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「聞いた? 今年の一年生は特殊科が一人しかいないそうだよ」
トルド様が薬草をすり潰しながら世間話をするようにそんなことを言うと、アニーが「あら」と少し驚いた表情をした。
「私達の学年が、すごすぎたんでしょうか」
「七人って言うのがね。今年は三年生で一人追加されたみたいだけど……あれ、君のお兄さんだっけ?」
トルド様の質問にラチナおねえさまがそうですわと頷く。雑談しながら和やかに進んでいるが、今作っている薬は少々難易度が高いものだ。だが、誰も寸分の狂いもなく進めている。
「……九、十。よし、これってこれくらいでいい?」
「ばっちりですわね。魔力も均等に混じっているわ」
これでいこう、とフォルの合図で、全員が作業に戻る。トルド様がすり潰した薬草に私が用意した魔力水を小分けにした小瓶を少しずつ混ぜて行き、色の変化を見る。この加減が重要だ。おねえさまが用意した別な薬草もさじ一杯分だけ混ぜ合わせ、アニー様が魔力を注ぐ。
全体指揮は順番に回ってくるが、今回はフォルだ。じっと変化を見てそれを紙に記していき、経過を見る。
作っているのは病の薬。怪我の薬より少し難しい、というのは私の判断であるが、みんなの表情も真剣だ。まだ一年生のときから準備していて、トルド様を加えて最後の仕上げ。フォローをしながら全員がその薬を完成させる為に力を注ぐ。
「よし、反応は正常だね。後は一時間程度待とうか」
フォルが出来上がった薬を見ながらそういうと、全員がほっとして囲んでいた机の周りに椅子を運び出し座り込んだ。
今日は皆が授業している隣の空き教室を借りて、私たちの班だけ別行動だ。先生がたまに様子を見に来てはいるが、こうして机に突っ伏していても怒られはしないだろう。
「疲れた」
ぽつりと零すと、全員が確かに、と言って笑いが起きる。
「難しい薬の調合はやりがいがあるけれど疲れるね。でもやっぱり、楽しいなぁ。この班に入ってさっそくこんなすごい薬の調合ができるなんて」
「トルドは薬師志望だものね」
トルド様とフォルの会話で、ふと顔を上げる。
「あれ、トルド様は医者ではなく薬調合を?」
「そうなんだ。最終的に王立研究所で新薬を作り出せるようになりたいな。無魔力症候群の研究をしたいんだ」
「まあ」
おねえさまも驚いて姿勢を正す。
無魔力症候群、とは、あまり公で言われている言葉ではないが、魔力が無い人たちの事を病と考えた場合の呼び名だ。
実際魔力がない人たちがどこか体調を崩しているわけではないのだが、魔力があるのが当たり前のこの世界ではそれは異常となる。それが病であるというのが研究者の間では語られ調べられていて、何らかの治療で『正常』に戻せるのではないかと日々研究されているのだ。
もちろん魔力がない人達というのは完全な健康体かと言われると、難しい。魔力ありで考えられるこの世界の医療では、魔力が無い人間の治療は少し難しい。
魔法が効かないわけではないが、例えば一部の治癒魔法のような「使用者の魔力を活性化させ回復を促す」タイプは効果が現れない。「回復者が己の魔力を用い治療対象を回復させる」もしくは「薬剤のようにそれそのものの力が対象者を治癒する」ものでなければならないのだ。
この場合、魔力が僅かにでもある場合はこの『病』であるとは言われない。少しでも魔力があれば、どんなに魔力が少なくても魔法が使えなくても、薬で自己治癒くらいできるのだ。
完全に魔力が無い場合のみなので『患者』自体少なく、それにより『無魔力症候群』という呼び名は浸透しない。
「もし魔力が何らかの異常で現れないのなら、それを治療して根本から見直し生存率を伸ばしたい。それが僕の夢なんだ。だから、医者よりはその道専門で薬や魔法の研究をしたほうがいいかなと思って」
「ご立派ですわ」
アニーが尊敬の眼差しを向けると、トルド様は照れたように笑いふるふると首を振る。
「こんなこと言うのもなんだけれど、僕は実は怪我の治療が苦手なんだ。その……ひどい怪我を見ると、自分も血の気が引いちゃって」
君達はすごいよ、と恥ずかしそうに言うトルド様に、私たちも苦笑を返す。
「私もたまに貧血が起きそうになりますわね」
「私なんか自分の怪我でもびっくりして動けなくなっちゃう時があるなぁ」
「アイラは何もないところで転びすぎだよね」
おねえさまに続いて苦手を告白したところで、フォルに突っ込まれる。どっと笑いが起きて、かっと頬が熱くなった。
「そ、そんなに転んでないよ!?」
「うそだ。僕、あの屋敷に引っ越してから階段から落ちて呆然としてるアイラの治療、三回はしたからね」
「あれはその……」
「まあ。いっつもぼーっとして歩いているからですわよ」
おねえさまにまで突っ込まれて、思わず言葉を飲み込んだ。
確かにたまにカレー研究の資料見ながら歩いて転んだり、アルくんのお友達の精霊が部屋に遊びにきて、そのまま話しながら転んだりとかしてたけど……はっ、精霊って周りの人に見えないんだから、それって他の人から見たらただぼけっとして歩いて転んでるように見えるのか! 痛い子じゃないか!
