140
「付き合ってください!」
そんな声が青空の下響き渡る。
きっちりと腰を折り曲げ、まるで告白のような台詞を叫んだのは去年の夏の大会を賑わせたあの新三年の槍使いの大柄な男、兵科のヴァレリ・ベラーと、もう一人、ヴァレリよりは随分小柄だが、その背に背負った大きな剣が直角に曲げた腰によって上半身に重く圧し掛かってしまっているように見えるせいで、本来よりさらに小さく見えてしまっている同じく兵科の少年、ポジー・バクスだ。この二人は学年が違うが、以前グラエム先輩と北の山に侵入した以降も親しくしているらしい。
頭を下げられているのは、集団で動いていた私たちの先頭に並んで歩いていた二人、ガイアスとレイシス。
付き合ってください、なんていわれてぴたりと固まってしまっている二人であるが、決して「そっち」の話ではない。アッー! ではない。大事な事なので二回言わせてもらおう。
「……って言われてもなぁ」
頭をぽりぽりかきながら、困ったように後ろを振り返ったガイアスはみんなの表情を確認すると、うーんと唸る。
「お忙しいのはわかっています。ですが、是非練習に我々も混ぜていただきたい!」
再度さらに腰を深く折り曲げたヴァレリに、はあ、と王子がため息を吐いた。
彼らが混ぜて欲しい、と言っているのは、夏の大会に向けての実技練習だ。そう、もうそんな時期なのである。
まだ刺すような痛みではないが、降り注ぐ太陽光は確実に気温を上げ始めており、制服も半そでにしたいと切実に願う時期。あ、そろそろ医療科への日焼け止めの依頼増えそうだな、とその太陽の下で考えながら、ちらりとレイシスを見る。
レイシスは、微笑んだままポジー少年と向き合ってなにやら優しく話しかけている。普通だ。普通なのである。
……私の前ではたまにその笑顔になんだか強烈なものが含まれるようになった気がするのは、気にしすぎなのだろう、と思いたい。
――アイラに一人の男性として見られたい。意識してくださいね。
レイシスの衝撃的な告白から少したった。……そう、あれはまさに告白だったのではないだろうかといくら恋愛経験値ゼロと自信を持って答える私でもわかってしまった。
わかってしまったが……だからどうしたらいいのかわからない。
一度レイシスを呼んで、そのわけがわからない自分の思考そのままに返事をしようと話しかけたことがあるのだが「あの」と切り出しただけで言葉に詰まった私をくすくすと笑って受け止めたレイシスは、今はそのままでいいんですと言って私に明確な答えを求めなかった。
「むしろ、今の返事なんてわかりきっています。今は意識してくれればそれで……勝手ですけど」
そういって私の頬を撫でてから立ち去ったレイシスが、私と同い年に思えなくて私は真剣に過去を思い出し彼が自分と同い年であるという再確認をするはめになった。意味はなかった。
「なら、これから丁度稽古に行くところだから、少しだけだぞ」
結局王子がそう言うと、ぱっと顔を輝かせた二人は私たちの後ろについて騎士科の練習場へとやってきた。二人は兵科の為、騎士科の練習場を最初珍しそうに眺め、何体もある赤の案山子を驚いて見ている。
兵科は赤の案山子を倒すのに魔力を全部使い切る人もいる。基本騎士科は剣の腕も魔力の腕も兼ね備えた人が選ばれるが、兵科には武器の扱いは騎士科より上だが魔力がうまく使えないヴァレリ・ベラーのような人や、魔力はあるようなのにいまだ燻っているポジー少年のような生徒も多く、基本ワンランク下である黄色の案山子や、対物理攻撃用の青の案山子の方が多く用意されているらしく、赤い案山子を珍しそうに眺めていた。
さてやるか、とさっそく王子がヴァレリを指名し、室内にある練習用の枠の中央へと歩いていく。
どうしよう、と視線を彷徨わせたポジー少年とばっちり目が合ってしまい、相手は私でもいいのかと悩みつつ声をかけようとしたところで、私の前でさらりと琥珀色の髪が揺れた。
「ポジーは俺が」
「レイシスさん! ありがとうございます!」
顔を輝かせて頷いたポジーくんを見て、ほっとして息を吐き、私は予定通りチェイサーの練習でもしようと赤い案山子を用意する為に奥へと向かう。ガイアスは既に以前先生に言われた「均等なチェイサー」の練習のために赤い案山子と向かい合っていた。
「アイラ」
横に誰か並んで歩き出したので見上げたところで声をかけてきたのは、フォルだ。
首を傾げた彼の銀の瞳が私を覗き込み、形のいい唇が目の前で動く。
「レイシスと何かあった?」
「えっ……と……」
驚いて思わず足を止めてしまった私を見て、フォルは大きく目を見開いた。駄目だ、何か言わないとと無理矢理ひねり出した言葉は、フォルを苦笑させるだけだ。
「そっか」
眉を下げて笑ったフォルは、私の少し前の、丁度いい位置に赤い案山子を用意すると、自分の分を持って立ち去ってしまい、誤魔化す暇もなく。
ばれた? ばれたのか? 何を言われたのかまで、あれだけでばれたのか?
