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「つまり、ガイル・マッテゾルは振られた腹いせにアニー様に嫌がらせしたり不利益な噂を流したりしているのかしら」
話を聞き終えたおねえさまが、アニー様がにごした部分を明け透けに言い放つ。
「いえ、振ったりなど……いえ、違うのかしら、振ったことになるのかしら」
はっきりした表現に焦ったアニー様は若干混乱したのか、今までぴんと伸びていた背が丸くなり呟きながら首を捻ってしまう。
「そういえば、何でお父様はお断りを?」
こうなれば言ってしまえとばかりに突っ込んでいくおねえさまであるが、アニー様は別にそれを気にした風もなく、しかし別なところを気にしてか僅かに言いよどんだ後、ゆっくりと話し出す。
「……ラモン家は、子が私一人なんです」
その言葉である程度納得してしまう。基本家督はその家の長男であるが、子が娘しかいない場合、その婿が爵位を継ぐことがある。
基本恋愛結婚が好まれるものの、貴族である以上政略結婚を免れないことも多くある。特に娘一人の場合、その婿はもとから貴族生まれで領地経営ができる相手を選ぶ事が多く、まったく珍しい話、ではないのだが。
「……私のような男爵家の娘に、貴族の方から縁談話があがるのはありがたいことです。ですが」
一度言葉を区切り、なんだか辛そうな笑みを浮かべたアニー様は自嘲したような声音で話す。
「父が、パーティーで聞いてしまったそうです。ガイル様とマッテゾル男爵が、ご友人の方に話していた内容を。……かなりお酒を飲まれていたそうですけれど、『ラモン家を貰うのは簡単だ、娘も大人しいから適当にあしらえるだろうし、結婚したらうちの領地の借金の返済はすぐだろう』って」
それに父が怒ってしまって、と笑って告げるアニー様の表情は固い。まあ、と息をのんだおねえさまは憤慨し、なんてことなのかしらと怒りを露にする。
「そういえば、数年前からマッテゾル男爵領は領地経営に苦しんでいるという話ですわね」
マッテゾル男爵領は数年前に雨に恵まれず、農作物に壊滅的なダメージを受けたらしい。天候はどうしようもない。広大な土地に魔法で水をかけられる程の魔力を持った人間はごろごろいるものではないし、それは仕方がないものである。が、そこから崩れた経営を立て直せないのは、マッテゾル男爵がそんな状況でも派手に暮らしているからだ、と噂があるらしい。
対し、ラモン家は男爵位ではあるが、領地内に大きな湖を持ち、その湖を愛する領民の手によって美しく保たれている景色は観光地としても有名で、それに伴い人の出入りが多く市場が活発だ。ラモン男爵自身も湖を愛し、その景色と領民を守るために力を注いでいると聞く。
そんなラモン領が狙われたのは、同じ男爵家であるから楽勝だろう、という判断もあるかもしれない。
「そんな家の男、お断りして当然ですわ!」
憤慨したおねえさまがその綺麗な眉を顰めて、口を尖らせる。
そこまで黙って聞いていたガイアスも、それは親父さん怒って当然だ、とお茶を一口飲んだ。
「それで、その。お断りしてからは、始めのうちは直接お会いした時に、ガイル様がお怒りになっていたくらいだったのですけれど」
「それがエスカレートしていった、ということですのね」
「証拠はあるのか?」
一見厳しいような言葉であるが、ガイアスの言葉はあくまで心配するものだ。
「……一度だけ、階段で押されたことが。笑って、『最近運に見放されてるんじゃないか』と仰って行ってしまわれましたが」
「何よ、それ」
思わず手を握る。
階段で押すなんて、という酷いことをする相手への怒りもあるし、自分で突き落としておいてその発言にも腹がたつ。いくら魔法があり、アニー様が人より魔法を使えるからといって許されるものではない。……確かに、他の嫌がらせもガイル・マッテゾルが関わっていると思いたくなる出来事だ。
ガイル・マッテゾル。その名前には聞き覚えがある。
「ガイル・マッテゾルって、二年の兵科よね? ……去年の春に私に毒の霧をかけてきた男?」
「そうだな。夏の大会でレイシスの一回戦目に当たってやられてたやつ。ちゃんと覚えてたか」
なんだか嬉しそうに頭を撫でながら言うガイアスの言葉に、ああ、と彼の顔まで思い出す。レイシスに思いっきりやられてたやつだ。
「でも」
ふと考え込んでいたおねえさまが顔を上げると、眉を下げた。
「噂、というのが辛いですわね。……私のほうはどのようなものか、わからないですけれど」
「そう、ですね。将来……大丈夫でしょうか」
アニー様も困ったように首を傾け、そんな二人を見て首を傾げる。
……うーん、私は感覚がずれているのだろうか……? 入学当初から立たされた立場上悪く言われる事に慣れすぎただろうか、それとも鈍いのか?
