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「見つけたー! 運命ですね、デューク殿下!」
「違うな」
すっぱり言い返した王子が、食堂のランチボックスを買い終えたところで突進してきたベリア様を華麗に避け、勢いあまって壁に突撃……しかけたベリア様であるが、成程騎士科。それを身体を捻ってなんとか止め、頬をふくらませて見せた。
「ひどいです。せっかくの求愛行……御挨拶でしたのに」
「素直なのはいいことだな」
淡々と返事を返した王子が、行くぞと皆を促した。
まっさきにおねえさまの位置を確認したあたり、王子はやはりおねえさまに近づけたくはないらしい。
別に今のところ彼女が何かするようには思えないのだけど……女子には抱きついてこないし。王子はもしかしておねえさまに女の子が抱きついてもヤキモチをやいちゃうのだろうか? 私の時は大丈夫そうだったけどなぁ。
だが王子の願いもむなしくというべきか。ひょっこりと王子の向こう側に顔を覗かせたベリア様は、おねえさまの腕をがしりと掴む。
「ま、いいですよー。今日は女の子同士でお話したいので!」
まるで歌うように告げたベリア様に引っ張られたおねえさまは、きゃっと悲鳴をあげて王子の後ろから離れ、それを王子が止める前に私の前に来たベリア様は私の腕をも掴む。
「え、ちょっと」
「いいじゃないですかぁ、少ない特殊科の女の子同士積もる話もあるだろうし!」
「勝手に決めるな!」
怒った王子が手を伸ばすが、ふふっと笑ったベリア様が王子を上目遣いに見る。
「殿下のお気に入りは、美の女神ですか?」
ぐっと言葉に詰まった王子ににこりと笑みを返したベリア様が、私とおねえさまを引っ張ってそのまま中庭へと向かい、ベンチへ腰掛けて困惑した私達を自らの両隣に促したが、私とおねえさまはその場に立ち尽くす。
彼女は私達と話したいというが、そもそも女だけになるなと言われる事が最近起きたばかりだ。もちろん後ろにはガイアスもレイシスも、フォルもルセナも王子もついてきたし、王子なんて女子の空間お構い無しにそばまでやってこようとしている。
「あーもうわかりましたから! そこ! そこにいてください!」
何かに妥協したらしいベリア様が少し離れた位置にあるベンチを指差し、ため息を吐いたガイアスはそれに従うように王子を引っ張りそちらへ向かう。皆もガイアス達の後ろについていった辺り、とりあえず少しは話す時間をくれたらしい。
「……なんでしょう、こんな強引に」
おねえさまがその綺麗な眉を顰めると、両の手を顎の下に持って行き握ったベリア様は「ひどーい先輩ってば!」と頬を膨らませる。
「ちょーっとお話したかっただけですよ。ほら、私達くらいのオンナノコといえば、話す事は一つでしょう?」
こてん、と首を傾げるベリア様。
なんだろう、思っちゃいけない、思っちゃいけないと思っていたのだが、うん。
「はっきり言ってください、それではわかりません」
つい言ってしまう。なんなのだ、この子! 態度で察してくださいと言われても、わからないよ!
