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「ア・イ・ラー!」
スタッカートをつけたように名前を呼ばれて、振り向く前に「いきますわよ!」と腕を引かれた。おねえさまだ。
「ちょ、おねえさま!?」
慌ててもつれそうになる足を動かしついていけば、引っ張り込まれたのはおねえさまのお部屋だ。相変わらずセンスがいい部屋に圧倒されていると白いアンティーク調の椅子に促され、腰掛ける。
おねえさまの部屋は、たまに訪れて二人だけで話をすることがある。私の部屋に比べて大人っぽくお洒落で憧れるのだが、参考にしようとしてもなぜか私の部屋は子どもっぽくなるので不思議である。お母様が送ってきたお手製ぬいぐるみがまずいのかもしれないが、可愛いしなぁと諦める事にしたのはつい最近だ。
侍女を部屋に入れる事なく手ずからお茶を淹れてくれたおねえさまは、しかしにやにやとした表情を隠す事無く私を見つめた。
「それでそれで、どうですの!? お昼のあれは告白ですわよね!?」
「え」
一瞬頭が真っ白になったあと、漸く「あっ」と何の話か思い出した私はうろたえた。告白、告白されたんだった!
「そ、そうでしたおねえさま! ど、どうしましょう、お返事していないんです!」
「ガイアスとレイシスの二人がいいところで邪魔をしてしまったからですわね、まったく! それで、お返事はどうしますの? そもそもあの方はどなたですの? 騎士科の生徒ですわよね」
膝をついて手をとられてキス、憧れますわ! と目を輝かせるおねえさまの言葉に、勝手に熱くなる頬を押さえて隠す。そういえばそんな物語のお姫様みたいなことされたんだった! 本物の騎士(予定)の男性に、だ!
問われて彼が騎士科の三年の生徒である事、ほぼ面識はない相手だということを話し、そこでふと気づく。
「……あれ、おねえさま何で私が手にキスをされたこと知ってるんですか?」
そもそもなぜおねえさまもフォルもアニー様も中庭にいたのだ、と漸くそこで疑問を持った時、おねえさまが明らかに「やばい」と表情を変えたのがわかった。
……覗き見してましたね、おねえさま。
思わずじとっと見つめると、おねえさまはしばらく気まずそうに唸っていたものの、気になったんですもん、と口を尖らせた。
目を泳がせて謝るおねえさまに笑う。別に怒ってはないのだが。その代わり相談にのってくれればよしである。
だがそこで少し気になった。
「……フォルもアニー様も見ていたんですか?」
あの時二人もいたのだ。フォルは険しい顔をしていたし、アニー様は顔を真っ赤にしていて……ああ、納得した。アニー様、聞いてたのか。それであんなパニックを起こして謝りまくって行ったのか。……フォルのあの雰囲気はなんだ?
「フォル、知り合いだったんでしょうか。なんだか怖い顔してましたけど」
ぽろり、と疑問を口にした私は、目を見開いてそれを聞いたおねえさまが仰天して私の肩を掴んできたので、びっくりしてその肩に力が入る。
「そんなの、嫉妬したに決まっているではありませんか!」
「は? 嫉妬? 誰が?」
何の話、とその言葉を考えた時、すぐに思い至って笑う。
「まさかフォルが、ですか? そんな、フォルは友達ですよ」
「あーもう、いえ、友達は友達ですけれど!」
「第一、フォルはローザリア様がいますよね?」
二人は愛称で呼び合うほどの仲だったはず。私やガイアス達もフォルの事を愛称で呼ぶが、そもそもそれは初めてが「フォル」という名だと思っていたからだし……。
そんな話をしていると苦い顔をしていたおねえさまが、すぐその後そういえば、と視線を宙へと向けた。
「最近のローザリア様は、フォルセの事、フォル様じゃなくてフォルセ様と呼んでおりますわね。非常に下世話な噂話ではありましたけれど」
「……そうでした?」
