持ってきてくれていたのか。
「フォル、起きて」
慌てて自分の持つ魔力回復薬の小瓶の蓋を開けようとして、はたと以前も似たような事があったのを思い出す。
「……血」
そうだ、フォルは血を飲めば魔力を回復できる。ここがどこだかわからない以上、極力回復薬は残したい。
ごくりと息を飲み込んでフォルの顔を見る。勝手に血を飲ませたら怒るだろうか。しかし悩む暇はないと手を動かしかけたところで、私の胸の辺りに小さな魔法陣が浮かぶ。
ヴン、と独特な音が耳に届いて、覚えのあるそれに驚いたもののすぐそれは喜びに変わった。続いて聞こえてきた私を呼ぶ声に、ほっとする。
『お嬢様! ご無事ですか!?』
「レイシス!」
伝達魔法を受けたのだ。慌ててフォルの様子を見ながらレイシスに伝達魔法を繋ぎ返すと、レイシスがほっとしたような声を出した。
『お怪我は?』
「私は大丈夫。だけどフォルが魔力切れを起こしかかってるの」
『フォル……? フォルが一緒なのですね? 他は? 近くに何か見えますか?』
「誰もいない。雪しかないわ。雪山だと思う。レイシスは?」
フォルの前髪を寄せ、額に手を載せる。ぴくりと睫が震えたのが見えて、その魔力をはかりながらレイシスと会話する。
『俺は、一人です。気づいたら雪に投げ出されていました。とりあえずお嬢様はフォルの回復を。他の皆に連絡を取ってまた報告します』
「わかった」
私の返事を聞くと、レイシスからの連絡が途絶える。私も伝達魔法の魔法陣を消し、よし、とフォルを見た。
私の魔力も回復しないといけない。やっぱり回復薬は残そう。
「フォル。血、飲める?」
声をかけてみるが、フォルは荒い息を繰り返すだけだ。仕方ないと血を飲ませる決断をしたものの、ふとどうやって飲ませればいいのか悩む。
前は、首だった。フォルが全部やったので、どうすればいいのかまったくわからない。
自分でフォルを抱え上げて首までフォルの顔を持っていくか? いやいや無理だろう、私もそこまで体力がない。
そもそも首じゃなければだめなのだろうか。吸血鬼とかなら首に噛み付くってイメージがあるけれど、そもそも前回だって私はフォルに咬まれていない。私の知っている吸血鬼とは違うかもしれないし。
おろおろと視線を彷徨わせてみたが、それで解決するはずもなく。
さすがに自分で首を切りつけるのも怖くて、左手に視線を落とした。
指先? それとも手首とか? どれくらい飲ませたらいいの?
……ええい、ちょっとだけ飲ませればとりあえずフォルも目を覚ますだろう。
フォルの腰のベルトに護身用らしい短剣が目に入ったが、それを使うのも気が引けて自分のグリモワを取り外し、紙を一枚べりべりと破り取る。
予め魔法文字が書かれたそれは、魔力を少し含んだだけでぴっと伸び、刃となる。
意味はないかもしれないが少量の水を生み出しそれで指を一度洗い、左手の指先に、僅かな緊張を振り払うように首を振ってから紙の刃をあてがい、力を入れる。
「っつ」
少しの痛みは無視して、フォルごめん! と言いながら口にそれをほぼ無理矢理押し付けた。
すぐに歯に当たった指は奥に入り込まないが、注意深くフォルの様子を見ようとしていた私ははっとして手を引きかけ、慌てて腕に力を入れなおす。
普段はそんなことなかったはずのフォルの歯が、恐らく犬歯だと思うが、やけに鋭く尖っている気がしたのだ。
そうこうしているうちにフォルの瞼がぴくりと動く。
「フォル!」
よかった、と声をかけた私と視線を合わせたフォルのその瞳は、濃い赤だ。白い世界にそれは異質で、だけど怖くはなくて、とりあえずどうやってこれ以上血を飲ませればいいのかわからず相談しようと手を引きかけた時、私の腕はフォルの右手に強い力で引きとめられた。
「ひゃっ」
指先に生暖かいものがねっとりと絡みつく。
舐められているのだと気づき驚いて肩に力が入り、どうすればいいのかと混乱したところで、空いたフォルの左腕が私の肩に回り抱き寄せられた。
「っ、フォル」
首や肩にさらさらの髪が触れてくすぐったい。唇を寄せられて、先ほどの牙のような歯を思い出し、咬まれる、と身構えた。
思わずぎゅっと目を瞑って手を握りこんだが、吐息が触れて以降痛みも何もなくて、不思議に思いそっと目を開けたところで、フォルが私から離れていく。
「……っ、ぼく、ごめん!」
今度は勢い良く私の肩を掴んで離れたフォルが、その拍子にひっくり返って雪に新たな人型の穴を作った。
目は赤いがいつものフォルだとほっとして、力を抜く。
「あの、フォル。あとどれくらい必要? 魔力減ってるでしょう?」
「え、うんっと……え、ここ、どこ? 雪!?」
混乱したフォルがきょろきょろと辺りを見回したが、恐らく眩暈がしたのだろう、少し呻いて頭を抱えた。
「フォル、原因はわからないけど、今皆がいなくて私たちは魔力がごっそり減ってるの。とりあえず、回復して。ここどこかわからないし、薬はもったいないから」