「えー、仕方ないなぁ、セ・ン・パ・イ! 私達の興味があることと言ったら、恋の話に決まってるじゃないですかぁ! 先輩達は同じ特殊科に女二人いて、あとは超かっこいい人たちばかりなのに、そんな話しないんですかー?」
「は?」
思わずおねえさまと声を揃えて顔を見合わせ、首を傾げる。
恋。まあ、おねえさまと一時期恋愛小説で盛り上がったりもしたし、おねえさまと王子がなんだかいい雰囲気なのは知っているが、基本そんなに話さない。
おねえさまは王子との事をあまり話したがらないし、私はそもそも相手がいない。アニーもそういった話をするタイプではないし、どうにも私たちには少し縁遠い話題のようだ。
……私たちくらいの歳の女の子はみんなその話をしているものなのだろうか。私とおねえさま、アニーの最近一番の話題は最近発表された傷薬の調合なのだけど。
「それで、先輩たちの本命はどの人ですか? できれば被らないほうがいいじゃないですか、同じ特殊科同士!」
「は、はぁ……」
おされてたじろぐ私に詰め寄るベリア様。どうせこの会話もレイシス達に聞かれているのでは、と視線を巡らせたとき、不自然な風の魔力に気づく。
「……ベリア様、もしかして風の魔法使ってますか?」
「やだなぁ、女性の秘密のお話を殿方に聞かせてはいけないんですよ!」
にっこり微笑まれて、脱力した。確かにこの特殊科の少女は、特殊科らしく魔力の扱いに慣れているらしい。
「ささ、安心して本命を! ラチナ先輩は、デューク殿下でしょう!」
おねえさまが息をのみ顔を強張らせたことに気づき、眉を寄せる。おねえさまはその話題をしたがらないのだ。
「ベリア様、そのような事は」
首を突っ込むな、と私は言いたかったのかもしれない。咄嗟に止めにかかった私に向けられた視線は、しかし非常に輝いた楽しそうなものだ。
「アイラ先輩はフォルセ様? レイシス様? ガイアス様? それともルセナ様? 私ね、最近一押しはレイシス様なんですよ。ルセナ様はちょっと歳が離れているし、フォルセ様は敵が多すぎるし。ガイアス様も素敵だけど、この前のレイシス様のあの魔法! やっぱ男は強さですよね!」
「えっ」
一気に言われて混乱した私に、にこりと微笑んだままベリア様は続ける。
「私ね、爵位とかどうでもいいんです。男は強さ! 夢は旦那様と世界一周冒険なんですよ!」
熱く語るベリア様は拳を握り目を輝かせた。
……それ、王子はまず無理だしフォルだって爵位を継ぐだろうから厳しいんじゃ。
しかし、彼女が言うには「今のうちにいっぱい恋愛して素敵な旦那様を見つけないと!」らしい。それは彼女の夢と繋がる事になるのか? という疑問を考える前に、私は再度詰め寄られた。
「で、アイラ様の本命は!?」
「そ、そんなの」
考えたことなかった。
正直に言葉が口から飛び出しそうになったとき、ベリア様は「あっ」と叫ぶ。
「ハルバート先輩だ! 私ちょっと忙しいのでこれで失礼しますね! またお話しましょう!」
しゅたっと手を上げて立ち去るベリア様の背を呆然と見送り、私とおねえさまは同時に盛大なため息を吐いた。
あのあと王子達の「何を話していたんだ!」という質問を適当にかわし(夢は世界を冒険することだそうです、と言ったら目を点にしていた)、午後の授業を無事に終えた私は、おねえさまに呼ばれて久しぶりに彼女の部屋に来ていた。
お茶を飲み、しばらくまたしても最近発表された傷薬の話をしていた私達であるが、薬の容器はもっと考慮しなければ底に残ったのがもったいないなどという色気皆無の話をしていたあたりで、おねえさまが苦笑した。
「アイラ、あのね……私、少しベリア様が羨ましかったの」
そう口火を切ったおねえさまは、窓の外を見ているようで瞳が揺らいでいる。
「羨ましい、ですか?」
話を促すと、おねえさまはこくりと頷いて……そのまま俯いた。
「あんなにきっぱり『爵位はどうでもいい』って言えて。……実は私もそう思っていたの。あの人の立場がどうであっても、って。でもね、私はアイラにすら言えなかった。怖かったのよ、『お前はふさわしくない』って言われるのが」
「おねえさま……」
思わず目を見開いた。
いつも強いおねえさま。特殊科という目立つ立場で、しかし何を言われても相手に負けずに毅然とした態度を崩さなかったおねえさまが、今その綺麗な蜂蜜色の瞳に浮かぶ雫が零れ落ちそうなのだ。
