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ベリア様はしばらくガイアスやルセナと話をしたあと(ほぼ抱きついていた)フォルと話をしたいようでうろうろとしていたのだが、なぜか王子に完全ブロックされていた。
アーチボルド先生に、「ほら授業中だ!」と追い出されてしぶしぶ退室したものの、私たちが自主練しガイアスがチェイサー千発を無理矢理終わらせ、先生が授業終了を告げたとき再び突撃してきた。
どうやら私たちは通常の午後の授業時間を少し過ぎて授業を終えたのだが、待っていたらしい。
「私、先輩たちの寮見に行ってみたいなー!」
「駄目だ、授業が終わったんならさっさと自分の寮へ戻れ」
あっさりと王子に却下されたベリア様は口の先を尖らせて見せ、私の隣にいたレイシスの腕にしがみつく。
「レイシス様ー、駄目ですか?」
「……まだ、戻ったら授業の復習がありますから」
視線を合わせず、というより私をちらちらと気にしながら言うレイシスにもむくれて見せたベリア様が顔を上げたとき、ぱちりと目があった。
「ねぇ、連れて行ってくれない?」
微笑まれて、こてんと首を傾げるベリア様を見て思わずうっと言葉につまり、頷きかけた私の頭がぺちんと叩かれる。ガイアスだ。
「こーら、そこで負けるなっての。ベリア、王子が駄目っていったら駄目だ」
「ちぇー。……あ、ねぇねぇ、美の女神ってあっちの女の子ですか?」
「ん?」
ガイアスがベリア様が指差す方向を見て、ああ、と苦笑した。
彼女が指差す先には、王子に引っ張られながらもこちらを気にするおねえさまがいる。心配そうな表情のおねえさまと目が合い、とりあえず大丈夫だとひらりと手を振って見せた。
「美の女神ラチナ・グロリアって噂の事か。あれがラチナで間違いないけど」
「ふうん。まぁ、そんな感じですよねぇ。あとで女の子同士でお話してくださいね!」
……ん?
明るく言いながら私を見るベリア様の視線が頭の先からつま先まで移動し、胸の辺りで一度止まり、そして私の顔で固定される。
ええっと、つまり。……いやいやいや! 失礼じゃないか!?
かっと顔に熱が集まったと感じた時には、にっこり笑ったベリア様はさっさとその場を立ち去って王子に再度訪問願いのアタックをかけており、気が抜けてがっくりと項垂れた。
熱い頬を押さえると、ガイアスの微妙な視線が上から降ってくる。いい。何も言うでないよガイアス。落ち込むから。
「ほらアイラ、これからだって!」
「アイラは可愛らしい顔立ちだと思うよ」
いつの間にかそばにやってきていたフォルまでフォローしてくれるが、待てガイアス。「これからだって」って主に胸の事じゃなかろうな。
「うわー、いいないいないいなー! 私もここに住みたい!」
なんと結局ついて来てしまったベリア様が、ぴょんぴょんと跳ねながら屋敷の前で騒ぐ。
ここまで来たのにさあ帰れと言うのも、とは思うが、なぜか王子はあまりいい気はしていないらしい。
「定員は一杯だ。お前は自分の寮に戻れと言っているだろう」
「ちょっと中見せてくださいよー!」
ぐいぐいと王子の袖を引くベリア様は怖いもの知らずである。
「とにかく今日は……」
「あ、失礼しまーす!」
王子は恐らく帰れ、と言いたかったのだと思うが、屋敷の扉が開いてしまった。中から出てきたのは、王子のところに最近よく来ていた騎士だと思う。開けられてしまった扉にするりと勝手に入り込んでしまったベリア様を、慌てた様子で中で私たちを出迎えようとしたらしいパルミアさんが追った。
「殿下、お迎えに……申し訳ありませんでした!」
相手は生徒であるし、そもそも私達と一緒に現れた相手だったのだから仕方なかっただろうに、ベリア様の侵入を許してしまった騎士は王子の表情に気づき縮み上がって謝罪した。王子、さすがにそれは可哀想だろう。
普段しないような舌打ちの後、王子はルセナとガイアス、レイシスに早く後を追うように伝えると、自分は城に呼ばれたと言って、おねえさまに部屋に戻っているように言う。
ルセナが非常に困ったような表情をしていたが、しぶしぶガイアスに引っ張られて歩き出す。
レイシスは私を気にしていたようだが、王子に何かを言われるとその場を気にしつつ屋敷へと入った。