さすがに口を動かして精霊と会話したりはせず、伝達魔法の応用を使ってはいるものの……さすがに駄目だろう。
「気をつけ……マス」
じゃっかんしょんぼりしながら言うと、トルド様が大きく笑う。
「なんだか特殊科のメンバーって近寄り難い感じがしてたんだけど、フォルセもそうだけど皆普通だよね。いや、ロサメイデンやジェントルの科の生徒よりはよっぽど話しやすいや。そう思わない? アニー様」
「あ、えっと」
それって褒めてるの? と笑って言うラチナおねえさまを気にしておろおろと立ち上がったアニーを見て、また笑いが起きる。
よかった、新しい班でも楽しく勉強できそう。そう考えていると、扉が開く。
「楽しそうだねぇ」
決して嫌味な様子ではなくにこにこと教室に現れた先生が、近寄ってたっぷり蓄えたひげを撫でながら机の上にある薬を覗き込み、ふむふむと嬉しそうに頷いた。
「もう少し時間を置けば完成かな。フォルセ君、終わったらこの薬と纏めた資料を提出するように。君たちも薬が出来上がったら今日は終了だ」
「はい」
にこにことまた笑顔で教室を出て行く先生を見守り、私たちはまた笑顔で会話を続けた。アニーも、今日は随分と良く笑う。
虫の死骸や破裂音の嫌がらせは、昨日の夜も今日の朝もなかったらしい。
穏やかな日が過ぎていく。
作成した薬は先生に太鼓判を貰い、あれから数日がたった。
桜が見ごろだと聞いて、今日はアニーとトルド様も誘って特殊科の皆と一本だけある桜の前でお花見だ。ピエールも誘ったのだが、今日は用事があったようでひどく残念そうに「次回何かあれば!」と言っていた。
最初は王子と同席することに僅かに緊張を見せていたトルド様だったが、薄いピンクの花弁がひらひらと舞う、咲き零れる桜の前で穏やかな表情を見せた王子にやっと肩の力を抜き始め、元々人懐こい性格からかすぐに笑顔で会話をするようになった。
さすがにブルーシートも缶ビールもないが、持ち寄ったお菓子やサンドイッチ等の軽食を食べつつ桜の下でのお喋りは楽しい。そういえば、前世の花見って花を楽しんでいるのか飲んだり食べたりを楽しんでいるのかよくわからなかったんだよな、と思ったが、私にとって桜はやはり特別なものだ。ちらちらと視界に入る散った花びらを手に取っては、その質感を楽しむ。しっとりとした花びらは、私の指にぴたりと張り付いた。
準備の為にとパルミアさんとレミリアがついてきてくれたのだが、二人も桜を楽しんでいるようだ。
アニーも最近は嫌がらせがめっきりなくなったらしく、笑顔が増えた。噂はもちろん消え去ったわけではないが、このまま落ち着いてくれたらと思わずにはいられない。
「綺麗ですわね」
おねえさまがそういうと、王子が何かをおねえさまに言う。風の音に紛れて小さなその声は私には聞こえなかったが、おねえさまには聞こえたようだ。
目を大きくして、次いで顔を真っ赤にしたおねえさまを見て満足そうに笑った王子は、機嫌よくさぁ飲めさぁ食えとまるで酔っ払いのようにトルド様にも絡み、最後の方はトルド様は「殿下のイメージが変わりました」と笑って帰っていった。
「アイラ」
自室に戻ろうとしたところで呼ばれて振り返ると、フォルがいた。今日は疲れたからと夕飯を食べて早々に王子とおねえさまが切り上げたので、皆部屋に戻ったと思っていたのだが。
銀色の髪をさらさらと揺らして首を傾げた彼は、時間があるかと尋ねてくる。
「約束、果たさせて欲しいな」
微笑まれたがすぐには約束に思い当たらず首を傾げた時、「昼にもう行っちゃったけどね」と付け足されて納得の声を上げる。
「あ、桜?」
「そう。……駄目かな」
「えっと……」
かまわない。かまわないのだが、既に日は落ちてしまっている。この時間に出かけるのは危ないのではないかと過ぎった不安は、フォルにはお見通しのようだ。