なんにせよ二人がこうして辛そうにしているのなら、放置はできないだろう。
どうしたらいいかな。
考えつつ、ぱきん、とクッキーを口の中で割った。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
部屋に戻ると駆け寄ってきたレイシスにただいまと笑顔を返す。
続けておかえりと声をかけてくれるルセナとフォルにもただいまと返して、王子がいないことに気づく。
「あれ? デューク様、もう部屋に戻られたの?」
「ううん、デュークは騎士に呼ばれて城の方に出かけたよ」
「えっ」
つい、今まで王子が城に呼ばれるのは事件が起きた時だという場面が多くて、眉を顰める。
ルブラに動きがあったのかとか、それに関した事件かと脳を駆け巡った不安は、「大丈夫だよ」と笑うフォルの声に消えていく。
「なんだか、今面白い研究をしているんだーって出かけて行ったから。たぶん城の研究所なんじゃないかな」
「まあ、そうでしたの」
同じくそばで心配していたらしいおねえさまのほっとした様子で、私も肩の力を抜く。
「研究所……なんの研究だろう?」
「わからないけれど、デュークはすごい楽しそうだったよ」
ルセナが「いいなぁ、僕もいってみたい」と笑いながら、お茶の準備をし始めたのでそちらを手伝う。
お湯を沸かしていると、ふと、昼間の少女三人を思い出した。
彼女達は私達の噂を誰からどんな風に気づいたのだろう。
アニー様は、相談にのってもらえただけでも気持ちが軽くなった、と王子達にまで相談して迷惑をかけるのは本意ではないと言っていたので、皆に相談するのも気が引ける。が、このまま嫌がらせがエスカレートしても困ることだし、階段から突き落とされるなんて事が何度もあっては困る。なんらかの対策をしなければならないだろう。
もうすぐ二年生になるが、前世みたいにクラス替えがあるわけでもないし。アニー様にひどいことをしていると思われる男も、二年から三年にあがるだけなので卒業はしないし。
人の噂も七十五日、とか私の噂の時は思っていたけど、元凶がいるんじゃ意味がないか。
「こら、アイラ」
ぽこん、と軽く頭を叩かれて後ろを見ると、苦笑したガイアスがいて。
「アニーのことなら俺も考えてみるから。とりあえずその手に持ってるやつ、気をつけろよ。火傷するぞ?」
「えっ」
そういえばお茶淹れてる途中だった。手に薬缶を持ったまま考え込んでいたらしい私は、慌ててそれを置く。
「お茶もいいけど、夕飯もう出来たってよ。食おうぜ」
「ああ、そうなんだ、ありがとう」
どうやら夕飯に呼びに来てくれたらしいと周囲を見た時、心配そうにカップを持つルセナと目が合ってしまい、ごめんねと笑う。
「ほら、疲れた時は甘いものだ」
手のひらを上に掴まれて開かされた手にのせられたのはベルマカロン製の飴だ。
「……これから夕飯なんだよね?」
「食べ終わった後! 別腹だろ?」
ひらひらと手を振るガイアスに促されて、食事をするために私とルセナも歩きだす。
おいしいもの食べたら元気出るものだけどな……。
手のひらで飴を転がしながらも、今後アニー様の周りでこれ以上ひどい嫌がらせが起きないように願い、その飴を握り締めた。
「じゃあ、二年のガイル・マッテゾルを警戒した方がいいね」
どうやら、ガイアスが帰る直前にアニー様に相手の名前だけ相談させてほしいと頼んでいたようで、何をされたか、なぜそのようなことを、などの具体的な事を省きさらりと説明してくれたガイアスのおかげで、ここで待機していたメンバーもそれなりに事情を飲み込んでくれたようだ。
またあいつですか、と目を閉じ唸るレイシスに、ため息をつくフォルとルセナ。
王子はまだ帰ってない。今日は食事は城で済ませてくると侍女に伝えていたらしく、既に食事を終えてしまった私たちもゆっくりとお茶を飲みながらの会話だ。
いつもなら穏やかな時間であるが、今日は少しぴりぴりとした空気だ。
そんな空気はしばらく晴れず、王子もいない今結局早々に解散になり、自室に戻る。
扉を閉めようとしたところで、その手を軽く引かれた。
「お嬢様」
声だけでレイシスだとわかる。
部屋に招こうかと扉の前から身体を動かしかけたが、前回手を取られたことを思い出し僅かに身体が強張る。
それに気づいた自分の頭がひどく混乱したが、レイシスは私の手を掴んだまま詰め寄った。
「お嬢様、絶対に一人でガイル・マッテゾルに近寄らないでくださいね」
お嬢様はたまに無理をしますから、と私の手を握りレイシスが言うが、その手の方が気になって仕方がない。
「絶対です。約束してくださいね」
とりあえずこくこくと頷くと、ほっと息を吐いたがまだ不安そうな顔をしたレイシスが、ゆっくりと手の力を抜いていく。
「必ずです」
そう言って離れていった手を見ながら、レイシスが部屋に戻るまでぼんやりとその背を見送り、慌てて扉を閉める。
ぴょん、と跳んで足元にやってきたアルくんが、どうしたの、と聞いてくるのに、まだ手を見ながらぼんやりと呟く。
「アルくん、なんか、レイシス最近変じゃない?」
それを無言で受け止めたアルくんは、ふわふわの尻尾でするりと私の足を撫でた。