「アイラ」
「はい」
なんで残されたのだろう、と王子を見上げると、王子はちらりと同じく残っているフォルを見た。
「フォルを部屋に連れて行ってくれ。……フォル、どこか体調が悪いならはっきり言うんだ」
「え」
思わずフォルを見る。フォルは大きく目を見開いた後、ふにゃりと力のない笑みを浮かべた。
「……ごめん、ちょっと風邪気味なんだ」
「本当にそれだけか? 駄目ならアイラに助けてもらうんだな」
慌ててフォルの額に手のひらを当ててみるが、魔力の流れは正常。手のひらに伝わる熱は確かに少し熱いかもしれないが、高熱、ではないだろう。
「……助けてもらえって、デューク。そんな飢えた狼みたいに言わないでよ」
「ふん。……体調が悪い時は気をつけろ。俺は城の研究所に行かないといけないから、適当なところであれは追い出せ。……ラチナにはあまり近づけるな」
「大丈夫。今日僕とラチナとアイラは依頼があるから、部屋に引きこもるし」
フォルに言われて、あっと声を上げた。そうだ、二年に上がったので、おねえさまも一緒にこなせる初めての医療科の依頼が来たのだ。
でもフォルの具合が悪いのなら、と心配して見上げると、これくらい大丈夫だよと微笑まれる。……今日の笑顔は信用できないな。
「とりあえずわかりました。フォル、ほら行こう!」
これはさっさと薬を調合するなりなんなりしなければとフォルの手を引き二階に上がる。途中心配したレイシスが顔を出したが、依頼があるとフォルが言うとわかりましたと頷き、すでにおねえさまは二階にいる筈だと教えてくれる。
レイシスのいる扉の向こうから、ものすごくきゃーきゃーと楽しそうな声が聞こえる。うーん、元気だな。
「ほらフォル、座って座って!」
訪れたフォルの部屋でフォルをベッドの端に促して、座ったフォルに魔力を集めた手のひらを当て、再度体調をチェックする。
やはりただの風邪かな、とは思いつつ、先ほどの王子の言葉の意味を理解してしまった私は念のためにとフォルの前に膝をついて座った体勢から顔を上げ、制服の襟元を掴み軽く引っ張った。
「王子が言ってたの、これのことだよね。飲んだほうが具合がいい?」
「えっ、あ、いやいや! だ、大丈夫だから!」
かっと顔を赤くしたフォルがぶんぶんと首を振る。そっか、と返事をしつつ彼の瞳を見て襟を戻し、それならと途中部屋から持ってきた薬箱から、既に調合済みの風邪薬を選び出しその液体の入った小瓶を押し付ける。
「……これ、苦いんだよね」
「良薬口に苦し! ほら飲んで飲んで」
「うーんその言葉、やけに説得力あるなあ」
仕方ないかと苦笑したフォルがしっかり薬を飲み干すのを見届けて空の小瓶を預かると、フォルが少し目線を逸らしてもごもごと口を動かす。
「あの、アイラ。ほんとに僕、飢えたりしてないから」
「うん……?」
「吸血族はずっと血がないと駄目なわけじゃないから。だから、だいじょう、ぶ」
「うん、そっか。……フォル、今日の依頼、出来そう?」
フォルの話を別に真剣に聞いていないわけではない。わけではないが、聞かねばならないだろう。
「え、大丈夫だよ? 風邪は本当にそんな酷くなくて……」
「そっか。なら」
ごそごそとポケットをまさぐって、持ち歩いている小さな手鏡を見せる。ちなみにこの手鏡はジェントリー領の特産で、花の銀細工で囲ってある可愛らしいデザインだ。
その鏡を覗き込んだフォルは、ばっと顔を両手で覆ってベッドに突っ伏した。
「……ごめん、説得力なかったね。実は、体調崩すと少し、その……」
「大丈夫だから、落ち着いたら調合部屋来てね?」
苦笑して、『真っ赤な目』のフォルにそう言って、私はおねえさまと先に準備をする為にフォルの部屋を後にした。
なるほど、王子はもしかしたら、フォルが体調を崩していることに気づき、ベリア様が抱きついたりして血が欲しくなったりしないように今日はやたらとフォルを庇っていたのか。
あれ。王子、私が血をあげたことあるって知ってたのか、と気づいたのは後になってからで、なんだか知られたくない秘密を知られた気分になった私がおねえさまの前で動揺し薬を混ぜる小鉢を落としたのは、フォルには秘密である。