「立場なんて、って思いながら、私が一番気にしているのよ。明確な返事も返せないくせに」
始まりにも、終わりにもできない、とおねえさまは呟いて、その雫を空っぽになりかけていた紅茶のカップに落とした。ゆらゆらと揺れた水面はすぐ静まったけれど、おねえさまは逆に決壊したように涙を零し、慌てて立ち上がる。
「おねえさま。おねえさまはふさわしくないなんてこと、ありません」
そんな気の利かない台詞しか言えない事に逆に涙が溢れそうになる。ハンカチを差し出してみるが、他の言葉が見つからなくて慌てる。
おねえさまは伯爵家の娘だ。政にも参加しているわけではないし、高位貴族ではない。つまりおねえさまが気にしているのはそこなのだろう。でも、高位貴族に負けないくらいおねえさまは素敵なのに。
「……相手が選んだのは、おねえさまなんですから」
これも、なんか違う。うう、なんていえばいいのだ。私の恋愛経験値はゼロなのだ。これはまったく聞いた事がない薬を二十四時間以内に作り上げろといわれるよりも、テストで満点を取れと言われるよりも難しいかもしれない。
「なら、ほら、おねえさま。強くなって、すごくなって、負けなければいいんですよ。のし上がりましょう!」
過去には戦争での功績で王族との婚姻を許された女騎士もいたらしい、とか、聖女と呼ばれ国に奇跡をもたらした元侍女の妃もいたらしいとか歴史書の内容を頭の引き出しをあけまくって捜す。歴史書だって、恋愛小説並みな素敵な話が詰まっているのだ。
必死にいろいろ言いまくっていると、次第におねえさまの涙は止まり、やがてくすくすと笑い出した。
「アイラは、強いわ。……そうね、のし上がっちゃいましょうか」
手始めに、医療科で出された宿題終わらせないとね。
言われてすっかり忘れていた存在を思い出し、フォルと一緒にやる約束をしていたんだった、と慌てて二人で笑い合って階段を駆け下りた。
「お嬢様、今大丈夫ですか?」
またしても寝る前に部屋に訪れたレイシスを見て、少し驚いてどうすべきか悩む。
「……アルにいてもらってかまいませんから」
私の逡巡などお見通しらしいレイシスが苦笑して足元にいたアルくんを見る。
とりあえず頷いて部屋に促し、お茶を淹れ終わるまでレイシスは動かなかった。
淹れたお茶を私の代わりにテーブルにのせてくれて、二人で腰掛けた後それを一口飲み終わるまで無言。
すりすりとアルくんの尻尾が足首に触れるのを感じながらそっとレイシスを見ると、思いのほか強い視線が向けられていたことに気づきびくりと肩が跳ねた。
「お嬢様……ベリアの事ですが」
呼ばれた彼女の名に、少し驚いてレイシスを見つめ返す。なんとなく違和感を感じたのだが、その違和感の正体がわからずもやもやとする。
首を傾げた時、レイシスが苦笑した。
「やはり、妬いてはくださいませんか」
「は?」
何を焼くの? クッキー? あ、お茶菓子用意してなかった!
慌てて立ち上がった私の、テーブルについていた手の上に、レイシスの手が重なった。思わず見下ろした私に、レイシスが椅子に座って私を見上げる体勢のまま微笑む。
「お菓子ではありませんよ?」
にゃっと鳴いて、アルくんがテーブルの上に乗る。レイシスはそれを一度見たあと、無視してまた私を見上げた。
「今日はお嬢様にしっかり気持ちを伝えるために来たんです。……アイラ」
「え?」
「俺は確かに幼馴染で、護衛ですが。……アイラを姉や妹だとは思っていません」
「え……」
何を言っているの、と混乱する。姉や妹だとは思ってない。それにどんな意味があるのだというのだ。……レイシスが兄や弟じゃないとするのなら?
「俺はアイラに一人の男性として見られたい。……それを言いたくて」
手を重ねたまま立ち上がったレイシスが、お茶、ご馳走さまでしたと笑う。
「少しは意識してくださいね」
テーブルに載せられた手をぐっと掴まれ、引かれて、至近距離に迫ったレイシスの綺麗な唇がそう言うと、そのまま立ち尽くした私から離れていく。
「ということだから、アル」
ひらりと手を一度振って部屋を出て行ったレイシスに、残された私とアルくん。
しんと静まった部屋は、まだ初夏の始まりだというのにやたらと暑く感じた。