「わかってる。前の誘拐は僕のせいだし……だから、外にロランがいるんだ。ロランに護衛としてついてきてもらうよ」
「ロランさん……ああ、そっか。わかった、大丈夫だよ」
ロランさんは、確かフォルの従者。なるほどと頷く。
ちょっと待って、と言ってガイアスとレイシスの二人に話しに行こうとすると、フォルが私の手を掴んでそれを止める。
「ガイアスにはもう言ってあるよ、行こう」
「え? あ、待って」
手を引かれて慌てて体勢を直し、フォルに続く。
少しひやりとする空気に触れつつ外に出たが、寒いわけではない。空を見上げると星がいくつも見えて、今日は月の輝きも強くそこまで暗いと感じない。
「お待ちしておりました」
声をかけられて振り返れば、そこにはいつぞやも見たフォルの従者の姿がある。久しぶりに見た彼に挨拶をしようとすると、私はいないものと思ってお楽しみください、と言われてほんの少しだけ混乱した。
「えっと……いいの?」
「うん、行こう」
穏やかな雰囲気で微笑むフォルにつられてほっと息を吐き、先ほども通った道を再び、今度はフォルと手を繋いで歩く。
フォルはぽつぽつとたまに何かを話すだけだが、別に沈黙が訪れても苦はなく歩く。
「わぁ……」
月明かりに照らされた桜は、ぽつんとそこに一本だけしかないのにとても綺麗だった。
昼も見た筈なのに、わいわいと皆で楽しんでしっかり堪能した筈だったのに、夜の桜はまた格別だ。
「雪みたい」
雪の時は桜みたいだと言ったくせに、そんな感想が漏れたことに自分で笑う。
だけど、夜の闇の中降る桜の花びらの色は昼に見た桜色より白く見えて、雪を思わせるのだ。
「綺麗だね」
「うん」
二人で並んでそれを見上げる。風が吹いた時、私たちを花びらが覆った。
わっと驚いて慌てて身体にくっついた花びらをぽんぽんと軽く服を叩いて落とすと二人で目を合わせ、笑った。
「あのね、アイラ」
「うん?」
見える範囲、だが少し離れた位置に待機するロランさんはそれ以上近寄ることなく控えていて、フォルと二人だけの気分だと感じていた時、名前を呼ばれて顔を上げる。
「僕、また目の色変わったりしてる?」
突然振られた『秘密の話題』にどきんと心臓が跳ねて、その顔をまじまじと見つめる。
「……あれから気づいた事はないけど」
「そっか。どう制御すればいいのかなって悩んでたんだけど、大丈夫なのかな」
実は今も必死、と笑う彼の目は綺麗な銀色のままだ。もしかしてこれが相談したかったのかな、と思い真面目に向き直り、大丈夫だよとその手を握る。
「フォルはたまに自分の事自信なさそうにしてるけど、私だってエルフィなんだから特殊なのは同じでしょう? あ、そうそう。私階段で転んだ時、精霊と話をしていて下見てなかったんだよね。今日、それは人前でまずいって気づいちゃった」
あははと笑って言えば、フォルは少し驚いた表情で私を見下ろした。
……見下ろした?
「フォル、背、伸びたね」
いつのまに、と悔しくて見上げる。私ぜんぜん伸びないのに、といえば、フォルはなぜか泣きそうな顔で笑った。
「アイラは、ひどいな」
「え? な、私フォルの身長これ以上伸びなきゃいいのにとか、言ってないよ?」
若干思ったが。
だが、フォルはううん、と笑うだけで何がひどいのか教えてくれない。やっぱひどくないよ、と誤魔化されて、拗ねて目を逸らす。
「僕ちゃんと、父との約束守れるかな」
「え? 約束?」
うん、と呟くフォルは空を見上げた。散る桜を一つ手にとった彼は、帰ろうかとまた笑みを見せる。
振り返って、しっかりと目に焼き付けるように桜を見つめた私はフォルに続いてゆっくりと帰り道を歩き出す。
このまま穏やかに時間が過ぎればいい。
そう思っていたのに、無情にも事件は起きたのだ。