混乱した私のチェイサーは最大十八個。まるで練習になってない。目標は三十個なのに、これじゃいつもより酷い。
仕方ないとただ椅子に座り魔力を練り上げるところから集中して一時間以上、漸く落ち着いたところでまたチェイサーを打ち出して、午後の授業が終わる頃にはなんとか二十七個。うーん、もう少し練習が必要みたい。
「疲れたー」
「疲れました……」
ほぼ同時に私と同じ内容を口にして項垂れたのはポジーくんで、思わず顔を見合わせて笑う。
「でも、レイシスさんのおかげでだいぶコツをつかめました」
嬉しそうに鞘に収められた大剣を掲げるように持ち見上げるポジーくんの表情は輝いていて、充実した時間を過ごしたらしいことがわかる。
相手をしていたレイシスもタオルで汗を拭い、「楽しかった」とポジーくんに声をかけていたところを見るといい稽古が出来たらしい。
そういえばポジーくん、去年は大剣を使わないように指導されていたらしいけれど、結局そのまま武器は大剣を選らんだらしい。
今年は一年生も含めて夏の大会は何人くらいの参加なのだろう、とふと考える。
去年みたいに王子の試合が邪魔されたりしなければいいな。そんな話を、隣に来たおねえさまと話す。
「去年は直前で治療の為に来る予定の医師がこれなくなったのでしたわね。今年は何も問題がなければよいのですけれど」
おねえさまが外に出たところでそんな話をぼんやりと空を見上げながら話す。空は澄んでいて爽やかな青空。高く、まさに夏だ。
「おねえさま、日焼け止め調合しませんか?」
「そうね」
二人揃って腕で目の上を覆い、そう話したところで笑いあって、そばにいたフォルが「ああ」と手を叩く。
「アイラ、ラチナ。前にアイラには話したのだけれど、お勧めのお店があるんだ。この後時間ある?」
「え? 私もいいんですの?」
話を聞いたおねえさまが驚いたような顔をする。
……そういえば、カルミアさんやアニーの件で忙しかったからか、フォルと買い物行く予定が延び延びになっていた。
「うん、一緒に行こう。たぶん楽しめると思うよ」
そういうと、フォルは王子のところに行き、私とおねえさまの二人と買い物に行く話を告げる。
「ああ、わかった。はぐれて一人になるやつが出ないようにしろよ。……ああ、明日は予定があるから、全員空けておいてくれ」
「依頼ですか?」
王子の言葉にすぐ反応したルセナが尋ねるが、王子はいつもと少し違う、非常に楽しそうな笑みを浮かべ、違うな、と首を振る。
「ここ数ヶ月俺が何度か城の研究所に出かけていただろう。あの研究が落ち着いたんだが、ぜひ皆に見せたいと思ってな。すごい面白い研究なんだ」
「まあ、見に行ってもよろしいんですの?」
おねえさまが驚いて頬に手を当てると、腰に手を当てゆったりと自慢気に頷いた王子が明日だけだが、と付け加える。
「とりあえず今日は買い物を楽しんで来い。騎士科の方は課題が出てるからそれをさっさと片付けるぞ」
「げ、忘れてた」
ガイアスが王子の言葉に仰け反った後項垂れて、レイシス助けてくれーと彼に引っ付いた。どうやらガイアスが苦手な分野の筆記課題らしい。
「お嬢様、お気をつけて」
少し心配そうなレイシスに笑顔で頷いて、私とおねえさま、フォルは三人並んで買い物へと向かった。
「わぁあ! 可愛い!」
「素敵ですわ!」
フォルにつれてこられたのは、やはりというか、香料のお店だった。いや、正確に言うと、香水をメインで取り扱ってるお店だ。
見た目も可愛らしいオレンジの屋根にレンガの壁、店先には色とりどりの花と思わず入ってみたくなるお店であったが、中はもう異世界だ。ファンタジーである。夢の国だ!