フォルとローザリア様が話しているときはなるべく邪魔しないように離れていたから、気づかなかった。しかも噂になっていたのか、とぼんやり考えて、そんな呼び方まで噂になるなんて怖いなぁと考えつつお茶を飲み干す。結局事実はどうかしらないが、そうなった経緯も本人達しかわからないことだし、噂にすることでもないだろうに。
結局その後おねえさまと話をしたが、カルミアさんの返事はどうしようという話はイエスともノーとも決まることなく、初めての告白に少し舞い上がるもののそれがどういったことなのか私にはわからなくて、首を終始傾げて終わってしまった。
付き合うってなんだろうなぁ。
正直なところ、そんなことよりカレーが気になる。もちろん乙女? の憧れにも近い「コイバナ」とやらをおねえさまとしたことは楽しかったし無駄とは思わないが、今誰かとお付き合いしたいかと聞かれればノーだ。ということはやはり返事は「ごめんなさい」だろうか。
もうちょっと恋愛小説読んでおけばよかったな、と一瞬考えたもののすぐにそれは部屋に戻った私の目に飛び込んできたお父様の手紙で吹き飛んだ。寝る前にちょっとだけカレーの調合見直そう。
「アイラさん」
いつものランチボックスを購入し終えた時、穏やかな声に呼ばれて振り向けば、昨日緊張した面持ちで呼び止めた人物と同じだが、今日は柔らかで優しい笑みを浮かべたカルミアさんがいた。
カルミアさん、と名前を呼べば、「覚えていただけて嬉しいです」と笑みを深くする。さすがに昨日の今日で忘れたりはしない、それほど衝撃的な事であったが、彼は穏やかに笑んだままお食事ですか、とランチボックスを見た。
「よければ、ご一緒しませんか。昨日のベンチで」
ふと見ると、彼の手にもランチボックスが握られていた。おいしいですよね、と言われて思わず、ここのおいしいですよねーっ! と同意したところでもう一度「よかったら」と手を差し出され、困って首を捻る。
一応、学園内でも私が一人に(カルミアさんがいるが)なるのをガイアス達が許すはずがない。私だけじゃなく、あの誘拐事件があってからというもの騎士科男性陣ですら一人にならないように気をつけているのだ。犯人は捕まったが念のため、である。
ちらりと見れば、フォルとルセナが眉を寄せていた。やっぱりかと思いつつガイアスを見る。レイシスと王子は今日先生の手伝いで昼遅れて合流する予定でここにはいない。
「えっと、カルミア先輩……でしたっけ。アイラを一人残していくことはできないんで」
ガイアスが後頭部をかきながらそういうと、穏やかに微笑んだままのカルミア先輩は私から後ろへと視線を移した。
「責任を持って君達の寮に送り届けると誓うよ」
「……いえ、ですが」
しぶるガイアスだが、珍しくあまりはっきり言えずにいた。どうしたんだろう、と首を傾げつつ、自分の右上を確認する。ぱたぱたと羽を動かすアルくんの姿を見て、どうしようか悩み……後ろを振り向いた。
「ガイアス、今日だけ行くわ」
じっと目を合わせてくるガイアスは、恐らく私がアルくんを確認したのに気づいていたのだろう。しばらく悩んだ後、低く唸った。
「……わかった。自分でも気をつけて行けよ」
「ガイアス!」
フォルが咎めるように声を荒げたが、ガイアスはひらりと手を振った。
「アイラが行くって言ってるんだ、今日は行かせる。……先輩、くれぐれも頼みますよ? でも今日だけです。弟がいたら絶対許さなかったと思いますし」
「レイシス君か。……今は仕方ない、必ず午後の授業までには無事に送り届けるよ」
丁寧に騎士の礼をとってみせたカルミア先輩にガイアスが礼を返すと、私の耳元で「アルに防御を張らせろ」と呟いてガイアスが皆を促し背を向けた。
眉を寄せて困ったような視線で、口元だけ「アイラ」と動かしたフォルと目が合う。
昨日のおねえさまの「嫉妬」という言葉を思い出して、まさかと思いつつも僅かに跳ねた心臓は、そっと握られた手に意識を持っていかれて掻き消えた。
「行きましょうか」
嬉しそうな笑みが向けられて唐突に気づく。
