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「今日の授業はここまで」
穏やかな先生の声が終了を告げ、それと同時に教室内が騒がしくなる。こういったところは貴族の学校も前世の学校も変わらないだろう。
ほっとしつつ資料や研究ノート等をすばやく纏める。今日はアニー様を寮まで送り、特殊科の授業を受け、その後またアニー様のところにお邪魔をして話を聞く予定なのだ。
アニー様が普段どんな嫌がらせを受けているのかわからないが、早めに寮の部屋に戻ってもらったほうがいいだろうと席を立つと、「アイラ様」と声をかけられた。
「……はい?」
私とおねえさま、アニー様の前に立っていたのは、同じ医療科の女子三人。さっとおねえさまとアニー様の表情に緊張が走ったのを見ながら、前に立つ三人の顔を見る。彼女達は、普段私達に滅多に話しかけてこない……ローザリア様の取り巻きだ。
無意識に警戒した私達であるが、医療科でローザリア様の周囲にいる女生徒は基本私達にノータッチだ。嫌がらせもしないし目に見える範囲では陰口もない。その代わり助けてくれたりもしないが。
ちらりと見ると、ローザリア様は他の友人と談笑中でこちらを見ていない。
「あの、少しお三方にお話したいことがありまして」
目の前の少女達は、少し申し訳なさそうに私達を誘う。ちらりと教室の奥の扉に視線を流すところを見ると、空いている準備室で、という事だろう。
おねえさまとアニー様の二人を見て視線を合わせる。二人は少し強張った表情をしているが、相手が普段何もしてこない相手だ。どうしようかという逡巡の後、二人が立ち上がる。
ほっとした様子を見せた少女達が身体を動かしかけた時。あ、という誰かの悲鳴の後、教室内に黄色い声があがる。
「……あら、お迎えに来てくださったみたい」
おねえさまの苦笑の先に、見覚えのある集団。王子を筆頭としてガイアス、レイシス、ルセナが医療科の教室に顔を出していたのだ。
お迎えはありがたい。アニー様を送り届けるという大事な任務がある以上ありがたいが、非常に目立っていたのでついおねえさまと笑いあい、そしてどうしようかと先を歩こうとしていた少女達を見る。
「あ……」
顔を強張らせた少女達が視線を泳がせた。
普段であれば他の女子生徒たちと同じように王子らの登場に頬を染めていただろうに、途端に青白くなってしまう彼女達を見て僅かにため息を吐く。
たまたまフォルが他の男子と話していた間に私達に声をかけてきたところを見ると気づかれたくなかったんだろうな、とは思ったが、今は特殊科の残りのメンバーが集まってしまったことで立ち上がった私達にも視線が向けられてしまっている。
どうしようかと完全に固まってしまった少女達を見て、その話の内容がなんであるか想像はつかないが、あまりいいことではないのだろう、と察しおねえさまと視線を交わす。
「……ガイアス、ちょっと授業の相談、のってくるね」
私はあえてガイアスを呼びそう告げると、おねえさまとアニー様を促す。これで誤魔化されてくれはしないだろうが、ガイアスならすぐに察してくれるだろうと歩き出せば「おう、待ってるぜ」とかけられた返事に笑みを返す。
「行きましょう」
おねえさまに促されていまだ困惑した表情ながら、今度は先を歩く私達の後ろについてきた少女達は、誰もいない狭い準備室の中に入るとまるで監禁でもされたように不安そうにちらちらと扉を見つつ、私達と向かい合った。
「それで、お話とはなんでしょうか」
私が問えば、三人の少女達はおろおろとお互いの顔を見合わせ、口を噤んだ。
準備室は、普段は医療科の授業で使うための道具が仕舞い込んである部屋だ。
先生が綺麗好きの為整頓はされているようだが、薬草を刻むための板にナイフ、摩り下ろすための鉢や目盛のついたビーカーのような、しかし魔力耐性のあるガラスのカップ等、機材が多い。
彼女達はそれらをちらちらと見渡しながら、考え込んだように口を閉じている。
うーん、今日は機材は使っていないし、授業前や授業中でなければ人はほとんど訪れない部屋ではあるが、今は私達がここにいるため興味本意で覗く人もいるだろう。あまり長い間はここにいられないと思うのだけど、と困り始めた時、漸く真ん中にいた少女が口を開く。
「その、お三方の、お噂についてなのですけれど」
つっかえつつそうになりながら話し出した彼女達は、時折お互いの顔を見合わせて、微かに手を震わせる。
「申し上げにくいのですけれど、ラチナ様もアイラ様も、最近はその……アニー様も、あまりよろしくないお噂を聞くようになりましたわ」
「……それが事実であったとしてもそうでないとしても、殿下やフォルセ様にまでご迷惑がかかってはどうなのでしょう」
「ましてラチナ様とアイラ様は、寮も一緒なのですし……」
一人が話し出すとわたわたとつられて話し出す彼女達の言葉を飲み込んで、……なるほど、と眉を寄せる。
「その、噂というのは……私はあの騎士科の先輩と中庭でふしだらな行為をしていたとか、そういった事実ではないお話かしら?」
精一杯、普段あまり使わない忘れそうになる令嬢の丁寧な話し方を心がけながら尋ねれば、私と目を合わせようとしない少女達が僅かに頷く。
事実ではないお話、とは言ったものの、二人で中庭にいたのは事実。そこはそれ以上追及せず、続きを促す。
「でも、私以外というのは」
先ほどの話では、私以外にも噂がある、という内容だった。おねえさまだけでなくアニー様まで、だ。
しかし私がそう尋ねたところで、顔を強張らせたのはアニー様だった。
「……、お二方とも、男性に関するお噂ですわ」
思わず、眉根が寄る。どういうこと、と思ったが、アニー様が俯いてしまったので聞けず、なんとなく察した。
今日アニー様が話すつもりだった相談に関係あるのではないか?
