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「うーん気持ちいい風!」
春の爽やかな風が頬を撫で、軽く束ねただけの私の髪を揺らす。
いつもより遠くに見える地面には色とりどりの花が咲き誇り、緑の葉をたくさん蓄えた木は太陽の光できらきらと輝いている。
春だ。
「三階だと見晴らしもいいですわねぇ」
おねえさまも隣に並び、窓枠に手をかけて外を見る。
今まで私達が使っていたのは一階の教室だ。だが、二年に進級し、二階は新三年生がそのまま使うとのことで私たち新二年生は三階の教室を宛がわれたのだ。
ふと少し離れた位置に、見覚えのある姿を見つける。
きゃあきゃあと黄色い声をあげる、花のように色鮮やかなドレスを着た淑女科の少女達に囲まれているのは。
「あれ、フリップさん」
「あら、本当。お兄様だわ」
三年生に上がると同時に、フリップさんは特殊科に選ばれた。新三年生に特殊科は合計三名になったのだ。
それからと言うもの忙しそうであまり話はできていないが、毎朝顔を見る限りでは楽しそうなので充実しているのだろう。
「そういえば今日ですわね、一年の特殊科の発表」
「ああ、そういえばパーティーの日でしたっけ」
「騎士科二年が準備しているそうですわ。開始ぎりぎりまでかかるとか」
あれ、じゃあ今日ガイアス達は帰りが遅いのか。
そんな会話をしながらぼんやりと外を見る。今日の午前の授業はもう終えているから帰ってもいいのだけど、フォルが二年生から私たちの班に加わる事になったトルド・ベルマンに授業の進み具合を教えているので、それを待っているのだ。
ちなみに私とおねえさまはおしゃべり中だが、すぐそばには読書をしているアニー様……アニーもいる。最近ではお互い『様』はなしで、とおねえさまの提案により名前で呼び合っている。もちろん仲間内だけで、だが。(私はラチナおねえさまを変わらずおねえさまと呼んでいるが)
アニーと一緒にいる時間は増えたが、相変わらず嫌がらせが続いていると聞いたのはついさっきだ。
しかし手口が巧妙になってきているようで、もはや誰がやったのか、などはまるでわからないらしい。もしかしたらあの方ではないのかもしれませんねと困ったように笑ったアニーは、最近少し痩せたようで顔色も悪い。
「早くなんとかしないといけませんわね」
おねえさまが小声で私だけに伝えた言葉は、視線からアニーの事だとわかる。
だけど、アニーの寮の部屋の前に知らないうちに虫の死骸が置いてあるだとか、夜窓の外で小さい破裂音(恐らく音だけ煩くて効果が薄い簡単な攻撃魔法)がするだとか、気づいた時には周囲を見ても誰もいないらしくて捕まえづらい。
というか、やることが大人気ないというか幼稚というか……いや、動物の死体よりは虫のほうがいいかもしれないけれど、いやそんなことはないな、どっちもだめだわ。
アニーがどんどんやつれていくのを見ているだけにするつもりはない。つもりはないが、夜中に外で見張っていたら巡回している騎士に怒られるだろうし、寮の廊下も同じく。
なら犯人を騎士が捕まえてくれよと思うが、アーチボルド先生が掛け合ってくれて警備は強化してもらっているらしいのに変わらない。
ぺらり、とアニーが本のページを捲る。さっきから次のページに進むのがやたら遅いので、考え事をしながら読んでいるのだろう。集中できていないのかもしれない。
テストはしばらくないが、これから私達の班は新たなメンバーのフォローをしながら授業を先へ先へと進めなければならないので余裕があるわけではない。アニーが倒れてしまう前に何とかしなければ。