可愛らしいボトルに入った綺麗な透き通る液体に、ふんわり心躍るさまざまな香り。室内はたくさんの色に囲まれていて、所々飾られている花も香りが邪魔をせず雰囲気がいい。
「僕が保湿剤に入れていたのはこっちだよ。たぶん日焼け止めの調合にも使えると思う」
フォルが指差す方向には、細長く特に装飾がされていない小さな小瓶。アロマオイルのようなものなのだろうかと思うが、フォル曰く薄めていれば赤ちゃんでも使える肌に優しいものなのだとか。
「素敵ですわ……あの、フォルセ」
おねえさまが急に気まずいといった表情でフォルを呼び、小さく何かを言うと、フォルが驚いたように首を振る。
それを首を傾げつつ見守っているともう話が終わってしまったようで、フォルがなんでもないよ、と微笑んだ。
「アイラ、楽しみにしてくれていたでしょう。どうかな、気に入ったもの、あった?」
「あ、うん。すごいよ! ねえねえフォルのおススメは?」
「そうだなぁ……普段保湿剤や日焼け止めに使うなら、こっちのあまりきつくない香りがいいと思うけれど」
「あ、これ、最近大人の女性の間で人気の香りですわね。香油で使うと髪がつやつやになるとか」
「確かにそれは美容効果が高いと言われて最近注目されているね」
おねえさまも一緒にフォルのお勧めの中からきゃあきゃあと選び、悩みつつも一つに絞って柑橘系の香りのものを購入。
だがどうしても最初に見た香水が気になってしまい、まだ選んでいるおねえさまとフォルをその場に残し一人香水コーナーへと向かう。
薄いピンクの、それこそファンタジーな魔法の小瓶のようなボトルにきらきらした宝石のチャームがあしらわれていたり、月のようなデザインに金の鎖が巻き付いているボトルだとか、海を思わせる深い青色のボトルの中で液体が幻想的に揺らめいて見えたりとか。香水は見た目も楽しいのだから、すごい。
店員さん曰く、こうした可愛らしいボトルはこの店独自のもので、最近増えたらしい。どうも、ベルマカロンの手の込んだ包装に刺激されたのだとか。それを聞いて嬉しくなって、さらにじっくりと眺める。
前世の香水のようなミストとして香水が吹き出すような技術はないようだが、ボトルの幻想的な部分はこちらのほうが楽しいかもしれない。
さまざまな工夫が凝らされていて、素敵。
思わずうっとり魅入っていると、フォルの白い手が丁度私の視線の先にあった、果物の形をした綺麗な緑色の小瓶を手に取った。
「これ、アイラの目の色みたい。……香りは少し刺激が強いものだったと思うけど。ほら」
そばにある小さなケースの蓋をフォルが開けてみせると、どうやらそこにその香水の液体を染み込ませた布をを置いていたらしくふわりと香りが広がった。
……確かに、なんだか大人っぽい香りだ。なんだか情熱的というか、なんというか。うーん、私にはあわないかもしれない、とつい一番大人っぽくない胸元に視線が落ち、慌てて首を振る。
「フォル、どんなのがいいかな」
「……僕に選ばせてくれるの?」
にっこり微笑んだフォルが、楽しそうに棚を眺めだす。その表情がなんだかとても嬉しそうだったので、お任せしてフォルが手に取る小瓶を眺めていると、フォルが桜色の曲線を描く花弁のような小瓶に、緑の丸い果実のようなビーズが飾り付けられているものを手にとる。
「やっぱりこれかな。色も香りも、見つけたときからアイラにぴったりだと思ってたんだ」
試してみて、と言われてすぐ広がった香りは、なんだか甘いような、どこか花を思わせる落ち着くものだ。
私にぴったりと言われるとなんだか恐縮してしまうが、フォルがにこにことすすめてくる小瓶を思わず嬉しくて手にとってしまう。
が、それは私の手に触れたところでひょいっと逃げて行き、フォルの手によって高い位置に行ってしまう。
「僕にプレゼントさせて。僕が選んだのだし」
「えっ」
「まあ素敵ですわ。なら、アイラもフォルセの分を選んで交換したらどうかしら?」
やってきたおねえさまが名案と言わんばかりに頷きながら私に笑みを見せるが、私は逆に困って固まってしまう。
確かに香水は、この世界だとどちらかというと若い男性が好んでつけることが多い、らしいが、社交界に出たことがない私はどんなものが流行りかなんて知らないし、男性の好む香りも知らない。
そんなひどい、おねえさま、と思わずおねえさまを見れば、おねえさまは私も手伝いますから、と笑う。
「なら、ラチナにも……と言いたいところだけど、僕が選んだらきっとデュークがつけるのを許さないだろうね」
「……そ、そんなこと!」
かっと顔を赤くしたおねえさまは、さあ選べ選べとフォルから私を離し、こちらが男性モノらしいですわよ、と裏の棚へと導く。
「交換したらきっと喜んでくれますわ」
おねえさまに笑顔で言われてしぶしぶ左上の小瓶から順に手にとり選び出した私は、いつの間にか真剣になってフォルに合いそうなものを選び出し、結局無難な気もするが銀の満月を思わせる可愛いというよりは綺麗な小瓶の、さっぱりとしていてどこか落ち着いた大人っぽい香りのものを選ぶ。
おねえさまに、どんな香りですの? と聞かれたが、それすらいい表現ができず「お、大人っぽいかな?」なんて説明だったのだが、フォルは非常に気に入ってくれたようで、結局二人で買ったものを交換することで落ち着き私の手には今フォルが選んだ桜色の小瓶が乗っている。
なんだかフォルのだけ選ぶのが気恥ずかしくて、結局おねえさまが自分にと悩んでいた数種類の香水の中で「私はこれがおねえさまに合うと思います!」とおねえさまにも一つ選び、満足して三人で店を出た頃には日がだいぶ落ちていた。
おねえさまがこっそり王子にも買ったのに気づかない振りをフォルと二人でしながら顔を見合わせ、笑いながら三人で屋敷へと戻る。
「明日デュークが連れて行ってくれる面白い研究って、何かしら」
「楽しみですね!」
そんな会話をしていた私達であるが。次の日、思いもよらないことが起きるとは、この時誰一人として予想していなかったのである。