カルミアさん、サフィルにいさまに雰囲気が似てるのだ。
もちろん、見た目はガイアス、そしてそれよりもレイシスの方が良く似ているのであるが、そうではなくて、紳士的な態度、これぞ騎士といった雰囲気に、穏やかでやわらかい空気。ガイアスが言葉を詰まらせていたのは無意識にでもそれを感じ取っていたのかもしれない。
ちらりと、今度は似ているどころか瓜二つなアルくんを見る。アルくんは僅かに子供っぽい様子もあるが、サフィルにいさまなのではと思うほどそっくりだ。彼と話していると安心するし、そばにいるとほっとする。……そうだ、アルくんがいるのだから大丈夫、私は一人でもいける。
ぐっと掴まれていない方の手を握りカルミアさんの後に続く。食事の誘いに乗ったのは、昨日の話はきちんとお断りしたほうがいいと思ったからだ。さすがにガイアス達の前でそれを返すのは憚られたが、答えは決まっているのだから長く待たせてはいけない、とは思う。が、僅かに緊張した。
「今日はおいしそうなチキンサンドですね」
和やかに始まった昼食に、ベンチに座りながらほんの少しの居心地の悪さを誤魔化して頷き、サンドイッチを食べる。トマトソースを絡めたチキンサンドはさっぱりしていておいしいし、王都の春は暖かくて、建物に囲まれガラスの屋根が張られた中庭は、今日が晴れた為か過ごしやすい。
なのについ周りに皆の姿がないことを残念に思ってしまう。横でいろいろと話してくれるカルミアさんに悪いと思うのに、話に集中できずに相槌ばかりうつ。
しばらくして、先に食べ終えてしまったカルミアさんを気にして急いで食べる私は、ゆっくりでいいですよと笑いかけられて更に慌てる。普段皆と食べている時も私ははやく食べ終わるほうではないのに、どうして今はこんなにも食べる速度が気になるのだろう。
「あの、……」
食べ終えて、話をしなければと顔を上げると、微笑んだ彼が僅かに困ったように眉を下げたのに気づく。……しまった、そんなに態度に出ていただろうか。
思わず俯いてしまった私の頭の上から、そんな顔しないで、と穏やかな声がかかる。
「……わかっています。僕は昨日話しかけるまで接点もなかった男だ。君の周りには素敵な人がいっぱいいるし、わかっていたことだから」
「えっと……ごめんなさい、私今はそういうの、考えられなくて」
「ということは、誰か特定の人とお付き合いしているわけでは、ないのかな」
急に少し距離を縮められそう聞かれて、思わず頷きながら身体を引く。再び左手をとられた私が呆然と自分の手を見ていると、中指と薬指の辺りに口付けられた。やららかく暖かい感触にびくりと震えて、無意識に視線がアルくんを探す。
淡い光がすぐそばに寄ってくれたことにほっとしつつ、腰が抜けそうになりながらなんとか手を引こうとすると、するりと手のひらを滑った彼の手が指先をぐっと握って止めた。
「あなたの気持ちはわかりました。……ですが、友人でしたら問題ありませんよね?」
「え? あーえっと」
友人……友達、とな。友達? え、こういうのってどうしたらいいの? 普通? 告白お断りしたらこの流れ普通?
誰か助けて! と混乱する私の前でにこりと微笑んだカルミアさんは、ですが、と私の手を下ろし(しかし握ったまま)言葉を続ける。
「俺は卒業してしまいますから、滅多に会うことはできませんが。もし何か用事で学園に顔を出すことがありましたら、ぜひまたお話しましょう」
「あ……はぁ……」
完全に気おされた私が気づいた時には、昼休みが終わってしまいます、とカルミアさんにつれられて中庭を出ていた。がっくりと項垂れたアルくんをみてしまった時には既に話は終わったと穏やかに別の会話をするカルミアさんにつられてしまい話し出せず、恋愛経験値がゼロだったらしい私はこの場合これでいいのかと自問自答しつつ屋敷まで送られてしまい。
「それでは、また」
にこやかに去るカルミアさんを呆然と屋敷の玄関で見送った。……あれ?