「アルくんに頼んでみようかな」
「あら、駄目ですわ。結局現行犯で取り押さえなければ意味がないですもの。しらばっくられて終わりですわきっと」
おねえさまに言われて、それもそうだとため息を吐く。アルくんが犯人の犯行中に知らせてくれても、私達が間に合わなければ意味がない。
アーチボルド先生にも夜中に私達特殊科の寮から出るなと注意されているし、どうしたものか。
先生はきっと騎士が現場を押さえてくれると言うが、遅いのだ。
「あ」
窓の外を眺めていた私の視界に、立ち去ったフリップさんの変わりに三年に上がった兵科のガイル・マッテゾルの姿が見えた。仲間とげらげらと笑って進む彼らは、すれ違い様に二年の兵科の生徒を見ると肩で風を切るように歩き、端に寄らせては笑っていた。
……いらっとしたのは私だけではないようで、おねえさまもその美しい顔を顰めている。
「あれでは一年の手本にはなりませんわね」
「確かに」
兵科では一年から三年が纏まって学ぶことも多いらしい。その際三年は手本となるべく動くらしいのだが、あの人を真似されたらよくないんじゃないだろうか。
医療科では二年、三年は行事でたまに組むことはあっても、一年は完全に授業が別だったから、上級生と学ぶというのはどんな雰囲気かわからないが。
「ふー、ついていくのが大変だとは思っていたけれど、君たちの授業の進み具合には驚いたよ」
トルド様が粗方フォルから内容を聞き纏め終えたのか、息を吐きながら机に突っ伏した。どうやらだいぶお疲れのようで、死んだ魚のような目だ。思わず回復魔法をかけたくなったが、それに気づいたらしいトルド様は笑った。
「ごめん、食事もまだなのに」
「大丈夫です、今日は午後授業はないから」
トルド様が私達にも頭を下げてきたので、首を振る。
「むしろ、全部フォルにお任せしてしまいましたわね。私たちは女のお喋りを楽しんでいただけですし」
「あはは、僕は大丈夫。トルドとは前から授業の話をしていたから」
フォルが笑顔で立ち上がり、使っていた資料などを纏める。
アニーはその間もぼんやりと本を眺めていて、どうやら終わった事に気づいてないらしい。
心配したフォルがアニーを呼ぶと、びくりと肩を震わせたアニーが慌てて立ち上がり、本を落とす。
「す、すみません私ってば!」
大慌てで落とした本を拾い上げ、鞄に詰め込むアニーを困った様子で見つめたフォルが、私とおねえさまに視線を移す。
苦笑してアニーが荷物を纏めるのを手伝いながらゆっくりと彼女に話しかける。
「アニー、今日は騎士科の皆が一年生のパーティーのお手伝いに借り出されているみたいなの。私達で送っていくね」
「あ、えっと……申し訳ありま」
「アニー、『ありがとう』のほうが嬉しいわ」
謝ろうとしたアニーをおねえさまが遮ると、おたおたとしたアニーはこくんと頷き、ありがとうございます、と笑った。
「あれ、アニーを送っていくんだ。僕はこのまま食事をしに行って図書館にこもってくるよ。とてもじゃないけど、君たちにおいつくのはきつそうだ」
トルド様がそういうと、お礼を言ってぱたぱたと片づけをし、手を振って教室を出て行く。
アニーも準備を終えたようなので、私とおねえさま、フォル、アニーで連れ立って三階の教室を出て、階段を下りる。
いくら貴族が通う学園でも、エレベーターのようなものはない。三階分降りるのはきつい……と思いきや案外話しているうちにあっさりとたどり着いた一階で、予想外の人物に会う。
「ガイアス?」
「あ、アイラ」
間に合った、と笑う彼が駆け寄ってきて、首を傾げる。彼は今一年生の今日のパーティーの為の準備に借り出されているのではなかったのか?