ぐっと襟元を掴んで引っ張る。躊躇うフォルを、はやくと手を引っ張って促す。
瞳が赤いフォルは抵抗を見せたが、結局周囲を見回した後その冷えた手を私の首に触れさせた。覚えのあるちくりとした痛みは、先ほど自分で指先を切りつけたときよりも痛くない。……最初っから首にすればよかっただろうか、と考えつつ目を瞑っていると、そこに口付けたフォルが呻いて離れていった。
ぶわりと広がる魔力に、相変わらずすごい、と呟くと、フォルは私の首と指先に回復魔法をかけながら「それでも二回目だから前よりは落ち着いてる」と話した。
「……よし、うん、大丈夫。あの、アイラ……ごめん」
「フォルは何も悪くないでしょう? それより、これをなんとかしないと……あ、ありがとう」
流し込まれた魔力で私も僅かに回復し、その場を立ち上がる。雪を払い、今更ながら、冷たい雪で身体が冷え切ったことに気づき、いつまでも寝かせていたフォルに申し訳なくなった。
「フォル、寒いよね、大丈夫?」
「大丈夫……といいたいところだけど、さすがに真夏からこんな銀世界じゃちょっと身体がきついね。アイラ、こっち」
フォルに言われてそばによると、手を握りこまれる。体温を分け合うように寄り添って、二人で周囲を見渡した。
「……見事に何もないね。転移魔石の暴走……?」
「あー……そういえば。それが原因か」
とりあえず皆の無事を確かめないと、と伝達魔法を使用しようとしたフォルの手を止める。今レイシスが皆に連絡をつけてくれていると言えば、フォルは少し驚いたようだ。
レイシスの言葉を詳しく教えて欲しいといわれて、レイシスは一人であること、同じく雪に投げ出されていたらしいことを伝え、皆に連絡を取ったらこちらにまた連絡をくれると話していたことも伝える。
「さすがレイシス。皆も無事だといいけれど」
空を見上げたフォルが、時間がわからないと嘆く。灰色の空は太陽の位置がわからない。
「移動にどれだけ時間がかかったのかまるでわからないな。一瞬だった気もするけれど、そもそもここはどこなんだろう」
「フォル、とりあえずここから離れない? 迷子になったら動き回るなが基本だけど、こんな雪山らしきところにただ立っていたら獣にあっても危ない。さっき魔力が結構溢れたし。人の気配はないから、山賊はいないと願いたいな。雪山だから大丈夫だろうけれど」
そうだね、と頷くフォルに手を取られたところで、再び私の前に小さな魔法陣が浮かぶ。続けて聞こえた声に、すぐにこちらからも伝達魔法を繰り出した。
「レイシス?」
フォルに尋ねられて頷く。レイシスはまた「お嬢様」と少し先ほどよりは緊張の解けた声を聞かせてくれた。
『フォルは無事なんですね?』
「うん、大丈夫」
『こちらも連絡はつきました。ガイアスはルセナと一緒で、どちらも怪我も妙に魔力が減っていることもないそうです。恐らくルセナが直前で防御壁を張ったせいでしょう。王子とも連絡がつきましたが、ラチナが現在回復待ちです。先生は、城にいました。大至急原因を調べているので無事でいろ、が伝言です』
無事でいろ、なんてどうしたらいいというのだ。先生らしい伝言だが、それより気になることがある。
「おねえさま、大丈夫なの!?」
『薬でなんとかなったようですが、王子もガイアスも「寒いが雪なんてない」と言っていました。恐らく距離が離れています』
「見事に、ばらばらね……レイシス、私達は近いんじゃないかな。合流できる?」
伝達魔法は一方通行。会話が成立するには両者が繋がないといけないから、今フォルは私が話している内容しかわからない。心配そうにこちらを見ているのを気にしながら、レイシスとの会話を頭の中で整理する。
『魔法などを使って位置を知らせあうのは危険です。……仕方ありません。お互い何か目印になるものを伝え合いましょう。緩やかな傾斜のようですから、下山してください』
「わかった!」
これで私達とレイシスが山の反対側にいたら目も当てられないが、とりあえず人里を探したほうがいい。ここがどこだかわかれば合流も出来るだろう。
伝達魔法を終了させ、フォルに説明するとフォルがこくりと頷く。
「レイシスは緩やかな傾斜、と言ったんだね?」
フォルの質問に頷くと、彼は少しため息を吐いた。
「……レイシスは山の下の方なのかもしれないな。少なくとも、そばではない。僕達もそんなに高い位置ではないと思うけれど」
フォルの言葉に、小さく「あ」と呟いて見上げ、続けて少し離れた位置に目を向ける。……私達、どう見ても本当に山の中だ。銀世界でわかりにくいが、今いる場所より少し離れると転がり落ちそうである。こうなると、大きな魔法を使った場合雪崩も怖い。
位置特定魔法なんてない。先生が私たちを助けてくれるのを期待するのは、それこそここがどこだかわかってからだ。
はあと息を吐いて、私はフォルとふくらはぎまで埋まる雪に足をとられながら、下山する為に手を取り合った。