「……アルくん、私お断りできた、よね?」
『どう、かな……』
これはもしかして、今日話しかけられたその場で皆がいる時に断ってしまったほうがよかったのだろうかと思案したが、答えなんてわからない。
疲れたようなアルくんの答えを聞きつつ、屋敷に戻ろうとした私が扉に手を掛けた時。
「見ーちゃった」
楽しそうな声が聞こえてばっと手に魔力を溜め振り返った私の視界の端に、太めの木の枝に身体を預けた黒髪の男が見える。覚えのある少しつりあがり気味の金の瞳をじっと見ながら、唸るように声を出す。
「……グラエム先輩じゃないですか。お疲れ様です、こんなところで」
「なんだ、御挨拶だな。俺が何したっていうんだよ」
にやにやと笑う先輩に溜めていた魔力を散らしつつ溜息を吐いて、いろいろじゃないですかね? と自分でも本当にとんだ御挨拶だなと突っ込めるような返事を返し、しかしこのまま背を向けるのも気が引けてなんですかと問う。
どうも私、やっぱりグラエム先輩は苦手らしい。会うたびに言い合いしてればそれも仕方ないか。
「別に、ただ親切な俺からの優しい忠告だ」
「はい?」
「女の噂話は怖いぞ。……気をつけたほうがいい」
「……噂話?」
何のことだ、と思わずきょとんと首を傾げた時、グラエム先輩は意地悪そうに笑う。
「どうせお前は知らないんだろうけど、あの男、爵位は低いけど人気者らしいね」
「……えっと」
あの男、ってカルミアさんの事だろうか。
カルミアさんが立ち去った方向を見ながら言うグラエム先輩をじっと見ると、先輩はふはっとおかしな息を漏らし笑う。
「お前馬鹿だな」
「なっ、馬鹿って言うほうが馬鹿なんですよ!」
「子供かよ」
「うるさいです!」
やっぱりつい言い争いをしてしまうが、今回はにやりと笑ったグラエム先輩に非常に負けた気がする。ぐっと口に力を入れると、笑ったグラエム先輩は木の枝からとんっと軽い動作で降りると、背を向けた。
「ま、頑張れよ、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんて、そんな歳変わらないじゃないですか!」
最後まで噛み付いたが相手にされず立ち去ったグラエム先輩の背を見つつ、自分でも今回は完全に私が悪いかも、と若干罪悪感を感じ、ため息を吐いて今度こそ屋敷に戻る。
途中深刻そうな顔をしたアルくんが心配そうにこちらを見ていたのに気づき、大丈夫だと手を振った。先ほどの忠告とやらを気にしているのだろう。
「あ、アイラ」
名前を呼ぶ声がガイアスのものだと気づいて見れば、ガイアスがフォルと玄関から中に入ってきたところだった。あれ、と首を傾げると、ガイアスが苦笑して「用事で出かけてた」と言って急ごうと手を振った。
「あ、時間やばいね」
午後の授業が始まりそうだ、と急いで部屋に入れば、心配そうな表情をしたレイシスが走り寄ってくる。
一瞬グラエム先輩の忠告を言おうか迷ったが首を振り、遅くなった事を詫びて、ぎりぎりだ、と授業の準備に取り掛かる。
やっぱ昼ご飯はここで食べるのがいいな。
のんきにそんな事を考えていた私であるが、次の日アニー様が血相を変えて知らせてくれた話に、二度と中庭で食事するもんかと誓う。
「アイラ様が、中庭で三年生の先輩と……その、口付けを交わしていたと噂が!」
「え……はあ!?」
思わず教科書を取り落とした私は、噂の尾ひれ背びれがついたどころではない噂話に愕然とし、受け止めきれずに項垂れたのだった。