「ちょっとだけ抜け出してきた。アニー送るだろ?」
「ガイアス、一人で来たのか」
フォルが苦い顔をすると、大丈夫だってと笑うガイアスは手をぱたぱたと振り、でも時間はない、と笑った。それを見てアニーが顔を真っ赤にして慌てる。
「も、申し訳ありません!」
「気にするなって。レイシスにもアイラたちを無事に屋敷に送り届けてから来いって言われたし。ほら行こうぜ」
笑うガイアスに促されて、歩き出す。
春は一番好きな季節だ。だけど、今日は少し日が強いみたいで眩しい。それなのに、三階の窓から感じた風は爽やかで気持ちのいいものだったが、外を歩くと風は少しひやりとしていた。
アニーは昼食を既に侍女が部屋に用意してくれているらしく食堂には寄らないとのことなので、私たちは昼ごはんを買うのは後にし先に学生寮へと向かう。
アニーを笑わせようとおねえさまと私できゃあきゃあとベルマカロンのお菓子や今流行の服などの話をし、寮の入口にたどり着いた時。
ぴたりと足を止めたガイアスとフォルを不思議に思い、前を歩く二人の後ろから顔を出した私達の視界に入り込んだのは、先ほど仲間と騒いでどこかに行ったはずの男。
「ガイル・マッテゾル?」
ぼそりと呟けば、その声を拾ったガイアスが僅かに頷いた。
途端に緊張が走り、私たちはアニーを背に庇うような位置に動いて前を見る。
ガイル・マッテゾルは私達に気づいた瞬間、ほんの一瞬目を見開き、次に眉を寄せた後ぐっと歯を噛んだようだ。震える拳が、その身体に力が入っていることを物語る。なんだか非常に悔しそうだ。
だがすぐに彼は自嘲するような笑みを浮かべ、そしてそれはこちらを嘲るような笑いに変わった。
「そういうことかよ」
「……なんでしょうか」
フォルが一歩前に出てそれに答える。が、そんなフォルを無視してアニーを見つめるガイル・マッテゾルは、続けてはははと笑った。
「お前も玉の輿狙いかよ。ベルティーニとグロリアと一緒だな!」
「は?」
名前を呼ばれて思わず眉を寄せ、意味を理解してむっとする。
「そんな奴等と違って身の程を弁えたやつだと思ってたぜ。だっせぇ、お前みたいな女、高位貴族に拾ってもらえるわけないだろ!」
「おい!」
ガイアスが一歩前に出ると、ガイル・マッテゾルはびくりと身体を揺らし腰に手を伸ばした。
あ、とアニーが悲鳴に近い声を上げた。シャン、と音がしたと思うと、ガイルは剣を抜いたのだ。
が、それは構えの体勢に入る前にくるくると宙を舞い、そばの木に突き刺さる。ガイアスが弾いたのだ。突き刺さったところを見ると、魔力をこめて弾いたのだろう。飛んだ剣がこちらに間違っても向かってこないように配慮したのであろうが、さすが。
そしてそれは相手にも伝わり、木に突き刺さった自分の剣を見つめたガイルは縮み上がり、ひっと息をのんで震える。
「ふん、そんな女こっちから願い下げなんだよ!」
なけなしの力なのか、震える声で虚勢を張りあっという間にかけていく男の背を見ながら、ガイアスが木に突き刺さった剣を抜き取る。
「悪いアイラ、木、大丈夫か?」
「あ、うんちょっと待って」
木に近寄ると、仰天した様子の精霊達が少しむっとして口を尖らせていた。
ごめんね、と謝って木を撫で、治癒の魔力を注ぐ。
「悪かった」
ガイアスが、見えない筈の精霊と目の前の木に向かい謝罪の言葉を言うと、それを聞いた精霊達は僅かに驚いて、木の傷がなくなったことを確認するとちらちらと私たちを気にしたまま去っていく。後でもう一度謝罪の為に、特製の栄養剤でも持ってこようと考えながら、皆に大丈夫だと告げる。
「なんだか、思っていた感じと違いますわね」
おねえさまがぽつりと言う言葉に誰も返事を返すことなく、男が走り去っていった方角を、皆が呆然と見つめた。