「……寮は仕方ありませんわ、私達は特殊科ですもの」
「仕方ないのはわかっております。ですが、そこにいなければならないのは絶対にですか? あなた方のような女性がそばにいるとなれば……」
「私達がどのような女性か、おわかりなのです? 然程、あなた方とは交流がないと思いますけれど」
「それは……っ」
ヒートアップした少女達がおねえさまに言い返す。
結局噂通りと思われているのがオチだ。……アニー様に男の噂というものがたつのが信じられない気もするが。彼女は普段からあまり男性のそばにいたがらない。話をするのは苦手なのです、と話していた気がする。まあ彼女は男子も女子も、ラビリス先輩程ではないが人見知り気味ではあるけれど。
……こういうのって、証明は無理だしなぁ。
もやもやとした気分になりつつ、結局誰が悪意ある噂を流した犯人かも、どういった理由かもわからないが、そうではないと彼女達に説明したところでその噂が消えるわけでもないし。
それにしても、女性の噂が耐えない男性と共に暮らしている女性が、噂の悪影響を受けるならまだしも、その逆で王子やフォルに不利益だ、と怒られるとは。
男女の心の機敏などは私にはまだわからないが、こうした噂が立つとどうしたものかと頭を抱えたくなる。
こんな時相談すればいいのは誰だろう。……お母様だろうか。
うーんと唸りつつも、盛り上がり意見交換……というには少し騒がしくなりすぎた室内を見て、おねえさまと少女達を止めるためにぱたぱたと手を振った。隣に聞こえますから、といえばさすがに少女達がぴたりと話をやめるので、それは簡単だ。
ゆっくりと少女達に向き合い、どういえばいいかわからない混乱した頭で口を開く。こうしたとき経験値のなさを感じる。きっとフォルや王子ならもっと上手く交渉するのだろうけれど。
「お話はわかりました。ですが私達は何も疚しいことはしておりませんし、寮にはきちんと先生も使用人たちもいるのです。疑われても、困ります。寮長として上級生もおりますし」
「ですが」
「ですので、この件についてはこちらで話し合いたいと思います。……寮を出るにしても、理由がいりますからね」
にこり、と微笑めば、少女達がぐっと唇を引いた。彼女達は王子やフォルにこの話をされると、困るのだ。それはわかっている。
「……もちろん、デューク様たちには言いませんよ」
俯いてしまったアニー様の背に手をそえ扉に向かいながら付け足せば、ほっと息を吐く音が聞こえる。
怒りのやりどころがわからないな、と独り言つ。噂を流した犯人が悪いのか、そういわせた私達が悪いのか、広める人間を咎めればいいのか、こうして噂を信じて苦言する人間に言い返せばいいのか。
とりあえず今の話でアニー様の様子が変わってしまったことは確かなのだから、やはりきちんと話を聞かねば。そう思いつつ私は、ざわめく教室内へと戻っていった。
「少し、出かけてきます」
特殊科の授業を終えてすぐおねえさまと立ち上がると、すぐに全員の視線がこちらに向けられた。
「お嬢様、俺も行きます」
レイシスが立ち上がると、王子までもが引き止める。
「アニー・ラモンのところか」
今朝の件だろう、と後に続こうとする王子を首を振って止める。
「そうですけれど、相談に乗る約束をしたんです。私とおねえさまと、ガイアスで」
「ガイアス?」
意外そうな顔で目を見開いた王子が視線を移せば、苦笑したガイアスが「おう」と言って開いていた本を閉じ纏めると、感じるレイシスの視線に落ち着けと手を見せながら立ち上がる。
「俺が二人を送るから大丈夫だ」
「……なんだか寂しいね」
ぽつ、とルセナが零すと、また後で話すから、とガイアスがルセナに笑う。もちろん話せることだけ、という訳がつくのだろうがこればかりは仕方ない。
心なしかしょんぼりとしたレイシスの視線を受け止めつつ、レミリアにお菓子を用意してもらいそれをかごに入れ、私達は部屋を後にしアニー様の部屋へと急いだ。
私達が行くまで部屋をでないように、と伝えてあるが、嫌がらせが起きていると言う彼女を一人にするのは気が引ける。
「アニー様」
訪れた部屋で小さな笑顔と共に出迎えてくれたアニー様と、彼女の侍女に挨拶を交わし、食べましょうとお菓子を手渡す。持ってきたお菓子はお茶にあうベルマカロン製のクッキーだ。
喜んだアニー様に椅子に促され、侍女がお茶を淹れて退室するまでの間雑談を交わした私達は、扉を閉めるぱたん、という音を聞き終えると表情を真剣なものに変えた。
「それで」
おねえさまが切り出すと、はい、とか細い声で呟いてアニー様は一度お茶で喉を潤し、そして真っ直ぐに背を伸ばすと、私、おねえさま、ガイアスの順で顔を見る。
「実は……実家に、私の縁談の話が来たのです」
「……えっ」
予想していた範囲からずれた話題に、思わず目を丸くする。しかし、ぐっと拳を握り話を続けるアニー様を、皆固唾をのんで見守った。
「お相手は、マッテゾル男爵次男のガイル様です。……いろいろありまして、父がお断り、したのですが」
どこかで聞いた名前に、眉を寄せる。断った、ということは。その次の予想通りの言葉に、思わずため息が零れた。




